私は、ふとインドの古い諺を思い出した。
「長い間、夢を見つづけたものは、だんだん自分の影に似てくるものだ」と。
   
                  −−−寺山修司『山河ありき』

富士山
2003年8月10日 富士宮口往復ルート


オールフィクションエッセイ「山頂で逢おう」(2)


   
「富士山ってのは一体男だろうか、女だろうか」と酒場のみんなに聞いてみた。
「そりゃ女さ」と笑って答えたのは、そば屋の政だ。
「富士山のてっぺんにはでっかい穴があるからな。穴があるのは女に決まってるさ」



   
   
「これだから男の人ってやあね」と顔をしかめてから、トルコの奈々ちゃんは「でもそうね、私も女だと思うわ」
「だって、富士山って火山なんでしょう?自分の内側に熱いものを秘めているのは、きっと女よ」
と言ってうっとりとした表情になる。奈々ちゃんは最近新しい恋人が出来たばかり。
きっと奈々ちゃんの胸にも、溶岩のように熱い思いが燃え盛っているのだろう。



   

最後に富士山が噴火したのは、宝永4年(1707年)のこと。
そのときは15日にわたって溶岩を吐き出し続けた。以来290年間、今日まで沈黙を保っている。
溶岩が流れるさまは、さながら血が流れ出ているようにも見える。
そして、月もの、破瓜、出産と、自分の内から血を流すのは、女と相場は決まっている。




女たらしの太宰治が「富士には 月見草が よく似合ふ」と詠ったのも、さもありなんといったところか。
そんなわけで、私も女であるという説に1票入れることにしよう。

何はともあれ、奈々ちゃんの恋愛がうまくいくように祈るばかりである。





huji
旅行記の部屋
へもどる