Not Friends
第10話 神の在処
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それはまるで義務であるかのように、突然沸き起こる衝動に突き動かされる。 知っている。 ここに来れば忘れてしまいたい記憶が呼び起こされ、時間が和らげるはずの痛みが再始動する。 それは口内炎を舌でつつき、痛みを確認するような行為に似ていると、少女は漠然と思った。 つつけばやはり痛いのだけど、それはわかっているのだけれど、それでも何度も確認してしまう。違うところは、この痛みは放っておいても治ることはないということだ。 痛みを堪えながらもこの場にやってきたのは、目の前にモノと対面するため。その頼りない照明に照らされた姿は、サングラスをかけた少女にはほとんど見えないだろう。 ぼんやりとしか見えない人の形をしたモノに、少女は様々な感情を覚える。 触れた瞬間に奪われる熱。しかし同時にぬくもりを感じる。 この子はいつでも私の気持ちに応えてくれた。ただそれだけ。だからこの子に罪は無い。 信じるものに従った。ただ、信じるものに選択肢はなく、そしてそれは、信じるべきものではなかった。 「間違っていたのは私」 物言わない人型の機械。そのシルエットには複数の翼が確認できる。 「ごめんね。フレスベルク」 痛みを伴う記憶を思い返すためにこの場所へ来た。しかし、今度は痛みから逃れるために遠ざかる。 少女によって照明が落とされると、フレスベルクと呼ばれる存在は完全に闇へと還った。 闇の中は深い静寂に包まれていたが、声無き泣き声が反響しているような錯覚を覚える。 それはこの場にいた少女が残したものなのか、遠ざかる主を悲しんだ機械人形のものなのか。 この闇の中、それに答えるモノは無い。 サガ同盟の本拠地であるアリムの南。そこに位置するベコナ大陸のビガー海岸側の国々は、様々な思想、体制、宗教が混在している不思議な国が多い。それは二次世界大戦時に、その地域を占領したアリムが、面積のみを考慮した「国」の範囲で線を引いたためだ。 いわゆる体制、宗教でくくられた範囲で言うと「市」になるのだが、そこに住む市民は自分の「市」が「国」であると主張している。 ブリタートもそんな市のひとつだった。 「信じてください」 ブリタートの大聖堂と呼ばれる場所に、五百人ほどの人だかりができていた。 そこに透き通った声が響く。その声に呼応するようにざわつきがピタリと止まり、そこに集まったすべての人間が声の主に意識を集中した。 「今、世界は混乱に支配されています。人と人が争い、命を奪い合う。それはとても嘆かわしいことです」 今、ブリタードに住むすべての人間がこの場所に集まっている。その中心には十五メートルほどの女神像があった。 肩までしかない少しカールのかかった髪に、穏やかな表情をした幼い顔立ち。一般的に女神は、大人で清楚な女性、いわゆる「淑女」であることが多いのだが、この女神像は、可憐な少女という言葉がしっくりとくる。しかし、それでいて大人よりも穏やかで落ち着いたその姿は、神と呼ぶに相応しい神々しさを持ち合わせていた。 その女神像の足元に、一人の少女が立っている。 「しかし……だからこそ忘れないでください」 声の主は彼女だった。 年は十六に満たないだろう。その顔は少女特有のあどけなさがある。 「いつもビリヴァー様は私たちを見守ってくださっています」 しかし、その声色、物腰は非常に落ち着いており、成熟された人間しかもたない独特のものをまとっていた。 「混乱の中においても、正しいことを忘れないでください。 優しさを持つこと。 勤勉であること。 そして神に感謝すること」 その雰囲気は、女神像と似ている。そのために、見るものに女神が話をしているような錯覚すら覚えさせた。 この地域は、それぞれの市ごとに独自の宗教を持っていることが多い。このブリタートでは、女神像になっているビリヴァーを信仰している。 