少年はベッドに横になると、見慣れた天井を見つめた。
「何で俺は、ここに居るんだろう・・・」
呟いたところで無意味なことは、充分すぎるほど解っている。
いつもなら安心して眠りの世界へ行ける部屋なのに、今日は何故だか落ち着かない。
どうしてだろう、と考えて。
自分しか居ない事実に、負けそうになっている。
どうしてだろう、ともう一度考えて。
自分は、こんなにも弱い人間ではないはずだ。
一人でも大丈夫。
大丈夫、大丈夫。
―――だけど。
「やっぱり一人だと・・・」
少年は。
ぼんやりとした意識を手放し、深いまどろみの中へ落ちて行った。





タッタッタ。
小さな影が、ほんのりと明るい通路をゆらゆらと移動する。
小さな小さな影は、あまりにもこの場所に不釣合いだ。
タッタッタ。
影は動く。
小さく小さく動く。





ジブラルタルのザフト軍基地。イザークは基地内で缶詰状態になっている体を持て余していた。
相変わらず出撃命令は出ない。同じザフトでありながら、地球と宇宙とでの温度差を感じていた。
イザークは自分に与えられた部屋から出ると、海を見渡せる休憩室へ足を向ける。
地球へ無理矢理ではあるが、降りる原因となった戦闘。
ほんの数日前のことなのに、何故か遠い日のような感覚になるのは。
ここが宇宙ではないということ。
居心地の悪さは仕方が無い。ディアッカが居る分、マシとは思っているけれど。
長い通路を右に折れた先、目指す休憩室の前に。
ディアッカが居た。
ぼんやりと扉の前に立っているディアッカを訝しげに見ながら、イザークは彼に近づく。
「・・・何やってんだ、お前?」
「イザーク・・・」
どことなく困惑した表情を向けてくるディアッカにイザークは首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「・・・子供がさ、三歳くらいの子供が居るんだよ」
「子供?」
「そう、子供。ぬいぐるみを持って、走り回ってる。この基地の誰かの子供かなって思ったんだけどさ、こんな所に連れて来るか?しかも、そいつ一人でここに居るんだぜ」
おかしいよな、と言ってくるディアッカには応えず、イザークは休憩室へと入った。
午後の日差しが、室内を明るい光で包んでいる。大きな窓は、青く輝く海の穏やかさを知らせていた。
そして。
小さな子供が、大きなクマのぬいぐるみを抱えて、窓の前にちょこんと座っていた。
紺の色の髪と綺麗な緑の瞳。
小さな子供は、突然現れたイザークを不思議そうに見つめたまま、けれど驚いてはいないようだ。
「・・・ディアッカ。誰だ、アイツ?」
「だーかーらぁー、俺が訊きたいんだってば」
そう言いながらディアッカはイザークの横を通り過ぎると、小さな子供の前に行き、彼と目線を合わせるためその場で膝を折った。
「なぁ、お前さ。パパかママと、ここへ来たのか?」
ディアッカの問い掛けに、少年は少し何かを考えるように俯くが、すぐに顔を上げ首を横に振る。
「へっ・・・?じゃあ、一人で来たとか?」
「・・・・・」
少年は口を噤んだまま応えようとはせず、その代わりにクマのぬいぐるみをディアッカに差し出した。
「な・・・なんだよ」
ディアッカが素直にぬいぐるみを受け取ると、少年はにっこりと笑うと立ち上がり、そのままイザークの元へ駆け出した。
「えっ・・・?」
小さな体がイザークの足に絡みつく。嬉しそうに見上げてくる瞳に出逢い、イザークは少なからず動揺した。
「イザーク、誰だ、そいつ!」
「・・・それは俺の科白だ」
制服の裾を掴んでくる小さな手の主をイザークは見下ろす。
軍施設に子供を連れてくる親は居るのだろうか。しかも、一人にさせるだろうか。
さきほどのディアッカではないが、まずその二つの疑問を解決させたくなる。
「本当にさ、お前どっから来たの?名前は?」
ぬうぐるみを押し付けられたディアッカがイザークの横に立ち、解らないことだらけの状態をどうにかするべく、再び少年に尋ねる。
しかし彼は、何も言わない。ただ、ニコニコと笑っている。
ディアッカは大きく溜息を吐いた。
「やっぱさ、誰かに言った方が良くない?こんな子供が一人でここに入って来るなんて、考えられないし」
「そうだな。誰かと一緒に来て迷子になった可能性もある」
まったく、その誰かは一体何をやっているんだ、とイザークが毒づきたくなったとき。
グイグイと服の裾を引っ張られてイザークは少年を見た。
「なんだ・・・?」
両手を高く上げた少年の瞳が、不安げに揺れていた。今しがたまでの笑みはそこには無く、泣き出しそうに眉根を寄せている。
緑の瞳。
―――彼と、同じ色。
「あっ・・・」
小さな子供の顔の中。
イザークは確かに。
彼を、見た。
少年の高く上げられた求める手に、イザークは彼を腕に抱き上げる。首に回される両手。子供特有の高い体温は、布地越しにも伝わってくる。
「おやぁ〜、どうしたんだ、コイツ?やっぱママが恋しくなったんじゃないの?」
にんまりと笑うディアッカを横目で見て、イザークは小さな温もりを抱えたまま、備え付けのソファへと腰を下ろす。あやすように少年の背中を、軽く叩きながら呟いた。
「こいつ・・・きっと一人だ」
「はぁ?一人って?」
「だから、一人なんだよ。親は捜すだけ無駄だな」
「・・・お前、何言ってんの?」
イザークの言葉の意味が解らず、ディアッカの頭の中が疑問でいっぱいになる。勝手に己の中だけで完結されては堪らない。
「なぁ、イザーク。お前は何か知ってるワケ?」
「そうじゃないさ。ただ、こいつは今、一人なんだなって思っただけで」
「・・・何でそんなことが解るんだよ」
「難しい質問だ」
そう言いながらも、イザークの眼は優しい。イザークにしがみついている少年と、彼と。
どこからか現れた小さな子供は、一体何者なのか。
イザークは何を解ったというのか。
―――じゃあ、俺は何だよ。
一人だけ蚊帳の外にいる気分のディアッカは、ツマラナイことだらけで。
ディアッカはソファの後ろに回り、イザークの肩口に顔を埋めている少年の髪をクシャクシャと撫でた。
「何だよ、お前。クマさんよりイザークの方がいいワケ?」
頭上から落ちてきた柔らかな声音に、少年の視線がゆっくりと上がる。少し照れた笑みを浮かべるディアッカの大きな手に納まっている茶色のクマ。
少年の友達。
彼は。
頭のどこかで、今の自分の状況を理解していた。
ぬいぐるみのクマも好き。
でも、もっと好きな人がいる。
一人じゃないよ、と。
囁く声がする。
彼は、初めて。
声を出した。
「クマさんも好きだけど、もっともっと好きな人がいるの」
にっこりと愛らしく笑う少年に、イザークの眼が細められる。
小さな耳に唇を寄せて、彼は言う。
「淋しくないな」
「うん、だいじょうぶ」
コクリと頷いて。
少年とぬいぐるみは。
その姿を。
ゆうるりと。
―――消した。





