Not Friends

第11話 覚醒の時

 ロッシャル戦争前のアリムは、世界の中心と言われた国であった。軍事力、技術力、文化レベル。そのどれをとっても他国とは比べ物にならないほど発展していたのだ。
 しかし、主エネルギーが魔石エンジンに切り替わり、SPがロッシャルによって開発されてからというもの、後手に回ることが多くなっている。しかし、今でもサガ同盟の盟主国となるにふさわしい力を持っている国と言えた。
「随分派手に活躍したそうじゃないか。驚いたぜ」
「……このクソ忙しそうな時期に、あんたが出迎えに来るほうが驚きだわ」
 ネイたちはサガ同盟の本拠地とも言うべきシンリア基地に招かれた。バラックの活躍に、サガ同盟代表自ら謝辞を伝えたいとのことだった。
 シンリア基地に付いてすぐ待合室に通されたのだが、そこで待っていたのはロディであった。いつルオー戦が始まるともわからない中、ルオーから離れた地に、ケルベロスの隊長であるロディがいるのは驚くべきことだった。
「まぁ今日中に公表されるみてぇだから言っちまうが、ロッシャルから電文があったんだ。
 ルオーを攻めるのは二週間後の7月8日だってな」
 しかし、ロディがこの場にいられる理由は、さらに驚くべき理由のようだ。
「日付指定の侵攻宣言?
 どこまで大胆なことをしてくれるんだが……」
「同盟にばかり有利とは言えないわ。
 攻め込む日を指定することで、同盟は期限まで侵攻軍を迎え撃つ準備をせざるを得ない。
 先手を打つ方法もあるけど、今の同盟の状況じゃあ難しいわね」
 呆れ顔のミルカに対し、ネイは複雑な表情で言う。ロディはネイの言葉に満足げな笑みを浮かべた。
「まぁそういうことだ。
 そのおかげで一度シンシアに戻ることができて、おまえらと顔を合わせることができたんだから、帝王サマには感謝はしないといけないかもな」
 談笑するネイたちをよそに緊張している面々がいた。リンとブルーである。
 リンはただ単純に偉い人間と顔を合わせることになることに緊張し、ブルーは「帝国の敵」のトップとの顔合わせに複雑な想いを抱いていた。
 ブルーはもともとロッシャルを継ぐものであった。今ではその地位も権利も、そして義務も無いが、それでもどうしても気になる。
 ジェイルの圧制が引き金になったとは言え、サガ同盟の加盟国は多すぎる。それほど帝国の政治に不満を持たれていたのかと驚かずにはいられない。自分の足元がこれほど不安定だったのかと考えさせられてしまう。
 だから、自分の培ってきた理想に反する存在との会話に大きな意義を感じているのだ。
 その数分後、ジェダが応接室に入ったとの知らせがあった。
 NotFriendsメンバー、オザワの6人は、互いの顔を合わせて頷いてから応接室へと向かった。


