宇宙に浮かぶコロニーの一つ、アーモリー・ワンの崩壊。
停戦という名の細い糸で、どうにか保たれていた宇宙と地球の表面的な穏やかさは、アーモリー・ワンへの地球軍の奇襲という形で、あっけなく崩れてしまった。
とても遠い過去の出来事ではなく、ほんの少し前の現実。
あの日からプラントを離れ、宇宙戦艦ミネルバと運命を共にしている。
いつの間にか見慣れた艦の休憩室や食堂。大切な仲間たち。
その中に、やはりいつの間にか溶け込んでいる人物がいる。
出逢いはアーモリー・ワンということになるのか、それともミネルバということになるのか。どちらかといえばミネルバになるのか、と今更考えてもどうでもいいだろうと言われてしまうようなことに、意識を飛ばしてみたりする。
まぁ、どうでもいいのだけれど。
宇宙から地球へ。
初めての出逢いからほどなくして、その人はミネルバを後にした。もう逢うことはないのだろうと思っていた矢先、その人は自分たちの前に現れたのだ。
フェイス―――として。
その驚きも大きかったが、自分の考えで自由に動ける立場だというのに、ミネルバから離れる様子のないことも驚きであり。
加えてやはりいつの間にか、自分たちの隊長になっていることにも驚いて。
要するに、驚くことがその人に関しては、多いのかもしれない。
すんなりと、その位置に納まっている人。データでしか知らなかった二年前の大戦の英雄は、藍色の髪の少年で。綺麗な碧の瞳が、とても印象に残る。
データでしか知らなくても、尊敬する気持ちは確かにあって、その尊敬する人物が突然なんの前触れもなく、自分たちと共に戦うこととなったのだ。戸惑いもあったけれど、戦い方一つをとっても教えられることが多々あり、最初からそこにいたように彼はミネルバに馴染んでいる。
プラントからオーブへ亡命した英雄。
二年前の戦争の傷をその身に焼き付けたまま、彼は再び戦場へ戻ってきた。柔らかな笑みを浮かべながら、話の輪の中にいる彼が、意外なほど幼く見えて―――。
なんとなく、なんとなくではあるのだけれど、彼が気になってしまう。
何故だか分からないから、なんとなく、としか言いようがなくて。
でもこれは、どうでもいいで片付けたくはない感情だ。
大きな窓から差し込む暖かな光に、広々とした廊下の途中で足を止める。束の間の休息。
昨日プラントから最高評議会議長と歌姫が、地球へ降りてきた。歌姫はザフト軍の慰問、ということだが。
―――ギルバード・デュランダル最高評議会議長
彼が地球へ降りて来たのは、再び始まってしまった戦火を消すべく、政治的な背景が強いのだろう。常に穏やかな微笑を口に刻む姿を、自分は良く知っている。自分にとって、とても大切な人だ。彼を前にすると、どうも子供っぽくなってしまう自覚もあるし、頑張ったなと言われるだけで本当に嬉しくて嬉しくて。
尊敬ももちろんだが、親愛のような感情がある。自分でも認めることだ。だから彼が自分たちがいるデュオキアに来てくれたことが、どうしようもなく嬉しくて。
(・・・思わず抱きついてしまったけど、まぁそれを気にする人ではないし、頭で考えるより早く体が動いたというか・・・っていうか、こういうのがやっぱり子供なんだろうか・・・)
少々恥ずかしい行動ではあっただろうとも思うが、自分を受け止めてくれる人がいる安心感は絶大だ。それだけで、前を見つめる勇気が持てる。彼の優しい笑みは、好きなところの一つだ。
(あぁ・・・そういえば・・・)
何故か気になってしまう彼も、ふんわりと綺麗に笑う。相手を安心させるデュランダルの笑みと同じそれではあるのだけれど。
どこか哀しげな色を瞳の奥に隠しているような、切なさを含んでいるようにも見えた。
あの印象的な碧。澄んだ瞳。
誰かを気にするということは、その人を知りたいということだ。
だから、自分は―――。
