「人力飛行機ソロモン・松山篇」
体験記(1)
さて、何から書けばいいのやら。おそらく俳優として参加した方から観客として参加した方、たまたま居合わせた方まで、いろんな方がレポートを書かれるとは思いますが、それでも一寺山ファンとして、一応レポートさせていただきます。
演劇実験室天井桟敷を率いて、数々の前衛的な作品を作り出した寺山修司。その中でも最も過激な挑戦が、1970年代に発表された一連の市街劇と呼ばれる作品で、市街の日常現実の中にむりやり演劇を持ち込み、現実と虚構の境界線を融解させてしまうというものでした。市街劇は「イエス」(70年)、「地球空洞説」(73年)、「ノック」(75年)などいくつかのシリーズがありますが、その過激さゆえに警察の規制を受け、晩年の寺山は上演を断念せざるを得ませんでした。
「人力飛行機ソロモン」は1970年11月に東京・新宿及び高田馬場で初演。1971年5月にはフランス・ナンシー市で、1971年6月にはオランダ・アーヘム市で上演されました。その後1983年の寺山の死とともに天井桟敷は解散されますが、1998年11月、「一日だけの天井桟敷」と銘打って寺山の故郷・青森市で「人力飛行機ソロモン・青森篇」が上演されました。ちなみにアーヘム市での模様はNHK系列で何度かTV放送された「寺山修司の劇的世界」で、青森市での模様は樋口ヒロユキ氏の著書「死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学」(冬弓社)で詳しく知ることができます。
前置きが長くなりましたが、そんなわけで今回の「人力飛行機ソロモン・松山篇」は10年ぶり5度目の上演です。これを逃したら、次はいつ見られるのか全くわからないので、滞在時間11時間の強行日程で松山へと飛びました。夜行バスで。
松山行き直行バスがとれなかったので、今治で一度乗り換えて道後温泉に到着したのが8時半頃。時間があったので、まずは朝風呂に使ってさっぱりした後、正岡子規記念館へ向かいました。11月いっぱい開催中の特別展「歌人・俳人寺山修司と天井桟敷ポスター展」は、「ソロモン」のチケットを持っていれば無料で入場可能。すれっからしの寺山ファンである私にとっては何度も見ているポスターばかりでしたが、やっぱり本物を間近に見るのは迫力があって楽しい。常設展も軽く流して見た後、路面電車に乗って松山市役所前へ。
受付開始の11時ちょうどに行ったのですが、もうかなりの人だかりがありました。市役所前の受付で前売券を提示すると、正岡子規のお面と、市街劇が展開される場所が記された地図を手渡されます。(註:お面と地図の写真は終了後に撮ったので、少し汚れています)。ちなみに私はぴあで前売券を買っていたのですが、当日券のデザインがかっこよかったのと、地図を1枚きれいなままとっておきたかったので、その場でもう1枚買ってしまいました。ちなみに今回の特性グッズのバスタオルも1枚二千円で販売されていました。このとき、「必ずお面をつけて移動してください」と受付の方に念を押されました。後になって気付いたのですが、どうやらこのお面をつけていることが、俳優側が「あれは突発的に劇を仕掛けてもいい人間だ」と見分ける目印になっていたのではないかと思います。「これはなかなかうまい作戦だな」と思うと同時に、かつて寺山が志向したような「劇に全く無関心な一般市民まで無理やり演劇の中に引きずり込んでしまう」過激さは失われてしまっていることは残念な気もします。今の時代ではしょうがないことかもしれませんが。
地図には1番から46番までの市街劇の説明と上演場所が記載されていました。お面を装着してふたたび路面電車に乗り、プロローグが上演される大街道へ移動。上演開始の12時まで40分ほど時間があったので、すぐ近くにあった坂の上の雲ミュージアムを見学しました。企画展「『坂の上の雲』1000人のメッセージ展」が開催中で、司馬遼太郎氏の作品「坂の上の雲」をテーマに、様々な人が様々な形で表現した作品が展示されていました。プロアマ問わずいろいろな作品がありましたが、やはり一番印象的だったのは、最上階の展示室にあった智内兄介さんの作品でした。劇団APB−Tokyoの宣伝画を長らく手がけられ、「狂人教育」(06年6月)、「田園に死す」(06年11月、08年12月)、「青ひげ公の城」(07年6月)、「さらば、映画よ!〈スタア篇〉」(07年11月)などの寺山公演でも幻想的な宣伝画を描かれている智内さんですが、松山市出身の方だったんですね。智内さんの作品は、十二単衣を着た二人の少女が向かい合っている姿が描かれた美しい屏風絵で、これを見られただけでも入館した価値がありました。
