Not Friends

弟9話 黒き命の灯火

 日が傾き、空が赤く染まり終えたその時、悲鳴があがった。その独特の甲高さは、女性の悲鳴以外には考えられない。
 買い物を済ませたミルカとリンに、しっかり届くような音量。発生源は遠くない。
 耳のいいミルカは、すぐに現場位置の予測がついた。この道の先にあるあの曲がり角。
 少し横着をして、買ったものの配送を頼んで正解だった。
 現場にたどり着くまではそんなことを考える余裕のあったミルカだが、現場に辿り着いた瞬間意識が飛んだ。
 人通りのない裏路地にある廃工場。そこにあった光景は、ミルカの魂を熱くした。
 口をおさえられつつ組み敷かれている少女。どす黒い欲望の赴くままに、鍛えられた体で少女を抑えつけている男。
 血液は煮え盛るマグマに変わる。一つの感情だけが全身を支配し、ミルカを動かした。
 彼女を今支配しているのは怒り。
 罵倒の言葉さえ口にせずその行動に移った。
 目の前の男に制裁を。
 組み敷いている男の顔面にミルカの膝が炸裂する。
 ミルカはNotFriendsのメンバーだ。体術も人並み以上に心得ている。そんな彼女が、感情の赴くままに放った膝蹴りは、男の顔面に突き刺さり、鼻を砕いた。
 その威力は鍛えられた大の男を数メートル吹っ飛ばす威力がある。
「ガッ!?」
 何が起きたのかわからない男は、自分の顔から滴る血を手で受けた。血の生暖かさに続いて感じるのは殺気。
 男は戦場を経験している。殺気で満ちたその場所では、嫌でも多種多様な殺気が肌に伝わってくる。しかし、今感じている殺気は、今まで感じたどの殺気とも種類が違う。
 とてつもなく大きく、そして貫くように一直線に向かってくる。
「ぐっ!?」
 後頭部に衝撃。それとともに体が地面に叩きつけられる。
 ミルカが力強く踏み込むとともに、その美しい足を鞭のようにしならせたのだ。
「ぅ……ぐぐぅ!?」
 全身が悲鳴をあげていた。しかし、物理的な痛みよりも恐怖が勝っていた。
 殺される。
 頭にはその言葉だけが繰り返される。
 既に男は戦闘不能に陥っている。脳震盪と全身に走る痛みで体が動かない。それどころか、殺気に貫かれ心さえ動かなかった。
 ゆっくりと、確実に一歩一歩近づいてくる。
 逃げることはかなわない。ただこれから訪れるだろう恐怖に慄くしかなかった。
「……二者択一」
 耳に鉛を詰めこまれたのかと錯覚するほど重々しい声が、脳髄を責めたてる。
「あひっ!」
 今度は髪の毛を引っ張られ、背中から廃工場の壁に叩きつけられた。
 背中に強い痛みが走り、男は壁にもたれて座っている格好となった。
「人間をやめるか……」
 新たな痛みにうめいている男の額にこつんと何かが当たった。細長く細いソレは銃。
「ひっ……」
「男をやめるか」
 男はミルカが口にする言葉の意味を理解することができなかった。ただでさえ恐怖に支配されて動かない頭に、意味のはっきりしないミルカの言葉。これで理解しろというのは、無理な注文だ。
 しかし、続いて行われたミルカの行動に男はその意味を理解する。
 もう一丁拳銃を取り出し、男の股間に突きつけたのだ。
 額の銃が火を噴けば絶命は免れない。股間の銃ならば、男性が男性たるものを失う。
 どちらかを選べと言っているのだ。
「あぐっ、ひぐっ……」
 すぐに選べるものではない。男は嗚咽を漏らすだけだ。
「……あんたみたいなヤツは生きる価値はない。女を無理やり犯すようなヤツは既に人間ですらない。
 だからあんたに残された道は二つ。
 男をやめて、人間としてやり直すか。それともここで人生終わらせるか」
 その低く重い言葉は、一寸の迷いも感じられない。間違いなく、そしてためらい無く、この女は今言ったことを実行に移す。
 時間が止まった夕暮れ時の廃屋。この場にいるのは、ミルカと男と男に襲われていた少女、そして遅れてやってきたリンだ。
 誰も動かなかった。誰も動けなかった。ミルカの鬼のような形相と気迫に圧倒されていた。
 リンはミルカが怒りの感情を露にした場面に、何度も遭遇している。しかし、今日ほどの恐怖を感じたことはなかった。もうリンの知るミルカではない。その存在に声をかける勇気をリンは持ち合わせてはいない。
「制限時間は今から10秒。時間切れの場合両方のトリガーを引く」
「あ、あがっ、あひっぃ! やめてくれっ! 許してくれぇっ!」
 男は喋るたびに全身が痛んだが、それどころではなかった。必死で叫んでいた。
 だがしかし、それがミルカの制裁を止める声にはなりえない。
「『やめて』
 無理やり犯されそうになったとき、ほとんどの女がそう叫ぶ、懇願する。
 しかし、男は女の拒否の意志を蹂躙し、その悲痛な叫びでさえ、己の性欲の糧とする。
 その時の苦痛。体と心の痛み。
 それがわからない男の『やめて』と言う言葉が聞き入れられるはずがないでしょう?」
 淡々と、それでいて力強く。氷のような微笑を浮かべながら、彼女は銃を握り締める力を強める。
「10……9……」
 そしてカウントダウンが始まった。
 温度が急激に下がったように感じた。あと10秒後には必ず銃声が響き渡る。
 約束された恐怖。
「や、やめっ……許して……許してくれぇっ!」
 男はもう何も考えられなかった。
「助けてくれっ! 助けてくれっ!!」
 目の前に迫る恐怖から逃れようとするのみだ。
「8……7……6……5……」
 ミルカのカウントダウンとともに、男の心臓の鼓動が早くなる。
「助けてくれよぉ! 頼むよぉ!!」
「4……3……」
 男の声など届いていないかのようにミルカは、秒読みを続けた。
 3秒後。この男の血が、この場所を赤く染める。
「ダメェ!」
 突然、凍り付いていたかのような空間に、熱い風が吹いた。
 その声は、男とミルカの表情を目に見えて変化させる。
 少女の声だった。
 男に襲われていた少女がミルカの制裁を制止したのだ。
「……どうして……」
 ミルカは言葉を失った。憎むべき相手に制裁を行っていたのに。力ない少女の代わりに制裁を行っていたのに。
 揺らぐ憤怒の念。
 理解できなかった。理解できるはずがない。この男がこの少女に救われるなんてことがあってはいけない。

