「知らないってことは、罪なのかねぇ」
金髪の少年は、少しだけ困った表情で呟いた。
「俺らはさ、あんたとアスランの関係を知らなかった。アイツ、そんなこと言わないしさ。だから当然、本気で戦った。でも、アイツは違ったんだろうな。時々、 良く解んない行動してたしなぁ。ストライクの破壊命令が出てんのに、捕獲するとか言うし。結局駄目だったけど。だからさ、そういうのは相手があんただったからなんだろうな。まぁね、 あんたのこと、知ってたからって状況が変わったとは思えないケド。でもさ、今頃になって判ることって、気持ちのいいもんじゃないだろ。俺は、これから先の未来で、今更知ってどうなるんだよっていう 後悔はしたくないって思う。全部のことを知る必要がなくても、最低限のことって大事だよな。そうじゃないと、相手のことが判んないじゃん・・・」
元ザフト兵の告白。
それは、キラとアスランに対する想いと。
コーディネータとナチュラルという関係を、少なからず重ねたもの。
「おしゃべりしたな、聞き流してくれ」と。
彼は薄く笑い、くるりと踵を返した。
命令としての戦いを受け入れて来た少年は。
人と人の想いの絡み合いを、受け入れ始めた。
彼が選んだ道。己自身で再度選んだ道を。
キラも―――歩む。





少し長めの紺色の髪が、彼の白い頬を隠している。
あまりにも理不尽な形で、連合へ敵対する国として位置づけられてしまったオーブ。破壊された街並みは、人間の醜い欲望の代償だ。
海からの風が、少年の髪をふわりと揺らす。
碧の瞳は、まっすぐ前を見つめたまま。
キラは、瓦礫の山の中に立つ、少年の名を呼んだ。
「・・・アスラン」
小さいけれど、彼を振り向かせるには充分な強さを持つ声音に、臙脂の制服に身を包んだ体が反応した。
「キラ・・・」
ゆっくりと碧の瞳がキラを捉える。哀しい色を湛えているそれに、キラは優しい笑みを向けた。
「こんなところで、どうしたの?」
「・・・いろいろ考えることが多くて。外に出た方が気晴らしになるかなと、思ったんだけどね」
困ったようにキラを見て、アスランは崩れ落ちたビルの残骸へ視線を移した。
「俺は、戦争を終わらせたくてザフトに入ったけど、俺自身が戦火を広げているみたいだ」
「アスラン・・・」
「俺は・・・今まで何をしてたんだろう・・・」
その場に片膝を着いて、建物だった破片の一つを手に取る。民間人への被害が出なかったことは幸いだが、アスランの脳裏に一年前の光景が蘇る。
ブラウン管を通しての、あの恐ろしい光が。
「・・・キラの小父さんと小母さんは、無事なんだよね?」
俯いたままのアスランに尋ねられ、キラは頷く。
「うん、大丈夫だよ」
「そうか・・・。良かった」
掌に収まる破片を、ぎゅっと握り締めるアスランの肩が、小さく震えた。
キラは月で共に過ごした日々を思い出す。
涙を堪える時、アスランは決してキラを見ることはなかった。自分が泣けば、キラを困らせると思っていたようだ。
幼心の中でも、アスランは自分のことより相手のことばかりを考えていた。
けれど―――。
今は違う。
幼かった少年は、大人への階段を上り始めている。
だから、アスランの碧の双眸を濡らす涙を、受け止めるだけの力があるはずだ。
キラは彼のすぐ横で蹲る。
「アスラン・・・もう一度訊くよ。どうしたの?」
彼の胸の内を全て吐き出させたい。せめて、涙を我慢することがないよう、自分の存在を彼に刻み込ませたい。
「アスラン、こっち向いて。僕をちゃんと見るんだ」
キラはアスランの右肩を自分の左手で掴み、右手で彼の頤を上に向けさせた。
「あっ・・・!」
性急なキラの行動に、アスランが短く声を上げる。
が、意思の強い彼の紫の瞳は、怒っているのではなく、アスラン自身が胸に飛び込んで来るのを待っているようで。
