第二章 母と子の相克
第一節 母捨ての思想
寺山作品に少し触れたものなら、そこに強く母の影響があることに気づくに違いない。寺山は「家出のすすめ」を書き、封建的な血縁関係から逃れて、個人として自立することを説いた。しかし「時には母のない子のように」の歌詞が「だけど心はすぐ変わる⁄母のない子になったなら⁄誰にも愛を話せない」と結ばれているように、結局は終生母を捨てることができなかった。そこには非常に屈折した愛憎の感情が感じられる。
寺山が「母捨て」ということを考え始めたのは、25歳で「家出のすすめ」を書いた頃からのようである。幼いころに父が戦病死し、母が出稼ぎに行ってしまったため、親戚の元で暮らしていた寺山は、一般的な家庭というのを味わったことがなかった。少年時代の寺山にとっては、母は遠きにありてその温もりを恋焦がれる存在だった。もし表面上母を憎んでいたとしても、それは手に入らないものを、「俺はそんな物なんか欲しくなんかないさ」と強がる、「すっぱい葡萄」のきつねのような気分だったのだろう。この頃の遠くにいる幻の母を想像する心持ちが、映画『草迷宮』などの作品で描かれるような、どこかにいる幻の美しい母を捜し求める心情へとつながっていく。
二人が普通の母子のように一緒の生活を持てるようになったのは、寺山が大学を病気で休学して四年間の入院生活し、それが回復してからのことである。しかし、二人の空想と現実は異なっていた。母はつにとって、寺山は昔別れたままの子供で、ようやく母子一緒に水入らずで生きていけると考えていたのだが、寺山はもう母に焦がれる少年ではなく、すっかり大人になってしまっていたのだ。寺山は九条今日子と交際していた頃、母について「ずっと離れて暮らしていたから、あの人といるとどうしたらいいかわからなくなるんだ」ともらした。寺山にとって、目の前にいる母は、もはやどう扱っていいかわからない単なる年上の女性に過ぎなくなってしまっていたのだった。遠きにありて想いを寄せていた母は、常にそばにあって自分を縛り付けるものへと変化した。これ以降同じ部屋に暮らすようなことはなかったものの、寺山ははつと常に近い場所にいて、捨てたりするようなことはなかった。むしろ現実に殺せないからこそ、虚構の中で執拗に殺し続けたのだとも言える。
渋谷の天井桟敷館時代は、階下ではつが喫茶店をやり、晩年は松風荘で寺山が二階に、はつが一階に住んでいた。高尾霊園にあるお墓でも、二人の骨壷が二層に納められていて、上に寺山が、下にハツが入れられていて、松風荘での関係が繰り返されている。寺山の後期の演劇『レミング』では、これに良く似た関係が描かれる。『レミング』の主人公の母親は、息子のアパートの床下に住んでいる。そして息子が間違ったことをしでかさないかと、動向を常に監視している。そして、床下の地面を耕して、そこに故郷のあったような畑と家を作って、息子を引きずり込もうとするのである。
寺山の母ハツはかなり強烈な個性の持ち主だったことは、多くの人が証明している。九条今日子は「ムッシュウ・寺山修司」で、「私たちが、どう逆立ちしたって、太刀打ちできないお母さんであった。寺山自身さえもお母さんには勝てなかった」「とにかく何時間か、お母さんと接したあとは、体の芯がぐったりと疲れてしまい、その後、茫然自失状態になってしまうのだ」と書いている。かなりエキセントリックな所があって、寺山が黙って海外公演に行ってしまったとき、逆上して天井桟敷館に「火をつけてやる」と言って騒いだことがあるそうである。森崎偏陸も、「ふつうなら「修ちゃんが私のそばから消えました」で言葉がとぎれていいはずなのに「修ちゃんが修ちゃんが修ちゃんが修ちゃんが修ちゃんが修ちゃんが…」(笑)でしょ。ああ、もうお疲れ様だよ(笑)」と、そのエネルギーの凄さを語っている。
こうした子供に執着するエネルギーは、ハツが私生児だったことも影響しているようである。「当時、活動写真の興行をしていた坂本家の長男の亀太郎が、女中に手を出し、その女中はすぐに追い出されたが、その後妊娠した。女中は坂本家を出されてから一年後に産まれた赤ん坊を返しにきて、坂本家の麦畑に捨てて行った。やがて赤ん坊は世間体を気にして漁師の家に養子に出された。これがハツだった」というのが、だいたいの生い立ちである。寺山はこの実際のエピソードを、長編詩『李庚順』、『誰か故郷を思わざる』、小説『ああ荒野』などで形を変えてたびたび使用している。私生児として阻害された経験が、狂おしいまでの「家庭」への執着を生んだのだろう。演劇『青森県のせむし男』に出てくる女主人大正マツが、かつて自分が奉公先の主人に犯されたことの復讐に、若い男を家に泊めては手篭めにしてしまうというエピソードは、ほとんど寺山一家の血への復讐であるかのようである。
