私はあき子に言ってやった。
おれたちには芝草の牧場よりも、ネオンの牧場の方が似合うのさ、と。
生きていりゃ、そのうち、きっといいことだってやってくる。
−−−寺山修司『旅路の果て』
月山
2004年10月23日
オールフィクションエッセイ「山頂で逢おう」I
「雲の峰いくつ崩れて月の山」という松尾芭蕉の句があるが、
そば屋の政と鶴岡から見た月山の頂には、本当に雲の峰がかかっていた。
笠富士の例を挙げるまでもなく、雲がかかった山の様子というのはとても趣きがあるが、
その中を歩かなければならないとなると話は別であろう。
湯殿山より入山し、笹原の中の道を登っていくが、雲は全く晴れる様子がない。
山頂近くまで登り、実際に雲の中に入ると、そこは冬の嵐だった。
顔には痛くなるほど霰(あられ)が吹きつけ、辺りには霧氷が広がっている。
「芭蕉ものんきに言ってくれたもんだよな」と、政も愚痴をこぼす。
そういえば芭蕉には「石山の石にたばしる霰かな」という句もあるが、
これも自分が霰に打たれながら詠んだ句ではあるまい。
本来は美しい草原が広がるはずの山頂からの景色も、真っ白で何も見えない。
固く扉を閉ざされた無人の小屋を尻目に、寒さに凍えながら早々に下山することとなった。
「優しい山だと聞いていたんだがな」
「いや、優しさに甘えて付けあがっていると、しっぺ返しを食らうってことさ」
麓の酒場で山形牛を突っつきながら、語り合う。
山が不発だったときほど、それを取り返すかのように酒は進み、会話は弾む。
散々飲んだくれてから宿へと転がり込み、「酔ひて寝むなでしこ咲ける石の上」
と、今日の最後も芭蕉の句で締め括ることになったのだった。
![]() 翌日の蔵王山へつづく |