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ダービーと、その年の社会状況とは、つねに無関係ではなかった。
思えば乱世には本命馬が勝ち、
相対的安定期には、穴馬が来てレースが荒れたのである。

      −−−寺山修司「山河ありき」


八丈島
2002年1月12〜13日



2002年の1月、私は唐突に一人用テントを背負って八丈島へと旅立った。
そのとき一体何を考えていたのか、どうしても思い出すことが出来ない。
きっと、精神の具合がおかしかったのだろう。そうとしか言えん。


   

止せばいいのに、出航まで時間があるからと釈由美子主演の「修羅雪姫」をレイトショーで観ていたら、乗り遅れそうになった。
何とか走りこんで間に合うものの、途中で銀マットを落として来たことが発覚。
取りに戻ることも出来ず、私はデッキから遠ざかる東京の街を見つめることしか出来なかった。
あの不夜城のどこかに私の銀マットは眠っている。いい主人を見つけてくれよ。




夜が明けると、そこは流刑地だった。何故に俺はこんな不毛な旅を企画したのだろう。
上陸し、亜熱帯の街並を歩きながらふいに気付いた。
そう、私は擬似西表島がやりたかったのだ。あの島で感じた興奮をもう一度感じたかったのだと。
だが、所詮擬似は擬似である。そこにあったのは、さびれた町役場。
そして朽ち果てた墓場だけだった。屍は何も答えてはくれない。


   

ああ、あの日の船はもう来ないのだ。そう思うと不意に悲しくなった。
今日も夕日が沈んでいく。
私にはもはや山に登る以外の道は残されていなかった。


   

一度山登りを覚えたヤマノボラ―が死ぬまで登りつづけるのは、
一度手淫を教えられた猿が死ぬまでやリ続けるのに似ているかもしれない。



それからどこをどう歩いたのか覚えていない。
気がつくと私は帰りの船に揺られていた。
さらば、八丈島よ、俺の青春を返してくれ。



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