勇者妻外伝
「その剣が進む道」2


 二年間。たったの二年間だ。それでこれほどまで切れ味の良い剣になるのか?
「せいっ!」
 ヒイロが手にするのは水晶の剣。光のプリズムを残しながら、美しい軌跡を描く。
 水晶はこの地域の名産品。透き通るような美しさを持つ宝石が多く眠るこの地域に育った彼だからこそ、これほどの純粋さを保つことができるのか。
 恐ろしいほどの滑らかさ。この踏み込み斬りだけなら、私や師匠をも越えているかもしれない。大木さえもこの斬撃は斬ってしまうだろう。
 しかしだ。ヒイロはそれほど強くはなれていない。
「読める」
 私はその剣を身をよじってかわした。
 馬鹿の一つ覚え。ある程度までならいざ知らず、高レベルの実戦で、この剣はきっと通用しない。純粋さゆえか? 読めてしまうのだ。
 素直な攻撃は読めてしまう。実戦ではフェイクがうまく無ければ勝つことはできない。
 今の彼が勝てるとしたら、最初の一撃で勝負を決した時のみ。これほどの純粋な剣ならば、手練れが相手だった場合、すべての手の内を読まれてしまうだろう。
 芸がないのだ。馬鹿正直な剣は、カンのいい人間にはかわされてしまう。
「つぇい!」
 ……だから……。
 私は真っ直ぐしか走ることのない剣を軽く弾いた。クルクルと回転しながら水晶の剣が飛んでいく。
 燃えるような瞳。真っ直ぐ、ただ前だけを見つめている瞳。十八歳になった今でも変わらない。入門当時のまま。だからこその弱点。
「……ヒイロ」
「はい、師匠」
 ……教えればいいのだ。
 相手を騙す方法を教えればいい。表情、動き、すべてを駆使して相手を騙す方法を教えればいい。
「……今日はこれまで。また明日」
「はい、師匠! ありがとうございましたっ!」
 ハキハキとした素直な返事。
 ……私は剣の師として失格かもしれない。
 教えたくなかったのだ。この少年が、相手を騙す技を覚えていく姿を見たくなかったのだ。
 わかってる。それを覚えさせたところで、彼の純粋さは変わらない。しかし、その純粋さが、相手を騙す技を覚えるのに使われるのが耐えられなかった。
 ……よく言えば、極限まで長所を伸ばしたいと言ったところかしら。


*****


「どうした? 見え見えだぞ」
 師匠が私の剣をことごとく弾いていく。
「相手に刃を当てるための手段だ。当たらない刃に意味はないだろう?」
 当たらない刃に意味はない。
 そう。いくら憎しみののった切れ味の良い刃でも、相手に食い込まなければ意味がない。斬り殺すことなんてできない。
 そのための技だ。騙された相手を騙し返すだけだ。騙そうとしている相手の先手をとるだけだ。
「フェイントは剣を使う上で、最も重要な技術だ。……相手を斬るのに手段を選んでいるのか?」
 手段なんて選んでられない。剣は相手を殺すためのモノ。そして自分を殺してくるモノ。純粋な気持ちだけを相手にぶつけようだなんて甘すぎる。
「うわぁ!」
 それでも私は……。


*****


 求めていたんだ。
 私の気持ちは純粋だと、それを伝えたかったんだ。
 ……斬る相手に。
 だけど現実は、そんなことでは相手を斬ることなんてできなくて、卑怯でも何でもその剣をぶつけなければ意味がない。伝わらない想いに意味なんて無い。
 だから……あの子にも正しい剣の姿を教えなくちゃいけない。あの子のあの純粋な想いが届かないなんてことは、あっちゃいけないから。


