イザーク・ジュールはテーブルを挟んでソファに座る二人の人物に眼を細めた。
一人はプラントの歌姫と呼ばれていた、ラクス・クライン。
もう一人は。
何故かザフトの白い制服に身を包んでいる、キラ・ヤマト。
ほんの少し前、二度目の大戦が終わるまで、キラ・ヤマトもラクス・クラインも、イザークの中では味方という認識はされていなかった。敵ではないが、味方でもない。ならば中立かといえば、そう言い切れる位置でもなかった。が、彼らは声高らかに叫んでいた。
―――戦争という愚かな行為をやめなさい、と。
そして、彼らは戦っていた。ロゴスともザフトとも戦っていた。そんな彼らが、今、プラントにいる。女は、プラント評議会の要請を受けて。男は、何故かザフトの制服を身に纏って。
「まずは、お帰りなさい、プラントへ。そして、ようこそザフトへ、とでも言った方がいいのでしょか」
イザークの執務室。静かな空間に主の声が、低く流れる。同時に、鋭い視線が、二人へと向けられた。
「・・・お帰りなさい、と暖かく迎え入れて下さった人々に、大変感謝いたしております。こちらに戻ってから慌しくもありましたから、改めてご挨拶に伺いました」
「私はお二人と改めて挨拶する間柄ではないし、改めて話をすることもないと思っていましたけどね。それに私は冷たい人間ですから、あなたがたを温かく迎え入れてもいません」
淡々とした口調だか、繰り出す言葉には棘がある。それは、イザークの素直な感情であり、隠す必要もないことなのだ。彼は、眼の前の男と女が好きではない。それだけだ。
そんなイザークの胸の内を知ってか知らずか、ラクスは困ったように小さく笑う。
「イザークさんがわたくしたちに思うことが多々あるということは、分かっているつもりです」
「・・・つもり、では困りますね」
「はい・・・。そうですね、失礼致しました。わたくしはわたくしの意志で、プラントに戻りました。この二年、プラントの地を踏むことさえしなかったわたくしですが、ここはわたくしの故郷です。故郷を愛しく思わない者はおりません。わたくしは、誰に何を言われようと、自分の意志を貫くだけです。そして―――キラも、わたくしと同じです」
ラクスの視線がキラへと向き、二人は頷きあう。強く揺るぎない瞳が、そこにあった。イザークは自分と同じ白い軍服姿の男を見据える。互いの、眼と眼が合う。
キラ・ヤマト―――。
二年前の大戦では、追いかけて追いかけて、結局倒すことの出来なかった男。停戦が結ばれたばかりの二度目の大戦では、突如として戦場に姿を現した男。
彼は、ザフトともプラントとも無関係な男だ。それが今、イザークと同じ純白の隊長服姿だ。イザークは少し顎を引いた。
「・・・随分といいご身分になたものですね、ラクス・クライン。百歩譲ってあなたがプラントを懐かしむ気持ちは分かります。しかしキラ・ヤマトは、プラントと何ら関係はないでしょう。なのに、終戦となった途端に白服だ。これはクライン嬢たってのお願いですか?それともヤマト殿のお願いか?どちらにしろ、掌を返してザフトに入隊するような人間を信じることなど、私には到底無理な話です」
はっきりと言い切るイザークの表情は硬い。上層部が何を考え、キラ・ヤマトの入隊を決めたのか知らないし知りたくもないが、イザークには不本意すぎることだ。ましてキラ・ヤマトの思いなど、知る必要もない。
けれど。
さも当然のように、ザフトの軍服に腕を通した男がいる。ザフトに銃を向けていた男が、今度はザフト側にいる。
イザークには理解の出来ないことだ。
沈黙が落ちる。窓から入り込む柔らかな光が、備え付けの棚の上に置かれている写真へと、目線を誘う。アカデミーの卒業式に撮った、仲間達との写真だ。もう二度と会うことの出来ない、大切な仲間の笑顔が写っている。ふいに、眼の奥に熱を感じた。沢山の命が散って逝った。もちろん自分も、沢山の命を奪った。反面、二度の大戦で何の経験を積んだのか知らないが、ザフトを選んだ奴がいる。
出て行け、と叫びたかった。が、叫んだら、泣いてしまいそうだった。
キラもイザークが見つめているものに気付いたのだろう。唇を噛み締め、少し俯いてから口を開いた。
「・・・二度の大戦で、沢山の人が死にました。僕も沢山の人の命を奪った。サフトの人たちの命も奪った。そんな僕が、ザフトに入ったことが許せないことは、分かります。理解しています・・・。僕はコーディネーターですが、プラントとは縁がありませんでした。だから今度は、コーディネーターとして、プラントの一人として、ザフトの一員として、平和の礎を築きたい。そう思います」
「勝手な言い草だな。ザフトに入れば、貴様らの十八番の、どっちも悪い、正しいのは自分達だけだ、が使えなくなるぞ」
丁寧な言葉遣いを止めたのか、イザークは吐き捨てるように言う。
「何が礎だ。俺が荷を言ったって貴様らは痛くも痒くもないのだろうし、己の意志だと言って、その正当性だかを俺たちに押し付け、さぞや気分がいいだろうな。貴様らが恋人だか何だか知らんが、好き合っている者同士、離れるのが嫌だってことだろう。今度は二人そろって、プラントを理想郷にづるか?お前らの意志にそぐわない者は、排除でもするか?そうしたら、俺は一番にザフトから追い出されるな」
「イザークさん。わたくしたちは何を言われても、それに返す言葉を持ちません。それらを受け入れることが、わたくしたちに許されたことです。ですが、プラントを理想郷にするなど・・・。あまり気持ちのいい、言い方ではありませんわ」
「そうか?あぁ、でもそうだな。フリーダムあっての理想郷じゃあ違うな。あれは核の塊だ。けれど、あれはもともとザフトのものだからな。プラントにあっても、おかしくはないか・・・」
イザークが告げる事実に、ラクスもキラも息を呑む。評議会からもザフト内部からも、フリーダム処分の意見が出ないのは、その機体のパイロットであるキラが、ザフトを選んだからだ。停戦とはいえ、世界から不安定さが消えたわけではない。不安定要素が、いつ爆発してもおかしくはないのだ。
例えば、二度目の大戦の引き金のように。
ラクスは、キラとフリーダムを得て、プラントを宇宙に浮かぶ平和の象徴へと導くのだろう。
キラは、これから評議会議長となるであろうラクスの後ろ盾を得て、ザフトから世界を見据えるのだろう。
クダラナイ、とイザークは思う。イザークにとって、ラクスもキラもプラントには不要な者たちだ。なのに、これから先、その不要な者たちがプラントの顔となる。なってしまう。戦後のプラントを支えるのは、決してお前たちじゃない、と。言ったとことで、図太い神経の持ち主は、ぴくりとも動きはしない。
イザークは、溜息を吐いた。
「・・・挨拶に来たと言ったな。これ以上、話したところで、俺の感情が爆発するだけだ。お引取り願う」
そう言うと、イザークはソファから立ち上がる。澄んだ青い瞳に見下ろされて、キラもラクスも腰を浮かせた。
「・・・イザークさん、僕はプラントのことを良く知りません。でも、アスランがプラントのことを、沢山話してくれました。海があるって・・・。宇宙に海があるんだ、凄いだろうって。シャフトタワーから見る景色も、とても綺麗なんだって・・・。僕はアスランが護ろうとしていたプラントから、プラントを見たい。世界よりも先に、プラントをちゃんと見たい」
キラのまっすぐな眼差しを、イザークは黙して受け止める。今更、何を言われたところで、心に強く響いてくるものはない。もしあるとするならば、アスランという固有名詞にだろうか。イザークが一緒にいたいと願う人は、いつも彼の手から、するりと滑り落ちてしまう。掴まえていることなど、出来はしない。チクリと胸が痛んだ。
「・・・明後日だったか・・・。アイツがオーブに降りるのは」
「はい、そうです・・・」
「そうか・・・」
イザークの、小さな呟きを最後に、キラとラクスが扉の外へと消えた。一人になった部屋で、イザークは両手を握り締める。
キラ・ヤマトとラクス・クライン。
彼らはどんな考えを持って、プラントへと舞い降りたのだろう。建前的なことではなく、本心は別にある。そんな気がする。が、彼らのことなど、イザークには興味のないことだ。イザークは己の信じる道を進むだけ。迷うことなく、進むだけだ。
プラントのために、自分のために。そして―――。
決して遠くはない未来に、再び地球へ降りてしまう彼を呼び戻すために。
深呼吸を一つして、イザークはジュール隊隊長の顔へと戻った。





