Not Friends

第10話 神の在処

 森に囲まれた教会。多くの少年少女が暮らすその場所。
 そこでは喜怒哀楽の感情のすべてがあった。当たり前に生まれる感情に従い、表情を変える。
 それらすべてが希薄な今とは比べものにならないほど感情豊かな自分。きっと生きることを楽しんでいたに違いない。
 しかし、あの頃に戻れるとしても、戻りたいとは思わない。
「シリアちゃん! すごいね!」
 まわりには友達だと思っていた同世代の仲間達がいた。
 笑顔があった。
「シリア、今日も立派でしたよ」
 大人は自分に優しくて、時折厳しく、しかし自分をよく褒めてくれた。
 安らぎがあった。
 だから、罪の意識はなくて、むしろ正しいことだと信じていた。
「あなたのおかげで、今日も何人もの迷える人々を救うことができました。罪から解放された人々は天国で安らぎの日々を送ることができるでしょう」
 信じていた。
 この世には神様がいる。罪深き人々を解放するには、自分たちが浄化してあげなければいけない。
 彼らは魔に魅入られているから、私たちに敵対する。
「明日もお願いね」
「うん。任せてっ!」
 大人たちの言うことを疑うこともせず。
「明日も頑張ろうね」
 無邪気な仲間と共に過ごした日々。
「私、明日もいっぱいいっぱい苦しんでる人を救ってあげるの」
 自分たちが、一歩外に出た世界で何と呼ばれているか知りもせず。
 
 穏やかな景色から一変。視界が赤く染まる。
 躊躇いもなく破壊を繰り返し、命を奪う。
 その行為に快感すら覚えていた。きっと自分は恐ろしい存在だったに違いない。
 しかし、そんな自分に立ち向かってくる少女がいた。SP相手に生身の身体で、愛する人の亡骸の前に立ち塞がる。
「私たちを救う? ふざけたこと言わないでっ! お父さんを……お母さんを返してっ!」
 その目には涙が溢れいるのに、その眼光は鋭くて。その強い感情に思わず、躊躇いが生まれた。
 頭は真っ白になり、引くはずだったトリガーから手を離していた。
「……吸血天使っ! 」
 
 ゴガァッ!

 少女の罵倒と共に、身体を浮かすほどの衝撃が走る。
 鮮明に見えたはずの景色は一瞬で消滅し、目の前には見慣れた天井が広がっていた。
「……シリア、寝覚めが悪い夢を見ていたみたいだけど、ちょっとやばそうだから」
 続いて顔をのぞき込むネイの顔。
「大丈夫よ。……攻撃? 」
 寝汗で張り付く服に顔をしかめるが、どうやらそれどころではないらしい。
 二人は有事に備え、交代で睡眠をとっていたのだが、シリアが仮眠をとっている時に有事となったようだ。
 シリアは無理やり自分を現実に引き戻した敵の攻撃に少しだけ感謝した。
「最悪のシナリオ通りの展開よ。ごの時期、この空域に偵察隊がいるとしたら……」
 その不謹慎な感謝の気持ちが一瞬で消失する。
 現在、シリア達はアリムへ向かうための空路を進んでいたが、アリムに直接向かう訳ではなく、南のベコナ大陸の基地で補給を済ませる予定だった。
 しかし、ベコナはライクスからアリムへ攻め込むための中継地点としても適した場所なのだ。
「私たちがベコナで補給を済ませてアリムへ向かうぐらいの時間はあると思ったけど……」
 ライクスが落ちたのは昨日である。そんな大作戦の直後だ。普通なら数日間は補給と休養に当てるだろう。それにも関わらず、この空域で敵と出くわすと言うことは、尋常ならざる速度でベコナ侵攻作戦を実施しているということだ。
 ライクスを落とした部隊とは違う、ベコナ侵攻作戦用の部隊を後方に控えさせていたとしても早すぎる。大規模な侵攻作戦の空気は、それだけで兵を疲弊させる。普通の部隊ならば士気の低下は否めない。
「……カラーレッド……」
 異常な精神力と、闘争心を保ち続ける好戦的な部隊。そのキーワードでヒットする部隊の名前がシリアの口から出てくる。
「偵察隊といえど、航空機が三機。それに対してこっちに航空機は無い。戦闘向きとは言い難いロディの空戦シップと、ろくに武装のないオザワの大型飛行シップだけじゃ、かなり不利だわ」
 現在、シリアをたたき起こした時ほどの大きな振動は感じられないが、バリアに攻撃が命中して起こる独特の振動が絶えず感じられる。
「……あちらさんは偵察だけで済ます気はないみたい。落とす気満々。現在の戦力で撃墜できそうなら、例え偵察隊であっても攻撃を仕掛ける。
 ……レッド隊と見て間違いないわね」
 二人は頷きあい、戦況がわかる司令室へと急いだ。


 オザワの輸送用大型飛行シップとロディの空戦シップを発見した三機は、最初にミサイルによる攻撃を加え、つかず離れずの距離を保っていた。致命傷は与えられていないが、航行機能を低下させるぐらいのダメージを与えることに成功している。
「未だ航空機の発進は確認できない。この二機のシップには航空機が搭載されていないと考えていいだろう」
 哨戒任務の隊長を務めるガルッシュが味方との通信回線を開く。
「いけますね」
 その通信に応える兵の口調は、少し興奮気味だった。
「現戦力で撃墜すると連絡しろ」
 本来哨戒中の機体は、このような場合、戦闘は行わない。圧倒的戦力差があったり、緊急の場合を除けば本隊と合流するのが常識だ。相手は飛行シップ二機。有利ではあるが、決定的な戦力差はない。
 しかしこの兵たちは特殊だった。
「カラーレッドに見つかったのが運の尽きだ! おまえらっ、取り逃がすなよっ!」
「了解!」
 カラーレッドは撃墜数の多い部隊。その大きな要因は積極的な戦闘。レッドは機を逃さない。躊躇わない。
 射程内に突入し、プラズマガンを放ちながら接近する三機と、弾幕を張るように機銃を打ち続ける二機の飛行シップ。
 雲ひとつ無い空に横殴りの雨が降る。