「おはようございます師匠っ!」
 ヒイロが剣を習いに来るのは午前中のみ。午後は旅の資金を稼ぐために働いているみたいだ。
「おはよう。早速身体を温めなさい」
「ハイッ!」
 素振り、走り込み、筋力増強、ステップ。基礎鍛練をいつまでも真面目にやる彼の姿には頭が下がる。慢心というものがない。純粋に、ただひたすら純粋に強さを求め、面倒な基礎鍛練を怠らない。本当に見ていて気持ちがいい少年だ。……十八歳になったのだから、もう青年と言うべきか?
 ……でも彼には少年という言葉がよく似合うと思う。
 ……少年でいて欲しいと願うからこう思うのかもしれない。入門時とは違う。十六歳のあの頃から随分と成長している。背が伸びたとかそういうことじゃなくて、顔立ちとか……でも……。
 いつまでも少年でいて欲しいと思うのは、私のエゴかしら。
「師匠! 終わりました!」
 全身にじんわりとかいた汗が、朝日を浴びてキラキラと輝いている。目を細めなければ眩しいと感じてしまうほど美しいと思う。
「…………」
 まだ躊躇っていた。
 フェイントを教えることは、彼の剣を汚すような気がしてならない。
「……あの、師匠。お願いがあるんですけど……」
「え? あ、ああ……、言ってみなさい。」
 身長はヒイロの方が高い。自分を見下ろしている男からの、懇願するような瞳。ゾクリとするような気持ちになる。
 ……何を考えているんだか……。
 この子は弟子。頼み事をするとき、そんな瞳になるのは当たり前のこと。
「オリハルコンを斬ったあの技をもう一度見せてくださいっ!」
 オリハルコンを斬ったあの技……。ああ……アレか……。
 私の師が免許皆伝の条件として出した、『オリハルコン斬り』を達成するために編み出したあの技だ。剣を振り抜くときにどうしても雑念を捨てきれなかった私が、考えた汚い技……。
「……オリハルコンは貴重だから、何度も斬ってみせることはできないけど、あの技を見せるだけならいいわ」
「ありがとうございますっ! 師匠っ!」
 深々と頭を下げ、キラキラと輝く目を私に向ける。
 急に自分の剣を見せるのが恥ずかしくなる。汚くて、狡い私の剣を……。
 だけど……私は彼の師匠。この剣を、敵を倒すこの剣を彼は望んでいるのだ。教えなければならない。教えなければ……。
「……見てなさい。ヒイロ」
 目標はワラの束。前回使った、直径二十センチほどのオリハルコンよりは、はるかに大きな的だ。
 私はその中心に狙いを定める。
 深呼吸をし、精霊を生み出す。私は魔法に関しては変わった力を持っている。
 属性は水なのだが、水の上位攻撃魔法と言われる雷を扱うことができるのだ。もっとも剣士にその力は特に必要はない。
 だが私は、その力さえも最大限に利用してアイツを斬ることを望んだ。


*****


 どうしても捨てきれない躊躇い。いつも師匠に指摘されていた。剣を振り抜く時に生まれる雑念の正体。
「……おまえには無理だ」
「そんなことはありませんっ……ありません……」
 オリハルコンを斬ろうとして、何度鉄の剣をダメにしたかわからない。
「……おまえは入門するときに、斬りたい人間がいると言ったな?
 ……だが迷いがある」
「迷いなんてっ!」
 私は……もうこれしかする事が無くて……、アイツを……アイツを斬り殺すことしかすることがなくて……。
 でも迷っている?
 なんで……捨てきれていないの?
「……………………」
 それから数ヶ月。いつまで経ってもオリハルコンを斬ることができない私は、必死に知恵を絞って技を生み出した。
 剣を振り抜くときに雑念が生まれる。……逆を言えば……、剣を振り始めるときには雑念はない。間際になって躊躇いが生まれるのならば、躊躇っても後戻りのできない状況を作ればいい……。


*****


 剣を振りかぶり、目標物をしっかりと見定める。必ずこれを斬る。その強い意志とイメージを精霊に与える。

 ゴガァッ!