この地域に生まれれば、ビリヴァーを信仰するのは定められたことであり、ここに集まるすべての者は皆、ビリヴァーを信仰していた。 一つの神を信じるその集団の姿は、強い一体感がある。 「忘れないでください。ビリヴァー様は私たちと共にあります」 少女の言葉が続く。 ビリヴァーの巫女としての役をこなす少女もまた、ビリヴァーの存在を強く信じる者の一人だった。 週に一度行われる集会には、全市民が不平も不満も漏らさずに参加する。 ここにビリヴァーを信じない者はいない。 ビリヴァー教ができてからずっと信じてきた。そして、この混乱の世においてもずっと信じ続けている。 それは彼らにとって、それは当然のことなのだ。 冷たく無機質な空間には、鉄と油と汗の匂いが充満していた。 奥行きも天井までの距離も十メートルはあるが、それでも今まで整備に当たっていた人員の数と、飛び散った火花の量を考えれば、そうなるのも頷ける。 今でこそシリアとブルーしか残っていないが、少し前までは多くのヤマヤ工業の技術者がこの場所にいた。 そのおかげか、難航するかと思われた作業は比較的スムーズに進み、漆黒のSPは生まれ変わった姿で鎮座している。 多数の複雑なギミックを組み込んだ特殊な帝国のSP。ヤマヤ工業の作業員だけならばこうはいかなかっただろう。基本設計者であるブルーがこの場にいるのも大きな理由であるが、帝国のSPについて熟知していたシリアがいたのも大きい。 聞いたときは耳を疑ったブルーの考えは今、現実となっている。 ルシフェルと名付けれたこのSPは、一度は破壊され、帝国に回収された機体。しかし帝王によりブルーのもとに返された。 そんな特異な道を歩んだこのSPは、翼をつけて蘇った。 「ウィングバーニアの移植。うまくいきましたね」 ブルーの搭乗していたモーリガンのウィングバーニアが無傷であったことからブルーが提案した。 ほぼ半壊したモーリガンのウィングバーニアをルシフェルに移植する。 これは、帝王となるべくして育てられたがゆえに、浮世離れした思考を持っているブルーだからこその発想だっただろう。 一般的に、共通パーツ以外の系統が異なる機体のパーツの移植は、シップの中で行われることがない。規格の差を埋めるには、SPを開発した者でなければ非常に困難であるため、しかるべき場所で行われるのが普通だ。 しかし、ルシフェルの開発者がこの場にいるため、条件は揃っている。それでも、『同系統以外のパーツ移植は移動中は行えない』という固定概念があるためにそういう発想ができないのだ。 「予想を上回る数値が期待できそうだ。これもシリアの的確な調整のおかげですよ」 自分の愛機が生まれ変わった姿に恍惚とした表情を浮かべながら、制御プログラムの最終チェックをしているシリアに声をかけた。 いつものように返事は無く、大きなサングラスによって表情も窺がえない。最初は異常に感じたその反応も、今ではすっかり慣れてしまっていた。 「……ルシフェルって、エヴァヤ教の堕天使よね」 「え?」 期待していなかったシリアの声に、思わず上擦った声をだしてしまう。内容が今までの会話の流れとはまったく関係ないものだったことも、ブルーを動揺させた。 「え、ええ」 「天界を裏切った、天使長。忌み嫌われる存在とされているその名をつけたのはなぜ?」 エヴァヤ教は、多くの地域で信仰されている、サガではもっともポピュラーと言える宗教だ。絶対であり唯一の存在である神、エヴァヤを信仰する。 ブルーは話の意図がわからず少し面を食らってしまったが、軽く深呼吸をし、落ち着いてからゆっくりと喋りだした。 「ルシフェルは、秩序を重んじるあまりに変化も進化もない天界に嫌気がさし、自分の力で第二の世界を創ったとされています。 天使の中で最も力を持つとされていたルシフェルですが、その力はエヴァヤには遠く及ばず、不完全な世界しか創れなかった。 エヴァヤ教では、それが我々の住む世界だとされています。 