【君という花2】 P1
 

「PHASE-04 ジュール家は今日も平和」 より抜粋


コンコンッ

 リズムよく叩かれたドアの音に、現ジュール家当主であるエザリア・ジュールは、綺麗に紅をひいた唇の端を、ニッと上げた。
そして、ツカツカと足音高くドアに近づいて、それを開く。
 そこには、エザリアが脳裏に思い描いていた笑顔をそのまま浮かべた、一人の少年が立っていた。

「おはようございます、エザリア様」
 軽やかなアルトで、ほんの少し舌足らずに告げられる挨拶は、その姿と相まって非常に愛らしい。
それに満足げに頷いて、エザリアも笑顔を返した。
評議会でバンバン机を叩いて怒鳴りまくる、かつての彼女を知っている者が見たら、声もなく卒倒してしまいそうなほど、ありえない笑顔である。
「おはよう、キラ君。今日も良い朝ね」
「はい。お天気もいいですし、朝食はお庭でどうかと思って…」
 そちらで用意しています…と言外に告げられて、エザリアは微笑みながら頷いた。
「素敵ね。では、一緒に行きましょうか?」
 サッとキラの細腰をホールドして、エザリアは歩くように促す。どこかアベコベなその姿に、しかし、ツッコミを入れる者はココにはいない。
「はい」
 ニコッと、ほんの少し照れが入った、はにかむ笑顔でそう答えるキラは、まるで可憐な花のように愛らしかった。

”ああ、可愛い!なんて可愛いのかしら!”
 その笑顔を見て、エザリア・ジュールは今日も朝から最高の気分だと、大変満足していた。

 この、キラ・ヤマトという少年が、このジュール家に滞在して、はや1ヶ月。

 最初に、息子のイザークが、この少年の滞在許可を求めてオーブからわざわざ通信を寄越した時には、エザリアは天地がひっくりかえるのでは?と思うほどに驚いた。(しかも彼は、中継点となる機材をわざわざシャトルで宇宙に飛ばしてまで、通信してきたのだ)

 何しろ、この少年は(全然、そんな風に見えないのだが)元、地球連合軍にいて、自分達を散々手玉に取ってくれた、あの最強の敵ストライクのパイロットだと言うのだ。
 そして同時に、第3勢力として立ち上がったラクス・クラインの手引で、ザフトが未来をかけて建造したフリーダムを奪取し、その機体でヤキンドゥーエの激戦を鬼神の如く駆け抜けた、最強の戦士でもあると・・・。
 そのフリーダムの勇士を、覚えていない者などこのプラントにはいない。
 相手の武器のみを狙うその優しい戦い振りと、プラントを核から護った英雄である彼にはこの上なき感謝と敬意を…そして、一瞬駆け抜けるだけで、数多の敵を行動不能にしてしまうほどの圧倒的な強さに対しては、この上なき畏怖を…。
 その両方の思いを含めて、未だ、正体が謎に包まれている彼は、ここプラントでは主にこう呼ばれている。───『蒼き翼の死天使』と。

 先の戦争で心身共に傷ついている彼を、ジュール家で療養させてやりたいという息子の希望を聞いた瞬間、エザリアは我が耳を疑い、イザークに3度も、もう一度言ってくれと繰り返した。

 プラントにとって最高の形では無かったものの、彼らのおかげで双方が共に滅びるという最悪の結末は免れた。
エザリアだって、そのことは認識しているし、何よりも、プラントを核攻撃から守ってくれた彼らには、心から感謝している。
 だから、もはや敵と呼ぶべき相手ではないと理性では分かっているのだが、やはりこれまで刃を交えていた相手なのだ。それなりに複雑な想いは残っているし、そう簡単に友好的な関係を築けるわけがない。
 その要となったパイロットを、よりにもよって自宅で療養させるだと?

