勇者妻外伝
 「その剣が進む道」1

 青年は目を覚ましてすぐ、寝ているだろうパートナーの部屋を訪ねるため身を起こした。
 五時。窓の外はまだ薄暗く、小鳥のさえずりや、風で木々が揺れる慎ましい音が聞こえるほど静かだ。
 青年はそんな静寂を壊さぬよう、そろそろと足音を立てないようにしながら目的の場所へ向かう。しかし、街で何番目かに安い宿屋は、そろそろと歩いても古い木が軋み、ギシギシという音を立てていた。
 いつも起きる時間が六時半ごろだということを考えると、パートナーは安らかな寝息を立てているはずだ。
「……ユリア? 起きてる?」
 ドアの前に立った青年は、軽くドアを叩いてパートナーのユリアに声をかける。
 しばらく待つが返事はない。
「………………」
 世の中悪い予感の方が当たる可能性が高い。青年がドアノブを掴み、力を入れると、何の抵抗もなくドアが開いた。
 女性であるユリアが、部屋の鍵を閉めないわけがない。
 人並み外れた鋭い感性を持っていた青年は、昨日のユリアの様子から何かを感じ取っていた。
 ……悪い予感がする。

 ガチャ……。

 ゆっくりとドアを開ける。
 実現して欲しくないと思った現実が目の前に広がっていた。

 キレイに片づけられた部屋。数時間前から、人がいなかったかのように何も無かった。
 昨日、「おやすみなさい」と言って部屋に入った女性はそこにはいなかった。
 悪い予感が当たった。
 狐につままれたような表情を浮かべていた青年は、やがてガックリと膝を折る。
「……ユリア……どうして?」
 体中の力が抜けたかのようにへたり込む。
 青年が、失いたくないと思うものができたのは久しぶりだった。どうしても手放したくないと思っていた。

 何がいけなかったのだろう?
 どうすればいいのだろう?

 この青年は悩むことなどないように見られる。
 この青年は焦ることなどないように見られる。
 しかし、彼も普通の人間であって、悩むこともあれば焦ることもある。
 強い想いがそれを引き起こす。
 しかし、この青年は決して揺るがない信念を持っていた。そして絶対的な心の支えも持っていた。
 だから、再び立ちあがることができる。
 そして歩き出すことができる。










勇者妻外伝
その剣が進む道



「あのぉ、入門したいんですけど」
 道場が完成して二日目。初めて入門希望者が来た。最初で最後の弟子となる人物だ。
「中へ入りなさい」
「失礼します……」
 入ってきたのは赤毛の少年。背丈はそれなりにあったが、男の割に高めの声と幼い顔立ちが、まだ子供であることを主張している。
「ところで……」
 道場に一歩入ったところで立ち止まる少年。
「一晩一緒に寝たら月謝無料って本当ですか?」
 スパーンッ!
 かくして、少年は私の居合い抜きにより気絶させられたのだった。
 
 まさかたった二日間であんな噂が立つとは思わなかった。これだから田舎は嫌だ。
 しかし、突然ふらっと村にやってきた30歳の女が剣の道場をやり始めたら、そんな噂になってしまうのもわからなくもない。
 剣の道場を始めたのに大した意味は無い。ただやることが無くて、そしてある技術が剣しかなかっただけだったのだから。
 本当は別に何もしなくても良かったんだけど、それではあまりにも張り合いがない。それにもう子供をつくる気もないので、弟子の一人でもいれば老後の楽しみができるんじゃないだろうか? そんな風に思ったからであって……。決して若い男を食うために道場を始めたのではない。
 ……それをコイツは……。
 すやすやと安らかな寝息を立てて幸せそうな顔で眠っている少年。その寝顔のせいで起こすのを少し躊躇ってしまっている。
 私が気絶させてしまったんだし、しばらく寝かしておこう。
 それにしても剣を教える道場の師範なのにも関わらず、こんなことで心を乱し、木刀だったとは言え素人を斬ってしまうなんて……。師匠に申し訳がたたない。いや……これが私らしいのかもしれない。



*****


「私の技術をすべて身に付けつつ尚激情を持ち続けている。こんな弟子は初めてだ。
 いつも心を平静にたもたなければ、我が剣は修得できないと偉そうに言ってしまったが、おまえを見ると例外もある……いや、こういう強さもあるのだと思ってしまう」
 不満そうに、しかし愉快そうに言って、師匠は免許皆伝の証しを私に手渡す。
「おまえは私の思い通りには育たなかったが、充分な強さを持っている。……ふふ、おまえが弟子をとるとしたら、その弟子はどうなるのだろうな?」


*****



 ……本当。どうなるんだろう?
「……う、うん?」
 妙に色っぽい呻き声をあげながら、少年は少しずつ目を開く。
「お目覚め?」
 声をかけた私にチラッと視線を向けると、コクンと頷き目をゴシゴシとこすっている。
「何があったか憶えてる?」
「……えと……。こわいおばさんに斬られて……」

 スパーンッ!

