───すれ違った瞬間、体に電気のようなものが走った。
それは多分、この不可解な感情の、インスピレーションだったのだと思う。
★☆★☆★
「竜崎先生」
聞き覚えのある声を耳にして、竜崎スミレは振り返った。
そこには、自分が顧問を勤めるテニス部のメンバーが太陽の光を背に立っていた。
大人でもなかなかいない程の長身。表情を隠してしまう、逆光眼鏡。
子供の割には思慮深く、落ち着いた行動をとる人物だ。
一見して、中学生には見えない男だが、確かに自分の学校の生徒である。
「おや?なんだい、乾。来てたのかい。」
「はい。せっかくの休みに、家にいるだけというのも時間の無駄だから。」
「折角の休みなんだから、遊びに行きゃあいいのに。全く、テニスバカだねぇ、お前も。」
遠慮のない顧問の言葉に、乾は苦笑した。
───テニスバカ。まさにその通りだ。
でも、どんな遊びよりも夢中になれるのがコレなのだから、仕方ない。
「・・・で?いいデータは取れたのかい?」
乾が片手にしているノートを見取って、スミレはニヤリと笑った。
この生徒のテニスはとても独特なもので、長年テニスに携わってきた彼女にとっても、なかなか興味深いものなのだ。
「いえ、今日は全然。参加者リスト見て、予想はしてましたけどね。」
「全然?…なんだい。じゃあ、今のゲームを見てなかったのかい。」
クイッと背後のコートを指さすのにつられて、乾はソコに視線を向けた。
が、当然ながらソコにはコートだけが静かに佇むばかり。人っ子一人居やしない。
「今のゲーム?でも、試合コートは向こうだけなんじゃ……」
「試合じゃなくても、いいゲームはあるだろう?結構見物だったのに、アレを見損ねるとは残念だったねぇ、乾。」
どこかワクワクとしたような、それでいてからかうような口調の顧問に、乾は言葉を失った。
この顧問、口も悪けりゃ手も早い。
が、テニスに関してはとても確かな目を持っている人だ。
長年の経験を存分に活かして、自分たちを導いてくれる。
顧問としては最高の人材であると言えるだろう。
経験が長いだけに目が肥えているこの顧問に、こんな台詞を言わせるプレーを見損ねたのは、確かに残念だったかもしれない。
そう思った時、乾の脳裏に、小さな影が過ぎった。
先ほど、ほんの一瞬すれ違っただけの人物なのに何故?という疑問が、ふいにわき起こる。
「・・・もしかして、今の子・・・ですか?」
しばし間をおいてから、乾は呟くように言って、先ほど己が通って来た道を振り返った。
もちろん、もうそこに目的の人物がいないのは分かりきっていたのに、つい振り返ってしまったのだ。
脳裏に鮮やかに蘇るのは、紅いジャージに身を包み、大きなバッグを担いでいた小柄な少年の影。
(…なんだ?この感じは…)
また、ピリッと体に電気が走るような感覚に襲われて、乾は戸惑った。
たった1度、すれ違った。ただ、それだけだ。
視線ひとつ合わせてすらいないのに、何故、自分はこんなにも鮮明に彼の姿を覚えているのか。
その理由は、乾自身にも解らない。
自分で『今の子か?』と問いかけておきながら、どこか迷った様子の乾に、スミレは首を傾げた。
(めずらしい事もあるもんだねぇ)
この生徒が首を傾げ戸惑う姿なんて、初めて見たかもしれない。
大人っぽいというわけではないが、彼は感情の起伏がわかりにくい。
部長の手塚ほどではないが、まるでロボットのように無機質な言動をする男なのだ。
それが、今は口元を手で覆い、まるで自分の言葉に驚いたような素振りを見せている。
なんて、らしくない姿なのだろうか?
目の錯覚かと思うほど珍しい姿だが、これはこれで面白い。
「・・・子供?なんでそう思うんだい?試合を見てたわけじゃないんだろう?」
だからこそ……なのかもしれない。余計、意地悪く尋ねてしまったのは。
「・・・別に。ただ、ここに来る前にすれ違ったのが、子供だったから。」
嘘である。何かから逃げるような選手らしき青年や、次の会場へむかう何人かの選手とも、すれ違っていた。
ただ、鮮明に覚えているのが、その少年だけだったの話だ。
「子供・・・ねぇ。ま、そう見えても仕方ないけど…そんな事言ってられるのは、今のうちかもしれないよ、乾。」
ニヤリと笑った顧問の表情は、疑問と同時に期待を抱かせる。
「竜崎先生?・・・それは、どういう……」
トクンと、体の奧で心臓の音を聞いた。予感に胸が震えだすとは、こういうのを言うのだろう。
───もしかして…また会えるのか?
名前も知らない。プレーも知らない。顔だってちゃんと見ていない。
覚えているのは、酷く細い足や首。
およそ彼が持つには大きすぎるんじゃないかと思うほど大きなテニスバッグ。
白い帽子に半分以上隠されて、それでもなお整っていると分かる横顔。
そして何よりも、まるで目に映っているんじゃないかと感じるほど鮮やかな彼のオーラのような存在感。
そう。ただ歩いてすれ違っただけ。
それだけなのに、思わず道を譲ってしまい、見送ってしまうような、とても強い存在感が彼にはあった。
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