「なっ・・・マジ?」
何が起きたのか信じられないような、ディアッカの上擦った驚きの声。イザークも少年が消えたことには驚いたが、彼が誰なのかということを知り得た今、口の端を上げる余裕がある。
―――相変わらず、バカなヤツだ。
イザークはソファに身を沈め、まだ腕に残る温もりと小さな重みの余韻を、体中で感じていた。
「なぁ・・・ちょっ・・・イザーク!何で消えたんだよ。意味わかんねぇ!」
後ろから叫んでくるディアッカに説明するのも面倒で、イザークは「さぁな」とだけ呟く。
自分さえ解っていればいいことなのだ。
ディアッカにとっては、消化不良ではあるだろうが。
「なっ・・・何で、さぁな、なんだよ。あいつ、オバケとかじゃないだろ」
「・・・似たようなモノだろう」
「やっぱ、お前、何か知ってるんじゃない?」
勢い良くテーブルを挟んでイザークと向かい合う位置に座り込んだディアッカは、納得なんて出来ない、と言いたげな表情だ。
そんな彼に、イザークは笑った。
「知ったというよりは、解ったと言った方が正しいかもな」
「じゃあ、何が解ったわけだよ」
「それは・・・」
イザークは窓の外を見る。
青い空の、もっと先。
宇宙と呼ばれるそこに。
―――淋しがりやの、あいつがいる。
小さな温もりは、過去からの訪問者だ。
きっと、彼の無意識下が具現化したのだろう、とイザークは思う。
何故、幼い子供でなくてはならなかったのかまでは解らないが、幼年期にも淋しいと感じることがあったのかもしれない。
大きなクマと少年。
自分に逢いに来たと思うのは、都合が良すぎるだろうか。
逢いたいと想ってくれたのなら嬉しい。
そうでなければ、一時の幻ともいえる少年は、現れたりしないはずだ。
「・・・地球は遠いってこと・・かな」
「はぁ?お前、どうしちゃったの?」
成り立たない会話に、ディアッカは言うべき言葉が見つけられず。
(やっぱり俺だけ仲間はずれってヤツね)
自分だけ何がどうなっているのか解っていないのは、すっきりしないが。
嬉しげな色を浮かべるイザークに苦笑を漏らして。
ディアッカも、青く広い空を視界に入れる。
髪と瞳の色が、同じだった。
雰囲気とか、年齢なんて関係なく伝わるものがある。
彼が幼かったら、きっとこんな感じであったろうと。
だから。
あの少年は。

世の中、不思議なことが起きるってことだな。

イザークは何も言わない。それは「解らない」ではなくて、確信を持っているから、自分の胸だけに秘めようとしている。
残念なことに、ディアッカに確信はない。
けれど、イザークの普段にはない優しい眼差しが、全てを語っている。
(そんなに逢いたかったのかよ。妬けるねぇ)
なんとなく、少しだけ面白くないけれど、宇宙に居る彼と次に逢ったら、今日のことを話のネタに笑ってやろう。
そして、言うのだ。
―――ちゃんと俺にも逢いに来い、と。
そう考えてしまうあたり、自分はお人好しなのかもしれないと、ディアッカは頬を緩めた。








眠る少年の夢の中で、誰かの足音が響いている。
タッタッタ、タッタッタ。
幼い男の子が走っている。
タッタッタ。
男の子は満面の笑みを少年に向けた。
「ただいま!」
とても楽しかったと言わんばかりの高い声が、少年の体に染み渡った。





重たい瞼をゆっくりと開け、アスランは腕の力で上体を起こす。眠たさの残る意識の中、ふと夢の破片が脳裏を過ぎる。
夢の中でアスランは小さな子供になっていた。
お気に入りのクマのぬいぐるみを抱え、そして―――。
「夢にしては、妙にリアルだったような・・・」
一緒に居て落ち着ける人。
好きだなと素直に想う人。
一人の淋しさが夢でまでも、彼を求めていたようで、恥ずかしさを感じてしまう。
「・・・どうしてるかな、あいつ」
近々アスランも地球へ下りる。
彼と逢ったら何を話そう。
大きく伸びをすると、アスランはクスッと笑みを零した。
―――今日は、何か良いことが起こりそうな気がする。
そんな甘い予感を抱く休日は。
もう少しで終わりを告げる。