 女二人に少女二人。それに青毛の青年。
 さらにはヤマヤ工業取締役の弟。
 バラック基地から受けた報告で事前知識はあったが、それでも実際に目の前にしてみると驚きを隠せなかった。
「ようこそサガ同盟へ。
 バラック基地でのご活躍を聞いて、是非お会いしたいと思い、この場を設けました」
 友好的な笑顔を浮かべながらそれぞれを目ざとく観察する。
 シュリーカーから特徴を聴いていた『吸血天使』が誰かはすぐにわかった。
 ロッシャル系の人間で、10歳前後の少女は一人しかいない。大きなサングラスによりロッシャル人だとはっきり識別はできないが、もう一人の少女はどうみてもチェイ系である。
 なるほど、少女とは思えない独特な雰囲気は、彼女が『兵器』として作られた存在だからだと思えば合点がいった。
「ネイです。
 皆、家族を亡くしているためファーストネームしかありません。
 ご了承ください」
 最初にショートカットの女が、無愛想に名乗のる。おそらく彼女がリーダー的な立場だろうとジェダは思った。
 最初に名乗ったのも理由の一つだが、立ち位置や、他のメンバーのしぐさから感じ取ることができる。歳は随分と若く見えるが、サガ同盟の前線指揮を任せる人材に勝るとも劣らない戦士の風格をもっていた。
 どこかで見たような気がするが、見るからにアリム系の人間。それでSPの操縦に心得があるのだから、アリム軍に所属していたのだろう。それなら見覚えがあってもおかしくはない。
「ミルカです。
 お目にかかれて光栄ですわ」
 次に名乗った、ひときわ目立つスタイルをしているオーべ諸国系の女も同じ匂いを感じる。明るい雰囲気と表情で、丁寧な挨拶していると普通の女性のように見えるが、修羅場を潜り抜けなければ得られないオーラがあった。
「……シリア」
 続く吸血天使と思わしき少女は、最初に名乗ったネイよりもさらに無愛想さが増している。
 三人ともただならぬ人物であるようだが、予測がつくぶん、会話はしやすい。
 問題は残りの二人だ。
「あ、あの……。リ、リンです……ほ、本日は……」
 チェイ系の少女。ただの少女だとしか思えないことが不気味だった。戦況を一変させる力を持つチームに、なぜこんな少女がいるのか。この場で緊張を隠せずにいる姿は、普通の少女にしか思えない。
「あまり固くならないで、力を抜いて構いませんよ」
「は、はい……」
 優しい言葉をかけると、俯いて顔を真っ赤にした。
 どう見ても普通の少女だった。
 疑問は尽きないが、非戦闘要員のただの少女なのかもしれない。その可能性がある以上、今ここであれこれ心配するのは杞憂であろう。
 それよりも残った一人だ。
「ブルーと申します。お話する機会に巡りあえたこと、幸運に思います」
 『ルシフェル』を所持していることを聞いていたのでなおさら驚いた。髪の色と髪型は似ても似つかないが、その顔立ちは失踪中のフェイル・ロッシャル・カイザーズそのものだったからだ。
 風貌から想像できないほど礼儀作法に精通している様子なのも、疑惑に拍車をかける。まさか、本当にフェイル王子なのではないだろうか。
 ジェダはすでに詳細を知るオザワの自己紹介はそこそこに聞き流し、ブルーを注視していた。
「我々がルシフェルと同型機を所持し、メンバーにフェイル氏と似た人物がいることに驚かれているようですね」
 少し意識が向きすぎている自覚があったため、ネイのその言葉はジェダを動揺させた。
「申し訳ありません。まさか、と思わずにはいられない状況ですから」
 しかし動揺など微塵も出さず、そう切り返す。見ていないというのも不自然であるためこう答えるのは妥当と言えた。
 ルシフェルを所持し、ブルーがフェイルと似ているのは事実だ。
「彼は素性を語りたがりません。
 そして彼がフェイル氏と同一人物かなど、私たちは興味がありません。彼はブルーと名乗り、私たちに協力してくれています。それ以上の詮索をしないのが私たちのマナーなのです。
 気になるのはわかりますが、ご理解いただけるでしょうか?」
 淡々と語るネイ。肯定も否定もしないその内容は、ジェダにこれ以上の詮索を許さない。
 サガ同盟は帝国と違い、威圧的な態度をとりづらい。ましてネイたちはバラック基地を守った英雄である。
 そして、今彼がフェイル本人だと知ったところで大きなメリットも思い浮かばない。現在、ほぼすべての帝国軍がジェイルを支持している。そして、帝国軍のジェイルの崇拝ぶりは嫌と言うほど知っている。
 たとえばここで、「正統王位継承権を持つフェイル氏がサガ同盟に協力」というアピールをしたとして、帝国軍の動揺は誘えないだろう。
 もともとジェイルはフェイルを敵視している。敵側にフェイルが立てば、下手をすれば帝国軍の士気をあげてしまうきっかけになるかもしれない。
「そうですか。わかりました」
 ジェダはそれだけのことを一瞬で考えて笑顔を浮かべた。
 しかし、詮索を嫌うことを表明されたのは痛い。情報の引き出しは、交渉をうまくいかせるためには必要なやりとりだ。
 ジェダの目的はひとつ。
 彼女たちを協力者とすることだ。
 吸血天使本人がこちらに加われば、宣伝効果も高く、サガ同盟に大きな力がもたらされる。
「詮索が拒否されては仕方がありません。
 少々急ではありますが、本題に入らせていただきましょう」
 ジェダは笑顔を保ったまま、全員に視線を送った。
「サガ同盟に協力していただきたい。
 あなたたちの力、サガのために使っていただきたいのです」
 そして、さらりと言い放つ。もったいぶることも無く、まるで世間話をしているかのような気安さで。
 直接的な言葉に、即答を控えているようだった。リーダーであろうネイに視線を送ってみるが、その表情には一切の乱れが無い。
「……まず確認させてください。これは強制ではありませんね」
 視線をまっすぐに向け、迷いの無い口調だった。
「もちろんです」
 それに対して、ジェダは即答してみせる。帝国と対なす存在とも言えるサガ同盟にとって、『強制』と言う類の言葉は禁忌とも言えるものだった。サガ同盟の代表としては、当然の返答と言えるだろう。
 もちろん、サガ同盟に『強制』が存在しないということはないが。
「自由意志に基づき、我々は帝国の独裁という、間違ったこの世界の流れを打破せんと集まっているのですよ」
「安心しました」
 ジェダの言葉にネイは薄く笑顔を浮かべてみせる。その様子に、ネイが一筋縄ではいかない相手であると感じた。
「では協力するかどうか判断するために、いくつか質問したいことがあります。
 お答えいただけますか?」
「ええ。もちろんです。
 時間の許す限りお答えしますよ」
 とりあえず仲間になる可能性がある以上、相手の出方を見る必要がある。ネイは完璧なポーカーフェイスで話をするため、会話の流れから相手の思惑を読み取るしかないだろう。
「サガ同盟が帝国軍を退けた後はどうされるおつもりですか?」
 それは、同盟を結ぶ前に聞かれる質問の中では最も多い質問だった。
 もちろんこの中には「勝利を得た後の自分たちの利益」が含まれている。しかし、ネイたちは国のような大規模な組織ではない。目先の報酬の話ならまだしも、サガ同盟が勝利した後の話を求められるのは少し意外だった。
(世界の行く末を本気で心配しているのか……)
 ジェダはネイの質問の意図を読みかねた。実はこの質問に対する答えは、一貫していない。相手の意図を読んだ後に、相手の欲しい情報を提供していた。しかし、質問の意図が読めない以上、どう答えれば良いか判断がつかない。
「議会を設け、同盟国で話し合っていくことになります。私の一存では決まりません」
 無難に、模範的な内容を答えることにする。
「そうは言っても、ジェダ代表にも思惑はおありでしょう?
 ジェダ代表はどのようにしていきたいとお考えなのでしょうか。私はそれをお聞きしたい」
「………………」
 思わず閉口してしまう切り返しだった。そして未だ意図が読み取れないことがもどかしい。
「サガ同盟は、代表のお考えの下で集った組織です。ジェダ代表の発言力は大きなものになるでしょう。
 サガ同盟が帝国に勝利したとして、この世界がどのようになる可能性があるのかを気にしているのです。
 それが、私たちにとって命をかけるに相応しい未来か。その判断材料にしたいと思っています」
「……なるほど」
 相手の真意は読みかねるところはあるが、相手が自分の口から聞きだしたい情報がなんであるかはなんとなく理解することができた。
 相手を引き入れるのが目的なのだから、相手が求めている未来を口にするのがベストだろう。しかし、それはわからない。
「……まずは自治法案を固めるのが最優先事項でしょう。帝国の支配から逃れられたとして、何もしないのでは無秩序な世界になってしまいます」
 ジェダの切り出しにネイは何の反応も示さない。他の面子は、すべてをネイに任せているようで、喋る気配が無かった。
「いきなり全世界でまとまるのは非常に難しいと私は思います。よって、戦後は国単位で建て直しを計り、ある程度の落ち着きを取り戻してから国の代表を集めて話し合いを行うことで、平等で平和的な世界を作っていく……。
 私はそのようになればと考えています」
 あくまで同盟の代表としての言葉を並べて見せるジェダ。ネイは変わらずジェダの目を真っ直ぐと捉えたまま口を開く。
「それはロッシャル帝国が世界を制する前に戻す。そういう意味に聞こえましたが、その認識で間違いないでしょうか」
 ジェダはその言葉に少しだけ考えてから頷いた。
「そう思っていただいて構わないでしょう。