あの碧色に、捕まったのかもしれない。生まれたての感情。
尊敬ということだけではなくて、まったく違った方向から芽生えた想い。
なんとなく、でも確実に湧き上がってくる気持ちを、大切に胸に仕舞って。自然と緩んでしまう口元を、手で隠したとき。
「レイ!」
大声で名前を呼ばれた。
「・・・シン・・・隊長・・・?」
長い廊下を勢い良く走ってくるシン・アスカと、彼よりも少し遅れて何故か焦っているような表情のアスラン・ザラがいた。
何かあったのだろうか。自分たちはデュランダル議長と歌姫、ラクス・クラインが宿泊するホテルで、共に一晩の休息を与えられている。ミネルバに戻ると決めている時間には、まだ早いはずだが。
「何かあった・・・って・・・うわぁ!」
問い掛けを言い終えるよりも早く、レイ・ザ・バレルはシンに抱きつかれていた。
「ちょ・・・シン!離れろ!」
しっかりと背に腕を回してくるシンに困惑を隠しきれず、レイはその肩を強く押す。すると、いつもより低めの声が囁かれた。
「う〜ん、どうにも良く分からないなぁ・・・」
何が良く分からないのか、こっちが聞きたいと溜息を吐けば、シンは素直にレイから離れた。
「ごめん、レイ。ちょっと抱きついてみた」
「・・・はぁ?」
実にさらりと言う友に、レイは首を四十五度傾けたい気分だった。
「なんなんだ、一体?」
「いやぁ〜、だからさぁ〜」
随分と間延びしたシンの応えに、彼らより間をおいて足を止めていたアスランの声が重なった。
「シン!お前、もう少し考えて行動しろよ」
ほんのりと頬を赤く染めている少年に、レイは視線を移す。その頬の赤さは、走ってきたせいなのか、それともレイに抱きついたシンに対するものなのか、判断はつかないが。どこか照れているようにも見えるのは、気のせいばかりではないのだろう。
「だから、さっきも言ったじゃないですか。こういうのは実際にやってみた方がいいんです」
アスランに顔を向け、にんまりと笑みを浮かべるシンに、彼の頬が赤みを増した。
「シン!そういうのは、レイに失礼だ」
「失礼・・・?ふーん、どこがどう失礼なんですか?」
「そ・・・それは・・・」
口ごもるアスランに、シンの眼がすっと細められる。ゆっくりとアスランの前に立った。
「俺、分かったことがあるんです。レイに抱きついてもなぁーんにも感じませんでしたけど、隊長は違う。考えただけで、ドキドキする」
「な・・・何言ってるんだ!」
今度こそ真っ赤にした顔で、アスランが一歩後退る。レイを置き去りにして、二人だけで進められている会話。こういうのは、どうにもツマラナイ。
「・・・すみません、話しが見えないのですが、一体何ですか?」
彼らの会話を邪魔をしたつもりはないが、同時に瞳を向けられて、レイはドキリとする。その鼓動が聞こえたわけではないのだろうが、シンが実に意地の悪い笑みでレイを見た。
「お前さ、議長に抱きついたんだってな」
「なっ・・・!」
何でそれを、と漏れてしまいそうになった言葉を呑み込んだことに気付いたのか、シンは確実にレイを面白がっているようだ。
「タリア艦長が言ってたんだ。レイも可愛いところがあるのね、だってさ。俺も同感。お前、普段はクールだけど議長の前だと違うのな」
「・・・・・・」
痛いところを、突っ込めれたくない奴に突っ込まれて、レイは深く息を吐く。どこか鋭い光を湛えているシンの双眸は、何かを挑んでいるようで。
考えるまでもなく、彼の気持ちが分かってしまった。
「要するに、抱きつくほどお前は議長が好きってことだよな。良かったぁ〜、少なくともお前は恋敵ってわけじゃなさそうだ」
「・・・勝手にそういう結論を出されては困る」
「へぇ〜、そっちこそ、そういうこと言うんだ。まぁいいけどね」