(劇団APB−Tokyoのサイト(http://www.h3.dion.ne.jp/~apbtokyo/)から、Historyの各公演のページに入ると、宣伝画を参照できます。)
そうこうしていうるちに12時近くになったので、大街道へと移動。正岡子規のお面をかぶった人が大量にいて、すでに異様な雰囲気です。やがて大音量で流れだしたJ.A.シーザーの音楽とともに、プロローグ「百年鐘=歴史の蹉跌」が始まりました。やぐらの上には手旗信号を振り続けるセーラー服の少女。巨大なトラックからあらわれた白塗りの俳優たちが、小道具・大道具を担ぎ、赤いカーペットを敷きながらアーケード街を進んでいきます。そして次々と同時多発的に叫ばれる寺山修司の劇的な台詞。
「さあ、ぼくが汽車と言ったらみんな汽車と言ってくれ。ぼくが海と言ったら、みんな海と言ってくれ。ぼくが歴史と言ったら、」
「「歴史!」」
「地獄と言ったら、」
「「地獄!」」
「ゲバラと言ったら、」
「「ゲバラ」」
例えばこれは、演劇版「書を捨てよ町へでよう」からの台詞でした。やがて商店街の真ん中に敷かれた真っ赤な幕の上にイスが置かれ、そこに一般人にしか見えないごく当たり前の服装の男性が座らされます。その男性が、その場で、剃毛され、化粧をされ「どこにでもいる誰でもない人間」から「一人の俳優」へと仕立て上げられていく。これは「奴婢訓」の「不在の主人を作り上げる」のと同じ手法ですね。同時に別の場所では、通行人を捕まえて「私はジャンケン王、非公認だが○○連勝記録保持者です。行きたいなら、私とジャンケンをして勝ってください」と迫る寸劇が繰り広げられています。
30分程のオープニングが終了すると、俳優は各地に散らばっていきました。私も地図を片手に行動開始。さっそく、紙飛行機を飛ばし、落ちた場所に印をつけては、また紙飛行機を飛ばし続けるという34番「紙飛行機少女」を見つけたのですが、動きがすばやすぎて、あっという前に見失ってしまいました。撮影にも失敗。あのすばしっこさはタダものじゃない。とりあえずは29番「青空を私有することの犯罪性」を見ようと、愛媛銀行前に行ってみたのですが、見事に誰もいませんでした。地図をちゃんと読んでみると、その箇所で固定して演じられる劇と、その箇所を起点に市内各地を移動しながら演じられる劇の、二種類があるようで、29番は後者だったようです。がっかりしながら戻る途中で青空を持った女の子とすれ違ったので、私が行くのが早すぎたのかもしれませんね。
さきほどの大街道通りまで戻ると、人だかりができて「隙間に入ってったから、また出てくる」と話しているのが聞こえてきます。待っていると、ビルとビルの隙間から不思議な集団が出現。どうやら、44番「まことクラヴ」のようです。「@横断歩道の渡り方A道案内Bエスカレーターの利用法C街のすき間についてD掃除の可能性」の5つのテーマを考察・実験する部活動とか。奇妙な動きのダンスを繰り広げた後、向かい側のデパートに侵入。どうやら手に持っていたのは窓掃除用のスプレーだったようで、踊りながら自動ドアに次々と「お歳暮」「おせちフェア」「年内無休」などの文字を書いては消し、書いては消しを繰り返し、そのたびに観客から笑い声と拍手が上がっていました。
(まことクラヴのHP http://makoto9love.com/)
少し通りを下っていくと、紙芝居を持った二人組を目撃。20番「紙芝居・便所のマリア」です。「便所のマリア」はもともと70年代に「おとなの紙芝居」シリーズとして、作:寺山修司、絵:林静一で、麿赤児によって上演された作品ですが、今回のものは宇野亜喜良さんが絵を描いたもののようでした。この後も何度か練り歩く姿は見かけたのですが、残念ながら上演している場には居合わせることができませんでした。
さらに通りを下ると、巨大な体温計を持った俳優が出現。おそらく「レミング」の小道具だと思いますが、重そうに抱えながらふらふらとどこかへ歩いて行きました。
また同じ場所では、鏡を小道具に華麗なダンスを続ける女性二人組が。そういえば朝食も昼食も食べていないことを思い出したので、近くで松山市名物の蒸しパンを購入。むしゃむしゃと立ち食いをしながらぼんやりとダンスを見ていると、突然話しかけられました。
「すみません。これを持って一緒に写真に写ってくれませんか」
