Not Friends

弟9話 黒き命の灯火

 意識がだんだんと混濁していく。しかし、嫌なことだけはしっかりとクリアな映像を保っている。
 ミルカは流し込むように酒を呷った。
 しかし何も変わらない。頭痛と吐き気が強くなるだけだ。
 客の入りが少ない酒場。そこでミルカはひたすらアルコールを摂取していた。
「お客さん。飲みすぎですよ……」
 飲んでいた酒の追加注文をすると、店長のような男にいさめられる。
 誰の目から見てもミルカがかなり酔っていることは明らかだ。
「いいからよこしなさいよ」
 しかしミルカは、怒鳴りちらすでもなく、低い声で再度注文をする。
 その迫力は有無を言わせないものがあり、店長は「知りませんからね」と言って酒を出した。
 少女を襲ったクズ。
 クズをかばった少女。
 そして少女の父親。
 頭の中で今日の出来事がぐるぐると回っている。
 憎むべき男。嫌悪すべき欲望。しかし……、それによって命が生まれる。そして男は父親となる。
 思い出の中の父親は優しくて、愛すべき存在で。でも父親は男で。
「うっ……」
 突如襲ってくる激しい嘔吐感。急いでトイレにかけ込むと、飲んだアルコールのほとんどが、体内から排出された。
 引き続き襲ってくる激しい頭痛と、胃液による喉の痛み。しかし人並み外れた精神力で、表情もあまり変化させることなく席に戻った。
 席付近に見覚えのある青い髪を見たからだ。
「ミルカ」
 不愉快な存在。
 前向きで純粋で、それでいて強い。そして何よりも性別が男である。
「何でここにいるのよ」
「……ミルカ」
 ブルーの特異な髪と長身に気を奪われ、気づかなかった存在に声をかけられると、いよいよミルカの不快感は怒鳴り声となって表に出る。
「何考えてんのよ! リンをこんなところに連れて来て!」
 それはブルーを責めるための行為だったが、アルコールが充分すぎるほどまわった体では苦痛をともなう。
「うっ……」
 血の気が引いて、足元がふらつく。
「大丈夫ですかっ!」
 あわてて支えようとブルーが駆け寄るが、ミルカは気力で踏ん張り、腕を振り回して遠ざけた。
「あの、お客様……、他のお客様にご迷惑ですので」
 店内で暴れだすかもしれないと危惧した店長が注意すると、「今出てくわよ」と低い声を出し、少し多めの代金を払って店を出
た。

 ミルカの後ろをゆっくりとついていくブルーとリン。
 おぼつかない足取りでフラフラと歩くその姿は見ていて、放って置けない。
 ちょうどいい駐車スペースが無かったため、車までは少し歩かなければならなかった。
「ミルカ、肩を貸します」
「……近寄るんじゃないわよ」
 何度目かの申し出もあっさりと断られる。
 ブルーもリンも見ていることができないほど辛い気持ちだった。
 気丈で、明るくて、強い女性。
 二人の認識に多少の差異はあるが、大きくは違わない。だから二人は今、目の前にいるミルカに動揺を隠し切れなかった。
 ミルカはそんな二人に対し、そしてこんな自分を見せてしまっていることに対してひどい苛立ちを覚えている。
 一人でいたいときに現れた腹立たしいおせっかい。殴り倒してやりたいところだが、リンがいるのでそれはできない。
 アルコールからの頭痛、神経性の胃炎、そして生理痛。
 ブルーの前で弱さを見せまいという意地がミルカを支えていたが、限界はあった。
「……うっ」
 再びミルカの膝がガクンと折れる。
「危ないっ」
 それを見たブルーはもう引き下がらない。強引にミルカの腕を掴んで支える。
「離しなさいよぉ!」
 しかしミルカは怒号とともに、残る力を振り絞ってブルーを突き飛ばした。
 予想外の力強さによろめくブルー。
 足も頭も、そしてなにより心が悲鳴をあげていた。
 けれどミルカは立ち上がる。自分の足で立ち上がり、ブルーを睨みつける。
「男はクズよっ。みんなクズなのよっ!」
 口にするつもりの無かった言葉が漏れた。
「私が……私たち女があんたたち男にどんな仕打ちを受けたか知らないから! いつまでも正義面で、ご立派なことを吐けるのよアンタは!
