勇者妻1

 あったかくて優しい膝の上で、お母さんの膝の上で、私は今日もご本を読んでもらう。
「ゴガァァァ! 魔王のイカズチを受けてしまった神様は力をなくして倒れてしまいます」
 決してうまいとは言えないけど、お母さんのできる範囲の中で、一番の熱演。
「『フハハハハハ』。魔王は力を無くした神様を見て笑っています」
 少し声を低くして魔王の声を出す。最初はちょっと怖かったけど、今は結末がわかるからそんなことない。
「『神様!』。神様と一緒に魔王退治に向かった騎士たちが心配して神様の近くに集まります。『神様』。『しっかりして!』。騎士たちは何度も神様に声をかけますが、神様は動きません」
 それぞれのキャラクターに対して、ちゃんと声色を変えて読んでくれている。
「『フハハハ! この世界は私のモノだぁ』。魔王はそんなことを言いながら笑い続けています。
 ああ、しかし、神様が倒されてしまった今、世界を救える人はいません」
 間違いなくスラスラと読めるのは何度も読んでいるから。何回読んでもらったかなんてわからない。でも何回でも読んでほしい。そのくらい私はこのご本が好きだった。
「しかし! 『正義がやられるわけがない!』。と立ち上がる若い騎士がいました」
 いよいよクライマックスに近づいていく。私は手に汗を握ってさらに深く聞き入り、お母さんの熱演はさらに熱さを増す。
「『私たちが正義だ! 私たちが負けるはずがない!』。若い騎士は勇ましい声をあげ、剣を両手で持ち、魔王に勇敢に向かっていきます」
 ゴクリ……。
 私は思わず固唾を飲んでいる。
「その時、倒れていた神様が光となって、若い騎士の剣に宿りました。剣に宿った光はさらに輝きを増します。『うわぁ!』。そのあまりの眩しさに魔王は苦しみました。その隙に若い騎士は、光り輝く剣で魔王を斬りつけます。『ぐわぁぁぁぁぁ!』。魔王はその剣の力によって霧となって消えてしまいました」
 ほぉ……。
 魔王を倒したことで高揚した気持ちが落ち着き、私もお母さんも一息つく。
「『わぁぁぁぁ!』。魔王を倒した若い騎士のもとに、他の騎士たちが歓声をあげながら集まります。『あなたは勇者だ』。『そうだ! 勇者だ』。他の騎士たちが口々に言います」
 勇者……。それは私の憧れの存在。
「そうです。魔王を倒した彼こそ勇者なのです。勇者は正義が負けないと信じていました。
 だから神様が力を授けてくださったのです。勇者は信じていることを本当のことにすることができる力をもっているのです」
 何回も読んでもらっている。結末も知っている。でも飽きない。同じところで感動してしまう。この話が好きだから。この話に出てくる勇者が好きだから……。
「そして……」
 お母さんの声がどんどん遠くなっていく。お母さんの膝の上の温もりが消えていく。少女の姿をした自分が……今の自分へと還っていく……。
 そして……、私の視界に馴染みの薄い天井が広がった。

 お母さんの膝に座ると柔らかくて暖かい胸が枕の代わりになるはずだった。でも、今は太くて弾力のある、逞しい腕を枕にしていた。
 ……夢だった。
 子供の頃、私が少女だった頃の夢だった。何度も見ている夢だった。大好きなお話の夢だった。私の追い求めている勇者の出てくる夢だった。
 しばらくははっきりとしていない頭で物思いに耽っていた。
 昨夜から泊まっている安い木造の宿屋の一室。その少し汚れている天井を見続けていたが、頭にかかった霧が晴れてくると、自分の腕を私の枕として提供している存在の寝息に気づく。
 ふと隣で寝ている男の顔を見る。
 特筆すべきものがない、今まで見てきた寝顔と大差ない。そんな感想しか持てなかった。
 でも彼の腕は逞しい。彼なら私の夢を叶えてくれる。そう思ってパートナーになった。男としての魅力よりも、夢を叶えてくれるかどうかが問題だから。
 意識が完全に現実に還ると、私は隣のパートナーを起こさないようにベッドから出る。そして生まれたままの姿をしている自分に服を着せようと、ベット付近に転がっている下着を身につけ、客が使うよう備えられた木のクローゼットから、クリーム色のシャツと、一見はロングスカートに見える白い変形ズボンを取り出す。
 金属を織り込んだオレンジのジャケット等の防具はまだ付けなくていいだろう。それを身につけてしまっては女らしさが損なわれてしまう。
「う、うーん……」
 着るべきものを身につけ、手入れをかかしたことのないご自慢の髪を梳いていると、パートナーが目覚める。私の夢を叶えてくれるパートナーが。
「ああ、ユリア。先に起きてたのか」
 彼は上半身だけ起こし、寝ぼけ眼のままで私に視線を送る。私はその視線に照れたように振る舞いながらコクンと頷き、「起こしちゃったかな?」と、続けた。
「いいや、そろそろ起きないといけなかったんだから丁度いい」
 優しい笑顔で応える。私はその笑顔を際だたせようと、カッシャアと、小気味よい音が鳴るように勢いよくカーテンを開けた。
 少し薄暗かった部屋に光が射し込む。彼は眩しそうに目を細めた。
「なぁユリア」
「うん?」
 何か思い詰めたように私の名を呼ぶ。
「こういう生活もいいよな?」
 ……いきなりどうしたのだろうか?
「暖かい家庭って言うのかなぁ……、朝起きたら好きな人がいて……微笑んでくれる」
 何言ってんのかしら?
 私が何も言わず表情を変えないように努めていたためか、彼はまだ夢の中にいるかのように、言葉を続ける。
「おまえとなら、そんな幸せを築けると思うんだ」
 ……これは……もしかしてプロポーズとかいうヤツ?
「魔王退治なんて……。バクチみたいなことをしないで……俺と二人で暮らさないか?」
 ………………。
 その言葉を耳にしたとき、彼はパートナーから、男Aへと降格した。
 冗談じゃない! 私は残っていたものを身につけると、吐き捨てるように言ってやった。
「さよなら」と。
 男Aは呆気にとられてしまって、何も言えなくなっている。
 ま、当然だろう。私はこいつに今まで見せたことのない表情で、聞かせたことのない声色で言い放ったのだから。

 バタンッ!

 せめてもの餞別。男Aの意識が戻るように、大きな音を立ててドアを閉めてやる。
 男Aは私の餞別のおかげで意識が戻ったようで、ギャアギャアと何か言っているがもちろん無視だ。勇者になろうという意志を捨てた時点で、私にとって価値の無い人間になったのだから。
 勇者の妻になるという夢をもった私にとって。

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