本のあとがきを書くのは、何となく最終レースのたのしみに似ている。
勝っている日は、軽くあそぶつもりになり、
負けている日は、一発逆転をねらって力がこもってくるからである。
−−−寺山修司『旅路の果て』
笠ヶ岳
2004年7月16日〜18日
オールフィクションエッセイ「山頂で逢おう」E
ライチョウは嵐を告げる鳥である。
嵐の始まる直前と、嵐の終わった直後に、雷鳴と共に現れることから、
「雷鳥」という美しい名前がつけられた。
思えば最近の山行では、ライチョウに出会うことが多い。
この日登った笠ヶ岳もまた、例外ではなかった。
麓のわさび平小屋についた頃から降り出した雨は、
翌日笠新道の急登を登り、稜線に出てからも降り止むことはなかった。
必死で歩を進めて笠ヶ岳山荘に着いたとき、目の前にこの鳥が現れたのだ。
その愛らしい姿を見ることは非常に楽しいのだが、
一方で「ああこれから嵐がくるのだな」と考えると、うんざりとした気分になる。
山で嵐になったら、テントの中で風雨をしのいで、ただ収まるのを待つ以外に道はない。
さて、人の人生においても、強い嵐が訪れる前には、かならず何らかの前兆があるという。
それを事前に見つけられるかどうかによって、
嵐をうまくやり過ごせるのか、それとも吹き飛ばされてしまうのかも、大きく変わってくるだろう。
あなたの人生におけるライチョウは、いったい何かな?
どうか見過ごさないようにしてもらいたいものである。
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