ニコルは気付いていた。否、気付いてしまったというべきか。 彼の、その行動を。 さりげなく、けれど確かに。 繰り返される、その行動を―――。 プラントにあるザフト軍施設。少年兵たちが寝起きする宿舎の一室で。 素っ頓狂な声が上がった。 「はぁ?お前、何言ってんの?」 力いっぱい呆れた声音のディアッカに続き、イザークがきっぱりと吐き捨てる。 「バカか、お前は。そんなことが何で解る!」 「だーかーらぁー。絶対に僕の言ってることは正しいのです!何度言ったら解ってくれるのかなぁ」 心外だと言わんばかりのニコルに二人は溜息を吐いた。 ここは、イザークとディアッカの共同部屋。今は部屋の主たちに加え、ニコルとアスランもいる。 夕食を済ませた彼らは、ニコルの重大な話を聞くためにここに集まっていた。 「まったくさぁ。クルーゼ隊長についての重大発表、なんて言うから何かと思えばこれかよ?くっだらねぇ」 ディアッカの言葉にイザークも頷く。そんな二人にニコルは叫んだ。 「もう!僕の言うこと、信じてないでしょう」 「信じるワケないじゃん。アスランだってそう思うだろう?」 突然話を振られて、アスランは戸惑う。 「え・・・。俺?」 「そうそう、ニコルの話、信じられるかって?」 ディアッカに問われアスランは首を傾げた。少し考えてから小さく呟く。 「・・・信じるっていうか、隊長は仮面使ってるだろう。なんで流し目だっていうのが解るんだ?」 真剣なアスランの眼差しに、ニコルはきっぱりと言い放った。 「僕の勘に間違いはありません!」 「・・・そっかぁ。じゃあ信じるよ」 ふんわりと微笑みのサービスまで付けてしまうアスランに、イザークとディアッカは脱力した。 「ちょーっと待て、アスラン!。貴様はこいつの言うことを信じるのか!」 額に青筋を立ててアスランに詰め寄るイザークが、なんだか滑稽に見えて、ディアッカは乾いた笑みを浮かべた。 事の発端は、こうである。 ニコル曰く「クルーゼ隊長がアデス艦長に熱い視線を送っている。しかも流し目でだ」 あまりの力説ぶりにディアッカもイザークも、口をあんぐりと開けてしまった。百歩譲って、熱い視線は解らないでもない。 アデスはヴェザリウスという宇宙戦艦の艦長なのだ。それだけ期待している証拠だと言えない訳でもない。 だが、しかしである。 二百歩譲っても五百歩譲っても、何故そこで流し目なのかが理解に苦しむ。 クルーゼは独り仮面舞踏会なのだ。 目は仮面に隠されている。流し目なんて誰にも解らないし、クルーゼがアデスにそんなことをすること事態が、まずありえない。 が、思い込みの力は素晴らしい。 ニコルはこうも言った。 「クルーゼ隊長は、男の一線を越えるべきか悩んでいるのです。だから、怪しい色気ムンムンなのです」 ―――怪しすぎるのはお前だ、ニコル。 ディアッカの心の呟きだ。イザークといえば、血管が切れるのではないかと心配になるほど、頭を沸騰させている。 アスランは―――。 こいつもある意味、問題だ。 ニコルの話を「へぇー、そうなんだ」と、ごく普通に聞いている。聞き流しではない。ちゃんと聞いているのだ。 天然だ―――とディアッカは思う。天然すぎて不思議ちゃんだ。 きっと、アスランもニコルも。 ディアッカたちには理解出来ない思考の持ち主なのだ。 とりあえず、そういうことにしておこう。 ディアッカは事の成り行きを、生暖かい目で見守ることにした。 「で、ニコルとしては、どうしたいワケよ?」 「僕としては、やっぱり熱い視線の想いの先を、確かめたいですよね」 「・・・確かめるって、どうするんだ?」 「それは、現場を押さえることでしょう」 にっこりと笑うニコルだが、どこか黒い影がある。ディアッカは頬の引き攣りを感じた。しかし、頬を痙攣させたのは、彼だけではない。 イザークは二人の会話に声を荒げた。 