 ……またやってしまった。


「名前は?」
「ヒイロ・ブレイブです。」
 私が心を乱し、二回ほど斬った少年ははきはきと答えた。
 二度ある事は三度あるというが、さすがにそれはなかった。
 木刀を手元に置かずに話し掛けたのが功を奏したようだ。
 そうでなかったらまた斬っていたかもしれない。だってこいつはまた……。
 やめた。思い出しただけで腹が立つ。
 二十畳のだだっ広い稽古場で、少年と正座をして向かい合っている。
 ふざけたやつだけど、一応入門希望者。話くらいは聞こう。
「歳は?」
「十六歳です」
 十六歳か。見た目より少し若く見えるのは童顔のせいでしょうね。
「なぜ剣を使いたいの?」
「勇者になりたいからです」
 私の質問に、少年は即答した。
 その姿勢、声色、まとっている気、そして瞳。すべてに迷いがない。
 ……おそらくこれは彼の夢なんだろう。
 勇者。そういえば四年後だったかしら? 魔王が復活するのって。
 私はあまり興味がないけど、好きな人は好きなんでしょうね。男の子の憧れの職業ナンバーワンだし。
 勇者か……。何気なくこの少年が勇者になった姿を想像してしまう。
 ………………。
 嫌な気持ちになった。
 人間は富と名声を手にすると腐っていく。勇者になった直後は輝いているかもしれないが、きっと徐々に腐っていく。この少年も、きっと富と名声をその手にすれば、次第に腐っていくだろう。この純粋な瞳が濁り。そして……。
 ……何を考えているんだろう。私は。
「……そう」
 質問はこの三つで充分。私が師匠に弟子入りした時も、師匠はこの三つの質問しかしなかったんだから。



*****


 私はおかしいのかもしれない。この地方で最強の剣の達人に、土下座で弟子にしてくれと頼み込んでいる。
「名前は?」
「リレット・グレース……」
 でももう、私には他にすることがないのだ。
「歳は?」
「二十五歳です」
 この年齢まで調理用の刃物しか持ったことのない女が剣を習う。
 狂ってるわよね。
「なぜ剣を?」
「………………」
 一瞬の躊躇い。しかし、私にはもうそれしかすることがない。
 そう、それしかすることがなかったのだ。
「……斬りたい人がいるんです」


*****



 我ながらとんでもない理由で弟子入りしたものだ。弟子にとるほうもどうかと思うけどね。
 後に師匠に聞いたところ、『おまえのおそろしく真っ直ぐな想いをのせて振るわれる剣を見てみたかった。……たとえそれが憎悪だとしても』だそうだ。

 恐ろしく真っ直ぐな想い……ね。
 他の雑念を捨て、その想いだけを乗せて振るわれた剣は鳥肌が立つほど切れ味がいい。
 触れる面積が小さければ小さいほど摩擦による切れ味が増す。それと似ているのだと師匠は言っていた。
 限りなく一つのことだけを想い、それをぶつける。
 心を無に近づけることこそ……一つの真っ直ぐな想いを剣にのせることこそ、サワナギ流剣術の極意なのだそうだ。

 目の前のヒイロという少年は、勇者になるためと答えた。……目と姿勢を見る限り、彼の気持ちは真っ直ぐだろう。
 私とは形も方向も違うけど、同じ真っ直ぐな想い。
 私はあいつを斬りたいという想いを込めて剣を振るい始めた。
 凄まじい殺気を身にまとい、眉間に深い皺を刻んだ怒りの表情で、憎いと思う相手を斬ることだけを願い、剣を振るっていた。
 ……それはとても醜い姿だっただろう。
 人を斬るために剣を始めた女が、夢を叶えるために剣を始める少年を教える。
 ……夢を叶える。その想いは憎悪とはほど遠い。純粋でキレイな想い。そのキレイな想いをのせて振るわれる剣。
 私の剣とは……きっと違う剣だろう。きっと……美しいに違いない。