 飛行シップは火力で勝るが、速度では圧倒的な差がある。航空機の相手は荷が重い。ホーミング性能を持たない武器を航空機に命中させるのは至難の業であるが、シップは攻撃の回避がほぼ不可能。ダメージを受けている今ならなおさらだ。
 弾丸をすり抜けるように空を駆け、二機の飛行シップにまんべんなくプラズマを浴びせる三機。
 しかしその攻撃は厚いバリアにより中和され、決定打にはなりえなかった。こういう相手にはミサイルによる攻撃が効果的なのだが、最初の攻撃で全弾撃ち尽くしてしまっている。
「バリアが厚い。攻撃を集中するぞ。狙いを大きい方に絞る」
 弾幕が有効な防御である空戦において、武装の少ないオザワの大型飛行シップが防御力不足なのは否めない。そのため、分厚い装甲と、高性能なバリアにより防御力を高めてはいるが、三機の航空機による一斉攻撃に耐えられるものではなかった。
 弱い敵から撃墜し、戦力を低下させるのは定石の一手。彼らの判断は的確だ。
 2機のシップはそうなることを予想していたかのように、ロディのシップがオザワのシップをフォローしやすいよう、オザワのシップの下に移動する。オザワのシップは下方向への攻撃手段が極めて少ないため、そこが一番弾幕が薄い。
 しかし、カラーレッド隊は腕も確かだ。
 アクロバチックな操縦を披露し、3機の航空機が空を舞う。
「下から腹を狙うのはムリだな。……狙いはシップの後方。あそこはおそらく大型シップの搭乗口だ。現状あそこが一番弾幕が薄い。そこを攻める」
 攻撃を避けつつ、照準が一点に絞られるような陣形を作る3機。
「てーっ! 」
 隊長の号令とともに、三機からプラズマが放たれた。三本のプラズマは収束してオザワのシップに迫る。
 その威力は厚いバリアを貫き、装甲にダメージを与えるものだった。オザワのシップが大きく揺れたが、致命傷ではない。
 オザワのシップには、ヤマヤ工業の最新バリア展開ユニットが搭載されている。オートガードシステムほどの性能はないが、攻撃を察知してバリアの出力を自動的に上げるシステムだ。
 航空機は空に停滞することができないため、問答無用で一撃離脱を強要される。ハイスピードで射程内に接近して攻撃するため、攻撃のタイミングは短い。予想より効果が無かったからもう一撃加えるということはできないのだ。
「予想以上に硬いな。プラズマの出力を高めろ。次はもう少し接近して撃つ」
 再び攻撃を仕掛けるため、距離をとり陣形を整える。
 被弾の危険性を避けるには弾幕の薄い箇所を狙うのは当然である。厚いバリアに対しプラズマの出力を高めること、接近して攻撃を行うことは理に適っている。プラズマは発射後に徐々に劣化するため、着弾までの距離が短ければ短いほど攻撃力があるのだ。
 レッド隊の全員が、次の攻撃で撃墜できるだろうと踏んだ。この攻撃は勝利へと導く一撃と言って過言ではない。
「いくぞっ! 」
 ガルッシュの声とともに加速する航空機。その操縦は大胆で、弾幕をギリギリの位置で潜り抜けていた。
 レッド隊は戦闘時の恐怖心が欠落していると評されることがある。ロゼリアの人柄に影響を受けた兵たちが、命のやり取りを楽しんでいるからだ。
 空は危険な場所。一つのミスにより簡単に死へと誘われる。しかし、恐怖心はミスを呼び込む要員の一つ。欠落しているぐらいの方が空戦に適している。
 この3機は、着弾時の爆発の影響を受けない距離まで詰めてから、プラズマを放つつもりだった。これは最も効果的で確かな攻撃であり、恐怖心の欠落していると言われる彼らだからできるものだ。
 命を奪う弾丸を避け、命を奪うための距離へと詰める。3人のテンションは上がり、それが高度な操縦を可能にさせる。すべてが彼らにとって良い方向に進んでいるかのように見えた。
 そこで予想外の爆音が響く。
「なっ!」
 それは一瞬の出来事。
 予想以上の速さで目下に迫ってくる攻撃対象。空戦で敵機との接触はタブーである。それはわかっていることだ。この状況で自分たちに迫ってくる手段がこの敵には無いはずだからこそ、接近を試みたのだ。飛行中の大型シップが、いきなり後方に移動できるはずがない。
 しかし、現実は目の前に迫っている。
「まさかっ!」
 大型シップが逆走していたのではないことに気がついた時には遅かった。シップは今も前方へと進んでいる。
 今、目の前に迫っているのはシップの装甲板。大型シップ搭乗のための開閉部。
「クレイジーだ! ハハハハハッ!」
 あわててプラズマを放つが、もはや対処不能。大型シップから離れた巨大な鉄の板は、集中砲火のため密集していた3機を巻き込み彼方へと飛んでいった。


「まったく……さすがというかなんというか……」
 兄に頼み込んで借りたシップの変わり果てた姿に頭を抱えるオザワ。大型シップの搬入口である開閉部分が無くなった姿は、巨大な鎌倉のように見えなくもない。
「全壊よりはマシでしょ?」
 ムーンの件での鬱憤をここぞとばかりに晴らそうと、ミルカが意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「そうだぜ。あの状況において短時間で判断し、実行に移せる奴なんてそうそういねぇ」
 二人の間に入ってきたロディが、ひどく感心したように口を挟む。
 あの作戦は、最初の攻撃があってすぐに、司令室にやってきたネイが有無を言わさずに実行したものだった。そうでなければ、敵の必殺の一撃までに間に合わなかっただろう。
「まったくです。被害を最小限に抑えて、開閉口の接合部のみを破壊する。この開閉口の爆破は、兵器を熟知したシリアがいたからこそできたんでしょうけど」
 それに続くようにやってくるブルー。