「貴様ら、そんなくだらないことを話すのは止めろ!」 「くだらないとは失礼ですね。僕は真剣なんです!」 「なぁーにが真剣だ。隊長のすることに、俺たちが関わる必要はないと言っているんだ」 「でもイザークは気にならないんですか?流し目ですよ」 「だから何で流し目なんだよ。つーか、黙ってないでお前も何か言ってやれ、アスラン!」 聞き役に徹しているのではないのだろうし、単に口を挟むことが出来ないでいるのかもしれないアスランに、三人の視線が集まる。 「う・・・」 何かを言わなければならない雰囲気に、アスランはたじろぐが、ぼんやりと考えていたことを口に出した。 「・・・ハ・・・ハロに流し目の機能は有効かなぁ・・・」 シーンと静まり返る室内。 が、次の瞬間。 三人は三人だけで輪を作った。 「とりあえずですね、現場は大事です。現場は」 「・・・まぁ、隊長の行動を観察するってことで」 「バカは放っておくに限る」 ヒソヒソヒソ。 彼らは彼らだけで一応の結論を出した。アスランは完全無視である。 「ちょっと何だよ!俺だってそれなりに考えて・・・」 アスランの叫びが、空しく響いた。 軍施設内の教養棟にあるミーティングルーム。アスランたちの少年兵は、クルーゼとアデスを前に、戦闘訓練の打ち合わせを行っていた。 「四班に分かれての白兵戦だ。自分たち以外の班は敵だぞ。訓練だからと言って気を抜かず、どういう組織戦を行うか考えるんだ」 各班ごとに分かれた少年たちの間を、アデスはゆっくりと歩く。少年たちの戦術能力を見極めるように、一つ一つの班を見る。 ニコルの重大発表から三日目の午後。穏やかな日差しを受け入れるミーティングルームの中で。 四人の少年たちは、打ち合わせよりも優先させるべきクルーゼの観察に、勤しんでいた。 窓に背を預けて立つクルーゼは無言だ。 が、確かに。 確かに―――。 彼の仮面の下の瞳は。 アデスを捉えていた。 戦闘の話し合いを続ける少年ではなく、確実にアデス一人を見ている。 ―――どういうことだ? アスランたちの疑問は、大きくなる一方だ。 (やっぱり男としての一線を越える愛なのですね) (マジで熱い何かを感じるよ。さっすが隊長だよねぇ) (・・・二人の間に恋は成立するのか?) (隊長って年上キラーなのかな?) 室内のざわめきの中。 四人それぞれの想いは。 恋愛に流れていた。 「よし、今日はここまで。明日もこの続きをするので、各班、自分たちの行動に無駄がないか完璧な戦術を考えておくように」 クルーゼの凛とした声に、少年たちの背筋がピンと伸ばされる。椅子から立ち上がり敬礼をする彼らを前に、クルーゼは四人の名前を呼んだ。 「アスラン、イザーク、ディアッカ、ニコルはここに残ること。以上だ」 幾分鋭さのあるクルーゼの声音に、アスランたちの背中を冷たい緊張が走る。 ―――ヤバイ、気付かれてた? 鼓動の速さを感じつつ、それでも彼らの表情は崩れない。 クルーゼと少年たちと。 ミーティングルームに彼ら五人以外の姿が消えてから、クルーゼは口を開いた。 「立っていないで座りたまえ。少し話があるだけだ」 いつもの淡々とした口調を向けられ、アスランたちはお互いを見る。班毎でのミーティングということもあり、互いの位置が少し遠い。 彼らは自然とアスランの所へ集まった。少年たちが椅子へ座るのを待ってから、再びクルーゼは言う。 「今日はどうかしたのか?君たちは話し合いに集中していなかったように思うが」 クルーゼに尋ねられたが、彼らには言うべき言葉が見つからない。 「黙っていては何も解決しないだろう。アスラン、理由を言ってみたまえ」 「あ・・・えっと・・・」 何と応えてよいのか解らず、アスランは俯く。しかし、彼は俯いただけではクルーゼの言うように、この問題は解決しないとも思っていた。 どうせなら直接本人に訊いた方が早いのだ。アスランは決断した。 