競馬の快楽とは、運命に逆らうことだ、というのが、
私に競馬を手ほどきしてくれた
娼婦のおときさんの教訓なのであった。
−−−寺山修司『旅路の果て』
甲武信岳
2004年8月21・22日
オールフィクションエッセイ「山頂で逢おう」H
「悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる」
という中島みゆきの唄ではないが、人がこぶしを握りしめるときとは、
何かに対し怒り、嘆き、やりきれない思いをこらえているときではないだろうか。
甲武信岳という山名は、甲斐、武蔵、信濃の国境のあることから付けられたものだが、
「こうぶしん」とか「かむし」とか読まずに「こぶし」と読ませるようになったのには、
やはり何らかの思いが込められているのだと考えていいだろう。
いつもこぶしを握りしめているangry young men(怒れる若者たち)も、
多くの挫折を経験する中で、やがて妥協し、掌を開いて相手に迎合するようになっていく。
そういえば私も長いことこぶしを握りしめたりしていない。
あれほど嫌っていた、つまらない大人たちの一人になってしまったのだろうか?
だがどんなに年を取ろうとも、「怒る」ということを忘れて、
ただへらへらと笑っているような人間にだけはなりたくない。
私はこぶしを強く握りなおして、自分に言い聞かせるように中島みゆきの唄の続きをつぶやいた。
「ファイト!闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を震えながら登ってゆけ」と。
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