 大型シップの開閉部を切り離して敵にぶつけると言うのは、口で言うほど簡単なものではない。
 破壊工作に熟知した者の協力が必要だ。ただ切り離すだけでなく、接合部のみを的確に破壊し、同時にうまく衝撃を加えなければ、敵の方へと飛ばすことができない。
「そんなのはわかってるさ。改めてすげー奴らだよ。俺は惚れ直したね」
 最初は文句を言っていたオザワも、男二人の意見に同意する。
 やがて3人の男は意気投合し、うんうんと頷きあった。
「……そんなことよりっ! なんでこんな辺鄙なところに着陸してんのよっ! 直す当てがあるの? 」
 そんな3人の空気を蹴散らすように怒鳴るミルカ。
 ミルカはもともとオザワをからかう目的でこの場に来た。しかし予想外に増え続ける男人口のせいで、機嫌が悪くなっている。しかも妙な仲間意識の芽生えた3人は、ミルカにとって鬱陶しいことこの上なかった。
「ロディ大佐のシップには大した被害がないから応急処置で充分なんだがな。俺のシップは意外とダメージがでかい。それなりに修理をしないと最寄りのサガ同盟の基地に辿り着けるかどうか微妙でね〜」
 オザワは動じず、相変わらずの表情と口調でミルカをさらにイラつかせる。
「ヤマヤ工業の息がかかっているのか? この街は」
 一つの可能性を思いつき、口にするロディ。オザワはそれに対して敏感に反応した。
「ここは鉄工が盛んでね。うまくすれば開閉部の材料が手に入る。それにこの街はお得意さんでもあるから顔が利くんだよ」
「お得意さん?
 ブリタート……この街の人はビリヴァー教信者の街ですよね? ビリヴァー教は争いを好むような宗教ではないと記憶してますが……」
 オザワの言葉に、今度はブルーが反応を示す。
 ヤマヤ工業は基本的に兵器しか扱っていない。そのため、『お得意さん』は兵器をよく購入することと同じ意味になる。しかし、ブルーの認識では、ビリヴァー教徒が兵器を購入するとは思えないのだ。
「ここはムーンみたいに平和主義で許される場所じゃない。近隣の街は武装自由なんだぞ?
 しかもこの街は西ベコナの中でも裕福で、鉄鉱石の採掘所もあるからよく狙われるんだ。自衛のための武装が必要なのは当然だろう? 」
 聞けば納得できる理由。ブルーはそれに気がつかない自分が、まだまだ世界情勢を読み取る力が足りないことに気がつき歯噛みした。
「それに神を信じる奴ってのは、自分の神を否定する奴に対しては好戦的なんだぜ? たとえ争いを好まない宗教であってもな」
 オザワは続けて言って女神像を見上げた。
 シップは街外れの林に停船させている。巨大なシップを隠すには頼りないが、施設が無い以上、ここがベターだろう。
「神様ね。宗教を否定する気は無いけど、アレはちょっと悪趣味に思えるわ……」
 ミルカはオザワの視線の先を追って顔をしかめた。
 街全体を穏やかな表情で見つめる女神像。信者でない彼女たちにとっては、威圧的に監視するようにしか見えなかった。


 オザワが街の人間と話をつけると、ネイ達は街はずれにある神殿のような大きな建物に案内された。外見からは想像できない機械的な内装。様々な機材があり、ここならシップの修理も可能だろう。
 しかし、この建物の意外性はそれだけで済まない。その原因となるものを見上げるネイとシリアは閉口してしまっている。
 ズラリと並んだSPの姿。その数は20。
 ブリタートの人口が約千五百人であることを考えると、自衛のための兵力にしては大げさすぎる。
「すげーだろう? ヤマヤシリーズ、バージョンV。簡易操縦が売りの機体だ」
 いわゆるヤマヤシリーズと言われるのは、バージョンUを指す。コストパフォーマンスの高さと、安定性能からロッシャル戦争時代の帝国軍の量産機として採用され、民間企業からのニーズも高い。
 そのヤマヤシリーズを生み出したヤマヤ工業が近年発表したこのバージョンVは、バージョンUと大きな違いがある。
 性能面では大きな違いは無いが、パイロットナビゲートシステムにより素人でも扱えるのだ。民間向けと言っていい機体だろう。
「それはともかく、個性的なカラーリングね……」
 白を基調とした塗装をしており、様々な装飾が施されている。例えるなら中世の騎士のような外装。兵器のように見えないその姿は、違和感を感じずにはいられない。
「どうも皆様。初めまして……」
 そんな会話をしていたネイ達に、ゆっくりとした声と足音が近づいてくる。
 大小の二つの人影。その姿を確認したオザワは、恭しく頭を下げた。
「司祭様ですね。はじめまして。私、モトナリ・ヤマヤと言います。この度は施設をお貸し頂いてありがとうございます」
「ウーリーです。はじめまして。施設の件はお気になさらずに……。ヤマヤ工業様にはいつもお世話になっておりますから」
 オザワは自分のことヤマヤと名乗り、大きな方の人影に丁寧な口調で話かける。
 司祭と呼ばれたのは四十代の男。独特の法衣に身を包み、頭には長い帽子を被っている。影が大きく見えたのはこのためもあった。精悍な顔つきで、司祭と言うよりは市長という呼び方がしっくりくる。
 小さい方の影は、シリアよりも少し年上だろう少女だった。少女の方も法衣を身に纏っている。
「そちらは……巫女様ですか? 」
 オザワは少女の方にも視線を向けて、笑顔で話しかける。
 その笑顔にはいつもの毒気がない。おそらく商売用の顔なのだろう。
「はい、五十二代目の巫女を務めさせていただいている、エルと申します」
 少女が深々とお辞儀をすると、衣擦れの音がする。袖も裾も長いその格好は非常に動きにくそうだった。
「……そちらの方は?」
 司祭がネイ達の方に視線を向ける。
「臨時に雇った者です。
 戦闘要員のネイとメカニックのシリアです。いまのご時世、アリムまで行くのはかなり危険ですからね……」