肩を竦め、レイの科白を受け流す。まるで宣戦布告をされた気分だ。苛立ちを自覚する。なんだか、単純だったものが一気に複雑化してしまったようで、知らず知らず両手を強く握り締めていた。
「・・・ちょ・・・ちょっと待て。今度は俺が二人の話が見えないんだけど・・・」
小さく戸惑いがちの声が、レイとシンの間に入り込む。首を傾げているアスランと不意に眼が合ってしまい、レイは頬が厚くなるのを感じた。
なんとなく気になる人がいる。その人に対して、自分以外の誰かが特別な意識を向けている。その事実が、面白くないと思ってしまった。
なんて自分勝手で、なんて醜い気持ちなのだろう。
けれど―――それだけじゃない。
自己嫌悪ぎみのレイとは違い、シンは普段と変わらぬ様子で、自分たちの話の中心にいた少年へと振り返る。
「すみません、俺たちにしか分からない話をしちゃいました」
「恋敵とか言ってたけど・・・二人とも同じ人が好きなのか?」
本気で言っているのか、と突っ込みを入れたくなる問いにレイは肩の力を落としたが、シンは気にしているようではなかった。
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜、俺たちにしか分かんない話なんです。アスランさんは、気にしないで下さい。ていうか、俺、街へ行こうかと思ってたんだ。すみません、失礼します!」
ぺこりと頭を下げ、慌てて走り出すシンの背中にアスランが叫んだ。
「ちょ・・・シン!待てって!」
「あまり遅くならないように、戻ります!」
こちらを振り向くこともせず、軽く右手を挙げるだけのシンに、慌しい奴だなぁと呟いて。
くるりとアスランがレイに向き直った。
「・・・恋敵?」
「・・・・・・」
悪戯っぽく口の端を上げるアスランに、眉間に皺を寄せ無言を返す。遠回しな言い方でも、あなたのことを話していたのです、と言える勇気が出るはずもなく話を聞かれてはいるが、本人が分かっていないことは喜ぶべきか、哀しむべきか迷うところだ。
「タリア艦長が、昨日の君のことを話してくれてね。俺も驚いたんだけど、シンはもっと驚いたっていうか、なんかヨッシャーとか叫んでいたのが良く分からないんだけど・・・。それでシンが、俺はレイに抱きついてその反応を見るとか言い出して。もう何考えてるんだろうって思うだろ」
「・・・はぁ・・・」
呆れているのだろう、アスランの口調がきつい。が、レイには呆れるどころか、昨日の自分のことを利用した恋敵宣言としか思えない。大きすぎる頭痛の種だ。
「艦長・・・余計なことを・・・」
多少の恨みを込めた独り言は、アスランに届いたようだ。
「・・・レイはデュランダル議長が好きなんだな」
「違います」
少しの迷いもなく正に即答するレイに、アスランがきょとんとする。予想外だと、彼の碧の瞳が語っているようで、レイは眩暈を覚えた。
どんな答を期待していたのだろう。考えるのは面倒だったが、怪しげな誤解を抱かれているのは嫌なので、伝えたいことは伝えようと思った。
「・・・好きか嫌いかで答えるなら、好きです。ギル・・・デュランダル議長のことは、とても尊敬しています。個人的なことを言えば、彼の役に立ちたい。もちろん繰り返される結果となった戦争を、終わらせるためのコマの一つには、なりたいと思います」
窓の外に見える木々の緑に冷静さを取り戻し、レイは正直な想いを紡ぐ。こういうことを彼に話すのはもちろん初めてのことなので、硬さを帯びた響きになってしまったのは否めない。
アスランはレイの言葉を聞き終えてから、壁側へと移動するとその場にしゃがみ込んだ。
「・・・隊長・・・?」
「君は議長のこと、信じてるんだな。俺も信じたいって思うよ。今度こそ、戦争を終わらせるための道を、俺たちと一緒に考えてくれる人だと思う。それに、両手を広げて自分を受け止めてくれる人がいるだけで、安心感がある。君にとって議長は、そういう人なんだろうな。でも、戦争を終わらせるためのコマの一つ、なんて言ったら駄目だ。ザフトっていう軍に属していても、ザフトを動かすためだけの手足じゃないよ」
