「カムバックだ」

「えっ?」

始めはお兄ちゃんの言葉の意味が理解できず、呆然としていました。
でも、ゆっくんとお兄ちゃんはそんな私に気付かずに話を進めていきます。

「・・・一ヶ月だ。
一ヶ月でその鈍った身体(からだ)を鍛えなおせ」

「一ヶ月か。
少し厳しい気もするが妥当だな」

ゆっくん、お兄ちゃん、何を言ってるの?
ねえ、一ヵ月後って・・・

「詳しい事はおって連絡する。
今はお互い鍛える事に集中しよう」

「ああ!
この一ヶ月でオマエの一年を超えてやるぜ!!」

「楽しみにしている。
・・・よし、全員帰宅の準備をしろ!!」

「「「「「は、はいっ!!」」」」」

ゆっくんが片付けし始めたので慌てて声を掛けます。

「ゆっくん!」

「・・・・・・」

でも、振り向いてくれなくて背中越しに話し掛け・・・叫びます。

「どういう事なの!?
まさか・・・」

ゆっくんとお兄ちゃんがボクシングを・・・

「晶子・・・
この一ヵ月の間、連絡も入れないし家にも行かない。
オマエも俺のところに来るな」

「そ、そんな・・・!」

「・・・すまない。
君を悲しませないと約束をしたのに不安にさせてしまって。
しかし、コレは俺と久保には絶対必要なんだ。
俺達を前へ進ませてくれ」

「・・・・・・」

ゆっくん・・・
夏の時に言っていた悩み事ってコレだったんだね。
やっぱり、立ち直れなかったの?
お兄ちゃんが悩んでいる事は薄々気付いていたけど、ゆっくんまでなんて。

私は怒りを感じています。
ゆっくんやましてお兄ちゃんにではありません。
自分自身に対してです。
この一年の間、ゆっくんが苦しんでいたのに私はただ楽しかった記憶しかありません。
海岸の時だって『ゆっくんを信じる』と言っておきながら何も出来なかった・・・ううん、しなかった。
それどころか、その事ですら詩織先生に言われるまで気付きませんでした。

「それじゃあ、一ヵ月後にな」

「あっ・・・」

こんなにも苦しいのに、悲しいのに・・・
それでも今の私には止める事は出来ず、手を中途半端に上げることしか出来ません。

「心配するな、晶子。
一ヵ月後に、またオレ達3人笑い合っているさ」

お兄ちゃんが私の肩の上に手を当てて励ましてくれるけど、
私はただゆっくんが去っていったドアを見続けていました・・・

 

 


2002 elf 『あしたの雪之丞&勝 あしたの雪之丞2』

「幸せなる日々」
 (第15話・それぞれの不安と決意)


 

ー勝サイドー

「ジジイ!
一ヶ月で俺を現役に戻してくれ!!」

「な、何じゃい?
急に押しかけてきてそのセリフは?
それにオマエの頭は・・・」

雪之丞と別れた後、俺はお袋に事情を話して許しをもらい、
以前世話になっていたジムに押しかけた。

「今は月謝は少し足らないが出世払いでいいだろ!?」

「だからワケを話さんかい、ワケを!」

「それは・・・」

ジジイ・・・このジムの会長に全てを話した。
一年前からの事・俺と雪之丞の事、そして今一度だけボクシングで決着を付けると・・・

「そういう事か・・・
アヤツがボクシングに復帰したと噂では聞いていたが・・・
雪之丞のとってはオマエとの試合以来止まったままじゃったか。
そしてそのオマエも・・・」

「ああ」

「それについさっき鹿島でジムを開いているワシの友人から連絡があったわい。
雪之丞が入門したと」

「そうか!」

今から考えると俺は雪之丞に辛いことを強いて来たと思う。
俺達、兄妹が戻る事を望んでおきながらヤツ自身の決着は付いていなかったのに押し付けて・・・
それを気付かずに俺は自分の事で悩み続けていた。

「頼む!
このままじゃ俺は腐ったままになっちまうし、雪之丞も前に進めねぇ!!
この一ヶ月で全盛期に・・・いや、それ以上に鍛え直してくれ!!」

「ワシはオマエ達にボクシングを教えた事を後悔しておる。
さらにワシに後悔しろと言うのか?」

「その後悔を消す為だ!!」

もし、断れれば自力でトレーニングをして試合に臨む覚悟はある。
しかし、それでは絶対雪之丞に勝てない!
ジジイの協力が必要なんだ!!

「・・・親御さんの許可はとってあるんじゃろうな」

「当然!」

「厳しいトレーニングになるぞ」

「覚悟の上だ!!」

正確には晶子からのお許しは出ていないがな。
しかし、俺達を止める事は出来ないと判っているはずだ。
アイツはアイツで戦っているだろう。

「・・・着替えて来い」

「は?」

「着替えて来いと言ったんじゃ!
一分一秒も惜しいんじゃ!!
それにオマエの事だから用意はしてきているんじゃろ?
今から始めるぞ!!」

「ジジイ!!」

「ジジイじゃない!
会長じゃ!!」

「会長!!」

よっしゃ!!
後は、突っ走るだけだ!!

「まずは準備運動の後にジョギングで失った体力を取り戻すぞ!!」

「おう!!」

雪之丞、一ヵ月後を楽しみしていろよ!!