長い廊下を互いの肩を並べて歩きながら、キラは口の端を上げた。
「・・・イザークさんは、素直な人だね。僕たちへの感情を隠すこともしなければ、誰もが触れられずにいるフリーダムと、僕の正に掌を返したザフトへの入隊劇に、突っ込んでくる」
「それだけ・・・いいえ、それ以上に、わたくしたちを許しはしないのでしょうね」
「そうだね。でも僕はイザークさんを信頼するよ。彼のような人は、ザフトに必要だ。道を間違えたりしない」
廊下の突き当たり。ちょうどビルの端に位置する大きな窓の前に、二人は立つ。ザフト本部から見下ろす街並みは、穏やかだ。
「・・・アスランは僕達のこと、どう思っているんだろう・・・。結局、何も言ってもらえないままだ」
「プラントに残りたい気持ちが大きいでしょうに、わたくしたちが地球へと背中を押しましたから、きっと怒っていますわ。わたくしもキラも、二人そろって嫌われ者ですよ」
伏せ目がちに、少しだけ淋しさをのせてラクスは言う。
「うん・・・。それでいいよ。イザークさんはアスランが好きなんだろうね。アスランのオーブ行きを、最後まで反対していた」
「二度のザフト離反とはいえ、前回ほどの厳しい処置にはならないはずだとおっしゃってましたから、納得出来るものではないのでしょう。イザークさんは、アスランを護るためなら、どんなことでもする人です」
「分かってる。でもね―――」