「わかります。このビリヴァー聖騎士団も最近は出動することが多いですからね」
 ビリヴァー聖騎士団。特別なカラーリングと装飾がされたSP部隊を、ウーリーはそう呼んだ。
「……新帝王の新政策。あれは神への冒涜だ。許すわけにはいきません」
 強い決意の念。その瞳には闘志が感じられる。
「……それで、ヤマヤ様。少しお話があるのですが……」
「構いませんよ」
 話の流れと、表情から戦力の増強の話をすることは明白であった。ヤマヤ工業のエージェントとしての顔も持つオザワにとっては、断る理由の無い話である。
「エル、それじゃあ私は行ってくるよ。ヤマヤ様とお話があるんだ」
「わかりました」
「ネイ、シリア。そういうことだからちょっと行ってくる」
 ネイが軽く頷くと、オザワとウーリーは最寄りの部屋に入っていってしまった。
 その場に残される三人。ネイとシリアは施設の利用許可の確認のため、エルは顔合わせのために呼ばれただけだ。三人とももうここに留まる必要は無い。しかし、三人はなんとなく動かなかった。
 その理由はエルの視線にあった。エルは先ほどからシリアをジッと見ている。
「……何? 」
 エルは、サングラスのせいでシリアが自分の視線に気が付いていることがわからなかったため、突然声をかけられたことにより動揺する。
「あ……すいません。ジロジロ見てしまって……。随分お若いなって……」
「………………」
 シリアは何も答えない。エルはその反応に、怒らせたのかも知れないと危惧して表情を変える。
「あ、あの……それだけではなく……。なんとなく……その、ビリヴァー様に雰囲気が似てると思いまして……」
 ビリヴァーはブリタートの神とされる存在。その姿は女神像として表現されている。確かにシリアとビリヴァー像は、年齢と髪型に通じるものがあった。
「あ、いえ。外見とかでは無く。……その、落ち着いた雰囲気とか……その……」
 まったく反応の無いシリアに、しどろもどろになるエル。
「実は……私、巫女なんてやってるけど、本当は全然子供で、落ち着きが無くて……だから……その……」
 変わらない表情。返ってこない反応。
 それは様々な不安を呼び起こし、エルは軽いパニック状態に陥ってしまった。気が付くと敬語では無くなっている。
 エルは身近にいるネイに視線を向けたが、ネイはこういうときに何かするような人間ではない。シリアと同じように無表情で何も対応してくれなかった。
 ここにいるのはネイとシリアと自分だけ。ネイとシリアの無口コンビは、初対面の人間には非常に辛いものがある。少女には尚更だ。
「あ、ネイ〜、シリア〜。食料のことなんだけど〜」
 そこに助け船が現れる。
 柔らかい声と明るい笑顔を携え、パタパタと小走りでやってきたリンは、こういう状況下ではもっとも頼りになると思われる存在だった。
「あ、えーと……こんにちは」
「こ、こんにちは」
 リンはエルを見て、笑顔のままで挨拶をする。その笑顔にエルの混乱は軽減された。
「……巫女様らしいわ」
「巫女?」
 ボソリと呟くネイ。ネイは紹介のつもりで言ったのかもしれないが、リンにはさっぱりだ。
「は、はい。エルと言います。ビリヴァー様の巫女の役目を仰せつかってます」
「私はリンっていいます」
「あなたもSPを操縦したりするんですか? 」
「いえ。炊事とかお洗濯とか……」
 渡りに船とばかりにリンと会話をはじめるエル。和やかなその空気は、さっきのそれとは大違いだった。
 オザワとウーリー。リンとエル。完全に別れてしまった会話に、ネイとシリアは参加しようともせず、どこかへと歩き出す。
「あ、あの……」
 それに気が付いたエルは二人を呼び止めた。
「……修理を始めさせてもらうわ。ゆっくりもしてられないから」
 ネイが答える。しかし、エルが求めていたのはそんなことではなかった。
「あの……怒らせてしまいましたか? ビリヴァー様に似てるなんて……」
「……………………」
 リンとの会話で少し落ち着きを取り戻せたのか、エルは心に残るしこりを吐き出す。しかし、シリアの反応はやはり変わらない。
「あ、あのね、エルさん。シリアってもともと無口だから。怒っている訳じゃないと思うよ?」
「そ、そうなんですか?」
 リンの言葉にホッとするエル。しかし、そんなエルにシリアはトゲのある一言を突きつけた。
「……悪いけど、神様なんて信じてないの。そんな存在と似てるなんて言われたら、いい気はしないわね」
 エルだけでなく、リンも言葉を失う。
 ネイとシリアはそんな二人を置いて、足早に飛行シップの元へと行ってしまった。
「あ、あの……エルさん」
 悲痛な表情を浮かべるエルにリンは声をかけようとするが、うまく言葉が見つからない。しかし、その表情はしっかりとした気遣う心が感じられる。エルはそれに救われ、深呼吸を一つすることで落ち着くことができた。
「……大丈夫です」
 その表情は落ち着いている。
(ダメね……私は……)
 心を乱すことなく、いつも平常心で。
 それがビリヴァーの巫女としての務め。
「気を悪くしないでくださいね」
「はい。シリアさんにはシリアさんの事情がおありなのですよね」
 笑顔を浮かべる。その笑顔は少女らしいとは言えない、穏やかで大人びた笑顔だった。
 神への教えを説き、皆を心の平穏を願う。
 シリアを見つめてしまったのは、自分の理想像を見たからだった。
 ビリヴァーの巫女は、ビリヴァーに似た存在が選ばれる。すなわち、歳の若い乙女。
 それだけならば問題ない。外見はビリヴァー様に似せる努力をしている。だが、女神像のように落ち着いた表情をいつでも浮かべることができない。心を乱さず、平常の心を保つのは、エルの年齢では難しいことだった。