 世界規模の戦争が起きなかった黄金の80年を取り戻すことこそ、平和への近道だと考えています」
 黄金の80年。アリムでは、二次世界大戦から一次ロッシャル戦争開始までの80年をこう呼ぶ者が多い。
 アリムが実質的な世界の覇者となっていた時代。内戦や局地的な戦争はあったものの、世界規模の大戦は起きなかった。
 人類の歴史から見れば短くはあるが、全世界が国という単位で区切られてからたかだが234年。そこから考え、世界規模の大戦が行われなかった期間の中では最も長い。
「二次大戦後、大規模な戦争が起きなかったのは、エネルギー問題も影響していたはずです。物資が無ければ戦争を起せない。
 しかし魔石エンジンという無尽蔵にエネルギーを生み出す存在がある今、同じ方法で平和を生み出せるでしょうか」
 ネイの言葉に少しだけ顔を歪ませるジェダ。確かにネイの言うことには一理あった。石油資源の減少から、兵器を作り出す余裕が各国になくなったのも、人々を戦いを遠ざける理由の一つであったのだ。
 魔石からほぼ半永久的にエネルギーを得られる魔石エンジンは、その抑制を一気に取り払った。結果、ダグスが帝国軍を起こし、今に至る。
「ロッシャルのみが魔石エンジンを有していたのが、ロッシャル戦争が始まった大きな要因と言えるでしょう。我々が等しい力を持っていれば、自ずと戦争は抑制できます」
「……ロッシャルを滅ぼしたあと、もっとも力を持つ国は間違いなくアリムになるでしょう。各国が等しい力を持つなどということにはなりません。
 まさか、各国すべてに等しい軍事力を設けることを義務付けるわけではないでしょう。
 となれば、力のある国が弱い国を率いることになります。それはつまり、アリムが統制を採る世界に戻る。
 それこそ代表の思惑と考えて構いませんか?」
 無表情のまま単調に綴られるネイの言葉に、ジェダは少しだけ言葉を失った。ネイがほぼブレなく、ジェダの思惑を言い当てたからだ。
「それですと帝国に変わる支配者になることが目的のように聞こえます。それは心外です。
 ただ、アリムを中心とした平和的な世界に戻すということであれば、YESとお答えしましょう」
 どこからこんな話になったのか。
 ジェダの目的は『吸血天使』を含む、NotFriendsメンバーを同盟に引き込むことだった。それが今はどうだ。
 一方的にこちらの考えを口にさせられているだけだ。
「……よく、わかりました」
 明らかな苛立ちを覚え始めたジェダに、ネイは呼吸を整えてから呟くように行った。
「……どうでしょう。命をかけるに相応しい未来でしょうか」
 少しの皮肉を含めて言うも、ネイはそれに対して何の反応も示さなかった。
 そしてたっぷりの沈黙の後、ようやくネイが口を開く。
「残念ながら協力は控えさせていただきます」
「…………」
 拒否は予想の範囲内だったが、苛立ちを覚えているジェダにとっては、さらなる苛立ちを呼び込むものであった。
「……なぜでしょうか」
 腹のそこから沸々と湧き出る感情を抑えつつ、ネイに問う。
「私にはその未来が、命をかけてでも手に入れたい未来に思えなかったからです」
 ジェダの視線を真っ向から返してハッキリと言い放つ。
「………………」
「……ですが勘違いしないでいただきたい。私はサガ同盟に敵対するつもりはありません。
 ただ、命を懸けて戦いたくないと言っているのです」
 それは思わず眉をひそめてしまう理由だった。
「……それは積極的な戦闘行為を極力行いたくないという平和的な主張なのでしょうか」
「そうとらえていただけると聞こえがいいですね。
 ですが自らの危険から身を守るため、もしくは自分たちの主張に沿わないものが目の前に現れたときは、積極的な戦闘も辞さないつもりです」
 思わず正気を疑いたくなるような言葉。
「それは……あまりにも……」
「協力しなければ私を排除しますか? そうであれば私はあなたの敵です。
 しかし、サガ同盟は、協力が強制ではないとおっしゃってくださいました。
 だから私たちはサガ同盟に興味を持ち、話を聴くことにしたのです」
 ジェダは思わず自分がサガ同盟の代表者であるのかと疑いたくなった。この女は、世界を二分する軍組織の最高権力者を目の前にして、一歩も引かず、素直な……いや、素直というよりは自分勝手な言い分を平気で言い放っているのだから。
 ジェダは自分勝手と言う単語を思いついて、ひどく納得したように心で頷く。
「……たった4機のSPで、バラック基地の窮地を覆す力。個人の自由で使うのはあまりに我がままと言えませんか」
 ジェダは言葉の途中で、記憶の奥底にあったものが蘇るのを感じた。キーワードは『窮地を覆す力』だ。
「……思い出しましたよ。
 どこかで見覚えがあるとは思いましたが、あなたはネイ・アーネンツ少尉ですね」
 無表情だったネイの顔が一瞬だけ引きつる。ジェダはそれを見逃さなかった。
「対SP装備を以って、生身でSPと戦う、1機のSPで敵基地を陥落させる。そんな命令を成功させてみせた存在。
 戦争終結後、姿を消したと聴きましたが、こんなところでお会いできるとは」
 ネイが肯定していないにも関わらず、ジェダはネイが「ネイ・アーネンツ」であると断定して話を始めた。
「……私がそのネイ・アーネンツだとしたらどうだと言うんです?」
 若干下がったトーンからは少なからず動揺が見える。
「アリム軍の上層にいた者としてまずは謝罪させていただきたい。敗戦色濃い状況の中で提案された、軍上層部の絵空事を止めることができませんでしたから」
 ジェダはこの動揺を好機とばかりに畳み掛ける。
「被害者とも言える立場だったあなたから見れば、アリムが率いるサガ同盟は命をかけるに値しないと言うのも頷けます」
「………………」
 そんなジェダの態度にネイは表情を歪めるだけに留めた。
「しかし、あのころのアリム軍ではありません。私が代表である限り、あのような理不尽な命令を兵に下させないことを約束しましょう。
 ですからもう一度戦っていただきたい。
 あなたは上層部の絵空事を現実に変えて見せるほどの力の持ち主。その力、再び私たち祖国のために」
 ジェダの言葉は熱を帯び、普通の人間を深く引き込む魔力を持ち始めていた。
 はじめに謝罪による相手の主張の肯定、そして改善案。最後に同じ国出身ということを前面に押し出し仲間意識を煽っての勧誘。
 普通の人間であれば意志がぐらついてしまう。しかし、ネイは普通とは言い難い人間であった。
「残念ですが」
 はっきりとした否定の言葉を躊躇うことなく口にする。
「私はもともと、生きていくために軍に所属しました。他に生きていく手段が無かったためです。
 しかし、今は戦わずとも生きていける環境にいます。だから、戦う理由が見つからない以上、私は戦いません」
 今度こそぐぅの音も出なかった。
 勧誘は真っ向から否定されてしまったのだ。
「……ですが、これはあくまで私の意志です。他のメンバーの意志は他のメンバーに聞いてください」
 そこで予想外の言葉が出てくる。
 これに対しては、シリア以外のメンバーも予想外のようだった。
「なるほど、個人主義で集まっているチームということですね」
 ネイの勧誘が無理だと判断したジェダは、頭を切り替え『吸血天使』だけでも引き込めればいいと策を巡らせる。
「私はネイと同じ意志」
 しかしそれも一瞬で砕かれてしまった。
 もっとも早く拒否の意志を口にしたのは、『吸血天使』であるシリアだった。
「私も同じですわ代表。申し訳ありませんが、私の指針はネイ一人ですの」
 先を越されたことに悔しさを覚えたためか、ミルカが慌てて追従する。
「……他の方は?」
「私はあくまでヤマヤ工業の者ですから、ヤマヤ工業の意志に従いますゆえ」
 視線を送られたオザワはそう応える。
 しかしブルーとリンはなかなか口を開かなかった。
 リンはただ単純に、ジェダという大きな存在と口を聞く事を恐れているだけだが、ブルーは違っていた。
 ブルーは惚けたようにボーっとしていたのだ。
「どうされました……?」
 未だ彼がフェイルである可能性を拭いきれていない以上、ジェダは彼の動向も気になっている。
 声をかけられたブルーは、やっと意識が戻ってきたようだった。
「……いえ。
 私は……ネイと共に行きます」
「………………」
 夢を見ているかのように焦点が定まらない様子でジェダの誘いを断る。
「……わ、私もです」
 残った少女も、ブルーの言葉の影に隠れるように小さく呟いた。
 これで全員の意志が伝わったことになる。
「……………………」
 難しい顔で目を閉じ、少しの沈黙。
「……いやはや、こんなにキッパリと断られるとは思いもよりませんでしたよ」
 やがて大きく息を吐いてから笑顔を浮かべた。
「協力を得られないとしても、敵では無いのですし、バラック基地を救っていただいたことには違いありません。
 もしよろしければ、しばらくアリムに滞在ください。今後どうされるのかわかりませんが、必要なものは用意させましょう」
 先ほどとは違う砕けた様子で喋り始める。
「……ご好意に甘えさえていただきます。貴重かとは思いますが、物資を頂きたい」
 協力を断ったにも関わらず友好的な相手の思惑は気になったが、補給ができるのはそれ以上に魅惑的な話だった。
「わかりました。
 リストをくだされたば用意させますのでしばらくアリムに滞在ください」
 緊張の糸が切れて、砕けたというところだろうか。ジェダの様子はサガ同盟の代表とは思えないほど、柔らかく接しやすい雰囲気であった。
 ネイはそんなジェダの友好的な笑顔を目の前にして、この判断が間違っているのではないかという疑念を覚えた。