 リンも覚えておきなさい。男がどれだけ醜くて生きている価値が無い生き物かって言うのを!
 男は自分たちの欲望を抑えきれず、女たちを虐げる最低の生物よ!」
 アルコールで緩んだ自制心は、ブレーキを踏まなかった。
「あんたたちも慰安所って言葉ぐらいは聞いたことがあるでしょ? 戦争中、支配国の女に兵の性欲処理をさせる腐った場所よ。
 その場所があること自体が示してる。男は生存している価値が無いって」
 苦悶の表情を浮かべ、自分の過去を話していた。
 それはまるでヘドロを吐き出すかのように苦しそうに見える。
 何も知らない青年。心が成熟していない少女。二人は何も言えない。
「そこには快感だけがあればいい。快感を得るためだけの生殖行為があればいい。女たちの心と体を蹂躙するだけの行為があればいい。男はそんな風に思ったんでしょうね。
 人間として、いや、やつらはもう人間じゃない。男は自分たちの欲望を満たすために生物として許されざることをした」
 こんなことを言いたくはない。言うつもりもない。その行為は苦しみしか生まないから。
 だけど抱えきれない感情は、ミルカに苦痛を与え続ける。
「やつらは……女の生殖機能を奪ったのよ。それで、快感を得るためだけの生殖行為を完成させたのよっ!」
 理解の範疇を超えていた。自分の知りうる世界では、あり得ない事実がそこにあった。
 黒い欲望。そしてそれが実現されている事実。
 だから二人は想像することなどできるはずがない。ミルカの負った心と体の傷を。
 信じることができない。そんな傷を作ったのが同じ人間であることを。
「私は許さない。絶対に! 絶対に!!」
 血を吐くような叫びを繰り返す。
 もうすでにミルカは誰に向かって喋っているのかすらわからなかった。叫ばずにはいられなかった。
 今日、二人の男に会った。自分が憎む象徴である、女を蹂躙する男。自分が大好きだった父親のような男。
 心が激しく揺り動かされた。
 ミルカは自分を殺すには充分過ぎる心の傷を、男への憎しみの炎で覆い隠し、今の今まで生きてきた。
 しかし、大好きだったあの父親は男なのだ。
 男と父親。親子。
 子供を持つと男は変わることができるのだろうか。そんな考えすらも浮かんだが、下腹部に残っている痛みが叫んでいる。
『自分は子を持つことはない』
 ミルカの生理が常人よりも遥かに重いのは、粗悪な避妊手術を受けた後遺症。
 男は憎い男のままで、父親にはなり得ない。
 だから、一生憎み続けるしかなく。それが自分の宿命。生きて自分がここにいる理由なのだ。
「ミ……ルカ……」
 か細い声で自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
 ハッと我に返ると、大事にしたいと思っている仲間の一人がひどい顔をしている。
 受け止めきれない、理解できない、そんな現実を叩きつけられ、それでも自分をどうにかして慰めようとしている。
 慙愧に耐えられなくなる思いを抱く。
 リンは知る必要がないことだった。
 自分の憎しみなどを知る必要はなかった。
 普通に恋愛し、幸せになってくれればいいと思っていた。
 もちろん、男という存在そのものを憎んでいるのにも関わらず、それを望むのは矛盾がある。しかしそれでも……。リンは自分と違う。母親になること、そして男を父親にすることができる。
 ……でも、男は……男を憎み続けなければ……私は……。
「あ……ぁ……」
 自分の中に渦巻く、さまざまな感情のうねりがますます強くなった。精神力の強さがゆえ今まで意識を保っていたのが彼女の不幸だったのかもしれない。
 許容量を越えた感情は、彼女の意識を現実世界から遠のかせた。


 あれから増えるばかりの報告書に、モリブチの頭痛は絶えることがなかった。
 駐屯軍人による犯罪件数の増加。活気付く反駐屯軍組織。
 ムーンの政治責任者に課せられた使命は平和主義の絶対死守である。