 それを、自分よりも年下だろうシリアが実現している。その事実はエルにとっては衝撃だったのだ。
 どうしたら彼女のようになれるのだろう。その想いは、シリアへの好奇心を生み出した。
「リンさん。私、シリアさんともう少しお話がしてみたいです」
 エルはビリヴァーの巫女としての役目をしっかりとこなそうとする真面目な少女であり、そのための努力は惜しまない。
 エルは自分ができる精一杯の、巫女としての表情を浮かべてみせた。


 司令室に入ってからというもの、通信士の胃は緊張感にキリキリと痛み続けていた。
 思えばこんなことは随分ぶりだった。それほどこの部隊は優秀なのだ。
「あんまりいい報告じゃないみたいだねぇ」
 その視線は研いでいる爪に注がれているが、その低い声は確かにこちらに向いている。こちらの挙動から、これから報告する内容の片鱗を言い当てられた通信士は覚悟を決める。
「ハ、ハイ。
 ロゼリア様。ガルッシュ小隊が全滅しました。3人とも生死不明です」
 ロゼリアの片方の眉毛がピクリと上がる。空の戦いでの生死不明は、99パーセントが戦死を意味するのだ。
 通信士はわかっている。これからきちんと事の次第を報告すれば、ロゼリアは誉めることはあっても責めることはない。自分とガルッシュの行動は、レッド隊として誇りを持てる行動であったと思う。
 しかし、自分に向いていなくとも、ロゼリアの発する怒気のオーラは身を縮ませる。 
「……そうかい。あいつがね。それにしても相手は飛行シップ2機だって? 」
「ハイ、航空機の発進が確認できなかったために攻撃を仕掛けたと言っておりました」
 爪を研ぐ手を止めて、考え込むロゼリア。
「飛行シップの種類はわかるのかい?」
「映像データから解析済みです。一機はヤマヤ工業の大型飛行シップ。主に輸送用のシップです。もう一機はサガ同盟の空戦シップです。こちらもどちらかと言えば輸送用の機体です」
「そんなのに負けたのかいっ!」
 思わず声のボリュームが上がる。ガルッシュは優秀な小隊長だった。操縦テクニック。状況判断能力。どれをとっても申し分ない。
「その戦力で航空機を3機を堕としただって?
 ……あいつが油断をするわけもない。よほどの策士が乗っていたか」
 独り言のようにボソボソと呟く、その視線はどこへも向かっておらず、虚空をとらえていた。
「気になるねぇ……。この時期、あの空域に飛行シップがいたことも気になる。
 ……オイ、ダンデ」
「はい」
 それまでまったく喋らず、存在感のなかった男に声をかける。その反応速度は異常に早く、脊髄から直接司令が出ているのではないかと思えるほどだ。
 レッド隊の副隊長を務めるダンデ・イーオン大尉は、不必要なことを一切喋らない頭の切れる男だ。
「ベコナ上陸作戦。任せてもいいかい?」
 ロゼリアの言葉に通信士が目を丸くする。ベコナ上陸作戦は、重要な作戦の一つだ。それを副隊長に任せるとはどういうことだろう。
「戦力的に可能かと。ただし、作戦前にロゼリア様から、ベコナ上陸作戦の指揮を私に任せることを全兵士に通達ください。
 レッド隊がレッド隊であるためにはあなたの言葉が必要です」
 しかしダンデは驚く様子も無く、ロゼリアの言葉に逆らいもしない。
 この男はいつもそうだった。ロゼリアに従い、ロゼリアの思考を実現するために尽力する。
「わかってるよダンデ」
「おそらく敵は、ガルッシュ隊との交戦からベコナ上陸作戦を察知するでしょう。そのため、ベコナで一番重要な基地、カフリン基地防衛に参加すると思われます」
 無表情で、淀みなくすらすらと言い放つ。
「カフリンに向かうって訳だね。……やつらの進路を導き出しといてくれ。私はかわいい兵士たちに挨拶に行ってくるよ」
「準備は整えておきます。いってらっしゃいませ」
 通信士はロゼリアとダンデのやりとりを呆然と見守るしかなかった。意思の疎通というレベルではない。完全な個体と言ってしまえるほどの調和。
 レッド隊の頭脳と名高いダンデの働きにはいつも目を見張る。
 強烈なカリスマ性と類まれなる行動力を持つロゼリア。そのロゼリアに絶対の忠義と高い能力で補佐する副隊長。
 通信士はこの二人を見て、レッド隊に配属されたことを心の底から嬉しく思った。


 サガ同盟の空戦シップは慌ただしく武器弾薬の補充をしていた。
 このシップには、ムーンの治安任務に就いた副長のアオヤマを除く、ケルベロス隊のメンバーが揃っている。SPはノウブルが7機搭載され、旗艦である陸上シップ「トリラケス」も搭載されている。
「行くのね」
「まぁ、いくら特別独立強襲部隊とは言え、重要拠点がピンチにさらされてるのに、個人の判断で行動するってわけにもいかないからな」
 飛行シップを見上げるシリアとロディ。二人は目をあわさないまま会話をしている。
 特別独立強襲部隊とは、軍の指揮系統から離れ、自由行動が許された部隊の名称である。
 もちろん上層部からの大まかな指示には従うが、手段はロディに一任され、独断で部隊を動かすことができる。前大戦で優秀な戦果の残したロディに与えられた、特権とも言えるこの立場。ロディがサガ同盟軍に所属する条件として出し、受け入れられた。当初は反対の声もあったが、今では誰も何も言わない。
 実戦で、それがサガ同盟にとって有益であることを思い知らされたからだ。
「レッド隊。
 ……ベコナの戦力にケルベロスが加わったところでどうなるものかしらね」
「撃退する必要はない。アリムからの増援部隊はもう動いている。それが来るまで粘れば俺たちの勝ちだ」
 ニヤリと歯を見せて笑うロディ。その歯は綺麗とは言い難い黄ばんだ色をしている。しかしそれは、見た目を気にしないロディの人柄を表しているようで、なんだか安心できた。