どうやら先ほど見逃した29番「青空を私有することの犯罪性」のようです。えらい美少女だと思っていたら、どうやら月蝕歌劇団の女優さんだったようですね。まさかひと回りも下だとは思いませんでしたが。切り取られ、私有された彼女の青空を一緒に持つと、別の俳優さんがポラロイドカメラを向けてきます。シャッターが切られる瞬間、俳優と観客の意識の同一化のために、あることを考えながら写るように言われたのですが、当日参加者だけの秘密らしいので、ここには書かないでおきましょう。
(白永歩美公式ブログ『菫記念日。』(http://11134040.blog40.fc2.com/)、高取英の日記(http://yaplog.jp/takatoriei/)の11月24日前後の記事を参照)
次に、雑居ビルの一室で行われていた29番「寺山演劇ワークショップ」に行ってみたのですが、すでに始まっていて、完全暗転中でしばらくは入れないとのこと。あきらめて別の場所に向かっていると、突然黒服の女の子が自分に向かって走り寄ってきました。
「お父さん!あなたは私のお父さんじゃありませんか!」
27番「父を訪ねて三千里」です。この演目があることは知っていたはずなのに、驚いて思わず「おわあ!」という情けない叫び声をあげてしまいました。
「私です、あなたの娘ですよ」「もう私の顔を忘れてしまったんですか」「お母さんは元気ですか」「わかった!再婚したんだ」
など、次々と質問を浴びせてきます。どの程度真面目に答えて、どの程度芝居っ気を出したらいいか計りかねて、
「初対面だよ」「この街には今日初めて来たし」「俺一度も結婚したことないからなあ」
と、結局面白みのない回答しかできませんでした。しばらくすると、女の子は黙り込み、あらぬ方向を見つめ始めました。どうやら質問がネタ切れになったようです。相手の様子を窺いつつその場を後にしようとすると、たまたま近くにいた他の観客の方が、苦笑いしながら「お疲れ様です」と声をかけてくれました。
番町小学校の校庭では、3番「1メートル四方1時間国家」が行われていました。男が薪を運び、女が焚き火を起こす。角材で少しずつ、家らしきものが作られていく。近くの木には山羊が繋がれている。二人はひたすらに無言。それはそういう演技指導を受けているのか、それとも言葉を覚える以前の人類の姿を現しているのか。今後の成り行きは気になりましたが、見続けていてもきりがないので、次の場所に移動しました。
雑居ビル2階の美容室「Bee Hive」には、階段から外の通りまであふれるほどの人だかりができていました。43番「ヤミーダンス」です。「ヤミー(闇)ダンス」というタイトルとは対照的に、椎名林檎「この世の限り」などをバックミュージクにして、ハチャメチャで底抜けに明るく楽しいダンスが繰り広げられます。倒れて動かなくなったり、それを引きずりまわしたり、再び起きあがって踊りだしたり。生きては死に、死んでは生き返りながら続く、終わりのないダンス。シャンプーの泡をいっぱいに撒き散らしながらの熱のこもったダンスに、拍手喝さいでした。
(追記:yummydanceのHP(http://www.yummydance.net/)によると、「ヤミー」は「おいしい」を意味するスラングで「おいしいダンス」を目指す集団だそうです。勘違い、失礼しました。)
信号待ちをしていると、デリシャスウィートスの面々が、スタバに入っていくのを目撃。今回、デリシャさんは具体的に何かのパフォーマンスとしている様子はありませんでした。私が見逃しているだけなのか、個性的な恰好で街を歩くことで非日常化に貢献するだけだったのか。そういえば他にも松山市民からの参加者だと思うのですが、明らかに白塗りで仮装しているけど、特にパフォーマンスはせず地図とお面を持って劇を見て回っているという人も何人か見かけました。謎のお面をつけている我々も知らない人から見たらそういう奇妙な一団の一人でしょう。
それで気づいたのですが、この辺のいろんな参加の仕方できるという部分は、コミック・マーケットによく似ているように思います。パフォーマンスを演じる俳優さんがサークル参加者や企業ブース、パフォーマンスはしないが仮装している人がコスプレ参加者、お面をつけた観客が一般参加者という感じです。売り手と買い手、俳優と観客、主催者と参加者という明確な境界はなく、すべての人間がそのイベントの一部となる。その意味で今回デリシャさんはコスプレ参加者だったのかもしれませんね。