 それを見てみたいと思うだけでも、この少年に剣を教える理由になると思った。

「入門を許可するわ」
 私が言うと少年の目がキラキラ輝いた。
「本当ですかっ!?」
「でも……月謝はきちんと貰うわよ」
「……あ……はい、いくらぐらいなんでしょう……。
 今までのより高いのかな……」
「今までのより?」
「あ、僕、六歳のころから剣を習ってるんです」
 剣を習っている? 確かこの村には剣の道場なんてなかったはずだ。しかも通えるほどの近くの町村にもなかったような気がする。
「へぇ……。誰に?」
 少年は私の質問に答えるかわりに一つの本を差し出した。

『月刊剣術指南』

 ………………………………。
 まさか……。
「えーと……」
「通信講座です」
 おいおいおいおいおい……。
 通信講座。話には聞いたことがある。学問ならば多少の効果はあるようだが、剣術で通信講座なんてできる訳がない。
「ちょ、ちょっと読ませて貰ってみてもいい?」
「どうぞ」
 少年から本を受け取って、ページをペラペラとめくってみる。

1.構える
2.剣を振る

 ………………。
 図入りでそんなことが書いてあった。
 どうやら、型などはしっかりしているようだが……。
 ぼったくりもいいところだ。しかもその後を見ると、『最初は細い小枝を斬っていこう、斬れたらだんだん太い木にしていくんだ。そうしながら鍛錬すれば、最後は大木をも斬ることができるぞ!』なんてことが恥ずかし気もなく書いてある。
 ……疑えよ少年。
「あ、あのね。ヒイロ君」
「はい、なんですか? 師匠!」
 師匠。
 もうすでに私を師と呼んでいる。なんだかくすぐったい気分だが、やはり悪い気はしない。しかも彼の目と耳は、私の一挙一動から何かを学び取ろうとしっかりとこちらに向いている。
 プレッシャーを感じる。この立場になって初めてわかった。人に何かを教えるということは、人のこれからに影響を与えるということで、その人間の人生に関わってくる。
 そんな当たり前のこともわからずに、ただ何となく剣の道場を始めてしまったことを激しく後悔してしまった。
「師匠?」
 私の初めての弟子となる少年は、少し不安そうな瞳を浮かべて次の言葉を待ち望んでいる。
 強いプレッシャーから逃げ出すほど子供じゃない。それを受けて責任感が生まれるくらいの人格は形成されているつもりだ。もう、後戻りはできない。
「月謝の話は後回しにして、……とりあえず、模擬戦でもしましょうか?」
「え……」
「大丈夫。この模擬戦は無料でやってあげます。そして、その実力によって月謝を決めるから」
 これだけの世間知らずの田舎モノ。自分の力がどの程度のものか知ることが第一歩だと思う。
「え? ……でも、い、いきなりですか?」
「ええ。私は攻撃しません。遠慮なくきなさい」
 私は木刀を二本用意し、一本を少年に渡して一本を自分で持ち、構える。サワナギ流に決まった構えは無い。自分にピッタリとはまる構えを見つけるのも鍛錬のうち。
 私は両手持ち、下段の構え。一撃目の振り上げから次の降り下ろしで、すべて決す覚悟のあらわれ。今回みたいな防戦には向かないけど、気分の問題。
「……ぼ、ぼく、人と戦うのは初めてだな……」
 少し震えながら剣を持ち、構えた。
 その構え。緊張のせいか力んでしまっているものの、理想的な型だった。
 中段。そのままテキストに載せてもいいような……。
 ドンッ!
 やや乱暴な踏み込みに畳が音を立てると、なめらかに剣が横に倒れ、水平に薙がれた。
 この剣運び……これも理想的だ。足の動かし方、重心の運び方。今まで剣を習っていないとは思えない。天性の才能?
 しかし、鋭さと心がない。
 私は体を数ミリ動かしてかわす。
「てぇい!」
 続いて袈裟斬り。先ほどと比べて足の運びがお粗末だ。流れるように動いていない。ぎこちなさが目立つ。まるで、その攻撃に移るために慌てて歩調を合わせているようなそんな印象を受ける。
 また空を斬る少年の剣。しかし、その袈裟切り自体は型ができていた。
 やっぱり天性の素質なのだろうか? だとしたら恐ろしい。……私とは大違いだ。
 初めて剣を持ったとき、足下がふらついた。その重さ。そして、剣という敵を倒すために作られた『武器』という存在感に。