「おまえが整備してくれたおかげで、ノウブルの必殺武器も精度が増している。やれるさ」
「……あの武器ね。あれはノウブルの標準装備じゃないんでしょう? 」
「ああ、俺の機体だけに搭載してある。まぁ俺の趣味だな」
 シリアの表情は無く、口調も単調だった。それでも少しだけ雰囲気が和やかなのは、ロディの人柄のおかげか、それともシリアがロディに対して心を緩めているからなのか。
「準備ができたみたいだな」
 ロディは戦士である。戦時中である今、ロディが戦場に向かうのはしごく当然のことだ。
「…………」
 『いってらっしゃい』という言葉は無い。それを言ってしまえば、家族を見送る親子のように見えてしまう。それを拒んでいるわけではないのに、なぜか口にできない。
「ジェダ代表には話をつけてある。サガ同盟はおまえらを拒まないから安心してくれ。それじゃあな」
 『またな』という言葉は無い。必ず帰ってくるつもりでも、そうならないことがあることを知っている。自分が死なない確証など無い。
 ロディはシリアに嘘をつきたくなかった。その気持ちが嘘でなくても、結果的に嘘になってしまう可能性があるのなら口にしたくないのだ。
 結局それきり言葉を交わさず、ロディは空戦シップに戻る。
 それから程なくしてシップが飛び立った。
「………………」
 そのシップの姿に胸騒ぎを覚えたが、自分にはどうすることもできにないと、少しの間だけ見送るだけに思い留め、自分の持ち場へと戻った。


 シャワーで汗を流したばかりのさっぱりした身体が日光に当たると、身体の中から暖まるような錯覚を覚える。
 一通りのおおまかな作業が終了したところで、シリアはネイに休憩をとるように言われた。仮眠中に叩き起こさたことを気にしてのことだろう。休養も重要なことなのはよくわかっている。
 本来なら仮眠をとるのが一番なのだろうが、あの夢を見た後は、どうしても眠りに着くことが出来ない。
 だから少しでも気分が安らぐ行為を選んだ。
 シリアは神殿のような作業場、司祭が聖堂と呼んでいた場所から少し離れた場所に見つけたベンチに座り、規則的に並んだ人工的に植え付けられている木々を見ながらゆっくりと時間を過ごす。本当に効果があるどうかはわからないが、植物は人間をリラックスさせるらしい。この感情の薄い自分も、そう言う類の恩恵を受けられるのか疑問に感じはするが、それでも最善だと思われる行動をとることに対して躊躇いはなかった。
「あ、あの……」
 そんなシリアに、控えめな声とともに近づいてくる人影。リンに近い雰囲気だったが、よそよそしさがある。
 白い法衣に身を包んだ少女。先ほどよりも軽装だったが、長い袖と長い裾は健在で動きにくそうだ。
 名前はエルだったかしらと思いながらも、特に何も反応しない。エルはシリアが自分の声に気が付かなかったとでも思ったのか、少し小走りになり、シリアのすぐ近くまでやってきた。
「こ、こんにちは」
 少し息を切らせ、目線を併せての挨拶。もっとも、サングラスのせいで、目が合っているかどうかはわからないが。
「………………」
 シリアはそこまでしても反応しない。
「……あ、れ……もしかして寝てるのかな? 」
 そのせいでエルが違う方向に勘違いをする。シリアは小さくため息をついてやっと口を開いた。
「起きてるわよ」
「あ、え、えっと。あのさっきはごめんさい……じゃなかった、申し訳ありませんでした」
 エルは気が動転すると敬語が使えなくなるらしい。口にしてから慌てて言い直す様子は見ていて微笑ましいものがある。
 もちろんこれは一般的な話で、シリアがそう思うはずもない。
「……何が? 」
「あ、あの、ビリヴァー様と似ているなんて言ってしまって……気分を悪くされたのでしょう?」
 ぎこちない敬語。許しを請う言葉。そして悲痛な表情。
 そのすべてがシリアをイライラさせる。
 懸命で健気な様子はどうにも鼻につく。
「気にしてないわ」
「……ありがとうございます」
 許しの言葉とともに零れる笑顔さえ、心をざわつかせた。そのくせ無視することができない。目をそらすことが敗北に繋がるような不可思議な感覚。
「えーと……、もし……よろしければ、少しお話しませんか? 」
 自分に興味を持ち、接しようとしてくるこの姿勢から、この感覚がブルーといる時に感じるのと同じ類のものだということに気がついた。
 いつものように口をつぐんで無視すればいいのだ。冷たく引き離せばいい。嫌われることは恐れていない。
「……反応が薄くてもいいなら勝手にどうぞ」
 しかし今回はそれをしなかった。
 シリアがそんなことを言ったのは、小さな好奇心を持ったからだ。この感覚がなんなのか、自分でもわからない感覚の正体を知るために、エルと話をしようと思った。ただそれだけの動機である。
 しかしエルは、それこそ零れてしまうんじゃないかと思うほど瞳を広げて、最上級の笑顔を向けてきた。
「あ、あのですね……」
「無理に敬語は使わなくていい。ぎこちない敬語はイライラするの」
 出鼻から挫かれる。さらにその言葉は棘がある。だがそれは、エルにとっては嬉しい一言だった。
「そ、そっか。じゃあ普通に喋るね。
 え、えへへ。何だか……久しぶりだな」
「………………」
「え、えっとね。巫女になるためには二年間修行をしなくちゃいけないんだけど、その頃からずっと敬語を使うように言われてきたの」
 シリアの沈黙を疑問と受け取ったのか、自分のことを喋り出す。
 実際、無口な相手と話を続けるには、自分のことを話し続ける以外はなかなか難しい。エルの言う、「お話」を成立させるためには正しい選択と言えた。
「巫女の修行ってすっごく厳しくて、言葉遣いだけじゃなくて、歩き方とか笑い方とか……もうすべての動作を細かく注文されるんだよ?
