王じゃないもんっ!
「第6話 音痴じゃないもんっ!」


−10−

「はぁ……」
 雲ひとつない清々しい朝だというのに、登校中ついた大きなためは息数知れず、足取りも頼りない。
 あの日から気分は落ち込みっぱなしだった。
「ほのかさま〜」
「どうしたんですか?」
 舞と秋乃が心配そうに声をかけても、「何でもありませんわ」と弱く笑うだけ。
 出門真央の音痴さは常人のそれを遥かの凌駕しており、普通より少しうまいレベルのほのかの方が、どう考えても勝っていると言えるのに。

 なんだか納得いかなった。

 出門真央は、成績優秀、運動神経抜群、その他もろもろなんでもこなせるスーパーマン。そんな存在が、自分の弱点を克服しようともせず、逃げることしかしていなかった。
 それによりほのかはある疑念を持つ。彼女は「才能」のみで生きているのかもしれない。
 そう考えることにより苛立ちはどんどんと増加していく。
 才能は能力を決める大きな要素だ。
 それは認める。そして自分は才能に恵まれなかった。それを努力で補おうと、必死で頑張ってきたのだ。
 しかし今回のことで、才能がすべてであるような気がしてきたのだ。
 出門真央が才能のみであんな人間になったのであれば、そう考えずにはいられない。
 そう考えると、自分は一生、父や姉のようにはなれない。

「小手岸さんっ!」

 そんなほのかの前に突如現れる影。

「で、出門さんっ!?」
 影の正体はほのかの悩みの種である出門真央その人だった。
「放課後、先生に歌の再テストを頼んであるの。
 小手岸さんも来てね!」
 真央はそれだけ言い残し、足早に教室へと向かう。
「……な、なんなんですの?」
 ほのかはそんな真央の後ろ姿を呆然と見守るしかなかった。

***

 授業はほとんど頭に入らなかった。
 この歌の再テストのことが気になって仕方がなかったからだ。
「出門……本当に大丈夫なんだろうなぁ?」
 博美が訝しげな表情で言うが、真央はなんの躊躇もなく「ハイッ!」と返事をした。
「小手岸、いいのか」
 今度は真央に聞こえないようほのかに声をかける。
「前回はまともに試験を受けられておりませんから、丁度いいですわ」
 ほのかにも躊躇いは無い。
 真央に満ち溢れるこの自信を目の当たりにして、引かずにはいられなかった。
 あれからたった数日しか経っていない。それなのにあのレベルの音痴を直したとでも言うのか。
 ほのかはお手並み拝見とばかりに真央の横顔を見つめた。
「じゃーいくよー」
 ピアノの伴奏が始まる。
 同じタイミングで息を吸う真央とほのか。

 !!!

 歌が始まるとともに、耳を疑ってしまう。
 自信たっぷりの表情の真央の口から響くその歌声。

(な、なんて下手クソ!!!!)

 博美が顔を引くつかせていることから、その評価が個人的なものでないことがわかる。
 ことごとく外れる音程。
 調子ハズレな声色。
 しかも裏返っちゃいけないタイミングでことごとく裏返る。
 しかし。しかしだ。

(前回のように気が遠くなったりはしませんわね)

 たしかに下手クソで、不快レベルであることは間違いない。だがそれだけだ。
 魔音が見事に抑えられていた。

 曲が終わる。

「どう? 先生? どう? 小手岸さん!?」
 それとともに目をキラキラと輝かせて真央が二人に感想を求める。
 その輝く瞳に言葉が詰まった。
「……ま、まぁ聴けないことはないですわね」
 なんとか絞り出したほのかの言葉は文字通りの意味だった。すなわち、気絶しないので聞けないこともない。
「まぁなんだ、出門。よく頑張った」
 おそらくそれは間違いない。それはほのかも認めるところだ。
 しかし試験とは公平な評価がされてしかるべき場所なのだ。
「評価はEマイナスだけどな」
「え!?」
 意外そうな真央の表情に、二人はため息をつかずにいられなかった。

 ***

 試験が終わり教室に戻る二人。
「ねぇ、小手岸さん」
 ランドセルを背負う途中でほのかに声をかける真央。
「ありがとう」
 そして笑顔でのお礼。
「な、なんですの?
 お礼を言われる覚えはありませんわ」
 予想外の言葉にほのかは頬を赤く染める。
「小手岸さんのおかげで諦めてた歌をもう一度歌おうって思えたんだよ。
 えへへ、まだまだ下手みたいだけどね」
「……出門さん」
 胸が苦しい。
 自分の言葉にそんな意味はなかったのに。
 出門真央は前向きに受け止め、努力に繋げた。
「……それでさ。
 また一緒に歌の試験受けてもらえるかな?
 まだ他の人に聞かせるのは恥ずかしくて」
 はにかむような笑顔で人の心を掴む。