心の奥深くに染み込む優しさを拒めるほど、アスランは強くない。彼の唇が、小さく動いた。
「・・・小母さんは、また俺にロールキャベツを作ってくれるかな?」
「えっ・・・?」
「小母さんは、俺を怒るかな?だって・・・母さんはロールキャベツを作ってくれなくて、怒ってもくれない・・・」
「・・・アスラン」
アスランの白い頬が、透明な雫で濡れる。地面にぺたりと座り、キラの胸にぶつかるように顔を埋める。
制服を掴んでくる両手は頼りなく、キラは彼の肩に腕を回し、互いの体をより近づけた。
「母さんが生きていたら、父さんに何て言うんだろう。俺は父さんに何を言えるんだろう・・・」
広がり続ける赤い炎。止まることを知らない憎しみ。
―――知らないってことは、罪なのかねぇ。
金髪の少年の言葉が、耳の奥で響く。
ヘリオポリスで友人たちと笑い、戦争を遠くに感じていた頃。
アスランを、哀しみが襲っていた。
そして、今。
彼の父親が、新しい憎しみを生み出している。
知らなかった事実が、沢山ある。
だけどもう、知らなかった、なんて言いたくはないから。
キラはアスランの掌で、未だ握られたままの破片を、そっと己の手の中へ収める。
「・・・キラ」
自分を抱く少年の手に移る灰色の塊を、アスランはぼんやりと視界に入れた。
「この戦争が終わったら、僕たち二人で母さんのロールキャベツを食べよう。ううん、二人じゃないな、僕の父さんとアスランの小父さんも一緒にね」
「キラ・・・!」
少しだけ驚いた色で見上げてくるアスランに、キラは目を細める。
「コーディネータだからやっていいこと、ナチュラルだからやっていいことなんて、この世に存在しないんだ。だけど、何かを否定しないと、自分の正しさを表現出来ない人も、居るかもしれない」
「・・・そう・・・だね。きっと俺の父さんは、そうなんだ。厳しい人だけど、それだけじゃないのに・・・」
親子の絆は、簡単に切れるものではない。だから苦しさが増す。
妻を失った夫。母を失った子供。
子供は何かが間違っていると思い始め、夫は何かを見失ったまま、互いが違う道を歩き出した。
「アスランの小父さんとアスランは違うだろ。僕はアスランを信じているし、ずっと傍にいる。もう、知らなかったは嫌なんだ」
「そんなの・・・。俺だって同じだ!」
「うん、そうだね。アスランは僕と一緒にいることを選んでくれた。僕たちは、この破片のように壊れたりしないよ」
キラは、ゆっくりとアスランの体を倒す。
「・・・キラ?」
「憎しみだけじゃ、戦争は終わらないよ。そのことを、僕たちが皆に知らせるんだ。二度とアスランを離さないから、一緒に戦いの幕を下ろそう」
「キ・・・」
名前を呼ぶ前に重ねられた熱さに、アスランは瞼を閉じる。
母が生きていてくれたらと、何度叫んだことだろう。
もしも、なんてありえはしないけれど。
ユニウス7の悲劇がなかったら、自分も父も、今とは違う道を歩んでいたはずだと、アスランは思う。
写真の中でしか、見ることの出来ない母の笑顔と。
美味しいロールキャベツを作ってくれたキラの母と。
重なってしまったのは、アスランの淋しさだ。
が―――。
アスランを、求める腕がある。
アスランを、離さずにいてくれる腕がある。
交わる、熱い吐息。
うっすらと目を開けると、照れた笑みを浮かべた彼がいた。
「・・・好きだよ」
「うん・・・。俺―――僕も」
しっかりと彼の首に、自分の腕を絡める。
失ってしまった命は、もう戻らない。
どこかで憎しみの連鎖を止めなければ。
アスランは、父親に背を向けることを決めた。
彼―――キラと共に終焉の幕は、自分たちの手で。
きっと、どこかで見てくれている母へ。
―――誓う。