 弾ける雷。その衝撃は、片刃の剣の背に強くぶち当たった。
 その力によって、私の腕が振り抜かれる。雷が弾けたとき、もう運命は決まっていた。この強い力にあらがうことはできない。躊躇いなどで揺るがない、強い力により強制的に振り抜かれる刃。

 ザンッ!

 激しいフラッシュによって、相手の目を眩ます効果もあるこの技。しかも切れ味は恐ろしいほど抜群だ。
 アイツを斬りたいという気持ち。その威勢。それだけを作用させる荒技。その後に必ず生まれる躊躇い……。そんな自分の弱さを雷の光で隠してしまう剣。
 なんて……狡くて汚いんだろう。
「すごいっ! やっぱりすごいです師匠っ!」
 ……そう、でもこの少年はそれを求めているのだ。
 私の持つ、狡くて汚くて強い力。その力が無ければ、彼の夢は叶えられないのだから。
「魔法を剣技に取り入れる。ボクもちょっと考えたんですっ!」
 え?
 魔法を剣技に取り入れる。聞こえのいいその言葉を使い、自分もそれに習ったと言う。
 なんで……。そんなこと教えてない。教えてないのに。
「師匠は自分から盗める技術があれば盗みなさいと言いましたよね。だから師匠のその技を初めて見たあの日から、夜の時間を使ってずっとずっと考えてたんです」
 師匠と呼ばれる存在ならば、誰もが口にするような言葉を私も口にしていたようだ。師匠という存在に成り立ての頃、浮かれて言ったのかもしれない。
「ボクは風の魔法が使えるんですっ。だからそれを応用して……」
 私が何も言わないうちに彼は精霊を生み出していた。
 何をするんだ。私の真似なんてしなくていいのに……。
「やっ……」
 やめなさい。
 そう口にしようとしたとき、それは始まった。まだ斬られていないワラの束に狙いを定めるヒイロ。
 身体がふわりと浮かぶ。
 幻想的だった。身動き一つしないヒイロの身体が動く。何か別の力……そうか……風で……、風で自分を運ばせている。
 目標物の前まで風に運ばれると、真っ直ぐな、恐ろしいほど真っ直ぐな直線で剣が振り抜かれる。

 ザンッ!

 思わず固唾を飲んでいた。
 目を奪われていた。
 こんなにキレイな剣があるのか……。私の師匠の剣も滑らかな線を描く華麗な剣だった。しかし、これと比べてしまうと霞んで見える。剣の腕前とかそういう話ではない。美しさで言えば、すでに私も、私の師をも及ばぬ領域に来ている。
「どうですかっ? 師匠っ!」
 いつものような笑顔で、子供のようにはしゃいで私のもとにやってくる少年。
 師匠としての言葉が出ない。美しかったとしか言いようがないのだ、あれは……。
 でも、私は彼の師。それに見合う言葉を言わなければ。
 一呼吸してからワラの断面図を見る。……見なくてもわかっていたが、ワラは一つもひしゃげることなく、美しい断面を見せていた。一点に力が絞られていなければこうはいかない。
 切れ味だけなら合格点だ。
 ……いや、切れ味だけじゃない。あの技は、踏み込む動作をせずに相手を斬るため、より速い攻撃を繰り出せる。普通の斬撃と組み合わせれば、充分実戦で通用すると言えるだろう。
「……上出来よ」
「本当ですかっ!? ありがとうございますっ!」
 がっしりと握り拳を固めて喜ぶその姿。見ているこちらの心まで美しくなっていくんじゃないかと錯覚してしまう。
 ……彼は私の剣から……、私のあの狡くて汚い技を手本にしてこの技を生み出したのか。
 ……フフ。悩んでいたのが馬鹿みたいだ。彼は今の美しさを失うことなどないだろう。例え私のような女が師匠であったとしても。
「今日からより実戦に近い剣を教えます」
 私に教えられることで、彼の夢のために役立つことはすべて教えよう。それがこの弟子にしてやれる最大限のことだと思うから。

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