レイ自身、あまり深い意味もなく発したそれだったが、アスランは違ったようだ。怒りを抑えているような響きが、レイの鼓膜を揺らす。膝を抱え背を丸めている彼は、じっと前を見つめたままだ。その碧の輝きの中に、レイを映してはくれない。自分をちゃんと見て話して欲しい、と思うのは我侭だろうか。
「・・・すみません。俺の言い方が悪かったですね。俺は自分の命を粗末にしているつもりはありません。ただ、今出来ることをしないで、後悔はしたくない。戦争を終わらせる、何かの要因の一つになれたらいい、と思います」
「・・・それは、議長のため?」
ゆうるりとアスランが、上目遣いにレイへ視線を寄越す。交わる瞳と瞳。そこには悪戯に満ちた色はなく、静かでとてもまっすぐな眼差しがあった。
何故ここで、議長のためかと問うのだろう。その人個人のためではないことなど、分かりきっているだろうに。
なのに、それを言わせるのであれば。
確認をしているのかもしれない。
だとしたら―――。
ほんの少しだけ、甘い想いを抱いてもいいだろうか。
口元を緩め、レイは見上げてくる少年に応える。
「・・・誰か一人のためではなく、大きく言えば地球と宇宙のためです。銃を向け合って、相互理解は無理かもしれませんが、あなたはコーディネータもナチュラルも関係ないのでしょう。俺もどちらかが優れているなどと思っていませんが、二年前の大戦を経験しているあなたには、一方的な視点はありませんよね。だから俺は、議長に賭けてもいるし、あなたにも賭けさせてもらいます」
「勝手だな、それ」
「そうですか?俺はあなたのこと、信じてますから」
よどみなく自分の心を曝け出せば、アスランが嬉しそうに眼を細めた。
「信じてもらえてるのって、嬉しいよ。ミネルバに乗ったといっても、お互いのこと良く知ってるわけじゃないから、どのくらい受け入れてもらえてるのか、正直不安なところもあったから」
「そういうわりには、シンはもちろん、ルナマリアたちとも仲が良いと思いますが」
「でも、君と話すことってあまりなかったからさ。良かった、俺、レイに捨てられたわけじゃないのか」
「・・・どういう意味ですか?」
捨てるという表現に、レイは眉根を寄せる。どんな含みを持って言ったのか、非常に気になるところだ。
「積極的な会話ってなかったから、俺はどう思われているのかなって」
「・・・別にシンたちと同じで、あなたは仲間で大切な人です。というより、捨てるって何ですか?俺はあなたを拾った意識はないですから、その言い方はおかしいですよ」
「なら、拾ってくれる?」
レイの気持ちを確かめるように、手が伸ばされる。レイが囚われた、碧の光。
なんとなく気になり始めて、ほんの少しの甘い期待を抱く人。
なんだか相手の上手いペースにハマってしまったようでもあるが、悪い気持ちではない。レイはその白く細い手を掴んだ。
「・・・これからも、よろしく」
立ち上がったアスランが、ふんわりと笑う。互いの温もりを伝えあう、重ねられた掌はそのままに。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
何かが、変わる予感。なんとなくが、明瞭な形あるものへと、変わる予感。
シンには悪いと思いつつも、この思いは譲れるものではないと、はっきりと言える。
この戦争が終わるまで、共にいられるのか分からないけれど。
自分の心に、強く影響を与える人だとレイは思う。
「それじゃあ、ミネルバに戻るか」
「はい」
するりと離れて行く掌の感触を、もったいなく思いながらも、レイはアスランと肩を並べて歩き出した。