「……ふ……ふひっ、ふひゃひゃひゃひゃっ!」
 モニターしか光源のない狭い部屋で、老人の不気味な笑い声が響く。
 シュリーカーは『吸血天使』の存在を確認するために、応接室を別室から監視していた。しかし、予想外に見つけたその存在に、全宗教の運命を司る神に謝礼をして回りたい気分になっていた。
「バーサーカー。
 しかも最高の素材だったナンバー5とは……」
 ひとしきり笑った後、ぜぇぜぇと乱れている呼吸に苦しみながらも一人でぶつぶつと呟き始める。
「いくつもの兵器を造ってきたが、バーサーカーほど桁外れの存在はいなかった。運用面さえ目をつぶれば、あれほど強力な兵器はなかった」
 厚い眼鏡の向こうの目が徐々に見開き始める。
「アレを造るには相当な時間がかかる。帝国に『処理』されたと聴いたときは目の前が真っ暗になったが……生きて再びアレの調整ができるチャンスが訪れようとは……」
 そして目が完全に見開かれると、シュリーカーは感極まったように勢いよく立ち上がった。
「人が人を弄ぶ我々の行為を神への冒涜とほざくものたちよ。
 観よ。
 幸運の女神は私に微笑んでいる!
 神はあくなき探求を続け、人として知恵を極める我に味方するのだっ!
 ふひ……ふひひ……ふひゃひゃひゃひゃっ……」
 暗い部屋の中。己の狂気のすべてを出して笑うシュリーカー。
 その姿はまさしく悪魔のようだった。 


