人生は賭博だ。俺は長距離ランナーなのだ、と少年は思った。
「どうせ人生なんて、略奪賭博の一発勝負。
うまく逃げたやつを出世したと言いやがるのさ」
   
                  −−−寺山修司『勇者の故郷』


上州武尊山・谷川岳
2005年8月28日・29日



オールフィクションエッセイ「山頂で逢おう」N

   

二つの忘れがたい谷川岳を私は知っている。
一つはもちろん上越の名峰「谷川岳」で、
かつては世界に類のないほど遭難の多い「魔の山」として記憶されていた山である。


   

そしてもう一つは、高校時代の同級生だった谷川岳(タニガワ タケシ)という男のことである。
小太りのちびな男で、いつも人の顔色をうかがうように笑っていた。
成績も運動も中の下で、これといってとりえのない男だったが、
言うことばかりはいつも大きくて、「俺は東京で一旗あげてやる」というのが口癖だった。
高校を出てから一度も会うことがなかったタニガワタケシの名前を久しぶりに聞いたのは、
聞き込みにきた刑事からだった。詐欺事件の犯人として追っているというのだ。
被害者の数は八百人にも及ぶと言うことだった。


   

「どこにいるか見当もつかない」と答えながら、私は「魔の山」という言葉を思い出していた。
その後、タニガワタケシは新潟に逃れ、港の酒場を転々として警察の目を逃れながら、
バーテンをやって生活をしているという噂を人づてに聞いた。


   

谷川岳の遭難の多さは、
太平洋側と日本海側の分水嶺をなしていることによる、天候の不安定さによるものだ。
特に冬季では山脈を境に天気が大きく異なることも多く、
太平洋側が快晴でも日本海側は風雨・風雪ということもある。
その山岳的特徴は、太平洋側で人生に失敗し、
日本海側で日陰者の生活を送るタニガワタケシの姿と、不思議と重なってみえる。




その後、谷川岳は、ハイウェイやロープウェイ-が整備され、
アプローチが容易な行楽の山になり、「魔の山」という名称も過去のものとなった。
だが、タニガワタケシの方は今もようとして消息が知れないのであった。



  実際の行程

宝台樹キャンプ場(1泊目)
→武尊神社→手小屋沢避難小屋→武尊山山頂→同ルートを下山し、宝台樹キャンプ場(2泊目)
→谷川岳ロープウェイ・土合駅〜天神平駅→肩の小屋→オキノ耳・トマノ耳→西黒尾根→土合駅



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