*****


「どうした? 斬りたい人間がいるのだろう? そんな弱い心では人は斬れないぞ?」
 私は真剣を手に持っている。師匠は剣すらもっていない。これで思いっきり斬れと言われたら誰だって……。
「……憎いと思う相手をイメージするがいい。本当に斬るつもりで来い」
 憎いと思う相手……。
 その言葉で鳥肌が立つ。自分が何のためにここにいるか、何のために剣を握っているか、その一言ではっきりと思い出した。
 ……斬る。
 斬る。
 ……斬ってやる。
 斬り殺してやる……。


*****



 勇者になりたいと願い、剣を振るこの少年は、何を想っているのだろう?
 剣とは相手を倒すためのもの。そのための力。
 活人剣なんて世迷い言をほざく奴らもいるが、人を活かすのにも相手を倒さなければならない。結局は同じだ。キレイ事に過ぎない。だから私の師匠も、殺したい人間がいた私に剣を教えたのだ。
 勇者になりたいという願いのため、それを拒む何かを剣によって斬り捨てる術を学んでいるという自覚が、この少年にはあるのだろうか?
 ……いや、あるわけがない。この真っ直ぐな瞳はどうだ? ぎこちないが迷いのない動きはどうだ?
 ……ああ、そうか。
 この少年の剣運びがここまで理想的な理由がわかった。さっきの『月刊剣術指南』だ。テキスト通りこの少年は何度も剣を振るったのだろう。本にある理想の型を、何度も何度も疑いもせずにやり続けたのだ。
 次の攻撃に移る動作がぎこちないのは、本を読んだだけでは修得できないものだからだろう。実戦や模擬戦を重ねて体得するものだから。
 ……なんて少年なんだろう。
 私がとうに無くしてしまったものをこの少年は持っている。大粒の汗を浮かべ、キラキラと輝く瞳で私の動きを追い、馬鹿正直さゆえに手に入れた理想的な剣運びで、果敢に挑んでいる。
 軽く払っていた少年の剣が重く感じ始めた。
 この少年に私の剣を教えていいのか? 憎い相手を斬るだけの剣。それが私の持つ剣術のすべて。こんな少年に……。
「……やめ!」
 私の号令とともに少年の動きがピタリと止まる。そして、今まで熱中していたがために気づかなかった、大きな疲れと足りない酸素に少し驚いていた。
「はぁ……はぁはぁはぁ……」
 私はそんな少年を見守りながら、どうしようかと悩んでいた。
 この少年に剣を教えることを拒むことは簡単だ。素人だから教えるのが大変だとかそんな適当な理由をつけて、少年が払えないような月謝を要求しようとすればいい。
「すごい……師匠……。はぁはぁ……」
 言葉を口にするのも苦しいくせに、少年は私への賛辞を述べ始めた。
「はぁ……ぼ、ぼく、あなたに剣を……教わりたい……。はぁはぁ……」
 憧れと懇願。私に向けられた瞳。
「……月謝はその本代と同じでいい……」
 杞憂だ。
「え? 本当……ですかっ!?」
「剣のために費やせる時間を教えなさい。スケジュールをたてるから……」
 杞憂でしかない。
「やった……やったぁ。はぁ……はぁ」
 この少年は、きっと私の持つ技術を身につけても私のようにはならない。そう思える。根拠はない。だけど少年の瞳には、そう思わせるだけの力があった。
 剣の本筋は、相手を斬り伏せること。その技を学んで、尚この少年はこのままでいられるのだろうか? 剣だけではない。きっと勇者になるという夢を追うため、少年は世界に旅立ち、世界の本質がキレイなモノでないことを思い知る時が来るだろう。その時も少年はこのままでいられるのか?
 ……それはわからない。だけど、信じてみたくなった。見てみたいと思った。私の憎しみの剣を、少年が夢のために振るう姿を。その姿を見ればきっと、私がさっき想像して嫌な気分になった、彼が勇者になったその後である、富と名声を手に入れて腐っていく姿。そうはならないかもしれないと思えると思う。
 ……まだこの世界にそういうものがあるのだということ、この少年は証明してくれるかもしれない。
 弟子に何を期待してるんだろう……私は。
 いや、弟子をとるってこういうことなのかもしれない。自分にあるものを相手に教えて、自分以上の存在になってくれることを願う。そういうものでもなければ、きっと師弟関係は存在しない。
「それにしても……すごい体力ですね師匠。ボクも師匠みたいに動ける中年になりたいです!」

 スパーンッ!

 今までで一番キレのいい抜き胴が少年にヒットした。
 ……私はおもしろい弟子をとれたと思う。

 毒舌なのが玉に瑕だけどね……。

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