 リンはあたたかいウーロン茶を口元に持っていったまま、正面に座っているブルーを見つめる。
 恥ずかしがりやのリンが、なんとか恥ずかしさを紛らわそうとして、湯気という隔たりを利用しているのだが、効果は無いに等しかった。
 心臓は激しく動き続けている。
「え、えと。胡麻団子。せっかくだから温かいうちに食べてください」
「ああ、そうだね」
 なんとか絞り出したリンの言葉を受けて、ブルーは目の前に盛られている揚げ胡麻団子に手を伸ばした。
 リンは今、ブルーの部屋にいる。純情なリンにとっては、それだけで卒倒しそうな状況だ。
 そもそもこんな状況になったのは、この揚げ胡麻団子がきっかけだった。
 ジェダからの好意を受けたネイたちは、武器だけでなく、食料の補給も受けられることになった。そのときに、リンが思い切って料理の材料を要求したのだ。
 そして、久しぶりに手に入った食材でこの揚げ胡麻団子を作った。これは、今までブルーに作ったものの中で、一番受けの良かったものである。
 そして、作りたての揚げ胡麻団子を部屋に届けるとき、ブルーに話があると部屋に招かれた。

 そして今に至る。

 リンはジェダとの会談のあとからブルーの様子がおかしいことに気が付いていた。どこか心ここにあらずで、心配をしていたのだ。
 話というのもおそらくそれに関係しているに違いない。
 リンは相談相手に自分を選んでくれたことが嬉しかった。自分の存在価値を見失いかけていた昨今、ブルーに必要とされたという事実は、何にも代えがたいものだったのだ。
「うん。やっぱり美味しいね。
 甘くてホッとする味です」
 胡麻団子を口にして、少し表情が和らぐ。リンはその表情に、作って本当に良かったと思った。
「……あ、あの……。
 それで、お話って……」
 なかなかブルーが話を切り出さないので、リンから話を振る。ブルーは少し難しい顔をしてから、はにかんだようなぎこちない笑顔を浮かべた。
「ははは……恥ずかしい話なんだけど。それに、リンに相談するのもどうかと思ったんだけど……。
 他の人には相談できそうになくて……」
「………………」
 ブルーの言葉により、全身に甘い衝撃が走った。他の人にできないというのは、自分にしかできないと言うこと。それは特別だということ。
「よくわからないことを言うかもしれないけど、話を聴いてくれるだけでいいんだ。一人で考えていると、なかなか頭の中が整理できなくて」
 ブルーがそう思ってくれている。自分を必要としてくれている。
「わ、私、力になれるかどうかはわかりませんけど、お話を聴くぐらいだったらできます!
 話してブルーさんが少しでも楽になるなら、是非話してください」
 この流れではあまり考えられない熱の篭ったリンの返答に、ブルーは少しだけ戸惑ったが、笑顔を浮かべて「ありがとう」と礼を言った。
「い、いえ……そんな……」
 笑顔と感謝の言葉が自分に向いている。嬉しい気持ちで胸が張り裂けそうだった。
「今日、ジェダ代表と話をしているネイを見て思ったんだ。
 自分にあれだけの強い意志があるのかって……」
 数時間前のできごとを思い出すようにして話し始めるブルー。リンはその一挙一動を見逃すまいとまばたきすら我慢し、言葉を聞き漏らさないようにと耳を済ませた。
「僕が仮にジェダ代表と話をしたとしたらどうなっていたのなかってさ。
 僕は帝王になるべくして育てられた。ロッシャルの繁栄こそ自分のすべきこと。それに対して何の疑いもなくて……。
 こんなのさ、自分の意志って言えないんじゃないかと思ってさ」
 伏し目がちに話す内容は、リンにとっては難しい。しかしそれでも期待に応えようと、リンは必死で言葉を拾い、その意味を考えていた。
「僕はこの名をブルーに変えたとき、帝王の息子としての自分でない自分になるつもりだった。
 でも、そんなに単純な話じゃなかったんだと思ったよ。
 ジェダ代表の話を聴いているとき、正直僕は代表に敵意があった。ほとんど条件反射的に、帝国の思想に逆らう存在だからって理由でね」
 ブルーの表情にどんどん翳りが帯びていく。リンはそれに耐えられず口を開いた。
「それは……ずっとそうして生きてきたんですから……そんなすぐには……。
 それに、自分の国のことを思うのは悪いことじゃないと思います」
 しかし、うまく言葉にできず、もどかしさが募る。
「ありがとう。
 リンの言うとおり悪いことじゃないのかもしれない。でも、僕は嫌なんだ。
 自分で考え、自分の意志で生きると決めたから。帝王として育てられたからなんて理由で進む道を決めたくない。
 ……でも、自分で考え、自分で決めるって、かなり難しいことなんですね。今日、すごく思い知りました。
 それでも、僕はそうしたい」
 自分の想いを熱をこめて口にする。ブルーが熱くなるのはよくあることだったが、今までで一番の熱を感じた。暗闇のトンネルを抜けたような清々しい表情で、自分の意志をはっきりと口にするブルーは輝いて見えた。
 そんなブルーを目の前にして、リンは自然と笑顔になっていた。
 ブルーの瞳の輝きは青く澄んだ空の色。雲ひとつないその空に引き込まれ、自分の気持ちまで晴れやかになるようだった。
「ははは……ごめんね。一人で喋っちゃって」
 そのあと浮かべる照れ笑いは子供っぽく、リンの胸をきゅっと締め付ける。
「気にしないでください」
 ゆっくりと首を振りながら、ふと疑問に思う。こういう内容なら、ネイに話すのが妥当なのではないだろうか。
 自分の気持ちを黙って聞いてくれる人間としては自分が最適なのかもしれないが、強い決意はチームリーダーであるネイに話す方が、決意を固めるのにもいいはずだ。
 なぜという疑問は湧いたが、今はそんなことを考えず、ただ話し相手に自分を選んでくれたに対する喜びを噛み締めることにした。
「……それで……実は」
「?」
 話がひと段落し、これで話は終わったかと思ったがそうではないらしい。しかも、さきほどよりも言いにくそうにしている。
「……えっと……、他に話せる人が思いつかなくて……」
 どうやらここからが本題らしい。
 リンは、自分にしか話せない内容に心を躍らせる。これは自分だけがブルーの力になれること。否応にも期待は高まっていく。
「ジェダ代表と話している姿を見て、はっきり認識したんです。
 ……僕、ネイのことが好きみたいです」
「…………え?」
 しかし、待っていたのは予想もしない言葉だった。
 ……予想と言うよりは、期待とはまったく違う内容の言葉だった。
 だからその言葉の意味が理解できなくて、それでも耳に残る言葉に頭の中が白く塗り替えられていくのがわかる。
「……本当に強い人ですよね。
 最初はただ単純にネイの強さに憧れていました。それも目に見える強さ。SPの操縦テクニックとか、窮地を切り抜ける判断力とか」
 ブルーは鈍感がゆえ、リンの気持ちがわからない。徐々に白くなっていく頭に、白いペンキをかけられ、一気に染め上げられた気分だった。
「でも、ジェダ代表にも一歩も引かずに自分の意志を通して見せた姿を見て、本当の意味でネイは強いんだとわかりました。
 自分の意志で立つ力。自分で考えて道を切り開く力。ネイはそれを持っている」
 また熱っぽく語り始めるブルー。
 熱を帯びれば帯びるほど、リンの心に強い火傷を残すことも知らずに。
「………………」
 リンは何も言えない。
 ブルーの言葉はとてもよく理解できる。自分もそう思う。ネイは強いと思う。ネイは魅力的だと思う。
 本当にそうだと思う。
 だから何も言えない。何もできない。
「あ、あ……あはは。
 また一人で喋っちゃったね」
「…………」
 さっきまで安らぎを与えてくれた照れ笑いは、胸を苦しめることしかしてくれない。
「こんなことミルカに言ったら殺されそうだし。シリアは聞いてくれそうもないし……。ネイにはもちろん言えないし」
 ブルーは確かに自分を選んだ。
 確かに自分を必要だと思ってくれていた。
 けれど。
「……ブルーさん……、残酷ですよ」
「……え?」
 消え入りそうな慟哭は、浮ついた気持ちの想い人には届かなくて。
「……ううん。何でもないです」
「そっか、良かった。
 ねぇリン、僕のこと、応援してくれるかな?」
 残酷な言葉で自分の心をえぐるのに、笑顔は相変わらず自分の心を捉えて離さないぐらい魅力的で。
「………………」
 この笑顔を壊したくないと心の底から思ってしまう。
「……はい、私にできることがあれば何でもします」
 もし、自分の気持ちを知ったら、この笑顔は壊れてしまう。
「ありがとう」
 だから。
「あ、私。そろそろ夕飯の支度をしないと」
「ああ、うん。夕飯楽しみにしてるね」
 リンは涙がこぼれてしまわないうちに、ブルーの部屋を足早に出て行った。