 そのために多少の犠牲は止むを得ない。いくつか目に余る暴行事件はあるようだが、大儀の前では、その問題などとるに取りない。
 しかしだ。
 活気付く反駐屯軍組織はもはや無視できない規模に達している。

 トゥルルル。

 悩み事をしているときにかかる電話の音は、必要以上に驚いてしまうもの。そんな自分の反応に気恥ずかしさを覚えつつ電話に出ると、秘書からあまり聞きたくないことが伝えられた。
「レンツ准将がお見えになっていますが」
 レンツ准将。このムーン駐屯軍の最高責任者である。
 彼はいささか人格に問題がある人間だった。しかし、親が軍で高い地位にいたためと、悪知恵が必要以上に働くため、この地位まで昇り詰めることができたような人物なのである。
 今彼がここに来るということは、さきほどまで悩んでいた内容について話にきたに違いない。
 頭痛を堪えて部屋に通すと、しばらくとりとめの無い挨拶を交わし合ったのち、すぐさまレンツはこう言った。
「不穏な動きをしている連中がいるようですが……。このままではこの国が危険と判断せざるを得ませんな」
 独り言のように、しかしモリブチをしっかりと見据えてのその言葉は、紛れもなく脅しである。予想通りの言葉であったが、モリブチは返す言葉を持たなかった。
 連合軍はムーンに対し、平和主義の保護をするという名目で軍を駐屯させている。もちろんそれは建前だが、そのおかげでロッシャル軍が侵略してこないのも事実だ。
「平和主義の名に懸けて、速やかに対処していただきたいものですな」
 レンツはニヤニヤと笑いながら言うと席を立った。
 時間も短く、言葉も少なかったが、レンツ自身が来たことが相当なプレッシャーを生み出す。
 駐屯軍の非を認め、改めるつもりはない。しかし、反駐屯軍組織は何とかしろ。
 レンツはそう言っている。モリブチは痛みの増した頭を抑えながら、電話をとった。
「カグラ国防委員長、レンツ准将が私に会いに来た」
 電話の相手は彼の懐刀であるカグラだった。こういう事態で相談でき、さらに有効な手立てを考えてくれる存在は他にいない。
「反駐屯軍団体のことでですか」
「ああ、報道規制はしているが限界がある。まったく……誰のおかげで国が戦いに巻き込まれないのかわかっていない。あくまで平和主義の保護という形で、ムーンに駐屯軍を置かせるために我々がどれだけ苦労したか」
 モリブチは溜まっていたものをはきだすかのように一気に喋った。
「仰るとおりです。サガ同盟がここの駐屯軍を率いてロッシャルに攻めるときは最終局面です。それまでそう時間はかかりますまい。
 どっちに転んでも戦争は終わり、わが国は勝ったほうに従えばいい。ロッシャルとて、戦争が終わっているのに戦闘をしろとは言えないでしょう。
 我らが平和主義の続けながら、この戦争を乗り切るにはそれが最善策です」
「うむ」
 カグラの言葉を聞いたモリブチは、不安や迷いが払拭される。ムーンは世界で唯一の平和主義国であり、それを継続させるのが最高責任者である自分の最大の任務。
「で、どのように、反駐屯軍団体を抑え込む? 君のことだから何か策があるんだろう?」
「一つあります。電話では話しづらいので後ほどそちらに伺ってもよろしいですか? ご都合のつく時間は?」
 思ったとおりの返答が返ってくると、モリブチは満足げに頷いた。


 まどろみの中、何もかもが朧で心地よかった。しかし、それが終わるのはあまりにも唐突で、心地よさの余韻すら許さない。
「つっ……」
 だいぶ軽くはなっているが、頭痛がして体全体がだるかった。
 若干だが生理痛も残っている。
「………………」
 暗い部屋の中でゆっくりと意識が覚醒していくと、頭痛がひどくなった気がした。
 だが、しっかりと覚えている。
「……私は……」
 過度なアルコールを摂取していたのにも関わらず、失われずしっかりと残る記憶が恨めしい。
 このまま横になっていても眠れないのは間違いないだろう。
 部屋のドアが開く。
 開くドアから光が差し込んだ。そこでやっとここが、自分たちの地上シップの自室であることがわかる。