天界では存在しない、生と死があり、生きるために命を奪わなければ存在できないという罪を背負っている。 信者はその罪から解放され、天界に召されることを目的にしています」 シリアに反応は無かったが、顔がこちらに向いていたため、話を聞く意志があるらしいことは窺がえる。ブルーはそのことを確認してから話を続けた。 「でも、その罪があるからこそ進化も変化もある。そういう説もあるんですよ。 ええっと……、僕は無神論者で、エヴァヤ教を信じているわけじゃないですが、このお話は結構好きなんです。 で、ですね……。ここからは僕の解釈なんですが……、ルシフェルは可能性を生み出した存在とも言えるんじゃないかと思って。 このルシフェルは自分が造ったSP、……僕の可能性の象徴なんです。だからその名をつけました」 ここのメンバーにルシフェルのことを話すのは初めてであり、少し気分が高揚してくる。 その話し相手がもっとも距離感を感じていた存在であったことも、ブルーの気持ちを高ぶらせた。 「そう……」 そしてそっけなく言い放ち、席を立つシリア。 その反応の薄さに落胆しかけたが、付け足すような最後の一言は、ブルーの心を大きく揺さぶった。 「……悪くないわね」 ジェイルとの一件から気持ちが落ち込んでいたブルーにとっては救いの一言となるような言葉。 「そ、それでですね!」 気を良くし、さらに話を続けようとしたブルーの声を遮るように、格納庫のスピーカが機械音を響かせる。 「シリア、ブルーさん。食事の用意ができましたよ」 続いてリンの声で食事の知らせが入った。時計を見ると19時を過ぎている。 「先に行って、すぐに行くと伝えて」 笑顔で「行きましょうか」と言おうしたブルーの先手をとるようにシリアが口を開く。 「はい。わかりました」 若干の寂しさを覚えたものの、すぐに笑顔で承諾する。普段からは想像できないシリアとの会話量を思い出したからだ。 ブルーが格納庫を出たのを確認すると、シリアはおもむろにルシフェルを見上げる。 「……裏切りの天使」 翼がついたことにより、騎士にしか見えなかったその風貌が天使のように見えてくる。 「可能性とともに背負った罪……。贖うことはできるのかしらね」 その言葉とともに視線を一瞬だけ四番格納庫に向けるも、浮かんできた考えを振り払うように首を振った。 ライクス防衛軍基地司令室内の空気は焦りと混乱に染まっていた。 緊急を意味する赤いランプがあちこちと点灯し、状況を確認するたびに顔色が変化するオペレータ、せわしなく動く技術者たちの悲鳴に近い声が響く。 「ええい! もう少し的確に状況を報告しろっ!」 ライクス防衛軍の最高司令官であるラリアーでさえ声を荒げていた。普段は冷静沈着な男として名が知られているが、その評価を砕き散らすような表情と声色を見せている。 ライクス共和国は、別名「鉄壁のライクス」と呼ばれるほど防衛力に優れていた国だと言われている。 海に囲まれた大陸と呼ばれるほどの巨大な島国であるため、海路と空路に限定される進入経路。サガでもトップクラスの優れた対空兵器と対上陸兵器。さらに、侵略を目的とせず防衛のみに徹した軍事力の展開が、ライクスをそう呼ばせる由縁だ。 ロッシャル戦争時代に、ロッシャルの支配下に落ちなかったという事実も、その呼び名をいっそう堅固なものにしている。 ラリアーはロッシャル戦争時代からこの任に就き、常に国を守っていた。そのラリアーが冷静さを失っているのは後にも先にもこれが最後であろう。 数時間前、ロッシャル帝国が大部隊をもって攻撃を開始した。 宣戦布告もあり、襲撃は事前に察知していた。ライクスには充分な迎撃準備の時間があり、予想した数を上回る部隊が来たわけでもない。 「防衛ラインの対空砲、対水ミサイル砲が次々と破壊されています。現在20%の戦力低下!」 にもかかわらず、戦況は圧倒的だった。 オペレータの声に、滲み出ていた汗の量が増し、滴となって零れ落ちる。 