「誰か故郷を想わざる」という唄の文句ではないが、
人が遠くへあこがれるのは、きっと現在がわびしいときではないだろうか。
−−−寺山修司『旅路の果て』
塩見岳
2004年7月31日〜8月2日
オールフィクションエッセイ「山頂で逢おう」F
いつものように酒場にいると、そば屋の政が聞いてきた。
「ラジオで外人の女の子がシオミー、シオミーと歌ってるみたいなんだが、あれは山の歌かい?」
「馬鹿!あれは英語でショー・ミー(私に見せて)と言ってるんだよ!」
私は簡単に英語の意味を教えてやった。まったく、
「Show me love,give me all that I want(私に愛を見せて、求めるもの全てを与えてちょうだい)」
というロマンチックな歌も、山男にかかれば形無しである。
「どうしてこう山男って、何でもかんでも山に結びつけて考えるのかしらね」
とトルコの奈々ちゃんも、呆れて笑っている。
歌といえば演歌しか聞かないそば屋の政は、開き直ったように言い返した。
「ふん、しょせん女には山の良さなんてわからないんだよ。
塩見岳の素晴らしい山容を見るのは、下手な愛を見せられるよりもよっぽど上等な経験だぜ」
なるほど。山男として聞くなら、その言葉にも一理ある。
「やはり深田久弥も言ってるように、三伏峠から眺めるのが最高だろう」
「いや、烏帽子岳から眺めるときが一番形がいいって聞くぜ」
「頂上直下の塩見小屋から見上げるのも、なかなか迫力があるんじゃないか」
さっそくどこから眺める塩見岳が一番美しいかという話で盛り上がる。
「まったく、ここには私に愛を見せてくれるいい男は一人もいないのかしらね」
というトルコの奈々ちゃんのため息をよそに、山談義は朝まで続いたのだった。
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