 ドンッ!

 銃声が響いた。廃工場の壁で音響するそれは、この場にいる全員の耳を貫いた。
 頭の方の銃が火を噴いた。それは一瞬の出来事であったが、もう男は動かない。
「あ、ああっ……」
 平和主義のこの国において、人が殺される場面を見るなど、よほどでなければ無い。
 少女はガクガクと震えながら崩れ落ちた。
 ミルカがゆっくりと少女に歩み寄る。その足音に気づいた少女は、震え続けたままミルカを見つめた。
 その目はこう訴えている。「どうして殺したの?」と。
 ミルカは苦虫を噛み潰したような顔で目をそらした。少女の視線が痛かった。
 そしておそらく、これから言おうとしている言葉の後の表情も、きっと痛い。
「撃ったのは麻酔銃よ。死んでないわ」
 驚きの表情。そして言葉の意味を理解するとともに作られる表情は……。
「……よかった」
 安堵の表情。殺されるべき男が、生きる価値の無い男が、生きていたことに安堵する。それも、男の醜い欲望の食い物にされそうになった少女が。
 痛い。
 男など生きている価値は無いのに。そうでなければ……、いや、そうなのだ。
 ミルカは首を振り、生まれそうになった迷いを振り払った。
「命は助けてやったんだから、手当てをしてあげようなんて馬鹿なことは言わないでね。大げさに血が出てるけど、あのまま放っておいても死ぬことはないわ」
 次に口にするであろう少女の言葉を前もって抑止する。
 実際のところ、丸一日も放っておいては、命に関わるかもしれないぐらいの怪我は負っている。しかし、これ以上関わるとこちらが不利な状況になるだけだ。
 暗がりではっきりとはわからないが、男はサガ同盟の軍服を着ている。おそらく数時間で麻酔が切れれば、男は誰かに連絡をとり、迎えを呼ぶぐらいのことはできるはずだ。
 問題は、顔を見られてしまっていることだが、軍属ならば、女を襲おうとして別の女にやられたなどとは言えないだろう。プライドというものがあった場合の話だが。
「でも……」
 渋る少女にさらなる苛立ちを覚えるとともに、ミルカは気が遠くなるのを感じた。
 おそらく血液を失い続けている体で激しく動いたために、貧血を起こしたのだろう。何とか意識は保ったものの膝をついてしまう。
「大丈夫ですか!?」
「あはは、ダイジョブジョブ」
 笑って言ってはいるが、体に力が入らない。
「私の家、ここから近いんです。良かったら休んでいってください」
 断ろうかとは思ったが、ここからだとシップまでは30分は歩かないといけない。10分も休めば歩けないことはないだろうが、障害事件を起こした現場で休むわけにもいかない。
 気乗りはしなかったが、少女の申し出を受けることにした。