 それでも修行中は一緒に巫女を目指す友達がいたからよかったんだけど。巫女に選ばれてからは、同じぐらいの年の子と話す機会がほとんどなくなっちゃって」
 弾むような口調と笑顔。見ている方までウキウキとしてしまう。エルがここまで気持ちを浮かせているのは、こういうごく普通の女の子が行うおしゃべりに飢えていたからだろう。
「あ、えと……ごめんね。私ばっかり喋っちゃって」
 一人で喋っていることに気がついたエルが申し訳ない顔を浮かべるが、シリアは気にしている様子もない。もともと喋る気がないとでも言いたげに肩をすくめるだけだ。
「……本当にすごいよね……シリアさん。私、よく言われるの。もう少し落ち着きを持ちなさい。感情を表に出さないようにしなさいって……。
 巫女はね、ビリヴァー様のように在りなさいって言われるの。ビリヴァー様は私たちに平穏をくださる。いつも平常心で、物事を冷静に受け止めてくださるのよ」
 笑顔の次は、羨望の眼差しを向けてくる。
「ご、ごめんね。ビリヴァー様に似てるって言って、気を悪くさせてしまったばかりなのに……」
 今度は眉毛をハの字にして謝罪の言葉。本当に感情豊かで、見ている人間の心を和ませる。
 ビリヴァー神は人に平穏を与える神だと言う。それならば、いつも平常心で物事を冷静に受け止め、そして判断を下すような存在よりも、エルのような存在のほうがよほど人に平穏を与えるのではないだろうか。
 しかしエルは、シリアに羨望の眼差しを向ける。そんなシリアは大人に良い印象を持たれることはない。どこまでも可愛げがない賢しい子供。そんなイメージを持たれるのがほとんどだと言うのに。
 シリアはそんなことを考えて少し笑えてきた。宗教などこんなものだ。蓋を開ければ矛盾だらけ。そういうものではないか。
「……気にしないでいいわ。あなたにとって、ビリヴァー神は絶対の存在なんでしょう?」
「……あ、ありがとう」
 およそ感情が感じられない、いままでのシリアのものとは思えない言葉に、目を丸くし、うっすら涙すら浮かべて感謝の言葉を口にする。
 確かにいつものシリアと雰囲気が変わっていた。
「信じる者は救われる。
 ……結構色んな宗教で使われるけど、ビリヴァー教では特に重きを置いているの。ビリヴァー様の存在を信じることで人は心に平穏を持ち、心を改め、善行を尽くす。これってすごく素敵なことだと思うんだ……」
 普通の人間が口にしても、それほど感情を動かされない言葉でも、意外な人物からのものならばその効果は何倍にもなる。シリアの言葉はまさにそれで、エルは嬉しさからビリヴァー教に対する自分の思いを口にしていた。
「そうかもしれないわね……」
 シリアは肯定の相づちを返す。その口調は穏やかだ。
 シリア自身、自分のとっている行動に驚きを感じている。明らかに優しさを含んだ行動。相手を喜ばす返答。でも、これは優しい気持ちから行ったものなんかじゃない。
「私、みんながそんな素敵な気持ちになるお手伝いができると思って、巫女になる決心をしたんだよ?