「司令! 防衛ライン内のSP部隊が攻撃を受けています!」 「なんだとっ!? 」 続けてくる報告に耳を疑う。 「水戦SPの上陸は防ぎきっているはずだな!?」 「はい。対上陸部隊は持ち堪えています」 「空母の空域進入も防ぎきっているはずだったな!?」 「空母、および空戦シップは、空域には侵入していません」 「ならばなぜSPが防衛ライン内に存在するのだっ!」 防衛ライン内にSPが進入するには、領域上空から降下するか、海から上陸するしか方法はないはずである。 だからありえるはずがないのだ。SPを運搬できるレベルの大型飛行兵器の進入は許していない。さすがに航空機レベルの大きさの敵までは防ぎきれていないが。 「……まさか、小型輸送艇か!?」 思いついたことが、すぐに口から出る。 空母や空戦シップクラスの大きさでは抜けきれないぐらいの弾幕は張っている。しかし、SP一機を搭載できるレベルの航空機となると話は別だ。 「ラリアー司令! 領域内のSPの攻撃により、急激に戦力が低下しています!」 さすがのラリアーも、次々とくる状況悪化の報告に耳を塞いでしまいたくなる。 ライクスは確かに防衛力の優れた国だ。しかし、一度進入されれば意外に脆い。外からの攻撃を防ぐのは得意だが、内からの攻撃には慣れていないのだ。 「水戦SPに上陸されました!」 「空戦シップが防衛ラインを突破」 領域侵入を果たしたSPの攻撃による、対空、対上陸兵器の戦力低下とともにさらに状況は悪化する。 もはやラリアーに現状を打破する方法は思いつかない。 「司令!こちらにSPと思われるものが何機か向かってきます!」 「馬鹿な! SPにしては早すぎ……」 モニター一面に多数のSPが映し出されるその光景に、司令室の一同が絶句した。 データに無いSP。 大きな翼を持ち、腹部ユニットが異様に大きいその機体は、その異形さ故の不気味さがあった。 「……あれは……カラーレッド! 」 ラリアーは猛進してくる敵部隊の中で、一際目立つ機体を見つけると、畏怖の念が口から漏れる。 忘れえぬ色、真紅に塗られたSPだった。何度と無く防いできたが、最も厄介な相手だった部隊長のパーソナルカラー。 帝国軍強襲部隊「カラー」で、空戦を得意とする「レッド」。 どおりで部隊の動かしかたが巧妙だったわけだと納得する中、ラリアーの視界が赤一色に染まった。 「……鉄壁のライクスもここまでか」 毒々しいまでの赤はラリアーの目を焼き、SP部隊から放たれるプラズマは、司令室そのものを焼き尽くした。 ライクスが落ちた事実はサガを震撼させた。ライクスを落としたことにより、帝国は強大な力を持っていることを誇示したことになる。 帝国軍の士気は大いに上がり、サガ同盟の士気は下がる。 この勢いを保ったまま一気に攻勢に出れば、帝国は戦いを有利に進められるはずだった。 しかし、ロッシャル帝国の帝王はそうはしなかった。それどころか、自国の有利を不利に塗り替えてしまうような「新政策」を打ち出してきたのだ。 NotFiends司令室。NotFriendsメンバーに、オザワ、ロディを加えた7人は、モニターに映し出されるジェイルの姿を見ていた。 「ここに来て……コレか……。正直感服しちまうよ」 ロディは溜息混じりに言う。 ジェイルの言う新政策。それは「宗教の自由化」である。 その政策名から、大きなものに思えないかもしれないが、その内容は驚くべきものだった。 1.国教の廃止。 2.信仰の強制の禁止。 3.宗教を理由にした政策の禁止。 宗教を重視しない国に対してはそれほど影響を与えない政策かもしれない。 しかし宗教の教本がそのまま国の政策になっているような国も多く存在する。神を至高の存在とし、それに従って生きるのはそれほど珍しくはないのだ。 ジェイルはそれらを禁止する政策を打ちたてた。これは、宗教国すべてを敵にまわす政策と言って間違いないだろう。 神を信じるものにとって、神より偉いものはない。