 シュリーカー亡命の報から、世界が動き出したのか。ジェイルはバラック基地の戦闘報告を読んで顔を緩ませた。
 黒いSP、ルシフェル。
 フェイルが乗っていたかどうかは不明と報告されたが、ジェイルは確信していた。
(ついに動き出した?
 ……いや、単に戦闘に巻き込まれただけか?)
 目の前に迫る大規模な戦闘、ルオー戦よりも優先してそのことを考えてしまう。
(この戦果を以って、同盟側につくか。そうなれば近いうちに合間見えることになるが……)
 その可能性が思いつくがすぐに否定した。同盟の思想と、フェイルの思想は違うはず。
(私と戦うための力と割り切って同盟に属するというのは考えにくいが、もしその場合のフェイルの心情はどのようなものだろう)
 ジェイルはできる限りフェイルを煽ったつもりだった。自分に強い憎悪と敵対心を持ったに違いないのだ。
 その想いが、思想に反することをしてまで、自分と戦うことを選ばせる。
「ふふふ、それはそれで悪くない」
 誰もいない部屋での独白は、強い喜色を孕んでいた。
「やはり兄上は最高の存在だ」
 報告書に添付されている、ルシフェルの写真を指でなぞる。ジェイルにとって最悪のシナリオは、フェイルが自分以外の手にかかって死んでしまうことだった。
 ジェイルはフェイルに対して強い感情を抱いている。
 自分と同じ顔を持ち、自分以上の才能を持つと思っている。世界中のどこを探しても、絶対に見つかることはない存在だ。
 生きていればいずれ、最大の敵として自分の前に現れる。その戦いの勝者こそ、真の帝王に相応しい。
『世界の覇者は、世界で最も強き者であるべきである』
 これは初代帝王ダグスの言葉だ。

 ジェイルは、ダグスと過ごす時間が多かった。
 父も母も、継承権を持つフェイルばかりをかわいがったため、祖父であるダグスのそばに居場所を求めることが多くなったのだ。
 ジェイルがダグスの思想を色濃く受け継いでいるのはそのためである。
 ジェイルはダグスを敬愛していた。
 だから、ダグスの死後、力による統率を重んじなかったドゥルクの政策に不満を感じていたのだ。
 ダグスの思想を受け継いだ自分に対し、フェイルはドゥルクの思想を受け継いでいると思っている。
 自分とフェイルの戦いは、ダグスとドゥルクの戦いでもある。だからこそ、力を示し、打ち勝ちたい。
「……焦ることはない。最高の舞台で最高の戦いを」
 想い人を恋焦がれるかのような強い渇望。いずれ、自分の前に最強の敵として現れてくれるに違いないという信頼。
 ジェイルは、サガ同盟との戦闘の中で、おそらく最大規模となる戦いを前にしても、その先に待つであろう敵の存在のみを見ていた。


 知らない景色に知らない人間たちばかりが行きかう町。
 おそらく、普段のリンならば、一人でそんな場所に赴くことなど無いだろう。新しいものに対する期待よりも、不安のほうが勝ってしまうからだ。
 しかし、その不安よりもあの場所にいることの方が辛かった。
『僕、ネイのことが好きみたいです』
 想いが成就することに対して強い期待は無かった。ただそばにいて、あの笑顔が見られれば幸せだと思っていた。
 それでも心は正直で、突きつけられた現実を受け止めたくない自分がいる。
 自分のことを好きになってくれたなら、どれだけ幸せだっただろう。
 それは、想像すらできなかった幸せな未来。それを叶わないと知ってから想像することができた。

 あの言葉が自分に向けられたものだったら。

 足元がふらついた。視界がぼやけていた。真っ直ぐ歩けているのか不安になった。
 ここはどこだろう。
 立ち止まってもいい場所なのだろうか。座り込んでしまってもいいのだろうか。泣いてしまってもいいのだろうか。
 そんな思考を無視して体が動く。もはや欲求に逆らう力は無く、リンは泣いていた。
 ネイは強い人だ。自分は弱い人間だ。
 だからブルーが自分よりもネイを好きになるのは当然で、それはどうしようもなくて。
 理屈はわかる。理解はできる。
 だけど納得はできなくて。
 そんな理屈を越えて、自分を想って欲しかった。理解できない理由でもいいから、自分を選んで欲しかった。
 それなのに。

 辛い。悲しい。苦しい。

 どうしよう。
 ネイの近くにも、ブルーの近くにもいたくない。でも、他に行く場所なんて無い。自分の居場所は他にはない。
 だけど。
 帰りたくない。戻りたくない。

 嫌だ。

 淡い想いを抱くことさえ許されなくなった状態で、ブルーのそばにいたくない。

 嫌だ。

 敬愛していたネイに、激しい嫉妬を抱いてしまいそうな自分を抑える自信が無い。

 一歩も動けない。進む道がわからない。いっそこのまま消えてしまいたい。
「……こんなところでどうしたんですか?」
 そんなリンのもとに声が届く。
 それは低く優しい声。
 年上の男性の声。
 それは憧れてやまない父親の幻影を感じさせた。
 顔を上げ、涙でにじむ視界で声の主を見る。そこには見覚えのある顔があった。
「確か、リンさんでしたか。
 何があったのか知りませんが、こんな場所で泣かせておくわけにはいかない。
 あっちに私の車があります。とりあえずそちらに」
 オールバックの髪型に凛々しい顔立ち。そして年齢を重ねた証である顔の皺。泣いているリンに手を差し伸べたのは、サガ同盟の最高権力者であるジェダ・シャウェイだった。