 そこは優しく穏やかで懐かしい、しかし息苦しい空間だった。
 笑顔で帰宅を告げる少女。笑顔で迎える父親。
 少女がミルカたちのことを説明すると、父親は快く受け入れ、少女を襲った男に激しい憤りを見せた。
 少女の名前はナオ、父親の名前はダイ。
 ナオは黒髪のショートカットが良く似合う、あどけなさを残した可愛らしい少女。ダイは深い笑い皴が特徴の、柔らかい顔立ちをした中年男性。親子だが顔立ちは似ているところが無い。ミルカにそのことを指摘されると、ダイは嬉しそうに「母親に似たんです」と言った。
 母親はナオが幼い頃に病気で他界したらしい。
 招待されたナオの家は大きく、リビングは二十畳ほどの広さで、4人でも広すぎるくらいだった。
 ムーンの平均的な一軒家よりも明らかに広く、平日のこの時間に父親が家にいることも考えれば、この家は一般家庭ではないことを示していた。
 話を聞くと、ダイはこの国ではそれなりに有名な画家らしい。
 その事実はミルカが抱いていた複雑な感情をさらに増幅させた。
「どうぞ。お口に合うかわかりませんけど」
 ソファーに座っているリンとミルカの前に煎茶と羊かんが出される。
「この羊かんはナオが作ったんですよ。市販のものとは一味違います。ささどうぞ」
 ニコニコしながら勧めるダイ。ミルカとリンは小さく苦笑しながら羊かんを口に運んだ。
 絶妙な甘さと、どっしりとした触感。ムーン菓子なので、レンチ人であるミルカと、チェイ人であるリンは、他と比べる対象が無かったが、それでもこの羊かんは出来のよさはなんとなくわかった。
「おいしいです!」
「ホント、よくできてるわね」
「そうでしょうそうでしょう」
 リンとミルカの誉め言葉は、作ったナオよりもダイが嬉しそうに受け止めている。
 ナオはそんなダイに照れくささを感じ、苦笑を浮かべていた。
 温かい家庭。
 優しい父親。
 過去に見た光景。過去に感じた穏やかさ。
 少しの間、会話をしただけでわかる。ナオはダイを敬愛し、ダイはナオを溺愛している。
 しばらくしてナオが席を立った。明日までにやらなければいけないことがあるらしい。それをいい機会にとミルカとリンもシップに戻ろうとしたが、もう少しと引き止めるダイに負けてもう少しここに留まることにした。
 ダイはナオが自室に戻るところを見送ってから、ミルカとリンに深々と頭を下げる。
「娘を助けていただき、本当にありがとうございました」
 心からの謝礼。
「もしあなた方に助けてもらえなかったらと思うと私は……」
 ダイの行動のひとつひとつにナオへの愛情が滲み出ている。
 微笑ましく、温かい。
 しかしミルカはそれ以外の何かを感じてしまう。
「治安が悪いのを知っていながら、一人で出歩かせるのは感心できないわね」
「それは……仰る通りです。近場でまだ明るかったからと言うのは言い訳にもなりません。実際にナオは襲われたんですから」
 痛い。
 実際はどんなに気を使っても、こういう事態になる可能性はゼロではないのだ。きっとダイは充分な心配りをしていたはずだ。
 ミルカもそんなことはわかっている。
 だが、心に燻ぶる苛立ちが彼女にダイを責めさせた。そしてそれは、ダイだけでなくミルカ自身をも苦しめる。
「実は私、駐屯部隊の犯罪行為をなくすための活動をしている団体に属しているんですが……。その代表になってくれとメンバーから言われているんですよ。私なんかに務まるのかと渋っていましたが、今日決心しました」
 まるで罪滅ぼしをするかのようにゆっくりと語るダイ。ミルカの責める言葉を真正面から受け止めている証拠だろう。
 ミルカは責める言葉を言ったことに対する痛みをさらに強める。ダイは今日のような事件を防ぐための努力を、充分すぎるほどしていた。
 口だけでなく行動に移していたのだ。しかも代表に推薦されるというのだから、彼の行動力は一目置かれているのだろう。 
「……駐屯部隊の犯罪は増加する一方です。中でも多いのは女性に対する暴行……」
 思いつめたように言うダイ。
 ミルカはどうしようもなく胸がそわそわとする。
「自分の娘だけじゃない。女性はすべて、父親の娘でもあるんです。それが理不尽に被害を受けるなんて許せない。
 ……この命に代えても今の現状を打破してみせる」
 確かな強い想い。
 ダイは強く優しい父親だった。だが、だからこそ。
「命なんてかけんじゃないわよ!」
 ダイの言葉を止めるのに充分すぎるほどの怒声。
「……残された娘のことも考えなさい」
 そして呟くようにそう言ったミルカは、まるで逃げるようにダイの家を後にする。
 リンはそんなミルカの様子に戸惑いつつ、「すいません」と一言だけ断ってミルカの後を追った。