例えサガを制する帝王の言葉だとしても、全宇宙の頂点に立つ存在とも言える神の存在に勝るはずがない。 神を信じる者は思うはずだ。人間ごときにそんな権利はないと。 ジェイルはその神と真っ向から戦う意志を表明しているのだ。 「この政策は、神と言う空想の産物でしか過ぎない存在に、依存する人間たちの成長を促す重要なものである。 一つの指針として神の信じるのはいいだろう。しかし、それはあくまで『人間の生み出した空想に共感を覚えた』という程度に留めておくべきだ。人の考え方に従うのは構わない。しかし『絶対的な存在』である神という、空想の産物を信じるのは罪である。 子にその存在を強要することは、さらなる罪の上塗りだ。 だからこの戦争に勝利し、再びこの星を治めたその時、私はこの政策を実現する!」 相変わらず自信に満ち溢れ、何の迷いも無いその言動は、内容を問わず聴いているだけでも魅了されてしまう力がある。 「うはっ、大胆だねぇ。でも考えてみりゃアレだ。 ライクスを落としたこの時期にしたのは、さすがの帝王さんでも、ある程度優勢に立ってからじゃないとヤバイって判断したからじゃないの?」 オザワはニヤニヤとした笑みを浮かべながらガムをクチャクチャと租借している。 相変わらず不真面目な態度だが、その内容は鋭い。 「神を信じている連中の中には、平気で自爆するような輩も多い。 敵に回したくないのは間違いないでしょうからね。 ……でも、今までの帝王様の行動から考えると、有利に戦況を運ぶよりも、『世直し』を優先させている気がする。そう考えると今回の行動も納得できるんじゃないかしら」 「世直しですって!? 大勢の人を死に追いやって……。それに、神を信じる心まで管理しようなんて度が過ぎているっ!」 ネイの言葉の途中で、ブルーが息を荒くして口を挟む。彼は、ジェイルの姿をモニターで見た時点からすでに感情が高ぶっていた。 いつもなら、ここでミルカがブルーを挑発するようなことを言い、さらに感情的になったブルーを、ネイが反論できないような正論で黙らせるのがいつもの流れだった。 すでにパターン化しているその流れは、今日は意外な人物によって変えられる。 「……そう? 私は悪くないと思うわ」 その口調は穏やかで、聞き取れないほどの小さな声のくせに耳に響く。 声を出した本人以外の動きが止まり、全員がその次の言葉に耳を傾ける。 「神を信じることを押し付けられるなんて冗談じゃないもの」 その言葉を口にしたのはシリアだった。 シリアは皆の意識が自分に集まっていることに気がつくと席を立つ。 無意識に口にした言葉を聞かれた時のようなその素振りも、シリアには珍しいものだった。見送るように視線を向ける全員から逃れるように司令室から出ていく。 呆気にとられる残された者達。気がつくと新政策発表の報道は終わっていた。 どこにいても目立つ空戦シップ「バーニング」。真っ赤な塗装はこの部隊の名から来ている。 特殊強襲部隊カラーの一つである「レッド隊」。隊長機と旗艦が、正気の沙汰とは思えないほど鮮やかな赤で塗装されているのが大きな特徴である。しかしこの部隊は、ロッシャル戦争時代にすさまじい戦果あげた。 カラーには三種の部隊が存在する。 空のレッド。海のブルー。そして陸のグリーン。 それぞれがその二つ名に恥じない能力を持ち、その能力は帝国最強の部隊とまで言われる。 このカラーの中でもレッドは、敵機の撃墜数において他のカラーから抜きん出ていた。 「作戦名『紫電』。誰がつけたか知らないけど、もうちょっとマシな名前はなかったのかねぇ……」 毒々しいほどの赤で引かれた唇が弧を描く。 カラーレッドの隊長であるロゼリアは、司令室で中年の男と通信を行っていた。 ロゼリア・フレイ。 36歳にしてカラーレッドの隊長を勤める女性。その容姿は軍属とは思えないものだった。 赤く染まっているのは唇だけではないのだ。