 

 

「な、何!?
雪之丞とボクシングの試合をするだと!?」

「ああ」

「だ、大丈夫なんですか、勝さん?」

「・・・・・・」

登校して水島達に試合のことを話すと、案の定驚かれた。

「そうだ、勝。
オメエの頭は・・・」

「大丈夫だ。
人より少し弱いだけで、目も見えるし身体も満足に動く」

「そ、そんな大雑把な・・・」

確かにそうかも知れないが、気にしていたら何もできない。

「まあ、由美子も権兵衛も落ち着きなさいよ。
久保勝がここまで本気になってるんだから何を言っても無駄よ」

「水島・・・」

「あきら・・・」

そういえば、水島には悩んでいる事を一度話したな。

「そ、それじゃあ、晶子さんはどう言ってんだ?」

「・・・晶子はあれ以来、登校こそしているが帰ってきたら部屋に閉じこもっている」

「そんな!」

「いいんですか、勝さん?」

「良くはないがオレはどうこうする事は出来ない。
出来るのは晶子自身だろうな」

今頃も帰って、部屋に閉じこもっているだろうな。

「なら、雪之丞を呼んでくるだ!!」

「よせ、権造!
アイツはアイツで戦っているんだ!
その気持ちは判るだろ!?」

「・・・・・・」

判ってくれたのか、権造の足が止まる。
ただし、悔しそうな顔をしているが・・・

「さて、オレもジムに行かなくちゃいけないからな。
先に帰るぜ」

「・・・久保勝」

「何だ?」

ドアに手を掛けた所で水島に声を掛けられた。

「・・・しっかりね」

「・・・ああ」

ただそれだけの言葉だったが、やけに響いた。

「じゃあな」

今度こそ教室を出てジムまで走っていく。

 

 

バスッバスッバスッ!!

 

「何じゃい、そのパンチは!!
現役の半分も出ておらんじゃないか!!」

「くっ!」

「そんな鈍い動きでは雪之丞の餌食じゃぞ!!
負けにいくつもりか!?」

「うおおおおお!!」

 

ズドン!!

 

「そうじゃ!
その調子じゃ!!」

 

 

ダッダッダッダッ・・・

 

「ここでジャブじゃ!
それ、ワン・ツー 」

「ハア、ハア、ハア、ハア!」

 

ビュビュ!!

 

「ワン・ツー・ボディ!!」

「くっ!!」

 

ビュビュビュ!!

 

「いいか!
一瞬でも止まったら終わりじゃ!!
雪之丞がそんな隙を見逃すはずがないじゃろ!
動け!
ひたすら動いて決して止まるな!!」

「おう!!」

「それ、ダッシュ!!」

「うおおおお!!」

 

 

それからついに1ヵ月が経った・・・

 

「とうとう明日じゃな」

「ああ」

この1ヵ月、ジジイの特訓の成果はあった。
現役以上だと自分でも思うほどだ。

「アヤツからも連絡があったわい。
雪之丞は完璧に仕上がったそうじゃ」

「そうか」

しかし、これで雪之丞の一年を超えたかどうかわからない。
普通に考えれば、お互いに一ヶ月があるんだから追いつけないと考えるだろう。
でもオレはそんな事は気にしない。
全力にぶつかるだけだ!

「・・・場所はどこじゃ?
ココを貸してやってもよいが」

「場所は決まっている。
丁度試験前で誰もいないからな」

「・・・そうか」

始まりの場所は決まっている。
雪之丞にとって再スタートの場所であり、オレの新たな始まりの場所。

「明日は見に行かんぞ」

「ジジイ、世話になったな」

「バカもん、何を言っているんじゃ。
明日からも来るんじゃろ?」

「・・・そうだったな」

オレの進む道は決まった。
後は踏み出すだけだ。

「それじゃ、軽く走って帰るぜ」

「無茶はするなよ」

「当然!」

 

 

タッタッタッタッタッタッタッ・・・

 

「ハア、ハア、ハア、ハア、ハア、ハア・・・」

土手まで走って、手を膝に置いて少し休憩する。
始めた当初はもっと息切れしていたはずだが、さすがジジイと言った所だな。

「ハアー」

息切れが収まるとそのまま倒れこむ。

「・・・・・・」

オレは今、『ある感情』に振り回されている。
そう、初めて感じるボクシングに対する恐怖だ。

「くっ・・・」

手が震えている。
どうして今になって・・・
大丈夫だ、ただのスパーリングだ。
それでも、震えが止まらなくて蹲ってしまう。
すると・・・

 

「大丈夫?」

 

知っている声が聞こえ、肩に温もりを感じる。
振り向くとそこには・・・

「こんばんわ」

水島が立っていた・・・

 

「なぜこんな所へ?」

「どうしてだろ?
強いて言えば勝手に足がココに向いたのね」

「そっか・・・」

「不思議ね」

「ああ、不思議だ」

立っているのも疲れるから土手の草むらに座り込む。

「「・・・・・・」」

そのまましばらく黙っているが、嫌な雰囲気はない。
しかし、その沈黙を破ったのは水島だった。

「いよいよ明日ね」

「ああ。
そう言えば学園でこの事を話した時、オマエだけは反対しなかったな」

「だって、アンタも熱血バカだから何を言っても無駄だと思ったから」

「ヒドッ!」

そこまで言うか、水島・・・

「それより、やっぱり怖いの?」

「・・・・・・」

俺が酔った時のあの夜と同じ心配げな表情に変わる。

「あの時だって、全て話してくれたんだしココで話してくれてもいいじゃない?
少なくて自分の中で溜め込むよりわね」

「・・・そうか?」

「私はそう思うわ。
人の事は言えないけどね」

何故かこういう水島の優しさが拒絶出来ない事を不思議に思いながら全てを話す。

「・・・怖いんだよ。
ボクシングが・・・
もし、もう一度意識不明になってしまったら、雪之丞にまた背負わなくていい罪を背負わせてしまう。
晶子や・・・家族にまた迷惑を掛けてしまう」