 ロディがNotFriendsを訪れたのは、空の赤みが闇に飲まれ始めた頃だった。
 リンを除くメンバー4人が集まった作戦室でロディが話す内容は、ミルカを思わず立ち上がらせた。
「どういうことよ?」
 ブルーはまだ話が飲み込めておらず、ネイとシリアは無表情のままだ。
「さっき話した通りだよ。
 リンはNotFriendsを抜けてアリムで暮らすことに決めたんだと」
 リンの姿が見えないことを気にしていたミルカにとっては、あまりにも突然すぎる内容だった。
「それはわかったわよ!
 でも何でリンが直接言いにこないで、あんたみたいなヤツが言いにくるのよっ!」
「俺だって詳しいことは聞かされてねぇよ。
 ほら、リンからの手紙だ。
 ミルカだけに読んで欲しいそうだ」
 興奮気味のミルカは、目の前に出された手紙をひったくるようにして奪った。
「別室で見てきたら?」
 ピンクのかわいらしい外装をまじまじと見ていたミルカに、ネイが声をかける。ミルカはその言葉に頷くと、ドスドスと言う足音を立てて作戦室から出て行った。
「……どうしてだろう」
 ブルーは遠くを見ながらポツリと呟いた。先ほどのリンの様子を思い出しても、ブルーには理由がわからない。
 笑顔で自分を応援してくれると言った矢先の行動だとは思えないのだ。
「……ところで、その手紙はリン自身から?」
 そんなブルーの様子を横目で見つつ、ネイがロディに尋ねる。
「いや、ジェダ代表からだ」
「ジェダ代表?」
 これには全員が訝しげな表情を浮かべる。
「なんでも、町で道に迷っていたところを拾ったんだそうだ。
 で、何がどうなったかはわからんが、とにかくリンはアリムに住むことにしたそうだ。
 変だと思って聴いてみたんだが、ミルカ嬢に手紙を渡せばわかると言われてな」
 ロディ本人もわかっていないらしい。ことの真相は、手紙を読むことを許されたミルカのみが知ることとなるようだ。
「……じゃあ、あれこれここで考えても仕方ないわ。ミルカが帰ってくるのを……」
 ネイが言い終わる前に作戦室のドアが開く。開かれたドアの前に立っていたミルカの表情は険しかった。
「……ミルカ?」
 その様子にネイが声をかけようとするが、ミルカは一直線にブルーのもとへ向かい、胸倉をつかんで立たせる。
「ど、どうしたんですかミルカ?」
 怒りの感情や罵声はぶつけられることも多かったため、随分と慣れてしまっている。しかし、こんなことは初めてだった。
 戸惑うブルーの顔にミルカの拳がめり込む。予想外の拳に、踏ん張ることもできずに吹っ飛ばされ、壁に背中を打ってしまった。
 突然の出来事に、全員が言葉を失う。
「……なぜと言われても答えられない。だけど、私はこの一発を謝らない」
 それは理不尽な言葉だった。
 しかし、拳を握り締めて全身を震わせるミルカの様子に誰も何も言えなかった。
 ネイもシリアも、ブルーでさえわかっている。ミルカがこれだけのことをするのは理由があるのだ。
 そして、ここまでされれば鈍感なブルーでも勘付くことができる。
「……まさか、僕のせい……」
 ブルーのその呟きに、再びミルカが詰め寄る。
「あんたのせいじゃない!
 リンはあんたのせいじゃないと言ってる。だからあんたのせいじゃない!」
 相変わらずミルカの言葉の意味はわからなかった。
「だからあんたがこのことを気にして落ち込むようだったら、私はあんたを許さない。
 ……絶対許さないっ!」
 しかしその鋭い眼光と、部屋の空気すべてを振動させる声量が、ミルカの本気を代弁している。
 ブルーは何も言えずに固まってしまった。疑問さえ浮かばせないミルカの主張に、何か言えるはずもなかった。
「……ミルカ」
 しばらくの静寂のあと、ネイがミルカの肩に手を置く。それにより、ブルーは視線の呪縛からようやく解放された。
「聴きたいことはひとつ。
 チームを抜けるのはリンの意志?」
 ネイの質問に、ミルカは答えるのを躊躇う。それはこのチームのルールを知っているからこそ。
 それは、個人の意志の尊重。
 だから、この場に残る意志が無い者を引き止めてはいけない。
「……そうよ」
 つまりこの返答は決別の証。
 この日、リンはNotFriendsのメンバーではなくなった。


 ジェダがこの部屋に入るのは2回目だったが、最初とはまったく印象が違うことに驚いた。
 前回はただ機材が並んでいただけだったが、今はそれらが活用されているのだから当然とも言える。
 そこに鼻歌交じりに機材をいじるシュリーカーの姿があった。
「機嫌がいいようだな」
「当たり前です。
 ホウトウのことわざでたとえるなら、鴨がネギを背負ってやってきたというヤツですからな。
 いかなる方法でこの少女を引き込もうと策を練っているところで、代表が連れてきてくれたんですから」
 ジェダには見向きもせず、機材の操作に忙しく動くシュリーカー。ジェダは検査着に身を包んで機械的な椅子に座っている『この少女』に目を向けた。
 シュリーカーがナンバー5と呼ぶ、リンと言う名の少女。
 三つ編みだった髪は、肩の位置まで切られ、短くなっている。シュリーカーが長い髪が邪魔だと判断して切り落とした。躊躇いなく落とされた髪に、少女がシュリーカーにとって検体でしかないことが伺われた。
 ロッシャル戦争初期で制圧されたチェイ国に生まれてしまったため、このような宿命を背負ってしまったことを考えれば、同情を感じずにはいられない。
 ジェダはシュリーカーに対して敬語を使うのをやめたのだが、理由はここにあった。
「……一つ聴きたい。あの手紙は連中を納得させるだけのモノなのか?」
 ジェダの言うあの手紙とは、ミルカに渡った手紙のことを指している。
「99%の確率で納得するでしょうな。
 ミルカという人物がナンバー5の筆跡を知らない場合は95%まで落ち込みますが、それでも問題ないでしょう」
「確かにあれはこの少女自身に書かせたものだが、内容はあなたが考えたのだろう?」
 ジェダはそのときの状況を思い出しながら言った。
 あの時の少女は、およそ自意識があるとは思えない状態だった。
 リンを連れて帰ると、シュリーカーはスピーカーのついた機材をリンの耳元で起動させた。それだけでその状態になったのだ。
 悲しみに彩られていた表情は、一瞬で色を失い、少女は立ったままピクリとも動かなくなった。
 シュリーカーはこの状態を『デバッグモード』と呼んでいた。バーサーカーとしての人格と、普通の少女としての人格の両方を封じた状態。
 それはさながら人形のようだった。
 しかも基本的な記憶は引き出すことができる。精神のメンテナンスも必要だったバーサーカーには、この状態にいつでもできることが必須だったのだ。
 この状態の少女から引き出せる情報は、引き出せるだけ引き出した。
 非戦闘員で、しかもチームメンバーとしてはただの少女でしかなかったため、有力と言えるような情報を引き出すのは難しかったが、ひとつだけ重要な情報を引き出すことに成功している。
 それは青髪の男がフェイル本人であることだ。ジェダはこの情報の即時有効利用方が思いつかなかったため、記憶しておくに留めることにしている。
 それ以外の情報は、あまりにも少女の主観が混じっていて使えるとは思えなかった。
 興味もなくなり、ジェダは席を外したのだが、シュリーカーは少女にあれこれと聞き、情報を集めていたようだった。そのあと出来上がったのがあの手紙と言うわけだ。
「ただの老人ではありますが、これでも精神操作を行ってきた人間なのですよ。
 少女の状況、少女を取り巻く人物像。それを把握することができれば、少女が書きそうな文面で、なおかつコチラが有利となる内容の手紙を作ることなど造作もありません」
 この不気味な外見の老人が、少女が書く手紙を捏造する様子が想像できなかったのだが、シュリーカーの言い分はなるほど納得できる。
「そうだ。これが手紙のコピーです。
 ジェダ代表には目を通していただきたいのですが」
 終始浮かれた様子のシュリーカーが、手紙をコピーをジェダの目の前に突き出す。
「あの手紙によって、面倒が起きない状態になるとわかるだけで充分だ」
 しかしジェダはそれを拒否する。言葉通り、面倒が起きない状態になるとわかるだけで充分であり、老人が演じる少女の手紙の内容には興味が湧かない。
 あの賞金稼ぎチームは、同盟にとって力になりうる存在が多くいた。
 過去、アリムの特殊部隊にいたネイ。
 『吸血天使』であるシリア。
 さらには、ロッシャル帝国の元王子。
 そしてバーサーカー。
 しかしジェダは、バーサーカーを得るだけでこの場は満足することにした。
 思わぬ幸運で、事をまったく荒立たせることなく、リンを手に入れることに成功したのが大きな理由である。
 もちろん強硬手段ですべての人材を手に入れる選択も考えられる。
 しかし、シュリーカーの存在はまだ表には出せない。ここでいたずらにあの連中を刺激して、騒ぎになってしまっては厄介だ。
 あの3機にサガ同盟が全滅させられるようなことは有り得ないだろうが、それでも『吸血天使』と特殊部隊の英雄を相手にしなくて済むならそれに越したことはない。
「そう言わずに。
 ナンバー5を扱いやすいようにするため、ジェダ代表にもお手伝いいただこうと思っているのです。そのためには必要なことかと思いまして」
「……私が手伝う?」
 もうすでに退室しようとしていた足を止める。
「そうです。
 他の人間を用意することもできますが、どうせなら、代表がこの力を意のままに扱いたいでしょう?」
 ニタリと笑うシュリーカー。
「最強の兵器が絶対的な存在だと慕う存在になれるのですよ」
 相変わらず不快な表情だったが、その言葉は魅力的だった。
「……話を聴かせろ」
 その甘い誘いを断る理由が見つからなかったジェダは、手紙を受け取り、シュリーカーに説明を求めた。 


