DD
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俺は走っていた。どのくらい速く走っていたかなんてのはわからない。とにかく速くだ。 丸く見える街灯の光が、太い線に見えるほどの速さ。およそ普通の人間が出せるスピードではない。 深夜2時。休日の前ではない今日この時間、起きているヤツは少ない。しかし俺は走っている。スーツ姿のままでヤツを追いかけている。 ヤツが体をよじらせ狭い路地に入った。街灯の無い道ならば逃げ切れるとでも思っているのだろうか? 確かに暗く狭い路地は苦手だ。目が慣れるのに多少の時間を要するし、自分自身制御しきれていない運動能力は、狭い場所では使いづらい。 だが無駄なあがきだ。基本能力が違う。狩る者と狩られる者の立場ははっきりしているのだ。 ほうら……もう追いつく。 ヒュオッ……ガシィッ! 風を切る音とともに伸ばされた右手は、ヤツの右肩をガッチリと掴んだ。ヤツはそれによって派手にバランスを崩したが、必死で体勢を整え、俺の右手から逃れようと暴れる。 ……健気だな。 掴む右手に力を込めると、自分の口の端がゆっくりとあがっていくのがわかる。これから先のことを想像するだけで笑いがこみ上げて来るのだ。 力を徐々に入れていくとともにミチミチと何かが軋む音が手に伝わってくる。ヤツの体が、食い込もうとしている俺の指を必死に拒んでいるのだろう。まぁそんなものはDの力の前では無力だ。 ビチィッ! 湿っぽい破裂音が静かに響く。それとともに肩と呼ばれていたものが様々な物体に変化した。 それは砕かれた骨であったり、引き裂かれた血管からほとばしる血液であったり、圧迫に耐えきれず千切れた筋肉であったり。 それらが俺の体に容赦なく降り注ぐがよける必要はない。むしろ壊れたばかりのまだ暖かいそれらを肌で感じるのは、言いようのない高揚感に繋がる。 右肩を失ったヤツはのたうち回るようにしながら前方に転がる。コイツらは悲鳴をあげない。声帯が無いらしい。だがそんなものは必要ない。痙攣しながらのたうち回る様は、激痛を感じている以外考えられないからだ。いや、むしろ悲鳴なんぞあげられようものなら仕事がしにくくなる。 俺は地を蹴り、跳んだ。それはどんな獣よりも力強く素早かったに違いない。あっという間に、転がりながらも俺から逃れようとするヤツを先回りしてしまう。まったく、とんでもない瞬発力だ。 追っていた敵が前に現れた気配を感じたヤツが、俺を見上げる。その顔は目も鼻も口も耳も髪さえ無い真っさらな顔。呼吸は髭剃り跡のような、アゴにあるたくさんの穴からしているようだ。 いつ見ても気色の悪い……。 ガゴッ。 胸くその悪さに任せ、ヤツの首筋に蹴りを一発。ベキャリと言ういい音がして首があり得ない方向に曲がる。 人間であればあの世行きだろうが、コイツらは人間じゃない。顔と生殖器のない人型の生物。俺たちの「Target」。頭文字をとって「T」と呼ばれている。 Tはひん曲げられた首を力任せに修正し始める。……このバケモンが! ドグッ! 今度は鳩尾にえぐりこむように蹴りを放つ。するとプルプルと震えながら地面に崩れ落ちるように倒れこんだ。 修正しきれていなかったのか、倒れこんだ拍子に首が変な方向にぐにゃりと曲がる。 「へっ……」 ドスッドスッドスッ……。 倒れこんだTを思い切り何度も踏みつけた。Tは異常に回復能力が高い。ダメージは与えすぎだということはないのだ。 踏みつける度に手応えが変わっていく。最初は弾力があるのだが、だんだんぐずぐずと柔らかくなっていく。身体に張りを与えていた筋肉が壊れ、肉体を支えていた骨が砕け、臓物がグズグズになる。最後の方はもう水風船のような感触に変わってくるのだ。 「そらっ!」 足に伝わる感触が水風船のそれに変わったとき、俺は今までとは比べ物にならないくらい力強くTを踏みつけた。 ブシャッァア! 破裂音。そして派手に散らばるTの内容物。音自体は大したものじゃない。一応そこらへんは考慮している。 ふふふ。そろそろフィニッシュだな。 胸から下が筆舌に尽くしがたい無残な姿になったTの頭を、右手で掴み持ち上げる。 その手を両腕で引き剥がそうとするT。