「・・・それだけ?
アンタの本心はそれだけじゃないでしょ?」

「何故そう思う?」

内心、当たっている事に驚きながら返すが答えはあっさりしたものだった。

「だって、自分の事が抜けているでしょ?
人間大小関係無しに自分のことを考えているし、今のアンタはとても弱くなっているからね」

「・・・・・・」

はっきり言ってくれるな。
ココで格好付けても何もない。

「もし、逆に雪之丞が意識不明になったら・・・
最悪の事態になったらオレはその罪を背負いきれるのか。
ヤツを失った晶子を支える事が出来るか。
自信がないんだよ」

今ようやく雪之丞と晶子が乗り越えてきた試練の過酷さがよくわかる。
雪之丞はその試練を乗り越え、再びボクシングを始めた。
とても恐怖しただろうな・・・
ここまで来るのに。
晶子は乗り越えたが、その分雪之丞を失う事に恐怖している。
晶子がオレと雪之丞のどちらを選ぶと言われたら、おそらく雪之丞を選ぶだろう。
それに関しては当然と思う。
だが、もし雪之丞がオレのようになってしまったら心が壊れてしまうだろう。

「それが久保勝の弱さね・・・
雪村くんと晶子ちゃんのラブラブぶりを見たらそう考えちゃうわね。
なら、 一つ一つ不安を消してあげる」

「何?」

その言葉に思わず水島の方を見る。

「そんな睨むように見ないでよ。
まず1つ、アンタが意識不明になったらという事ね。
確か、元は自転車事故で頭を打った時に血瘍が破裂してしまったのよね?」

「あ、ああ。
そうだが・・・」

何故そこまで知っているかと思いもするが、
今は大人しく話を聞く。

「なら、雪村くんはアンタを助けてくれたと思えない?」

「ど、どういう事だ!?」

意味がわからず問い詰めてしまう。

「だって、アンタの事だから自転車事故ぐらいで病院になんて行かないでしょ?」

「ま、まあな」

確かに・・・

「もし、そのまま放ったままにしてたらもっと深刻な事態になっていたんじゃない?
血瘍が広がって、最悪・・・」

「あっ・・・」

そう考えると納得できる。
最悪、死んでいたかもしれないことだから。

「まあ、意識不明も結構大変だったけど、
大きな目で見れば雪村くんはアンタを救ってくれたのよ」

「雪之丞がオレを救ってくれた・・・」

「そう」

ストンと重かった気が落ちて消えていく。
しかし、それでも半分くらいでまだ完全に晴れたわけじゃない。

「さて、もう1つの問題。
雪村くんがアンタと同じようになって晶子ちゃんを支えきれるか、罪を背負いきれるかね」

「・・・・・・」

「まず聞くけど、雪村くんはどこも悪くないのね?」

「ああ。
一応、オレという前例があるからな。
ヤツはチェックしてもらった」

でもオレは出来なかったがな。
『ボクシングをするから健康診断をしてくれ』なんて主治医に言えるわけがない。

「それなら大丈夫だと思うけど、それでも不安なのね」

ボクシングは何が起こるかわからないからな。
どうしてもその考えが頭から消えない。

「でもね、久保勝。
アンタも結構悩んでいるけどね。
色々な悩みをもっているのはアンタだけじゃないのよ」

「・・・雪之丞や晶子の事か?」

「そうよ。
彼らだって同じ悩みに苦しんでいるはずよ。
しっかりしなさいよ、『お兄さん』」

「茶化すな」

「ゴメン。
でも、そうでしょ?」

「・・・まあな」

小さい頃からオレは雪之丞の兄貴分だったしな。

「お兄さんがそんな不安でどうするの?
晶子ちゃんの事は雪村くんが何とかしてくれるわよ」

「ん?
言ってなかったか?
晶子は部屋に閉じこもってるし、雪之丞から来るなと言われているんだぞ」

「はあ・・・
アンタも鈍感ね。
それでも晶子ちゃんは雪村くんの所へ行くわよ」

「そ、そんなものか?」

よくわからないが雪之丞ほど鈍感ではないと思うが・・・

「いい加減、前に進みなさいよ。
もう進む道もやりたい事も見つかったんでしょ?
ウジウジ悩んでないでアンタらしく突っ走りなさい」

「オレらしくか・・・」

そうだな!
結局、俺達にはこの試合が絶対に必要だ。
今更後に引くわけにはいかない!

「・・・悪いな、水島。
前にも悩みを聞いてもらったのに」

「いいわよ、別に。
その分、何か奢ってもらうから」

「・・・それが目当てか?」

この辺りが水島らしいと言えばらしいが納得が出来ん。
それにしても・・・

「それにしてもオマエって案外悩み事を聞く事が上手いな?」

意外ばかりだと言う気もするが普段の水島を知っていると、
そう思ってしまう。

「まあね。
これでもアンタとは違う悩み事があったからね」

「なら、今度はオレが解決してやるぜ!」

このまま借りばかりと言うのも気に食わないからな。
ココで借りの1つを返せば、奢らされる確率も減るだろう。

「お断りするわ」

「グハッ!
な、何でだよ!?」

速攻で断られたらさすがにショックを受けるぞ!

「だって、本当の意味でわたしはアンタの苦しみはわからない。
それと同じでアンタもわたしの苦しみはわからないでしょ?」

「だ、だが、オレの時みたいに・・・」

「無理よ。
僻(ひが)むわけじゃないけど、家庭内事情でちょっとね。
幸せな家庭のアンタには判らないと思うわ」

「・・・・・・」

しかし、それならなおさら少しでも・・・

「・・・優しいのね、久保勝」

「な、何だよ、突然?」

水島の微笑みと言葉に不覚にも頬が赤くなってしまう。

「悩み事は良かったのか悪かったのか判らないけど、
半分以上は解決しているから心配しないで」

「・・・わかった。
だが、その内話せよ?」

「ああー、気が向いたらね」

 

「結構時間が経ったな、送ろうか?」

思っていたより話し込んでいたみたいで、
女が1人で歩くにはと考える時間になっていた。

「ココからなら近いし大丈夫よ。
それより今は自分のことを考えなさい」

「へいへい。
じゃあな」

手を上げて帰ろうとすると、再度水島に声を掛けられた。
それも、トンデモナイ内容で・・・

「ねえ、久保勝。
明日からアンタの事、『勝ちん』って呼んでいい?」

 

ドスッ!