髪も服も、化粧までもがすべて赤を基調とした色でまとめられ、バサバサと無造作に広がった赤い髪には薄めの赤でメッシュをかけている。 「レッドとブルーでパープル。わかりやすくていいのではないですか? フレイ大佐」 通信相手の中年の男は、表情を一切変えずに淡々と言った。 短い角刈りが、四角張った顔をより強調させている。顔の凹凸がはっきりしているが、整っているというよりはゴツゴツとした岩を連想させた。 彼の名はヴァリオス・ラッシュ。特殊部隊カラーブルーの隊長を務める。年齢は49歳。いつも無表情で口調も単調だが、口数は多い。彼の部隊は任務の成功率の高さと、被害の少なさが特徴だった。 カラーレッド隊長のロゼリア。カラーブルー隊長のヴァリオス。彼らはライクス侵攻作戦を無事完遂し、一息ついているところだった。 帝国軍で最強といわれるカラーの二部隊を投入したその作戦は、この戦争において重要な位置にあったことを表している。 「それとも、カラーが光の三原色であることを踏まえての不満ですか? 」 「どういうことだい? 」 ロゼリアはヴァリオスの写るモニタを見ず、爪のマニキュアを塗り直していた。 「紫に近い色を作るには、赤の光よりも青の光を強くする必要があります。ですからブルーの方が重要視されているようで気に入らないのかと……」 「あんたの話はいちいち堅っ苦しいんだよっ」 ヴァリオスの言葉の途中で、うんざりとした表情を浮かべたロゼリアが、やや強めの口調で言う。 「そもそも私がそんなことを考えてると思うのかい?」 「いえ、まったく」 この二人は、性格的にまったく別のタイプであったが、不思議とそりが合っていた。非任務中は比較的よく会話をし、二人で酒を交わすことも度々ある。 「……やれやれ。おっと、そろそろ補充兵と顔合わせの時間だね」 マニキュアの塗り直しが終わり、ふと時計を見て、予定の時間に近づいていることに気がつくと、今度は口紅を塗り直し始めた。 「次の作戦では、補充兵も有限だということを忘れずに」 「そんなのを気にしながら戦うのはあたしの主義じゃないね。そこらへんはあんたに任せるよ」 「まぁ期待はしていませんがね。では、次の作戦も成功することを祈っております」 「ああ、任せておきな」 通信が切れたことには目もくれず、化粧直しに精を出すロゼリア。満足いく出来に仕上がった頃に、補充兵が司令室へとやってくる。 「失礼します」 若々しく初々しい声と敬礼。 補充兵である兵達の年齢層は随分と若かった。その中に女性はいない。 司令室は化粧品と香水の臭いが充満していたが、十数名の補充兵と小隊長数名が集まり、一気に男の放つ独特の臭いに塗り替えられる。ロゼリアはその男臭さを嫌がることなく、むしろ好んで吸い込んだ。 形式的な紹介と挨拶が一通り済むと、ロゼリアは補充兵を品定めするように見回した。 「さぁて……、ひとまずカラーレッドへようこそ! 」 まるでミュージックプレイヤーのスイッチがいきなり入ったかのように、張りのある声が司令室に響き渡る。 ヴァリオスと話していたときとは比べ物にならいほど、腹から力強い声を出している。補充兵たちはその音量に動揺を覚え、中には小さく声をあげてしまった者もいた。 「このレッド隊に来たからにはあたしのやり方にしたがってもらう。いいね?」 「ハイッ!」 自分の言葉に全身全霊で応える兵たちをみて、ロゼリアは満足げな笑みを浮かべる。 「まず、知っておきな。 ……レッド隊はカラーの中でも戦死者が一番多い部隊。それがなぜかわかるかい?」 兵の一人をビシッと指差す。指されたのは、先ほど小さく声をあげてしまった者だ。 「ハ、ハイ! おそらく航空機という撃墜されることがそのまま死につながることが多い兵器を使用するからかと……」 若干声に震えはあったが、背筋を伸ばしハキハキと答える。 「……サンカクってところかね。理由のひとつではあるんだが、それは根本的なところじゃあない」 ロゼリアはその兵にゆっくりと顔を近づけ、サディスティックな笑みを浮かべる。 