故郷喪失した現代人たちにとって、走りながら死んでいく馬は、
甲斐なく働いて死んでいく自らに
とってかわりつつさえあるように思えてくるのだった。
−−−寺山修司『旅路の果て』
雲取山
2004年6月26日〜27日
オールフィクションエッセイ「山頂で逢おう」D
「オンリーは ロンリーだ」と、ラジオからフランク・シナトラの歌が流れている。
最近は独りで山に登ることが多くなった。
「今回も独りで登ってきたんだ。雲取山、東京都の最高峰だよ」
下山後、酒場でいつものメンバーを相手に語る。
「一人きりで山を登るなんて寂しくないの?」
寂しがり屋で、男の腕に抱かれて寝るのが大好きな、トルコの奈々ちゃんが聞いてきた。
「寂しくなんてないさ。そもそも一人が寂しいなんて、誰が決めたんだい?」
山に登ることをよく「山を征服する」と言うが、私の考えは違う。
人はいわば山を抱き、山に抱かれるのである。
それは知恵を絞り、身体を動かし、技術を駆使して得る、精神と肉体の享楽である。
“山”はフランス語では女性名詞。
山という美しい「女」と寝ておいて、そのうえ人肌が恋しいなどと思ったら、それは贅沢というものだろう。
と、そんなことを熱心に語ったら、トルコの奈々ちゃんは鼻で笑ってこう言った。
「気性の激しすぎる山を抱いて、腹上死なんてことにならないようにね」
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