身体の半分がなくなってるってのに……元気だねぇ。でも……それがいい。ぐったりしていたんじゃつまらない。 さぁ……ゆっくり……ゆっくり。 徐々に右手に力を込める。ミキミキという音が、それがある程度の硬度をもったものだということを証明する。 この固さがいい。 メギッギギギギ……。 Tもこの時ばかりは悲鳴を上げる。……といっても頭蓋骨の軋む音なんだけどな。だけど、悲鳴みたいに聞こえるだろ? 俺はこの瞬間が大好きだ。 そして…… バキャ……。 そう……この音だ。硬い頭蓋骨が砕ける小気味良い音。そして、硬い頭蓋骨に守られていた脳の感触。頭蓋骨とは違う柔らかい感触。生物の中枢と言えるその部分はこんなにも柔らかい。 命を、思考を、この手で握りつぶす瞬間。 プシュアアアアァアアア……。 俺がTの頭を握りつぶした感触の余韻に浸っていると、Tの体を構成していたものが煙をあげる。 Tの脳の中にはコアと呼ばれる部分があり、それは酸素に触れることで死滅する。コアを失ったTの体は、個体を保ちきれずに気化するのだ。 アスファルトに散らばった肉、血、臓物があっという間に白い煙になる。俺の体に降り注いだ血肉も同様だ。スーツに染みこんでしまっているものも煙になる。汚れきっていた俺のスーツは、まるでTを始末する前のようにキレイになった。 残ったのは、黒くくすんだ直径二センチ程度の球体。コレがコアだ。俺はコアを拾い上げ、スーツのポケットにしまい込んだ。 まったく……便利なバケモンだな。 どんなに無惨に殺したとしても、その痕跡は残らない。 ふふふ……。これだからDはやめられない。 俺は「Disposer」、通称Dの力を持っている。Disposerはゴミ処理器とかそういう意味を持っているらしいが……的確だと思わないか?Tをゴミのように処理する者たち。 Tがどういう生物かは解らない。それどころかDがどういう存在かもよくわかっていない。 1ヶ月前、Tを処理するDの姿をたまたま見てしまい、そのDに「今の記憶を消す」か「Dになるか」の選択を迫られた。何でもそうするのがDのしきたりらしい。 前者を選んだ場合、特殊な音波を当てられ、前後数時間の記憶を消される。TとDの存在は世間に知られてはまずいからだそうだ。 俺はその時Dになることを選んだ。前者の選択では何も変わらない。TとDのことを記憶から消し去られ、日常に戻る。 俺はそれがもの凄くもったいないようなことに感じた。この機会を逃さずして今の日常を脱することは難しい。日常に退屈さを感じていた自分はそう思った。 そして俺は……一本の注射を打たれ、Dになったのだった。 Dになると通常の人間の十倍、いやそれ以上の筋力と回復力を得られる。車よりも速く走れるし、トラックを片手で持ち上げることもできる。しかも脳をやられない限りは死ぬことはないそうだ。 注射一本でここまでの能力を得ることが出来る。すごい話だよ、まったく。 しかしDには色々と行動に制約がついている。基本的にTを始末する以外でこの力を使ってはいけない。そして自分がDであることを知られた場合は、その人間の記憶を消すかその人間をDにすることを義務づけられている。かく言う俺も注射器と音波発生器はいつも携帯している。 この規約を破った場合、DD(DisposerDisposer)というDの処理人に殺されるそうだ。 ちなみにDは、Dになるときに教わる「有事の際の緊急連絡先」に電話し、志願すればいつでもDDになることができるそうだ。しかし、俺はそれになる気はない。いくらDが強いと言っても人間だ。人間を殺すのは抵抗を感じる。 それにDDになるとTの処理の任からは外されてしまうのだ。Tの処理はこれ以上の無い快楽を与えてくれる、それができなくなるなんてまっぴらだ。 DとTについて、俺が知っているのはこの程度。しかし、それだけ知れば充分だ。Tの正体はなんなのか、Dの能力はどうやって引き出されるのか。そんなものには興味がない。 ただTがいて、俺はそいつを処理する。そしてその行為はこの上なく楽しい。 それだけでいい。それだけで俺は満足だ。 |
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