 少しだけ目を開くと、ドアを開けた人物のシルエットが浮かび上がる。
 はっきりと顔が見えたわけではないが、シルエットからリンだとわかった。
 リンはミルカを起こさないように、そろそろと近づいてくる。
「リン?」
「あ、ミルカ。起こしちゃったかな?」
 少し驚いていて言うリンにミルカは首を振った。
「ううん。ちょうど起きたところだったから、小さな明かりをつけてくれるかな?」
 ミルカの言葉を受けてリンが、部屋の電灯を出力を調整してから点ける。暗闇に慣れてしまった目を優しい光で照らされると、なんだか暖かいものに包まれた気がした。
「水、飲む?」
「うん」
 ひどく渇いていた喉に、リンから受け取った水を流し込むと、少し痛いぐらい体中に染みていく感覚に陥る。やがて充分潤いがいきわたると、頭痛が一時的に強まり、それ以降はだんたんと和らいでいった。
「……どのくらい寝てた?」
「12時間くらいかな……」
「え? そんなに?」
 まずいと思ったが、不思議なことに心配した感覚はなかった。
「あ、えっと……」
 その様子からミルカの心配を悟ったリンは、顔を赤くしてごにょごにょと何か言おうとする。
「替えてくれたんだ」
「……あ、悪いと思ったけど……その……でも、気持ち悪いだろうし、えと……暗い所で替えたから」
「そう、ありがと」
 ミルカは心の底から穏やかな気持ちになった。
 実際に行動したのはリンかもしれないが、そうしろと言ったのは間違いなくネイだろう。リンに『そうしてくれたほうが嬉しい』と、きっぱりと判断することは難しい。
「ちょっとお腹空いちゃったかも。何かある?」
 リンがいつまでももじもじしている様子なので、空腹感は無かったがそう言ってリンの意識をそらす。
「お粥が残ってるよ。持ってこようか?」
 ミルカはリンの申し出に首を縦に振り、食堂に行くため立ち上がった。
 リンはミルカがいつ倒れても対応できるような位置をキープしながらついていく、実際倒れたらリンでは支えきれないだろう。しかしその心遣いは、ミルカの心をしっかりと支えていた。


 ブルーはトレーニングルームのランニングマシンでひたすら走っていた。ミルカの言葉を聞いてからジッとしていることができない。 
 いくら想像しても、自分の想像力の貧困さに嘆くことしかできない。計り知れない心の傷を持つミルカに、自分は何をすればいいだろう。
「筋肉疲労を残した状態だと戦闘力が低下するわよ」
 いつからいたのだろう。考え事に集中していたブルーは、トレーニングルームにいたネイの存在を、声をかけられて初めて認識した。
「ネイ……あの……」
 ミルカのことを口にしようとしてグッと飲み込む。ネイは知らないかもしれないという危惧からだ。
「あんたにできることは、何もしないこと」
 言ってランニングマシンを止める。ブルーは急に止められたことでバランスを崩してしまった。
 あたふたともがくブルー。あくまで冷静なネイ。
「でも……」
 やっとの思いで体勢を整えたが、今度は筋肉疲労によって足下がふらついた
「あんたが男である以上、どうにもならない」
「……ネイは知ってるんですか?」
 ネイは否定も肯定もしない。
 ブルーは判断に困ったが、肯定であると判断する。
「ミルカはレンチの出身でしたよね。だったら……前大戦中は間違いなくロッシャルの支配下です……」
 ブルーは……いや、フェイルはロッシャルの第一王位継承者である。大戦中のこととは言え、さっきの話は、支配国に対する仕打ちとしては常軌を逸していると考えていた。
 リンについてもそうだ。リンもロッシャルの人体実験により生み出された存在。
 ここにいるメンバー二人がロッシャルの犠牲者となっている。第一王位継承者として責任を感じずにはいられないのだろう。
「……あんたの名前は?」
 不意の質問。
 話に繋がりが無いように感じたが、それには大きな意味があった。
「……僕は……ブルー……」