 

「〜っ!!」

「うわ、痛そう」

走り出そうとするタイミングで力が抜けてしまい、コケてしまった。

「な、何だ!?
その変なアダ名は!?」

「変かしら?」

「変だ!!」

ネーミングセンスないな、オマエ(汗

「いいじゃない、別に。
晶子ちゃんだって『ゆっくん』って呼んでいるんだし」

「あれは小さい頃から続いているから、まだいいんだよ!!
この歳になってそんな恥ずかしい呼び名があるか!!」

「えー、可愛いのに」

「何処だが!?」

イカン・・・
コイツはネーミング云々の前に、ちょっとズレてるぞ。

「とりあえず、アンタは『勝ちん』に決定」

「こら、勝手に決めるな!!」

「だから、明日からそう呼ばれたら返事しなさいよ」

「・・・・・・」

「いいわね、約束よ?」

「・・・わかった」

その言葉の意味が『明日、明後日とちゃんと無事でいなさいよ』と気付き、
この場は約束する(アダ名は変えさせようと心に誓うが)

「ありがと。
ほら、早く帰りなさい」

「言われなくても帰るぜ!」

今度こそ走って、我が家を目指す。
アリガトよ、水島。
迷いは吹っ切れたぜ。
また、明後日にな・・・

 

 

「帰ったぞー」

「おかえり、勝」

やっと我が家に着いて、流した分の水分を補給する。

「お袋、晶子はまだ部屋に閉じこもっているのか?」

「いいえ。
ついさっき、雪之丞くんの所へ行ったわ」

「そうか・・・」

水島の言っていた通りだな。
さすが同じ女と言った所か。

「寂しい、『お兄ちゃん』?」

「バカ言えよ。
晶子の事は雪之丞に任せたんだ。
いまさら、オレがどうこう言うつもりはねえよ」

「そう・・・
アンタも大人になったね」

コップを置いて、汗を流してこようかと思い風呂場に向おうとすると、
後ろからお袋の言葉で動きを止めた。

「いい、勝?
私やあの人はいつかこうなる日がくる事は判っていたわ。
その時はアンタの好きにさせてやろうと考えていた。
明日、何が起こっても事実を受け止める覚悟が出来ているわ。
だから悔いがないように頑張っておいで」

オレの知らない内にお袋達はそこまで判っていたのか・・・

「・・・お袋」

「ほら、早くシャワーを浴びてきなさい」

「・・・すまねぇ」

ただそれだけ返して、風呂場に向う。

 

雪之丞・・・
もうオレは迷いもないし、後戻りもしない。
明日、楽しみにしているぜ!!
そして前に進もうぜ!!

それと、晶子のことを頼む。
もうアイツにはオマエしかいないんだからな。

 

 

ー雪之丞サイドー

「何考えているのよ、アンタは!?
あのバカ男と試合するなんて!!
ボクシングが出来ない事はアンタが良くわかっているじゃない!!?」

涼月学園の帰りしな、予想通り春日から猛攻撃を受けている。

「春日、これはオレと久保の問題だ」

「バカ!
晶子ちゃんはどうするの!?
見た!?
別れる前の泣きそうな顔を!!
もう、晶子ちゃんを悲しませない・離れないって約束したんでしょ!?
それはウソだったの!?」

「せ、せりなちゃん、言いすぎよ」

「言い過ぎなもんですか!!
実際、晶子ちゃんは・・・!!」

「雪村くん、僕も正直理解できない。
好きな娘を泣かしてまでやる事なんて・・・」

「達也さんまで・・・」

春日の言う通り、晶子にそう約束した。
俺の態度を見ればそう思われても仕方がない。

「何か言いなさいよ、雪之丞!!」

「よせ、せりな!!」

「・・・合田」

春日を止めたのは意外と合田だった。

「せりな。
オレは雪之丞の気持ちが少しだがわかる。
だから好きにさせてやってくれないか?」

「ちょっ、鉄平、何を言ってるのよ!!」

「雪之丞、オレはオマエを応援するぜ!
ココはオレに任せて先に行け!
学校じゃ、本格的なトレーニングが出来ないから何処かのジムに行くつもりなんだろ?
部の事も何とかするからさっさと行け!!」

「すまん、合田」

合田に言われた通り、歩くスピードを上げて春日達から離れていく。
後ろから春日の罵倒が聞きながら・・・

 

 

それから3日が経ち、以前世話になっていたジムの会長の知り合いで、
鹿島にあるジムに通っている。

「雪之丞・・・」

放課後になり、ジムに向おうとすると春日に止められた。

「何だ?」

「・・・ちょっと、時間ある?」

時間か・・・
考えれば少しでも惜しいが、今は春日の問題を解決する方が先だな。

「・・・構わないが」

「じゃあ、少し寒いけど屋上に行きましょう」

「ああ」

春日の後を追うように屋上に向う。
さて、どう話すか・・・

 

「春日だけか?
オレはてっきり間部や須崎がいると思ったが・・・」

「2人は来ないよ。
わたしに任せるって」

「そうか・・・」

屋上について春日だけと思い、聞くがどうやらその様だ。
あの2人は春日が納得すれば認めると言う事だろう。

「さて・・・
春日の言いたい事はわかっているが、決意は変わらないぞ」

春日が話す前に先に釘をさしておく。

「うん。
それもわかってる。
一年前もアンタはわたしが止めても聞いてくれなかった前例があるし・・・」

一年前か・・・
明男との試合の事か・・・
懐かしいな。

「だから、3日前みたいに怒鳴り散らすのはやめたわ。
ただ、アンタが何を考えているのか、どんな決意があるのか教えてほしいの」

「合田に聞かなかったのか?」

アイツならある程度は判っているはずだが。

「あの時に鉄平に問いただしたけど教えてくれなかった。
それにどっちみちアンタに聞き出しているわよ」

「そうか・・・」

確かにこれは本人が話さないと春日も納得できないか。

「話して」

「わかった・・・」

溜息を1つこぼして、春日にワケを話す。

 