このような強烈な母の抑圧があったからこそ、対抗する形で寺山のエネルギーも高まったのではないだろうか。自伝抄『消しゴム』に次のようなエピソードがある。
〈私は、「家出のすすめ」を書いてるんだよ。と母に言った。母は、「ああ、あたしも賛成だよ」と言った。「家出するなら、母さんも一緒に行ってあげるからね」〉
寺山の家出の思想も、母にとってはあくまで自分の腕の中でのこととして、考えられている。母にとっては子供こそが生きることそのものなのであり、それのない人生は考えられないのである。『田園に死す』においても、主人公は母から逃げたいと思うが、「家出するときに一緒について来てしまった」「逃げたってどこまでだって追って来るさ」と言って、その執着から逃れることを半ばあきらめている。子供にしてみれば、迷惑この上ない話で、本来なら人は自分一人の生を生きるだけで精一杯のはずなのだが、母と自分の二人分の生を生きなければならないのである。
『田園に死す』の母親は、白塗りの非常におぞましい形で描かれていた。とくに「二十年後のアパートの一室でだらしなく笑う」シーンなどは、あまりに極端に醜く描かれているため、笑いを誘うほどだ。寺山作品において、母はたいてい子供に執着する醜さを強調して描かれていて、『レミング』や『邪宗門』のようにむくつけき男優に演じられる。そういう意味では、おかまが主人公の『毛皮のマリー』なども同じ種類に入るかもしれない。これらの物語の主人公は母親を何度も捨てようとするが、結局は捨てられない。「田園に死す」の主人公は「たかが映画の中でさえ母を殺すことができなかった」し、「青ひげ」の主人公は、嫁をもらうために母を山に捨てるが、嫁が手におえずにもう一度母を捜しにいき、結局は山で生きているであろう母のことを思いながら、童貞のまま死んで行く。
東京を舞台にしたものでも同様で、映画「書を捨てよ町へ出よう」では主人公の母親は死んでいるが、ここでは母と子の対立という関係は主人公の父親と祖母の関係に置き換えられている。捨てられようとされる祖母の空想として、縄で縛られた母親たちの乗ったリヤカーを引く男が、ちり紙交換のように「いらなくなった母を引き取ります」と言いながら町を歩くシーンが出てくる。しかしこの父親は、祖母を養老院に引き取らせた後も全く人間的な変化を見せない。姥捨てを他人の手にゆだねたからか、それとも捨てるのが遅すぎたのだろうか。
「西部劇はボーイがマンになる話だ」といっていた人がいたが、そういう意味では寺山の作品は、「ボーイがマンになれない物語」ということになるのかもしれない。
多様な母のイメージに対して、父親というのはほとんど寺山作品には登場しない。すでに死んでいるか、「書を捨てよ町へ出よう」や「ああ荒野」に出てくるような情けない親父である。「飲んだくれで、赤面症でどもりで、女湯覗きの常習犯で、手淫がやめられない」親父ということになるのだが、それは息子も同じイメージで固められていることが多い。「親父のことも書きたいんだけど、顔を覚えてないからね」と自身で語っているように、父を幼いころになくした寺山にとって、主人公の(自分自身の)コピーとしての父親像しか描くことができなかったのかもしれない。実際の寺山の父親は特高の刑事で、戦争中に思想犯を痛めつけような人物なので、母と違い、実際の父の姿は作品にはほとんど反映されていない。むしろ越えるべき対象は、兄貴分の形で現われる。
「書を捨てよ町へ出よう」において情けない父を演じた斎藤正治は、「田園に死す」でも、布団の中に隠し持っている草刈鎌におびえて美しい妻を抱くことができず、押し花を作ることに熱中している、情けない夫を演じていた。この夫の姿は「青ひげ」などの主人公と重なる。「書を捨てよ町へ出よう」や「ああ荒野」の主人公は父親を憎む。しかしそれは、将来の自分の姿を暗示されているような感覚から来るもので、同族嫌悪というものだろう。「私には殺すべき父親がいなかった。だから、エディプスの「父親を殺して、母を寝取る」という神話が、はじめから成立しようがなかった」(「父親なきエディプス」)と寺山自身が記している。寺山流に言えば、「寺山の劇世界は、一人の父親の不在によって充たされているのである」といったところか。「書を捨てよ町へ出よう」の主人公は、一方で、父親に屋台をプレゼントして、商売に打ち込ませようとする。それは失われた強い父親像を取り戻して欲しい、と言う願望であろう。
第二節 二つの母親像