 フェイルは第一王位継承者としてのプライドを捨て、ただ生きのびることを選んだ。その時にフェイルの名を捨てブルーと名乗ることにした。
 ネイの言わんとしていることはわかる。今の自分はロッシャルの過去の責任を負う存在では無い。しかし、ブルーは割り切ることができなかった。
「でもっ」
「ミルカのために男であることを捨てる?」
 食い下がるブルーににらみ付けるような視線を向けるネイ。その迫力にフェイルはたじろいだ。
「もう一度言うわ。あんたにできることはない。いえ、この件については、何もしないことがベター」
 有無を言わせないネイの強い口調。それは心を圧迫するものではなく、むしろその逆であった。
「できることがあれば手伝ってもらうわ……」
 自分が何を為せばいいかという悩みから解放する力強い光。
 立ち去っていくネイを見送ると、悲鳴をあげていた足がとうとう限界に達し、膝を折ってへたりこんでしまう。緊張の糸が切れたときのような心地よい脱力感が支配し、しばらくそのままの姿で休息をとった。


 ダイが反駐屯軍組織のリーダーになることで、その活動が活発になったと聞いてから嫌な予感はしていた。自分のそういった予感は外れることの方が少なかった。だから今映っているニュースを見た時も驚きは少なかった。
「そんな……」
 リンにそんな心構えのようなものがあるはずもない。
 その事実に、目を見開き、激しく動揺している。
 交通事故で人が一人この世から去ったことを伝えるニュース。しかしその人物は、二人の知る人物。
「ダイさんが……」
 一度しか会っていないとは言え、二人に残した印象は薄くはなかった。交差点で、ダイの乗る車の横っ腹に、飲酒運転をしていた若い男のワゴンが突っ込んだ。一番安全とされる場所に座っていたのだが、そこを狙い澄ましたような事故だった。
 運転手はフリーターで、どこの組織にも所属していない。報道は不幸な事故と伝えている。
 メディアが報道している情報だけを参考にすれば、そうとしか判断できないだろう。しかしミルカの直感はこう言っている。ダイは殺されたのだと。
 おそらくそれは駐屯軍の意志。そして実行犯は駐屯軍そのものか、もしくは駐屯軍に圧力をかけられたムーン政府か。
 ダイを死に追いやった運転手はムーン人だった。だとすると駐屯軍に実行は難しいかもしれない。ということはムーン政府か。
 ざわざわと心が叫んでいる。
(許せない)
 理不尽に殺される父親と、残される娘。否応にも思い出される自分の過去。
 もともとダイが殺される原因の、反駐屯軍組織のリーダーになったことだって、ムーン政府が婦女暴行事件を黙認していたようなものだったからだ。
 いつだって、女は苦しみの中心にいる。腐った男どものせいで。
(このままで済ませるものか)
 果たすことをできなかった復讐を思い出す。
 それは意外にも今まで覆い隠されてしまった復讐の念だった。
 これまでは、自分と同じ強制慰安所に幽閉されていた時の復讐心ばかりが優先されていた。
 男への復讐心。父親を殺した相手への復讐心。しかし、父親は男で。
 また頭が痛くなってくる。しかし。
(許せない、このままで済ませないっ)
 ミルカはその強い意志の炎に油を注ぐような考えを滾らせ、ふらつく足をビシャリと叩く。
(私が私であるために。私を失わないために)
 憎しみの炎で命を燃やし、復讐心で生き抜く。その炎が美しい赤でなく、黒い炎であっても。自分は復讐心を糧に命の炎を燃やし続ける。
(罪深き男たちに制裁を。それが私の生きる道)


 いつものミルカは訊ねないだろう人物の部屋の前に立ち、インターホンを鳴らす。
 ネイに助けは求められない。あまりにも個人的すぎるし、危険すぎる。助けてくれるとは思えない。止められるのが関の山だ。
「こりゃまた珍しい」
 部屋にいた人物は、インターホンを鳴らしたのがミルカだとわかると意外そうな表情を浮かべて部屋に招き入れた。
 ここは大型飛行シップの一室で、現在はオザワが使っている。オザワは意外な客人に対し、おもしろそうにニタニタと笑っている。