「オレは一年前の明男との試合以来、本気になる事が出来なかった。
それは、自分の中の時間が久保との試合以来止まったままだったからだ」

「時間が止まったまま・・・」

「ああ。
オレ自身、ボクシングに復帰した頃は気付かなかったがな。
しばらくすると痛感したよ」

今思えば、この一年は辛かった。
本気になれないボクシングをし続けいくと言う事は。

「そして、久保もオレと同じ苦しみと悩みを抱えてる事に気が付いたよ。
だから、オレは久保に試合を見せてやる気を起こさせた。
オレ達にはこの一戦がどうしても必要なんだ。
お互いに前に進む為に・・・」

今頃、久保は世話になっていたジムでトレーニングをしているだろう。
全てを吹っ切る為に。

「・・・晶子ちゃんはどうするの?」

「・・・晶子には悪いと思う。
久保を含め、今だに一歩も進めないバカな男達の為に悲しませているんだから」

あの誓いが嘘だと言うつもりはない。
しかし・・・

「晶子ちゃんにとって、もうアンタしかいないと判っているんでしょ?
お兄さんじゃない、雪村雪之丞しか・・・」

確かに、晶子は久保の前例があるからオレを失う事に恐怖している。

「だが、今のままではいつか前回と同じ事になって・・・傷付け合って別れてしまうだろう。
オレはそんなのご免だ。
自分に嘘を付きながら、好きな女の側にこれ以上いたくない。
だから前に進みたい。
これが本心だ」

それに久保も腐ったままの自分にこれ以上耐える事が出来ないはずだ。
この一戦には様々な思いがある。
止めるわけには行かない!

「・・・詩織先生に話したの?」

「・・・一応な」

「何て言っていたの?」

「『自分の思う通りにしなさい。
ただ、後悔はしないようにね』
と言っていた」

「そう・・・」

詩織先生にも世話になったが、
まさか同じような言葉でそれだけが返ってくるとは思わなかった。

「本当、詩織先生には敵わないな」

「何か言ったか?」

「ううん、別に」

何か言ったような気がするが・・・

「アンタの決意はわかったわ。
わたしが言えるのは一言だけ・・・」

「何だ?」

「頑張れ、お兄さんに勝っちゃえ」

「・・・もちろんだ」

春日のその一言が何故か心の底にまで届いた。

 

 

春日と別れ、今通っているジムでトレーニングに明け来る。

 

バスッバスッバスッ!!

 

「動きが遅くなってるぞ!!
オマエの長所はそのスピードだ!
相手の間合いに入るな!!
パンチの一発でももらったら終わりだと思え!!」

「クッ・・・」

「いいか!?
3ラウンド、決して遅くなるんじゃねえぞ!!」

「フッ・・・!」

 

 

ダッダッダッダッ・・・

 

「止まるな!
竹刀を喰らいてぇのか!?」

「ハア、ハア、ハア、ハア!」

「いいか!?
オマエは一年鍛えていたそうだが、オレから見ればそれは無駄だ!!
そんな基礎しかトレーニングしかしていなければ、効果なんぞあるか!?
この一ヶ月で今の自分を超えたければ・・・
オマエ以上の相手に勝ちたければ止まるな!!
ほれ、ダッシュ!!」

「ハッ!」

 

ダダダダダダダダ!!

 

 

 

そして一ヶ月が経った・・・

 

「ハア、ハア、ハア、ハア、ハア、ハア・・・」

久保との試合の前日・・・
アパートへ帰る前に軽くジョギングするつもりだったが、全力で走ってしまい息が切れてしまう。

「ハア、ハア、ハア・・・クソッ!」

今になって明日の試合に恐怖を感じてしまった。
もし、久保がまた意識不明になってしまったら・・・
いや、最悪の事態になってしまったらオレは罪を背負えるのか?
そして、 晶子を・・・

「ダメだ・・・
このままでは・・・」

不安が焦りを生み出して、自分自身の感情に振り回される。
こんなコンディションじゃ、試合なんて出来ない。

「もう、アパートへ帰って気持ちを落ち着かせるか・・・」

そう思い、ジョギングしながらアパートを目指す。
それから5分後、アパートが見えてきた。

「ん?」

入り口前の電灯の下に人影が見えた。、
こんな時間に?と、首を傾げるが進むにつれ驚きに包まれた。
その影は・・・

「晶子・・・」

「こんばんわ、ゆっくん。
お疲れ様」

寒い夜に少し震えながら・・・
だが、 強い決意を秘めた表情で立っていた晶子がいた。

 

 

ー晶子サイドー

「ゆっくん・・・」

ゆっくんと別れた後、涼月学園から帰ってきた私は机の上に、
この一年間で増えたゆっくんとの思い出の品を並べてただその言葉が出るだけです。
写真や小物、そして手には夏の旅行で買ったゆっくんとお揃いのキーホルダー。

「はあ・・・」

改めて並べてみると、全てが幻のように感じてしまいます。
結局、ゆっくんはちゃんと立ち直れていなかった。
それなのに私は・・・

 

コンコン・・・

 

『晶子、ご飯持ってきたわよ。
少しだけでもいいから食べなさい』

「・・・食べたくない」

お母さんがご飯を持って来てくれるけど、全く食欲がありません。

『・・・そう
一応、置いておくから気が向いたら食べてちょうだい』

「・・・・・・」

お母さんが下りていきますけど、私は食べる気はありません。
ただ、自分が情けなくて、悔しくて・・・
それだけが今の私に感じる全てです。

「ゆっくぅん・・・ヒック・・・

ようやく止まったと思った涙がまた流れてきます。

「ゆっくん・・・ごめんね・・・気付いて上げられなくて・・・・・・」

本当はずっと前から気付いてあげなくちゃいけなかった。
たとえゆっくん自身が隠しても私だけは・・・

このまま机の上に乗った物で埋もれるように寝てしまいました。
右手にはキーホルダーを離さないまま・・・

ゆっくん・・・
私はゆっくんの恋人でいいの?
一年前、強くなると誓ったのに・・・
私自身が決めた事なのに、いつの間にかゆっくんに頼ったまま。
こんな相手のことを考えずに、自分の事しか考えていない私で?