 ミルカにも父親はいた。優しく、強く、頼もしい父親だった。
 幼くして母親を亡くした娘に寂しさを感じさせることなく、立派に育て上げることのできた父親だった。
 レンチの外れにある小さな自治地区、オードレ。ロッシャル戦争不参加の意志を徹底していたそこにも、支配の手は伸びた。
 レンチが支配下に落ちたその直後、ロッシャルから命令があったのだ。
 その命令はあまりにも非道。
「男は労働夫、女は慰安婦として帝国に尽くせ」
 オードレの最高責任者であったミルカの父親は、娘のため戦った。
 その結果。ミルカの目の前で命を落とすことになる。
 見せしめの公開処刑。
 帝国に逆らうものの末路としての役を演じさせられたのだ。


 オザワが用意した車の中でブルーは言葉を無くしていた。
 突然車で迎えに来いと連絡があり、来てみればリンを連れて帰れと言う。
 理由を聞いたが答えず、しつこく食い下がると銃口を向けてきた。
 それは今まで見たことのない表情だった。
 いつもブルーに向けている怒りの表情とは違っていた。
「どうしちゃったのかなミルカ……」
 ブルーの感じていることを代弁するかのようにリンが呟く。
「何かあったとしか思えませんよね……。今日はどんなことがあったんですか?」
 リンの呟きに応えるべく、ブルーはミルカのおかしい原因を知ろうとする。
 リンは今日の出来事をできるだけ詳しく話した。
 しかしブルーでは、ミルカのことを伺い知ることはできない。
「何にせよそんなに治安が悪い夜の街で、ミルカを一人にしたの失敗でしたよね……」
 少女を襲った暴漢の話を聞いていたためか、悪い想像がよぎる。あのミルカならば、暴漢の10人くらいとなら互角にやりあえるかもしれないが。
「………………」
 リンも同じような想像をし、表情を強張らせる。
「……やっぱり連れて帰りましょう。体調も万全じゃないんですよね?」
 ブルーが意を決して言うと、リンは深く頷いた。



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