 その相変わらず鼻につく表情を、なるべく視界に入れないようミルカは目を背けていた。すると、今度は本当の意味で鼻をつくような匂いを感じる。ミルカはその正体を知っていた。
「私にも一本よこしなさいよ」
 ぶっきらぼうに言うミルカはふてぶてしくオザワに言い放った。オザワはそんなミルカの態度を気にするでも無く、机の引き出しから小さな箱を取り出し、その中に入っているものをミルカに手渡した。
「さすが修羅場をくぐってきたって感じの女は違うね」
 オザワがミルカに渡したものは煙草であった。続けてライターをミルカに渡すと、ミルカは慣れた手つきで火をつけた。
 随分ぶりに吸う煙草は、肺を黒一色に染めるような感じがした。
「それはこっちの台詞よ。さっすが金持ちのボンボンは違うわね。ご禁制のモノをこんな時に持っているなんて」
 紫煙を大げさに吹くと、煙はみるみるうちに空気清浄機に吸い込まれていく。
 この世界では、第一次ロッシャル大戦以降、煙草の生産、および喫煙が禁止されていた。初代帝王ダグスが喫煙者に、麻薬使用と同程度の罪を与えるよう命じたためだ。戦後すぐ、その厳しい取り締まりに、喫煙者は表社会から姿を消した。しかしそれは表社会の話だけである。それでもやめられない人間や、金持ちの危険な道楽として、煙草は裏社会に暗躍している。
 ミルカは一時期、精神安定剤代わりに煙草を吸っていた。NotFriendsに入ってからは一度として吸ったことは無いが。
「手に入らないものが手に入る環境にいたのがウンの尽き。危ない橋を渡ってでも喫煙はやめられない体になってしまいましたとさ」
 おちゃらけて言うオザワに対して嫌悪感を憶える。初めて会った当時から、体に染みついた独特の匂いでオザワが喫煙者であることはわかっていたが、喫煙についてこんな風に言われてしまうと、少ない収入から煙草にあてる金をひねり出していた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。多少のイライラを憶えたが、久しぶりの煙草は思った以上にミルカを落ち着かせてくれた。
「反駐屯軍組織のリーダーが殺された事件は知ってるわね?」
「ああ、あの不幸な事故ね。それがどうかしたのかい?」
 その返事に若干の落胆を憶えたが、その表情からとぼけていることを読み取ると、ミルカはオザワを見る目を鋭くした。
「本当にそう思っているの?」
「ニュースを見る限りじゃそう思うしかないだろう?」
 相変わらずニタニタと笑うオザワは腹立たしい。
「ニュースじゃ伝えてないの情報を持ってれば変わってくるってわけね」
 ミルカがそこまで言うと、オザワはおおまかなミルカの要件を察した。
 煙草に火をつけ、自分も一服し始める。
 オザワの情報網は全世界まで広がっており、信頼性も高い。それだけではなくヤマヤ工業からの資金と、交渉術のうまさ、そして危険の察知能力。それらを持つオザワは一目置けるものがある。
 だからミルカはオザワに話を持ちかけたのだ。
「この事件と関わってどうする気なんだい? アンタたちにメリットがあるとは思えないけど?」
「……個人的なことよ」
「ふ〜ん……やばいことをしようってわけだ」
 このオザワという男は、態度や口調からは察せない鋭さがある。それがまた嫌悪感を増幅させる材料になるのだが、オザワ本人は相手が自分に嫌悪感を感じていることを楽しんでいるように見えた。
「裏で糸を引いている人間のヒットが目的よ」
 居心地の悪さを感じ始めたミルカは、探り合いをするのをやめ単刀直入に切り出した。オザワはわざとらしく紫煙を強く吐き、少し黙り込む。
「オレが協力するメリットは?」
 静かに言うオザワの顔はニヤニヤと笑っている。オザワはこの自分の問いに対し、ミルカが返答に困ることを知っていて言っているのだ。
 これはミルカの個人的な感情の清算が目的である。オザワにはまったく関係の無いことだった。
「……報酬は出すわ」
「金なら余ってるよ。知ってるだろ?