 

 

ゆっくんが宣言してから一週間が経ちました。
その間、ずっとゆっくんの事が気になり授業にも身が入らなくて先生に怒られてしましました。
今日も、落ち込みながら校門を潜ろうすると・・・

「・・・大丈夫、晶子さん?」

「詩織先生・・・」

愛車の横に軽くもたれながら立っていた詩織先生がいました。

「ちょっと時間、いいかしら?」

「・・・はい」

断る理由もありませんし、ゆっくんの事が聞けるかと思い頷きます。

「それじゃ・・・何処に行こうかしら?」

「土手はどうでしょうか?
少し寒いかもしれませんがゆっくり話せると思います」

「そうね。
行きましょうか?」

「はい」

詩織先生の車に乗せてもらって土手に行きます。

 

それから土手に着くまでの間、私も詩織先生も黙ったままでした。
その沈黙は草むらに座ってからも続いています。

「「・・・・・・」」

それでも、ゆっくんがどうしているか知りたくて重い口を開きます。

「・・・ゆっくん、どうしてますか?」

「・・・雪之丞くんは毎日、ジムでトレーニングしているわ」

こちらを見ずにただそれだけ答えてくれて、土手の川を眺めています。

「「・・・・・・」」

そしてまた沈黙が続きました。
しばらくすると、今度は詩織先生が破りました。

「・・・せりなさん達も晶子さん達も、昔はあれぐらいだったのかな」

「えっ?」

詩織先生の視線の先を追ってみると、
男の子2人と女の子が川の横で遊んでいました。

「お兄さんは多分変わらないでしょうけど、
雪之丞くんの小さい頃なんて想像つかないわね」

「ゆっくんはそんなに変わりませんよ」

「そう・・・
昔からちょっと無愛想で優しかったのね」

「フフフ・・・
無愛想は余計ですよ」

多少、雰囲気が軽くなったような気がします。
それに続くように詩織先生が話しを始めました。

「晶子さん、正直に聞かせて。
貴方は雪之丞くんとお兄さんとの試合をどう思っているの?」

「それは・・・」

「難しく考える必要はないわ。
思っている事を言ってくれたらいいから」

ゆっくんとお兄ちゃんの試合・・・

「・・・正直言って止めて欲しいと思います。
お兄ちゃんはもうボクシングが出来る身体ではありません。
もし、また意識不明になったらゆっくんが耐えられるかどうか・・・
それなら、今のままで良い。
そう考えてしまいます」

「そう・・・」

これが私の気持ち。
ゆっくんやお兄ちゃんのことを考えていない、
自分でも嫌になる汚い気持ち・・・

「雪之丞くんが言っていたわ。
今のままじゃ、いつかまたお互いに傷付け合って別れてしまうって・・・」

「そ、そんな事はありません!!」

その言葉で思わず立ち上がって、詩織先生に怒鳴ります!
いくら詩織先生でも・・・例えゆっくんが言ったとしても今の言葉は許せるはずがありません!!

「もう一年前の間違いはおかしません!!
例え、ゆっくんとお兄ちゃんを天秤にかける事があったら、
ゆっくんを選びます!!
私はゆっくんを信じています!
何があっても、どんな事があっても!!
私はもう決してゆっくんを苦しめたりしません!!
私がどれだけ苦しんでも!!」

怒りにおもむくまま大声で話した為、息が切れてしまいます。
そんな私を詩織先生は動じずに・・・悲しみと少しの寂しさを秘めた目で微笑んでいました。

「・・・晶子ちゃん。
雪之丞くんの事を信じてるって言ったけど、
それだけじゃダメだし、そもそも言っている事がおかしいわ」

「ど、何処がですか!?」

ゆっくんへの想いを否定されたように聞こえ、
座っている詩織先生を睨んでしまいます。

「もし信じているなら、何故そんなに落ち込んでいるの?
信じているなら雪之丞くんかお兄さんの手伝いをするか、何かしているはずよ?
実際、雪之丞くんはかなり前からもう悩んでいたし苦しんでいたのよ」

「・・・」

その一言が怒りを吹き飛ばし、胸に突き刺さります。
それはあまりに核心をついた言葉でした。
もうずっと自分自身を責めていた事ですから・・・

「いい?
ただ信じ続けるのも間違いよ。
晶子さんは雪之丞くんを信じ切れなかったから一年前みたいな事があったと思って、
そう考えても不思議じゃないわ。
だけど、やっぱり間違いがあったら教えなくちゃ」

「・・・詩織先生はゆっくんとお兄ちゃんの試合は間違ってると思うんですか?」

「いいえ。
今、2人は本当の意味で立ち直ろうとしているわ。
それに去年も私は見送ったから今回もそうするつもりよ」

「詩織先生・・・」

それが詩織先生の強さ・・・
私の『信じ続ける』と言って全ての行動と結果をゆっくんに押し付けた弱さじゃない、
経験と好きな人を諦めて得た、本当の強さ。

「晶子さん・・・
試合の事はいいから、本当は何に落ち込んでいるの?
それだけじゃないでしょう?」

詩織先生も立ち上がって、
呆然としている私を優しく抱きしめてくれました・・・

「さあ、ココは雪之丞くんもお兄さんもいないわ。
思いっきり、全部話しちゃいなさい」

「詩織先生!」

そのひと言で貯めていた感情が流れ出し、
涙と想いを止める事はで来ませんでした。

「わ、わたし、悔しかったんです!
ゆっくんが苦しんでいたのに少しも気付かなくて、
ただ楽しかったなんて思う自分が情けなくて!!
今までの幸せだった日々が全部幻のように思えて!!
ゆっくんを信じるだけで何もしなかった自分がバカで!!
ヒック・・・グスッ」