 でも、あんまりうまくやれてる自信がないの。もっともっと、巫女としての自分を磨きたい」
 シリアの気持ちがどうであろうと、エルには嬉しいものであったことには違いない。それがエルをさらに饒舌にさせる。
「……だから、シリアさんのこと見習いたくて。でも何かそんな感じじゃなくなっちゃったね。見習うというか、なんか日頃の鬱憤晴らしにつきあってもらってるみたいになっちゃった。
 あ……でも、私が自分のことをベラベラ喋っちゃったのは、シリアさんがそういう雰囲気にしてくれる人だからかな。
 へへ、やっぱりシリアさんって私の理想の巫女像に近いよ」
 彼女の明朗さは信念があるからだ。ブルーも同じものを持っている。
 自分の気持ちを信じられるからこそ、感情を表に出すことができるのだ。
 神など信じない。自分など信じない。本当に信じられるものなどこの世に存在するかどうかもわからない。そんな自分が理想の巫女像だと言うビリヴァー教の巫女。
 滑稽だ。
「聖騎士団。ビリヴァー神を守るためのSP部隊」
「え?」
 シリアの口調が変わる。
「心の平穏をもたらすために信じる神を守るため、闘争の中に身を置くのはどうして?」
 単調で起伏のない口調。しかしそこには嘲りが確かに含まれていた。
「……う……ん。私もね。何だか違うって思ってるんだけどね。戦時中、ビリヴァー様を守るためには必要なことなんだって……司祭様が……」
 エルは痛いところを突かれて、目をそらした。痛々しいほど、ぼそぼそとした口調で言い訳じみたことを言う。
「あなたが従うのは司祭様? 」
 相手に気持ちを語らせ、矛盾を突く。
 シリアがやっているのは、底意地の悪い行為に他ならない。しかも相手は初対面に近い人間。人格を疑われてもしょうがないほどの行為だ。
「………………」
 エルはそんな仕打ちを受けて、心がズキズキと痛んだ。しかし、ゆっくりと視線をシリアに戻し、真っ直ぐな眼差しを向けてくる。
 それを受けたシリアの心には、複雑な感情が蠢いていた。不安と期待、嫉妬。
「……そうだよね。私の信じるビリヴァー様は……、私がみんなに信じて欲しいビリヴァー様は……、きっと聖騎士団なんて望んでない。司祭様の気持ちもわかるけど……」
 自分も心は痛んでいる。そう思う。
 だけど自分の中に眠るものが、エルを追い込もうとする。信じる心なんて壊れてしまえと言う気持ちが沸いて出てくる。信じられるものなんてこの世に無いんだと証明してやりたくなる。
「ありがとうシリアさん。
 実はね、悩んでたことなんだ。でも、気持ちが固まったよ。大事なことに気がつけた。私、司祭様とお話するね。わかってもらえなくても、いっぱいお話してわかってもらえるように努力する」
 予想外の感謝の言葉。そして眩しい笑顔。
「……………………」
 言葉を失う。心がざわつく。悔しいと同時に嬉しかった。
「やっぱりすごいね、シリアさん。えと……気を悪くしないでね。やっぱり私にとって、あなたはビリヴァー様みたいな存在に見えちゃう。
 ……私、自分の中にある感情ってうまく制御できないんだ。感情を抑えられないっていうか……、頭が熱くなって、冷静でいられないことがよくあるの。シリアさんはきっとそれができてるんだよね」
 感情を抑え込んでいるつもりはない。感情に気が付かないふりをしているだけだ。
「……そんなことないわ」
 いや、今だって生まれてきた感情に抑えず、エルを責めるようなことを言ったではないか。
「謙遜しないでいいよ?
 ……あ、もうこんな時間。私、行かなきゃ。話してくれてありがとうシリアさん」
「……シリアでいい」
「え? 」
 時計台の時刻を見て、慌てて去ろうとしたところを呼び止められ、驚いた表情を浮かべる。言葉の意図も上手く汲み取れなかった。
「呼び方。……さんづけ、しなくていい」
「え……?
 ……う、うん! 私のこともエルって呼んでね! 本当にありがとうシリア! またお話しようね!」
 眩しい。笑顔で自分の前から去っていくエルの後ろ姿は、サングラスをかけていても眩しく感じた。
「……そろそろ休憩時間は終わり?」
 エルに視線を向けたままで言うシリア。その言葉は、少し前から二人を見守っていた視線の主に向けて言ったものだった。
「……休めた? 」
 ゆっくりと近づいてくる人物は、シリアがもっとも信頼を置いている人物。
「余計、疲れちゃったかも……。昔の悪い癖、まだ直ってなかったのね……」
 口の端が少しあがる。
 それは自嘲めいた笑顔と表現すればいいだろうか。しかし、笑顔と表現できる表情を彼女が浮かべるのは、おそらくネイの前以外にありえない。それほど珍しい表情だった。
 ネイは何も言わずシリアの隣りに腰掛ける。触れあうでもなく。言葉を交わすでもない。
 しかしネイの隣りは、植物のある場所よりも、心を温かくしてくれる人格の持ち主との会話よりも、シリアにとっては安らげるものであった。 


 5機の航空機が編隊を組んで飛行している。
 空は雲一つなくどこまでも澄み渡っていたが、この5機のせいで不気味な印象だった。
 赤系の塗装がされた、航空機と言うにはややズングリとしたその形態は、青空に溶け込むことがない。
 5機のうち4機は、真紅ではなくオレンジに近い色をしている。しかし、中心の機体は真紅と言って過言ではない色だ。その真紅の機体のパイロットは、操縦はオートパイロットに任せて鼻歌を歌っていた。
 心地よい緊張感に包まれていると、自然と気分が高揚してくる。もし、超長距離から狙撃でもされれば一溜まりもないだろうなどと考えるだけで、ウットリとしてしまう。レッド隊隊長のロゼリアは、空の旅につきまとう死の香りが大好きだった。
 警戒は他のパイロットに任せている。部下に対して絶対の信頼を寄せているからこそ、鼻歌を歌う余裕も生まれるのだろう。
 そんな快適な空の旅が終盤にさしかかると、空の色が徐々に赤みを帯びてきた。赤をこよなく愛するロゼリアにとって、空が赤く染まるこの時間は、一番好きな時間だった。
「ロゼリア様。空戦シップを捕捉しました。ガルッシュ小隊と交戦した空戦シップのようです」
 通信士の報告により、ロゼリアの機嫌は最高潮にまで達しようとしている。
「フフフ……。まるで空がうちらを祝福しているように思えないかい?」
 青空には異端だった航空機は、この赤く染まり始めた空に見事に調和していた。変わる空の色に自分たちが合わせたのでない。空が自分たちの色に合わせて変化したのだ。
 5機のパイロットはそう思う。
「さぁ、愉しもうじゃないか」
 ロゼリアは真っ赤に染めた唇を舌でなぞった。

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