 エザリアは自分の耳が正しいことを理解した途端、今度はノイズ混じりで目の前のモニターに映っている息子が、偽物なのではないか?と真剣に疑った。
 これは何かの策略か?だとしたら、一体、何の得がある?
それに何より、こんな精巧なイザークの偽物を、一体何処で見つけてきたのだ?
いやいや、もしかすると、本物が操られているのかもしれない。・・・だが、まさかあのイザークに限ってそんな無様なことはあるまい…と、エザリアはぐるぐる無言のままで考え込んだ。

「無茶を言っていることは分かっております。ですが、どうかそこを曲げて・・・このとおり、お願いします。母上」
 深々と、モニターの向こうでイザークが頭を下げるのを、エザリアは呆然と眺めた。
 いくら自分相手だとはいえ、非常に高いプライドを持つ彼がこんなにも深く頭を下げたことなど、一度もない。
ましてやそれが、自分自身の為ではなく、第三者のためなどと、とても目で見ても信じられなかった。
 だが、しかし、モニターの向こうにいるイザークは、顔も声も背格好も、自分が育てた息子のものに間違いない。偽物とは、とても思えない。
”・・・本物か?私の頭が狂ったのか?いや、そんなことはない”
ならば・・・
「イザーク」
「はい」
「・・・正気なのか?」
「はい」
 こくりと頷く仕草は、いつも見慣れた息子の姿で、エザリアは目の前で起こっている全てが現実なのだと、ようやく実感した。
そして、大きく息を吐き出して、自分の気を落ち着かせる。
「・・・イザーク。いくら貴方の頼みとはいえ、簡単に良いと認めるわけにはいかない。詳しく説明なさい」
 ようやく、頭が回り始めたエザリアは、自分の取るべき行動を とった。

「彼は…先程も申し上げましたが、先の大戦で、心身共にとても傷ついています。このオーブで療養を続けてはいますが、状態はなかなか芳しくありません。そこで、プラントでの療養を提言したいのです」
「何故?彼が貴方のいう通りの人物であるならば、このプラントは少なからず敵対していた陣営ですよ?療養に相応しいとは思えないし、本人にとっても心細いことでしょう。・・・何より彼は・・・ストライクのパイロットは、貴方個人にとっても、最大の屈辱を与えられた人物ではなかったのか?」
「・・・確かに、かつては心底、憎んだ相手です。…ですが、今、俺の中には、そのような感情は一切ありません。この胸にあるのは、ただ、彼に元気を取り戻して欲しいという、その切なる願いだけなのです」
「イザーク」
「彼の容態が芳しくない理由のひとつは、彼自身の心にあります。親しい人物だからこそ、知られたくないことがある。……彼がそう言ったわけではありませんが、俺は、そのように感じました。今、ここにある環境は彼に優しい。けれど、その優しさが彼には辛いのです。何より、彼はコーディネイターです。弱った身体の為にも、プラントの方が、より相応しい治療ができるはずです」
 強く訴えかけるイザークは、本当にその人物を心配しているのだろう。彼らしくもない、悲痛な面差しで懇願してくる姿に、エザリアはそれを悟らずにはいられなかった。
「・・・だからといって、何故、貴方がそれを?」
「確かに、環境を変える手だてならば、このオーブでもいくらでも方法があります。また、ラクス嬢の力があれば、プラントに行くことはもちろん、必要な医師を呼び寄せることも容易いでしょう」
 その通りだと、エザリアは頷いた。
「ですが、母上。それでは俺が、我慢できません!」
「イザーク?」
「このまま…彼をこの地において、プラントへ戻ることなど、 とても出来ません」
 辛そうに表情を歪ませて首を振るイザークの姿に、エザリアは驚きを隠せなかった。
「イザーク…貴方は…」
「彼がプラントにいる間の責任は、全て俺が負います!ですから、どうか、この願い…お聞き届け下さい」
 お願いします、と再度、深く頭を下げた息子に、エザリアは困惑した。
 イザークの言葉は、もしその人物が彼の信頼を裏切り、プラントに敵対する行動に出たとしても、その責任は自分が負うというものだ。
 正気の沙汰ではない、と、そう思った。だが、しかし、イザークにここまで言わせる人物に、興味を抱いたのもまた事実だった。
 そして何より、エザリアは、息子が言い出したら引かない真っ直ぐな性格であることを、嫌と言うほど知っていた。
 だからこそ、しばし葛藤した後、こう言うしかなかったのだ。

「・・・どうやら、意志は固いようね。…分かりました。そこまで言うならば、認めましょう。貴方の好きになさい」
「有り難うございます、母上」
 この時、酷く嬉しそうな顔で感謝を述べたイザークが、やけに印象に残っていた。

 こうして通信を終え、大きな溜息をついたエザリアの中には、既に戸惑いはなく、あるのは、あの堅物息子の心をここまで動かした人物に対する、強い興味だけだったのである。




NEXT >>

 
NOVEL TOP                TOP