「よしよし」

背中を撫でてくれる温もりが、
私を落ち着かせてくれます。
それから少しして、泣き止んだ私をゆっくり離してくれました。

「・・・大丈夫?」

「は、はい。
大丈夫です」

残った涙を指で拭って、もう一度腰を降ろします。

「晶子さん、試合が始まるまで雪之丞と会ったらダメよ。
それまでは自分の戦いだからね」

「はい」

今の私はその言葉の意味が判ります。
落ち込んでいるのではなく、強くなる為に。
それまではお兄ちゃんにも出来るだけ会わないようにします。

「そして、前日になったら雪之丞くんの所へ行きなさい。
彼が悩んでいたり苦しんでいたら、貴方が癒してあげなさい。
もしかしたら土壇場の前日に不安になってもおかしくないわ。
いいえ、そうなっているはずよ。
今は勢いでトレーニングに集中しているけど、きっと前日は不安と恐怖を感じているはずよ」

「でも、ゆっくんは来るなって・・・
それに、その事はゆっくん自身が超えなくちゃいけない事なんじゃ・・・」

今の私みたいに・・・

「いいのよ。
彼には、今まで溜め込んでいた辛さと苦しみながらボクシングを続けていたサービスよ。
どっちかと言うよりこれは晶子さんの方が必要なのよ。
今度こそちゃんと癒してあげて」

「・・・はい!」

詩織先生、ありがとうございます。
おかげで立ち直る事が出来ました。
一年前の時も、今も・・・
本当、いくら感謝しても足りません。

「晶子さんは天秤に掛けてっと言ったけど、
そもそもそれが間違いよ。
大丈夫、彼らなら最高の結果を出してくれるわ」

「・・・そうですね」

そうです。
今からそんな考えはおかしいですね。
ゆっくんとお兄ちゃんなら欲張りだから、きっと全て解決するはずです。

 

 

そして、ゆっくんが宣言した一ヶ月が経ちました。

 

「お母さん・・・
あのね・・・」

「何も言わなくてもわかるわよ。
雪之丞くんの所へ行ってきなさい。
勝の事は母に任せておきなさい」

試合の前日・・・
私はゆっくんの所へ行こうとお母さんに話そうとしましたけど、
全てお見通しでした。

「ゴメンね・・・」

「謝る事は無いのよ。
貴方は自分の出来る事としたいことをしなさい。
今度こそ、雪之丞くんを離さないのよ?」

「うん!
もちろんだよ!!」

そっか・・・
お母さんはお兄ちゃんだけじゃなくて、
私の事も気付いていたんですね。
兄妹揃って親に迷惑ばかり掛けてゴメンね。

「それじゃ、行って来るよ」

正直、今の時間にゆっくんがアパートに帰っているか判りませんが、
それなら待つまでです。

「晶子!」

「何?
お母さん?」

ドアノブに手を掛けて開けようとする前に、
お母さんの声で止まって振り向くとニヤニヤしていました(汗

「初孫はいつ頃かしら?」

「お、お母さん!!」(真っ赤

もう!
こんな時までからかわないでよ!!

 

 

電車に揺られてゆっくんのアパートに着きましたが、
案の定、留守でした(ゆっくんの部屋に電気が付いていませんからすぐにわかります)

「はあ・・・」

11月も終わりに近づいて、夜は寒さを感じます。
そう言えば、去年の今頃はお兄ちゃんが目を覚ましたばかりで、
いい意味で大変でした。
私が鹿島に住むかゆっくんと揉めていたあの時は、
こんな事になるとは思いもしませんでした。
・・・いいえ、逃げていたかも知れません。
つくづく、自分の決意が弱かったと痛感します。

「まだかな・・・?」

今度こそは本当の意味でゆっくんを支えます。
例え、その時には嫌われるような事だとしてもゆっくんの為になるなら戸惑いはありません。
私は変わりました。
でも、ゆっくんへの気持ちが変わったり、無くした訳ではありません。
今まで以上に想いも強くなりました。
ゆっくんしかいないのではなく、私がゆっくんを本当に好きになり『愛している』のだから・・・

 

タッタッタッタッタッ・・・

 

「来た・・・」

暗闇に続く道から、走る足音が聞えてきました。
その足音がゆっくんのだと確信しています。
昔から、タイムを計ったりしていましたから間違えるはずがありません。
そして・・・

「晶子・・・」

「こんばんわ、ゆっくん。
お疲れ様」

汗をかいて、息が切れているゆっくんを出迎えます。
たった一ヶ月でしたが、久しぶりに感じるのは私にとってそれほど長かったと言う事でしょうか・・・

 

 

2人揃ってアパートに入って、
ゆっくんがシャワーを浴びている間に温かい飲み物を用意します。
当初は私もシャワーを勧められたのですが、それほど汚れていないので断りました。

