少年は、自分がいま途方もなく遠くの場所にいるような気がして孤独だった。
だが、それがいったいどこから数えての「遠くの場所」なのかは、
少年自身にもわからないのだった
   
                  −−−寺山修司『勇者の故郷』


唐松岳・五竜岳
2005年8月5日〜8月6日



オールフィクションエッセイ「山頂で逢おう」M



はるか昔、代馬(しろうま)の里に凶暴な五匹の竜がいた。
暴れまわっては嵐や洪水を巻き起こし、そのたびに里の百姓たちは被害をこうむっていた。
同じ頃里には、松姫という名の美しい娘がいた。その美貌は里の男だけではなく、鳥や獣までも虜にしてしまうほどだった。


   

やがてその美貌を聞きつけた五匹の竜が、松姫を差し出せと言ってきた。
松姫は白無垢の花嫁衣裳に身を包むと、五匹の竜の元に赴いた。そして短刀を自らの喉元に当てると、臆することなくこう言った。
「私の体はただひとつ。神の使いたる竜といえども、五人でこの体を嬲りものにするつもりなら、私は自ら命を絶ちましょう。
もし本当に私がほしいのなら、戦って勝ち取るがいい。最後に残ったもっとも強い竜、その者にだけ我が身を捧げ、夫と呼びましょう」




松姫の美しさに魅せられた竜たちは、狂ったように殺し合いをはじめた。
七日七晩にわたる争いの末、最後に生き残った一匹の竜が息絶え絶えになりながら、松姫の前に進み出た。
松姫は傷ついた竜の頭を優しく抱いて「わが夫よ」と囁いた。


   

そして短刀を竜の額めがけて、深々と突き刺した。
最後の竜が息絶えるのを見届けると、今度は短刀で自分の喉をかき切り、約束通りその身を捧げて息絶えた。
五匹の竜の巨大な屍骸はそのまま固まって岩になった。これが五竜岳の起源である。
それ以来代馬の里は栄え、命がけで里を救い天に召された松姫にちなんで、かたわらにそびえる山を唐(空)松岳と呼ぶようになったのだった。


      

さて、この話は全て私の作り話である。ひとり酒を片手に霧に包まれた五龍岳を見ていたら、こんな空想をしてしまった。
だが霧が晴れたほんの一瞬、五龍岳の頂上に佇む美しい少女の幻が見えたと言っても、寛容な読者は許してくれることだろう。
美しい山というのは、いつだって美しい幻想を孕んでいるものなのだから。



  
実際の行程

八方池山荘→丸山ケルン→唐松岳頂上山荘→唐松岳山頂→唐松岳頂上山荘→五竜山荘(1泊目)
→五竜岳山頂→五竜山荘→西遠見山→大遠見山→中遠見山→アルプスだいら


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