映画「サード」と「草迷宮」の主人公は、パンツ一枚(全裸)で母親の前に出てくる。母親は困って苦笑いするのだが、ここに含まれる意味はかなり違う。「サード」の主人公は、母を異性と認識していないからこそパンツ一枚で出てくるのだが、母は「お母さんだって女なんだからね」と言ってたしなめる。寺山作品の母たちは、自らの醜さを自覚することなく、「女」としての性を振りかざしながら、子供を縛り付け、子供が憧れる女に嫉妬し追い払おうとする。彼女たちにとって、息子は自分の唯一の生きがいである一方で、亡き夫の身代わりとしての意味も持って来る。恐らく、母となる人物が登場する寺山作品では必ず使われるフレーズ、「あたしたち二人っきりの家族なんだからね」という言葉は、この浮世を二人っきりで助け合っていこうというよりも、母子の二人だけを永遠の関係として、家族に新たな人物が加わることを許さない、と言う感情が読み取れる。だから「アダムとイブ、私の犯罪学」の母は、夫が死んだ後で、「ねえ、あたしの汗を拭いておくれよ、父ちゃんがしてくれたように。おまえ、あたしのことどう思う。ただ母親だってふうにしか感じないかい」と息子に迫る。この姿が滑稽な、あるいは無気味なのは、息子にとって母は、自分の自由を縛る、醜い中年の女でしかないということを、母が全く自覚していないということだ。この互いの抱く感情のギャップはどちらかにとって悲劇的な結果を生む。「アダムとイブ、私の犯罪学」では、長男は母を精神病院に送り込んでしまうし、「レミング」では逆に、母は息子の王を、自分の住処の床下に突き落として「もうどこにも行かせ」ないようにしてしまう。
一方、「草迷宮」の主人公の明が母の前に全裸で出てくるのは、明らかに自分が「男」で母が「女」であることを意識した上であり、自分の一物を見せびらかすかのようにする。寺山作品では、「草迷宮」、「身毒丸」のように現実の母親に対して、どこかにいる幻想の母親が非常に美しい形で現われる場合もある。それは別々に暮らした少年時代の空想が作り出したものだろう。どこかにまだ見ぬ自分の本当の母親がいるに違いないという思いが表れている。「草迷宮」では、少年の明が美しい母と暮らしている物語と、青年の明が死んだ母の手毬歌を探してさまよう物語が、重なり合いながら進む二重構造を持っているし、「身毒丸」では、主人公のしんとくは死んだ母を捜してさまようが、ようやく見つけた母は継母と同じ顔をしている。これらの作品では、血が繋がっているようでもいないようでもあり、母であるようで女でもあるような、近親相姦的な危ういイメージを帯びてくる。演出的な面で言えば、普段なら主人公が憧れる女役などを演じる新高恵子が、これらの作品では母親を演じている。少年にとって、母親に憧れる感情と女に憧れる感情は似たものであり、「田園に死す」における隣の人妻への思いなども、恋であるよりは、「こんな美しい人に、自分の母になって欲しい」という思いかもしれない。
上記の三作品に共通して出てくるのが、「お母さん、僕をもう一度妊娠してください」という意味の言葉である。これは永井善三郎の「母だけへの遺書」という詩から来たものらしい。それはもう一度生きるためには、一度妊娠されねばならないという、死と再生の枠組みを示している。「田園に死す」においては、焼け跡で淫売として過ごしたやり直しの聞かない過去をリセットしたいという化鳥の言葉として使われて、寺山の標榜しつづけた「過去の書き換え」の考えの現われにもなっている。
「草迷宮」と「身毒丸」では「母恋い」の心情が加えられ、胎内回帰願望を示していると同時に、セックスの行き着く先として、そのまま女のお腹の中にもぐりこんでしまいたい、という意味も付加されている。「身毒丸」においては、「おとなになるのが、おそすぎた。子供でいるには、はやすぎた」と語り手が言うように、しんとくは継母の子供にもなりきれず、恋人にもなれないジレンマの中で、上のセリフを口にする。もう一度、本当の子供か、あるいは恋人として生み直してほしいということだろう。そしてその思いに答えるように、「暗闇の中から、それぞれ思い思いの意匠を凝らして現われてくる母、母、母、全ての登場人物、母に化身して、唇赤く、絶叫する裸の少年しんとくを包み込み、抱き寄せ、舌なめずりして、ばらばらにして、食ってしまう(中略)すべては胎内の迷宮に限りなく落ちてゆく」のである。この凄まじいイメージで表現されているように、愛情は究極的には、「相手を喰ってしまいたい」というところに行き着くのかもしれない。「草迷宮」でも同様で、母が「ほら、お前をもう一度妊娠してやったんだ」と言った後、少年の明は死んで母は花嫁装束になり、青年の明はいつの間にか父と同じ姿になっているのである。さらに西瓜、手毬、満月、子産石などの球体のイメージが無数に現われ、妊婦のお腹や乳房を想起させる。空気女や大山デブコに見られる巨女願望も、同様のものであろう。