「いつから待っていたんだ?」

「ついさっき来たばかりだよ」

「判りやすい嘘を付くな。
こんなに身体が冷えているじゃないか。
だからシャワーだけでも使えば良いと言ったんだ」

ゆっくんが手を伸ばして私の頬を擦るように撫でてくれます。
この温もりを手放そうとしていたんですね、私は・・・

「ゴメンね、ゆっくん。
来ちゃいけないって言ってたのに・・・」

「・・・今更言っても仕方が無い。
わざわざ来るほど、何かあったのか?」

「ううん。
ゆっくんが心配だったから来ちゃっただけだよ。
トレーニングばかりで食事とか色々・・・」

「グッ・・・
痛いところを付いてくるな。
まあ、それも明日で終わるからな」

「そうだね。
それじゃ、明日は試合が終わったらご馳走を作ってあげる」

「そのほとんどが久保や春日に食われるかもしれないがな」

「ハハ・・・」(汗

それは否定できないかも・・・(苦笑

「なら、もういいな?
時間も遅いし駅まで送ってやる」

何か急ぎ足に会話を進めて私を帰らせようとしています。
やっぱり、詩織先生の言った通りのようですね。

「まだ帰れないよ。
それに今日は帰るつもりもないし」

「・・・どういう事だ?」

「だって、ゆっくんが苦しんでる・・・悩んでる・・・
私はそれを癒してあげたいの」

「・・・気のせいだ。
オレは悩んでいな・・・」

「ウソ!!」

今までなら気付かなかった、
ゆっくんが私に心配を掛けないまいとウソを付いている事が判ります。

「ゆっくんは今、明日の試合を怖がってる!
不安になってる!!」

「そんな事は・・・」

「あるよ!
今まで貴方の優しいウソに甘えて支えきれていなかった!!
弱い部分ばかり見せて、私は何もして上げられなかった!!
でも、この一ヶ月で私は強くなった!!
だから今度はゆっくんの弱さを教えて!!
今度こそ本当の意味で貴方を支えてあげたいの!!」

「晶子・・・」

もしココで支えられなくちゃ、恋人なんて言えません。

「私はゆっくんが好き!
愛してるの!!
私はそう思ってるし、ゆっくんもそうであってほしい!!
片方が耐えるのは間違ってる!!
お互いに強い所、弱い所を理解し合わなくちゃ!!
お願いだから、ゆっくんの弱さを話して・・・」

側まで寄り、ゆっくんの顔を包み込むように手を伸ばして、
私の胸に抱き寄せます。
ゆっくんも始めは驚いていましたが、
すぐに目を瞑ってジッとしてくれています。

「「・・・・・・」」

しばらくそのまま動かずにしていましたが・・・

「・・・晶子、オレの弱さを聞いてくれるか?」

「うん、いいよ。
聞かせて。
大丈夫、聞いたからって嫌いになったりしないから」

ゆっくんがようやく自分の弱さを話してくれます。

「明日の試合がどうしても怖いんだ。
一年前の試合で久保が意識を失った瞬間ばかり思い出してしまう。
またあの時のような事が起こるんじゃないのか・・・
その時、オレはまたその罪を背負えるのか・・
そして晶子をまた悲しませてしまう・・・
そんな考えばかりが浮かんで消えないんだ。
情けないよな・・・
春日には『自分に嘘を付きながら、好きな女の側にこれ以上いたくない』と言ったのに」

「・・・・・・」

胸の辺りに湿った感触を感じました。
それは、今まで一度も・・・一年前にも見せなかったゆっくんの涙。

「晶子、正直に答えてくれ。
もしまた久保が意識不明になったらオマエは耐えられるのか?
オレを恨まないのか?」

私の答えは決まっています。

「バカ・・・」

抱きしめていた手をさらに強めて、
さらにギュッとゆっくんを胸に抱き寄せます。

「ゆっくんを恨むなんてもうないよ。
お兄ちゃんも覚悟の上で試合に臨んでいるはずだよ。
それにゆっくんだけに罪は背負わさせないよ。
私も半分持ってあげる。
だから、不安や恐怖を振り払って前に進まなくちゃね?」

「晶子・・・」

「頑張ろ?
私はゆっくんを見捨てたり、嫌いになったりしない。
ずっとゆっくんと一緒だよ」

「・・・・・・」

「明日で全部、決着を付けよ?
ね?」

傷付いたら私が癒してあげる。
不安になったら側にいてあげる。
間違った時は教えてあげる。
そして、一緒に一つ一つ乗越えよ?

「そうだな」

「私の想い、伝わった?」

「ああ。
もう大丈夫だ。
明日、全力で久保を倒す。
見ていてくれるか?」

「もちろん!
お兄ちゃんなんかやっつけちゃえ!!」

「オイオイ・・・」

「フフフ・・・」

よかった・・・
ゆっくんを癒してあげられました。
これで大丈夫。
ゆっくんの言う『いつかまたお互いに傷付け合って別れてしまう』と言う事も起こらないし、
私も過ちに気が付いて強くなりました。
後はお兄ちゃんと交えての3人の決着だけ。

「ゆっくん、今日は泊まってもいいよね?」

「帰れと言ったら?」

「うーん・・・
暴れちゃう」

「言うようになったな」

「えへへ・・・」

これから明日までの少しの時間で、
1ヵ月間の寂しかった気持ちの代金を払ってもらうんだら覚悟してね、ゆっくん。

 

 

そして夜が明けて、ついに試合当日・・・

 

 

最終話へ続く

 


どうも、siroです。
どうでしたでしょうか?
前回のあとがきに『早く投稿出来るかも』と思っていたのですが、この話しを軽く見ていました。
それぞれの内容が重く、スランプだった9話を抜いて一番苦労しました(汗
今までのストーリーにチラホラ出てきた伏線がついにあきらかになりしました。
特に晶子はただ好きだという気持ちだけではダメで、困難がありました。
その全てを乗り越えて強くなり、雪之丞への想いを『好き』から『愛してる』に変わりました。
ちょっと、『あしたの雪之丞』という雰囲気から離れたかもしれませんがお許しください。
さて、次回はついに最終回です。
そこで申し訳ありませんが、今度の投稿はかなり遅くなります。
理由は簡単で真剣に妥協せずに書きたいと言う事と、量が多いからです。
最終話・エピローグ・キャラクター紹介の更新、そして総合あとがきという名の反省会を予定していますので。
8月中には投稿しますのでしばらくお待ちください。
ラングさん・sarenaさん・たけぞうさん・蛇眼さん・FLYさん、ご感想ありがとうございました!