キッと顔を上げ、クルーゼを見る。 「・・・流し目の傾向と対策、もしくはその効果について考えていました」 イザークたちは忘れていた。 アスランは上にバカがつくほど、正直だということを。 「あちゃ〜、言っちゃったよ。お前さ、もっと順序良く説明しろよ。それじゃあ、ワケわかんねぇだろうが」 思わず突っ込みを入れてしまったディアッカに、イザークは天井を仰ぐが、ニコルは違った。どうやらアスランと考えが同じらしい。 机の上に身を乗り出すと、クルーゼを真っ直ぐに捉える。 「そうです、クルーゼ隊長。僕は気付いたんです。隊長がアデス艦長を見つめ、しかも流し目を使っていることを!」 ピンと張り詰めた空気が流れる。少年たちとクルーゼの視線が、絡み合う。 ―――あぁ、なるほど。 クルーゼは、にんまりと口の端を上げた。 「・・・そうか、気付いてしまったか」 小さく囁かれた言葉に、少年たちは息を呑む。意味ありげな笑みを浮かべ、クルーゼは静かに言った。 「・・・アデスを意識して見ていたわけではないがね。流し目というのは、近くはないが遠くはない言い方だ。気に入ったよ」 「隊長・・・それじゃあ・・・」 ニコルの声が微かに震える。 (マジで仮面とオヤジの恋愛話になるのか?) そうだろうというニコルたちの思惑は、次のクルーゼの言葉で、百八十度の方向転換となった。 「これは極秘プロジェクトだから、知っている者は私を含めても数人なのだがね。良い機会だから、君たちにも教えてあげよう」 仮面の青年の唇が、そこで止まる。 極秘プロジェクト。 (何のだ?) 知る者は、数人。 (数人って、ごく少数の意味か?) それほど重要なプロジェクトを、自分たちはこれから知ろうとしている。 (流し目と恋愛に、関係あるのかは解らないけれど・・・) ドキン、ドキン。 少年たちの、胸が鳴る。 一瞬の沈黙後。 青年の唇が、再び動いた。 「アデス女体化計画―――があるのだよ」 「「・・・はい?」」 四人の妙に力の抜けた声が、見事に重なる。聞き間違いではないかと、彼らは自分の耳を疑った。 「そんな変な声を出さないでくれ。これは真面目なことなのだ。このプロジェクトが成功すれば、連合をやっつけられる」 「「へっ?」」 「名付けて、連合の皆さん女体化計画あーんどお試し体はアデスでね、なのだよ。アデスが見事に女体化した暁には、連合の皆さんにもその薬を飲ませて、 女体化してパニックになっているであろうところを、攻撃するというものだ。我ながら名案だろう」 どこか楽しげに語るクルーゼに、アスランたちは明々後日の方向に意識を飛ばした。 (名案だろうか?そうだろうか?) (というか、恋愛とはほど遠かった・・・) 奥が深いのか深くないのか、そもそもプロジェクト化するようなことなのか。 十代半ばの彼らには、理解不能な世界が待っていた。 「まぁ、そういうことだから、君たちもくれぐれも内密に」 そう言い残し、クルーゼは爽やかにミーティングルームを後にする。彼の後姿を暫し茫然と見送って。 最初に気を取り直したのはイザークだ。 「・・・隊長の言われることは、本当だと思うか?」 「どうかねぇ。俺たち、騙されてる?てか、こんな隊長、嫌だ・・・」 力なくディアッカが応える。クルーゼの掌の上で遊ばれた気分だ。 少なくとも、この二人は嘘だと思っている。そんなアホっぽい計画が、あるはずがないのだが。 「・・・クルーゼ隊長って、凄いこと考えますよね。アデス艦長が女体化したら、やっぱりゴツイのかな」 何故か嬉しげなニコル。 そして、アスランは。 「お試し体はアデス艦長、完全体はクルーゼ隊長でね、の方が絶対いいと思う・・・」 どこまで本気なのか解らない感想を呟く二人に、イザークとディアッカは泣きたくなった。 ―――こんな軍生活、もう嫌だ。 その後、アデスが一週間ほど行方不明になったとか。 |