 ……それとも何かい? 体で払ってくれんのかい?」
 その言葉を聞いてすぐ、こんなヤツに頼むんじゃなかったと思う。怒鳴りつけて、一発張り手でもかまして部屋を出て行きたい衝動に駆られた。
 しかし、他に頼る宛も無く、そして目的はなんとしても果たしたい。
「ジョーダンだよ。怖い顔すんなよ。……今回の事故で裏を引いてるのはムーン政府さ」
 おちゃらけた表情を見せたかと思えば、サラリと極秘情報を口にするオザワ。
「オレの網に引っかかったヤツから手に入れた情報だ。保証するぜ」
「……あんたにメリットはないんじゃないの?」
 ミルカはどうにも解せない。オザワは損得勘定抜きで行動を起こす人物ではないことを知っている。ある程度の要求は飲む必要があると覚悟してオザワの部屋に訪れたのだ。
 真意が見えない親切は、この相手に対しては不気味な要素でしかない。
「なぁに……、オレも今の政府にゃ一泡吹かせてやりたいと思ってるってことさ。平和ボケしたムーン政府は今の状況をわかってねぇ」
 珍しく真面目な顔をして語り始めるオザワにミルカは続きを待つように、腕を組んで聞く体勢に入った。するとオザワはミルカに灰皿と、もう一本煙草を勧めた。ミルカは灰皿でもうほとんど残っていない煙草をもみ消したが、二本目の煙草は、運動能力の低下を考慮して断る。
「あの新帝王さんは戦わない者を許すはずがない。こんなこと、平和主義を許さないって時点で気づかなきゃいけないんだがな。
 帝王さんはまず間違いなく、サガ同盟がロッシャルを攻めるための戦力が整う前に、大部隊を率いてやってくるはずだ。奴らの方が団結力も、ムーンまでの距離も勝っているからな。
 そうなったらどうなる? ムーン政府は、サガ同盟がロッシャルとムーンを結ぶ海上で戦ってくれるとでも思ってるんだろうが、サガ同盟としてはそんな馬鹿な真似はしないだろう。ビガー海戦から学んでいる。水中戦可能なSPがある帝国に海域戦は不利。となるとムーンに引き込んで迎撃するのが得策だ。
 ムーン政府のお偉いさんはそんなこともわかんないのさ。どこかで平和主義国は戦場にならないとでも思ってやがる。
 このままじゃ、必要以上の大惨事になることは目に見えてるぜ。心構えも準備もできていない国民の混乱は尋常じゃないだろう。そんな中でまともな戦闘ができるか?
 ……危機感ってものが欠落してるんだよ。我が母国は」
 そこまで話すとオザワは二本目の煙草に火をつけた。空気清浄機のおかげで部屋の空気は淀むことはないが、部屋全体が熱気を帯びているように感じた。
「もう時間が無いんだ。今がどういう状況なのか、何をすべきなのか本気で考えないといけないことを、国民と政府に気づかせてやらなきゃならねぇ。荒療治でもな」
 ミルカが持っているオザワという男の認識とは大きくぶれていた。何事にも執着せず、適当にそつなく生きているような人間だと思っていた。
「ずいぶんな愛国心ね」
 愛国心。オザワは自分の国を強く批判しているが、それでも愛しているから見捨てたり、諦めたりしない。
 ミルカの言葉を受けたオザワはクックッと笑った。
「そんな風に言われると照れちゃうねぇ」
「私が暴れて、国民と政府の目を覚まさせる……か」
 個人的な復讐を果たすための行動が、そういう結果を生み出すことになるのかと思うと妙な気分だった。
(……いや、そんなこと関係無い)
 自分の行動が他のどんな結果を生もうが関係ない。
 ナオの父親を奪った人物。政府の人間はほとんどが男だ。そう、男なのだ。憎むべき対象。制裁を加えるべき存在。女を不幸にする許してはいけない。
(それが私だから。絶対に許すわけにはいかない……)
  

  

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