(……何をしていたんだっけ?)
 ぼんやりとした意識。
 地に足が着いていないような浮遊感。
(どうでもいいか……)
 全身にまとわりつく倦怠感に任せて思考を止める。不明瞭な記憶を呼び起こす力すら湧かず、ただ漠然とした感覚に身を任せた。
『ねぇ……』
 声が聞こえる。
 この声には覚えがあった。
 怖いと思っていたはずの声。しかしこの前、声は自分の味方だと言った。力になると言ってくれた。
「……何?」
 問いかけは積極的な交流の証。その返答に、声が少し喜んでいるような気がした。
『逃げないんだね。
 ……逃げるのも疲れちゃったのかな?』
 相変わらず心の奥底がわかっているようなことを言う。
「……そうかもしれない。
 だって私、何もできないんだもの。
 泣いたって、怒ったって、怖がったって、何も変わらない。私が何をしようとどうにもならないの……」
 話しているうちに記憶が蘇ってくる。
 大好きな人がいた。けれどその人は別の人を好きになった。
「私に望みなんてなかったの」
 痛みそうな胸に言い聞かせる。
『……それは力が無いから?』
 力が無い。
「そう、私は何もできないの。
 お料理ができたって、掃除ができたって、お裁縫ができたってしょうがないの。
 ……戦う力がないとダメなの。強くないとダメなの。
 あの人は強い人が好きだし、強くないと何の役にも立てないの。
 ……だから、私はどうしようもないの」
 声に深く頷くように答える。
 完全に自棄となっていた。自分の存在価値も、自分の居場所もなくなったと思っているのだから、それは必然なのかもしれない。
『力はあるよ』
「嘘だよ」
『知ってるはずだよ?』
「…………?」
『今なら認められるんじゃない?』
 自分の価値がなくなれば、執着がなくなれば、恐怖も感じない。
『あなたは力を持ってる』
 ゆっくりと。
『私を認めて。私を受け入れて』
 ゆっくりと。
『あなたは力を持ってる。それも、とびっきりの』
 映像が流れ込んでくる。
『あの女でさえ適わない』
 それは強さの象徴とも言える存在。『あの女』の乗る鳥型SP。
『ほら、あなたはあいつにだって勝てる力を持っているの』
 そのSPを遥かに凌駕した戦闘能力で追い詰める存在がいる。
 これは……、そんな。
「……私?」
『……そう、私たちだよ』
 何もない世界にぼんやりとしたイメージが浮かびあがる。おぼろなイメージはやがてはっきりとした姿に変わった。
「私……たち?」
『そうだよ』
 幼い顔立ち。幼い肢体。女性としての魅力に欠けるその外見。
 しかしそれは、紛れもなく自分自身だった。
『リン、私はあなたの力』
 初めて名を呼ばれる。それによって、ぼんやりとしていた自分という存在がはっきりとしていく気がした。
『リンは強い力を持っている。
 そしてあの人たちはそれを知っていた』
 ゆっくりと近づき、目と鼻の先まで顔を寄せて囁く。
「……どういう?」
『リンの力を抑えつけていた。
 だから、リンは何もできないと思いこんでしまった』
 極限まで近づいていたはずの顔がさらに近づいてくる。予想される接触に思わず目を閉じた。
『あの女たちは、リンの力を恐れていたのよ。自分たちの力を凌駕する力なんですもの』
 視界を塞いだ世界で、顔がぶつかる衝撃を感じないことを不思議に思い、再び目を開く。
「…………!!」
 体が重なっていた。 
 重なりあっていたというよりは、自分の体と声の主が溶け合っていた。
『リンには力があった。
 可能性があったはずだった』
 少しの恐怖に駆られたが、それ以上の心地よさに何もできなくなった。
『自分が何もできないと思わされていただけなの』
「……そんな人たちじゃない……」
 浮かび上がるメンバーの顔。ネイ、ミルカ、シリア。みんな優しい人。大切な人。
『あの男だって、リンの想いに気が付きもせず、無神経にリンを傷つけた。ひどい男よ』
「そん……な……」
 しかし、言われてみれば否定できなかった。自分なりに必死で想い、必死で彼を支えようとしていたのに。

 想っていたのに。


 好きだったのに。



 ひどいよ。



 みんなひどいよ。



『みんなを見返してやりましょう』
 黒く染まっていく心にその声はとても甘く感じた。
「……見返す?」
『あなたの力を必要としている人がいる。
 あなたを求めてくれている人がいる。
 あなたの力を最大限に引き出してくれる人がいる』
 畳み掛けるように囁く声に思考は止まり。
『だから、私を受け入れて?』
 リンはゆっくりと頷き、重なり合うもう一人の自分を強く抱きしめた。






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