「いいかいおまえたち、よく覚えておきな。レッド隊の撃墜数の多さは伊達じゃない。それに比例して戦死者が増えるのは当然のこと。 レッド隊はね、命のやりとりを積極的に行う部隊なんだよ」 初めはゆっくりと穏やかに、それを徐々に早く力強い口調に変えていく。補充兵として来た兵たちは、ロゼリアの話に対して強い興味を持ち始めていた。 その姿。話の内容。さらにその声色。それらが強い引力を放っている。 「いいかい。タナトスとエロスが人間の最大の快楽と言われている。笑いも悲しみも、それに関わる方がより強い感情を呼び起こすだろう? ……戦争は始まっている。そして貴様らはこの部隊にいる。それが何を意味するかわかるかい? ……敵を殺すか、自分が殺されるかの場所にいるってことだよ」 感情のこもった言葉に身振り手振りが手伝って、兵たちの意識は完全にロゼリアにもっていかれてしまっていた。 「……楽しめ。 非人道的とか綺麗事を抜かすな? せっかく生と死の狭間で過ごすんだ。最期の瞬間かも知れないときに小難しいことを考えるな。 殺すことで悦に浸れ。命の危機に心躍らせろ。性行為にも勝る最高級の快楽を貪れ!」 ロゼリアの目の色は豹変し、兵たちは目を丸くしていた。着任早々、こんなことを言われるとは予想できなかったのだ。 帝国兵は言うまでも無く帝王を崇拝している。帝王のため、帝国のため。訓練時、戦闘前。すべての行動についてまわっていた言葉である。 しかし、ロゼリアはそれを一度も口にしていない。大義名分から外れた話をしている。にも関わらず。いや、だからこそ兵士たちの心の奥底に響く。 帝国軍のどの組織とも違う空気を皆が感じた。それ故の動揺が兵士達を支配する。 「それが撃墜数の多さに繋がる。当然戦死者の多さにも繋がるがね。……だけどねぇ」 一呼吸置いて兵士達を眺めるロゼリア。 兵士達は自分の予想通りの表情をしていた。 「それがこのレッド隊だ! ついてこれないなら別の部隊を志願するんだね!」 弾けるような一喝。 その音量は今までの音量を上回る力強いものだった。部屋の空気がビリビリと奮え、動揺の中にあった兵士達の意識はピタリと固まった。 その言葉は有無を言わさない説得力があり、そして揺るぎない自信が感じられた。 その後、呼吸の音が耳についてしまうほどの静寂に包まれる司令室。 「……さっきまでの威勢のいい返事はどうしたんだい?」 その沈黙は数秒もしないうちに破壊される。 呆然としていた意識。しかしその中には確かな答えがある。 「ハイッ!」 部隊長を務めるには人を惹きつける能力が必要不可欠と言える。ロゼリアにそれが充分備わっていることを、兵士達の声が証明していた。 ロゼリアは上機嫌であることを前面に押し出した笑顔を浮かべる。 「……明日からビシビシ働いてもらうよ? それじゃあ解散」 「ハイッ! 」 今度は返事は、一拍の遅れもなかった。 「おっと、そこの……ちょっと待ちな」 ロゼリアは司令室に出ようとする兵の一人を呼び止める。呼び止めたのは、先ほど指名した兵士だった。 「22時に私の部屋に来るように。いいね? 」 「……は?」 「返事はどうした? 」 「ハ、ハイッ! 」 その命令の意図がわからない兵士は、しどろもどろになりながら返事をする。ロゼリアはその兵士の動揺した姿にニヤリと笑ってから、司令室の自席に着いた。 「……明日、寝坊するなよ? 」 「は? 」 ロゼリアとの距離が充分に離れたのを確認してから、小隊長が兵士に声をかける。 「ロゼリア大佐は底なしだからな」 下品な笑みを浮かべてポンポンと肩を叩き、司令室を後にする小隊長。 「あ、あの、どういう意味でしょうか?」 それを追う兵士は、今回の補充兵の中で一番可愛らしい顔をしていた。 無駄なものを一切省いた無骨なデザインのSP。サガの主力機であるノウブルはそう表現できるものだった。 性能面だけにこだわったからこその兵器らしい外観。ロディはそれが気に入っていた。 