第5章 夢と現実の間で

 

寺山の童話集『赤糸で縫い閉じられた物語』の中の一篇に、『踊りたいのに踊れない』という話がある。主人公の少女は、「体が自分の気持ちと正反対に動き出しまう」ようになり、行きたくない場所に足が勝手に行ってしまったり、好きな男の子に唇が勝手に「嫌い」と言ってしまったりして、困惑する。そんな彼女に対して一人の老人が、「もしかしたら、手や足のほうが正直で、あたまだけが、おまえのすることにさからっているのではないのかね」という逆説的な問いかけをする。

寺山は常に既存の体制や、日常といったものに疑問符を挟みつづけた。それはすべての価値観を切り崩し、相対化する作業だった。いかなる日常的な世界観の外側に寺山はいたように思う。外部を知らなければ、内部というものには気づかない。異郷にで出なければ、故郷を知ることはない。母を捨てなければ、その影響力に気付くことはないし、現実に疑問符を差し挟まねば、虚構の意味もわからないだろう。

映画『書を捨てよ町へ出よう』に特別出演の三輪明弘が、『毛皮のマリー』とほとんど同じ設定の、落ちぶれた男娼役で出てくるシーンがある。ここで彼はこんなセリフを口にする。

「ここがみんなが出口に使っている場所を入り口に使っているところだと知ったら驚くでしょうね」

下世話な言葉に思わず笑ってしまったが、この倒錯性も、ある意味寺山の作品のテーマを示している。価値を反転させ、観客席と舞台を入れ替え、劇場と市外を入れ替え、現実と虚構を入れ替え、出口を入り口を入れ替える。そして我々は新たな世界を見せられて、いつも十分過ぎるほど驚かされる。彼がおかまというものに興味を持ったのも、「あらかじめ与えられている性に、疑問符を差し挟んでみる存在」だったからに他ならない。

 

「肖像画に間違ってひげを書いてしまったので、本当にひげを生やすことにした。間違って門番を雇ってしまったので本当に門を作ることにした。人生はいつもあべこべで、私の墓ができたら少しぐらい早くても死ぬつもりだ」
「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わる。死は生の中に含まれているのだから」

「空想から科学へではなく、科学から空想へ」

 

その逆説的なセリフを数え上げればきりがない。「私は大きくなったら質問になりたいのです」と言った少年は、まさにその通りのことを実践し続け、人生を駆け抜けた。

 

1983年5月4日、寺山修司は肝硬変で死んだ。同5月9日に天井桟敷の団員の手で告別式が執り行われ、そこでは『レミング』の主題歌が流れていたそうだ。その『レミング』の初演版のラストにこんなセリフがある。再演では、消えてしまったセリフだ。

 

〈王 「世界の果てとは、てめえ自身の夢のことだ」と気づいたら、思い出してくれ。俺は出口。俺はあんたの事実。そして俺は、あんたの最後の後ろ姿、だってことを。(中略)だまされるな。俺はあんた自身だ。百万人のあんた全部だった。出口は無数にあったが、入り口がもうなくなってしまったんだ。〉

 

寺山自身の人生を語ったともいえるセリフである。寺山は百万人の夢を代弁するかのように、脱領域的に、かつ前衛的な挑戦をしつづけた。逃げ馬と称した彼が逃げ続けてきたものは、病魔、常に付きまとってきた自らの死だったに違いない。寺山は病床にあっても多くの仕事をやり続け、そのスケジュールは死の二年先までいっぱいだったという。だが、その無限の想像力は、肉体という枷によって裏切られてきた。あらゆるものに対する興味、作品を生み出す想像力としての「出口」は無限に存在しつづけたが、それらの入れ物である「入り口」としての寺山の肉体そのものは、消え去ろうとしていたのだ。

そして遺稿「懐かしの我が家」ではこう語る。

「僕は/世界の果てが/自分自身の夢の中にしかないことを/知っていたのだ」

映画『サード』では主人公を通してこう語る。

「俺はホームベースのないランナーだ。ホームベースのないランナーは、ただ走り抜けていくだけだ」

映画『さらば箱舟』ではヒロインを通してこう語る。

「両目閉じればみな消える。隣町なんてどこにもない」

たとえ汽車に乗ってどこまでも行ったとしても、世界の涯てなんて場所はどこにもない。人はどこかに行けるわけではないし、自分以外の何かになれるわけでもない。「世界の涯て」は「夢の中」にしかないのだ。だが、それゆえにこそ寺山は常に挑戦しつづけた。常に変わろうとし続け、なしえずに死んだ。夢と現実の間は、引き裂かれたままだった。

「田園に死す」の演出ノートで寺山は言っている。「私の書く詩には、いつも汽車が出てくる。だが私はまだ一度も、その汽車に乗ったことがない」と。寺山が示したことは、革命を起こすことよりも、革命を起こそうという意志をもつこと、夢を実現させることよりも、夢を追いつづけることだったと言えよう。

 

最後にエッセイ集『競馬への望郷』所収の詩、「さらばハイセイコー」の一節を引用して幕を閉じたい。私にはこの詩の中のハイセイコーが寺山に、観衆が寺山の姿を追いつづける私たち自身に重なって見えてしょうがないのである。

 

ふりむくな

ふりむくな

うしろには夢がない

ハイセイコーがいなくなっても

すべてのレースが終わるわけじゃない

人生と言う名の競馬場には

次のレースをまちかまえている百万頭の

名もないハイセイコーの群れが

朝焼けの中で

追い切りをしている地響きが聞こえてくる

 

思い切ることにしよう

ハイセイコーは

ただ数枚の馬券にすぎなかった

ハイセイコーは

ただ一レースの思い出にすぎなかった

ハイセイコーは

ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった

ハイセイコーはむなしかったある日々の

代償に過ぎなかったのだと

 

だが忘れようとしても

目を閉じると

あの日のレースが見えてくる

耳をふさぐと

あの日の喝采の音が

聞こえてくるのだ

 

 

 

 



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