男になるということは、母を求めるのをやめ、自分の女を手にすることでもある。「書を捨てよ町へ出よう」で主人公が売春宿の緑に性の手ほどきを受けるシーンと、「田園に死す」で少年時代の「私」が草衣に寺の本堂に連れ込まれて襲われるシーンは演出やシーザーの呪術的な音楽が流れる点で類似しているが、途中で逃げ出した「書を捨てよ町へ出よう」の主人公が最後まで兄貴分を越えられないのに対し、最後までしてしまった「田園に死す」の少年は、現在の私を裏切り、家を捨ててどこかへ旅立ってしまう。
第三節 家のメタファーとしての小道具
寺山作品では、家のイメージを強化するものとして、仏壇や遺影や柱時計などの小道具が登場する。「田園に死す」や「青ひげ」の母親は柱時計にこだわり、腕時計を持ちたがる子を戒める。「時間はね、こうやって、大きい時計に入れて家の柱にかけとくのが一番いいんだよ。それを腕時計なんかに入れて外へ持ち出そうなんて、とんでもない考えだよ」と。柱時計に支配された時間の中では、人は永遠に家の中で生きていかなくてはいけない。そこで少年は永遠に少年のままだ。それは居心地のいい牢獄のようなもので、「毛皮のマリー」の少年のように外の世界の現実の醜さに絶えられず、自らそこに閉じこもってしまうことにもなる。一つの時間によって支配された世界は羊水の中の世界とも言える。それから逃れるためには、腕時計を買って「自分自身の時間」を持たねばならない。
「さらば箱舟」に登場する村は、本家の大作によって全ての時計を壊される。村全体は一つの時計によって支配され、時間が止まったように何も変わらない日々が続く。その世界は隣村からやってきた腕時計をした男によって、別の時間を持ち込まれることで破壊される。それは一つの価値観しかなかった土俗的な村が、他の町から多様な価値観が流入することで近代化していく過程でもある。「田園に死す」においては、少年の姿と二重写しになるように、縄で縛り付けられた柱時計が出てくる。少年が家出していった後、少年の母が胸に柱時計が抱いてさまよう、こんなシーンがある。
〈柱時計を抱いて、恐山を降りてくる少年の母。風に髪を吹かれて鬼子母神のように見える。音楽「桜暗黒方丈記」。
天に鈴ふる巡礼や 地に母なる淫売や 赤き血しほの ひなげしは
家の地獄に咲きつぐや 柱時計の恐山 われは不幸の子なりけり
死んでくださいお母さん 死んでくださいお母さん
地獄極楽呼子鳥 桜暗黒方丈記
歌が「死んで下さいお母さん」のところまで来たところで、母振り向く。髪乱れた悲痛な顔。その振り向いた恐山の稜線に、一人、二人、三人…と十人を超える少年時代の私が、同じように柱時計を抱いて、ゆっくりと夢魔のように現れて立つ。
母親 新ちゃーんっ
立ち込めてくる恐山の湯煙に、少年は消え、母もかき消える 〉
「柱時計の恐山」という言葉からも、時計が「家」のメタファーであることがわかる。母は家の時間にすがってさまよい、自分の時間を手に入れた少年たちは、母を捨てて旅立っていく。無数の柱時計を持った少年たちは、無数の価値観と世界の可能性の象徴だろう。「死んでくださいお母さん」は母を捨てようとする少年の正直な心情であり、「母なる淫売」は母を捨てるための侮蔑である。寺山は「戦うためには憎まなくてはならない」と「ああ荒野」で言っているが、母を捨てるためには母を、侮蔑し、憎み、そして殺すことが必要なのだろう。実際に母ハツは、アメリカ兵の相手をすることで(寺山が言うように水商売だったのか、ハツ本人が言うようにただのメイドだったのかは判然としないが)お金を稼いでいたので、実際にも心のどこかで「淫売だ」と思っていたのかもしれない。
前述した少年時代の私が草衣に襲われる場面で、ことが終わった後、力なく横たわっている少年の腕には、二十年後の私からもらった腕時計がはめられているのである。そして現在の私の方は、母を殺すことができず、柱時計が鳴り響く家の中で二十年前と同じように一緒に晩飯を食べつづけるのだった。
第一章でも触れたように、「田園に死す」における仏壇には、不在の父の代価物としての印象があり、母はひたすらそれを磨きつづける。また先祖の遺影には、姿は見えなくても生きているものを縛り付ける「血」、「家族代々のしきたり」を具現化した存在として、現実の人間同様の意味が付与されている。「田園に死す」の隣家では、親をいたわるがごとく毎日遺影を拭くことを強要されるし、「さらば箱舟」の捨吉とスエは床下に埋められた祖母の遺影によって生活を監視されているのである。
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