「相変わらず手際がいいな」 自分用にあれこれとカスタマイズし、すっかり「愛機」となったノウブルを整備するシリアに声をかける。シリアはそれに答えず黙々と作業を続けた。 シリアはロディに依頼され、ノウブルのメンテナンスを行っている。 ここはサガ同盟大型空戦シップの、降下SP用格納庫。 ここは、陸戦部隊であるロディが海を渡ってアリムへ戻るために手配したシップ。NotFriendsが搭載されているオザワの大型シップよりも一回り小さいが、ケルベロスの主力艦である小型陸上シップ「トリラケス」を搭載できる大きさがある。 「……あの頃を思い出さないか? 」 ロディはシリアの姿を見ずにポツリとこぼす。 彼の言うあの頃とは、ネイとシリアが出会う前を指していた。 「NotFriends。チーム名を聴いたときはなんだそりゃと思ったもんだが。今ならなんとなくわかるな」 シリアはロディと共にいた。 今はNotFriendsと名の付いている陸戦シップで共に暮らしていた。 「……感謝してるわ」 シリアは作業の手を止めず、感謝の言葉を口にする。 目も合わせず、その声色に感情は無かったが、それがシリアの精一杯であることを知っているロディは何も言わなかった。 「ネイと一緒に送り出したのは、俺がおまえにしてやったことの中で、一番自信を持てることだな。別に恩を着せようってことじゃない。 ……その、なんだ。マシになったよな。だから、そう思える」 照れが含まれる表情と口調。 生粋の軍人であり、家族を持たないロディにとって、シリアに対して抱く感情は、自分でも制御しにくいものだった。 優しくしたい。幸せになって欲しい。 「おまえを拾ったとき……、こんな暗い影を背負ってる人間がいるのかと思った。それが子供だったから尚更驚いた」 自分のせいだと思った。 直接的な関係は無くとも、きっとロッシャル戦争によってこの少女はこうなったのだと。 でも、自分は親になろうとしたことなんてない。物心ついたときに親は死んでいて、親がどういうものかもわからない。だけど何かしてやりたかった。 だからシリアを自分のシップに乗せた。 かつてSPBのバトラーとして稼いでいたロディ。幸い、シリアはSPのメンテナンス要員としての能力を持っていたため、表向きの理由には困らなかった。 「……なのにまた戦争だ。世の中ってのは本当に世知辛いよなぁ」 ロディの苦笑。シリアはそれに対して何も返さない。 シリアもわからないのだ。 こういう優しさにどう応えるべきなのか。 ロディは親としてのあり方を知らない。シリアは子としてのあり方を知らない。そして、お互いがそんな相手のことを理解している。 そんな二人の奇妙な関係。微妙な距離感と、居心地の悪さがつきまとう。だが、少なくともロディの方はシリアに歩み寄ることをやめなかった。シリアはそれが鬱陶しく感じることはなかったが、ロディの気持ちに応えられない自分が申し訳なく思い、心苦しい。そして、そんな自分でも構わないのだというロディの気持ちは嬉しいと同時に痛かった。 今だって、さっきの司令室での自分の態度を心配して、この場を設けているのはわかっている。けれどもロディは決して、それについて訊こうとはしないだろう。彼はいつもそうだ。「相談できる状況」を作りだしてくれる。 その心遣いはさりげなく、そして嬉しいものであるのは間違いない。 けれど、言葉にする勇気は自分にはない。だから、ネイのようにすべてを察してくれでもしなければ、シリアの理解者にはなり得ないのだ。ロディのような、理解しようとしてくれる存在がいたとしても。 「終わったわ」 「ああ、ありがとう」 作業が終わり、儀礼的な言葉を交わして別れる二人。 シリアはロディが自分に何も言わないことに落胆していることに気が付いている。そして、ロディはシリアが自分に何も言えなかったことを、悪く思っていることに気が付いている。 しかし、シリアもロディも心の内など微塵も見せなかった。 |