アスランを護るのは、この僕だ―――

遠く、ぼんやりと視界に入ってくる景色を見つめながら、キラは強く言い放つ。紫電の奥には、深い深い慈しみが確かに溢れていた。
「イザークさんだけじゃない。ディアッカもミネルバの子達も、アスランに一生懸命だ。でも、アスランに一生懸命なのは、彼らだけじゃない」
「そうですわね。そのために、わたくし達はここにいる」
何かの決意を込めた響き。二人は互いの視線を合わせないまま、微かな笑みを零した。
「・・・本人が聞いたら、今以上にお怒りになるでしょうね。わたくし達が望む未来を・・・」
「素直に頷きはしないよ。僕達が勝手に望み、描こうとしている未来だからね」
二人だけの会話。二人だけの秘密の囁きは続く。
「僕達はプラントに。彼はオーブに。だからといって、オーブに留まっていることはしないよ。じっとしていることの出来ない人だ。きっと直ぐに彼の名前が、あちこちで聞かれるだろうね。そうなったら、本格的に僕達の出番だ」
「宇宙がよく似合う人です。けれどその前に、地球を駆けて欲しい・・・。欲張りなのでしょうね。わたくし達は」
「そうだね、欲張りなんだよ。僕達は―――彼の還るべき場所を創るんだから・・・」
彼の場所。彼の還るべき場所。それは、彼だからこそ相応しい、と二人は思っている。これから描かれようとしている、未来への通過点。彼らの望み―――。
「あの場所は、迷う人が相応しい。判断が下せないというのとは、違いますよ」
「分かってる。迷うって悪くないよ。時には苦しみが大きいだろうけど、迷い考えることは大切。彼は、そういう人だ」
故郷を愛し、故郷のために銃を持った彼。
大切な、愛する人を失った彼。
哀しみと憎しみの連鎖から、抜け出そうとした彼。
自分の弱さを、知っている彼。
自分の迷いを、知っている彼。
答えを、求めている彼。
失った命に、涙する彼。
笑顔の、とてもとても綺麗な彼。
そんな、愛しい愛しい君に。

―――プラントをあげよう

君の座るべき椅子を用意しよう。
それが、望み。望みを叶えるための、布石なのだ。
キラは右手を少し上げ、掌を眼に映す。
「・・・僕の手が奪った人達の魂が、この地に沢山眠っているんだ。イザークさんのように、僕を信用出来ないと思っている人も多いはず。それを信頼に変えられるよう、僕はザフトで力をつけるよ。認めてもらえるようになる。認めさめる。彼を・・・アスランを支えられるように」
右手を握り締めるキラをちらりと眼にしてから、ラクスはくるりと窓へ背を向ける。桃色の髪が、ふわりと舞った。
「お互い、好きな人を支えるだけの信頼を、プラントから得るのは、難しいかもしれません。けれど、これからが始まりです」
「世間では、僕達、恋人だからね。いろいろ利用出来る」
「あら、期間限定の恋人ごっこ、と言い直してくださいな。わたくし、キラの恋人になった覚えはありません」
どこかふざけた口調だが、ラクスの科白にキラは動じない。もしこの場に第三者がいたら、少々驚きつつも、彼女の可愛らしい戯言と思うかもしれない。
が―――。
キラの唇が、笑みの形を作る。
「あぁ・・・これは失礼。僕も君と恋人になりたいと思ったことはないよ。お互いの一番好きな人が、たまたま同じっていうだけだ」
背を向け合ったままの彼らに、恋人同士の甘い雰囲気はない。世間が思っている彼らの関係とは、無縁の姿だ。
「本当に・・・。必要な演出の一部としてです。わたくし、彼が座る椅子を、絶対に創ってみせます」
「僕もだ・・・」
コーディネーターの造りし、コーディネーターの故郷。
宇宙に美しく浮かぶ、この故郷を。

―――君に

一方的な愛の形であっても。勝手すぎる未来図であっても。
迷い苦しみながら道を捜す彼に、託したい世界がある。
そのためになら、利用出来るものは、何でも利用する。
「・・・わたくし、これから評議会へ参ります。キラは、どうします?」
「僕は・・・行くところがあるんだ」
「そうですか。では、後ほど」
ラクスはエレベーターホールへ足を踏み出した。カツカツと遠ざかるヒールの音に振る向くこともせず、キラは窓越しにプラントの空を見上げる。
お日様の温かさは頬に届くことはないが、人工物であっても、その光はどこまでも優しい。プラントの人々にとっての故郷の空が、広がっている。
キラの両親はオーブにいる。が、ザフトを選んだということは、このプラントを背にするということだ。そして軍は、簡単に「辞めます」と言える場所ではない。両親と頻繁に会うことは、少なくなる。
しかし、選びたい場所があった。
「・・・僕を憎んでくれていい。でも、僕は君を・・・」

離したりしない。
絶対に。

第二の故郷と決めた、この地の未来図。
新しい世界が、幕を開ける。