(……なるほど、負けるわけですわ)

 客観的な数値ではなく、他者からの評価でもなく、自分自身の判定による敗北。それはほのかにとっては初めてかもしれない。
「そうですわね。
 あんな歌。他のクラスメイトには聞かせられませんから、クラス委員として仕方なく一緒に試験を受けますわ」
 憎まれ口を叩いてしまう自分も恥ずかしい。
「ありがとう。こて……っと、これから『ほのかちゃん』って呼んでもいいかな?
 小手岸って言いにくくて」
 ペロッと舌を出す真央。
「別に断る理由もありませんわ」
「じゃあ、これから私のことも『真央』でいいからねっ」
 気恥ずかしいが心地よい彼女との会話。
「……わ、私、外で舞さんと秋乃さんを待たせていますのっ! これで失礼しますわっ」
 出門真央の強さと、皆を惹きつける魅力の正体がわかった気がする。

 それは素直さだ。

「さようならっ! 真央さん」
 捨て台詞のようにしかそう言えない自分は真似できないものだったのだ。



 逃げるように校舎から出ると、いつものように待ってくれている二人。ほのかは自分に尽くしてくれていることに、いつも感謝している。
「ほのかさまぁ〜お疲れさまでしたぁ〜」
「お疲れ様でしたー」
 ふと疑問になる。
 なぜこの二人はいつも自分に尽くしてくれるのか。
 出門真央に比べれば、能力も魅力も欠ける自分。多分、いや、おそらく、小手岸の名前が無ければ二人はついてきてくれないだろう。
「ねぇ、あなたたち。
 どうして私についてくれますの?
 私は能力者でもなければ人格者でもありません。出門真央のような魅力もありませんわ」
 ふとした疑問が口に出る。
「小手岸の名前にそれほどの魅力があるのかしら……。
 私なんて、真央さんに勝るところなんて一つもありませんのに……」
 その疑問はやがて弱音にとって変わる。
 普段ならこんなことは口にしないほのかだったが、敗北を知り、真央との力の差を認識したことにより不安定になっているのだろう。
 秋乃と舞も見慣れないほのかの様子に目を白黒させている。
「そんなことないですっ!」
 しかしすぐに舞が大声で否定する。
「ほのか様は私がいじめられてたときに、凜とした態度でクラスのみんなを注意してくれましたっ!
 それがすっごくすっごくかっこよくて!
 それにほのか様が毎日毎日遅くまで勉強してることも、スポーツジムに通ってることも知ってます!」
「そうですよぉ。
 小手岸の名前に甘えることなく、自分を高めようとする姿。とっても素敵ですぅ〜」
 それに追従する秋乃。
 二人の言葉に今度はほのかが目を白黒させた。
 小手岸の名前の威光で付き添っていてくれているのだと思っていた。
 それなのに。
「出門さんなんかよりもぜんっぜん魅力的です! 私の一番はほのか様ですっ!」
「わたしもぉ〜」

 ああ、どこまで自分はまわりが見えていなかったのだろう。
 出門真央にばかり気をとられて、近くにいてくれる人の気持ちに気付きもしなかった。自分がどれだけ好かれていて、自分がどれだけ認められているのか考えもしなかった。
 小手岸の名前にとらわれていたのは自分自身だけなのかもしれない。
「ありがとう。
 私、真央さんなんかに負けませんわっ!」
 そう言って笑うほのかの表情は、背伸びして大人びたものではなく、年相応の屈託のない笑顔だった。


 *****



 翌日の体育の授業。

「おーい、出門、小手岸。ちょっとこーい」
 整列の際に名前を呼ばれる二人。

 一方はほのかな期待。
 一方は絶望に近い不安。

「うん。小手岸の方が背が高いな」

 その日から、真央は再び前ならえで腰に手を当てる不名誉を背負うこととなった。



第6話 音痴じゃないもんっ! 完



次回予告



 今回も次回予告をつとめさせていただきますっ、出門家次女、真央でございます。

 次回は私の姉、出門家長女の色香姉さんのお話。
 その美貌は世の男性すべてを虜にし、その美しさと比例しない幼い言動は、いわゆる「ぎゃっぷもえ」。それがさらに姉さんワールドに強く惹きこむ要素になるのですっ。

 次回、魔王じゃないもんっ!第7話「姐御じゃないもんっ!」

 姉さん出番ですぜっ!


面白いと感じたら押していただきたく……。


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