「わたくし、あの方好きですわ」 少女のその言葉は、少年にとって爆弾発言だった。 「はぁ〜」 自分で意識しなくても、溜息というのは自然と出てしまうものである。アスランは今日、数えるのも嫌になるくらいの溜息と付き合っていた。 ヴェザリウスの休憩室。もうすぐ地球へ向けて動き出す艦内で、アスランは一人、浮かない顔をしていた。 「アスラン」 聞き慣れた声に名前を呼ばれアスランは視線を上げる。 「・・・ニコル」 小柄な少年が柔らかな笑みを浮かべアスランの横の椅子へ座った。 「いよいよ地球ですね」 「・・・あぁ、そうだな」 出航時間が迫っている今、のんびりとしている人間はほとんどいない。皆忙しく動き回っている。幸いなことにアスランとニコルには上官からの指示はなく、自由になる体を持て余していた。 「突然の休暇は突然終わりましたね。アスランはこの休暇、何してました?」 ニコルにしてみれば何気ない問い掛けだった。が、アスランは過剰反応を示した。明らかに動揺した表情をニコルへ向ける。 「ア・・・アスラン。どうしたんですか?」 (休暇中に嫌なことでもあったのかな?) そう思ったところで、どんな嫌なことなのかニコルに想像がつくはずもなく。とにかくアスランから何かを聞き出して、彼の動揺を静めなければとニコルは使命感に燃えた。 「アスラン、休暇中に何かありました?」 ザフト軍のエースパイロットが精神的に安定していないのは決して良い事ではない。それは本人が一番良く判っていることなのだろうが。 「・・・別に、何も・・・」 俯いてしまったアスランにニコルは小さく息を吐く。何かを話したいようだが、言いよどんでいる感じだ。 「ねぇ、アスラン。話してくれないと僕はあなたの力になれません。それにこれから地球へ行くんですよ。今の気持ちのまま戦場へ出られますか?」 少しだけ強い声音でニコルは言う。休暇中の出来事を何時までも引き摺っているわけにはいかないのだ。ここは心を鬼にしなくては、とニコルは思ったのだが。 突然、アスランは顔を上げニコルを見る。まるで縋るような表情。 瞳が―――揺れている。 「ア・・・アスラン・・・!」 (うひゃー、どうしたって言うんですか。そんな顔を向けられたら、心を鬼どころじゃないですってば) ニコルはたじろいだ。 しかし、そんなニコルの心情などまったく解っていないであろうアスランは、思い詰めた眼差しを彼に向けたまま小さく呟いた。 「・・・どうしよう」 「はっ・・・?」 「ラクスに好きな人が出来た」 「はぁ?」 随分と気の抜けた声を出したニコルの頭の中は、一瞬のうちに真っ白となった。 「・・・どのくらいの時間、といっても二三日のことだと思うけど、あいつと一緒にいたのは本当のことだし。あいつには凄く感謝してるし、俺も大好きで大切な親友なんだ。でもでも、ラクスがあいつのこと好きだって・・・」 殆ど独り言のように呟いているアスランにニコルは慌てた。 「ちょっ・・・ちょっと待ってください。僕にも解るように説明していただけませんか?」 「だから、ラクスがキラのこと好きだって言ったんだ。俺のこと、もう好きじゃないのかな?」 「はい??」 ニコルは目の前で項垂れてしまっている少年を不思議な気持ちで見つめた。 ザフトのエースパイロット。少し無口であまり表情が変わることがないけれど、それはあくまで表面的なことだとニコルは知っている。 が、しかしだ。 今のアスランは、まるで捨てられてた子犬のようだ。少々情けないような気もする。恋をすると人は変わると言うが。 ―――変わりすぎじゃないのか? (ラクス嬢はアスランの婚約者だろう。あの彼女がアスラン以外の男に好意を寄せるっていうのは、あまり考えられないんだけどなぁ。ていうか、キラって誰?) アスランの話だけでは解らないことが多すぎる。けれど、アスランは自分のことで精一杯なのだろう。ニコルに応えを求めているようだが、生憎彼は恋愛に弱かった。 もしここにディアッカかイザークでもいれば、実にくだらないとでも言うかもしれないが、残念なことに今はニコルしかいない。 困ったなぁとニコルが天井を仰いだ時。 「アスラン!」 鈴の音が鳴るような綺麗な声が休憩室へ木魂した。二人が部屋の出入口へ視線を移すと、そこにはアスランを悩ましている原因である少女が、にっこりと笑って立っていた。 「ラクス・・・!」 驚いて椅子から立ち上がるアスランの元へ、少女は軽やかな足取りで近づいた。 「どうしたのですか?こんなところへ来たら危ないですよ」 「あら、アスランがいらっしゃるのですから、危なくなんてないですわ。それにまたお逢い出来なくなってしまうのですもの。わたくし、淋しくて逢いに来てしまいましたの」 「ラクス・・・」 見つめ合う二人。アスランの瞳が微かに潤いを帯び始めたのにニコルは気付いた。 ヤバイ、ヤバイぞ。 このまま二人の世界に入られては実に困るしヤバイ。 ニコルは咄嗟にラクスの腕を取った。 「アスラン、申し訳ありませんが、ラクス嬢を少しお借りします」 「ニ・・・ニコル?」 唖然とするアスランに背を向け、ニコルはラクスと共に休憩室を出た。壁に背を預け大きく息を吐くニコルにラクスは首を傾げる。 「あらあら、どうしましたの?ニコルさん」 なんとものんびりなラクスの口調に、ニコルは体の力が抜けそうになった。 「・・・あらあらじゃありませんよ」 ニコルはラクスの腕を解くと、少し表情を引き締めて彼女を見た。 「ラクスさん。あなたアスランにキラっていう人のことが好きだって言いましたね?」 「キラ様のことですか?」 少女は数回瞳を瞬かせると、ふんわり笑った。 「ええ、言いましたわ。わたくし、あの方好きですわとアスランに話しましたの」 「・・・やっぱりねというか、そうですか、というか・・・」 これはザフト軍の一大事である。ラクスの問題発言により、エースパイロットは恋に苦しんでいる。笑えない事実だ。 ラクスは解っているのかいないのか、きょとんとしている。ますます事態は悪化するのだろうか。 ニコルは頭を抱えたくなった。 「あのですね。アスランはあなたがキラという人のことを好きだと言ったことで、とても傷ついています。アスランは、あなたが自分のことをもう好きではないのだろうか、と悩んでいますよ」 泥沼化しそうな三角関係にピリオドは打たれるのか。 ニコルにとって、地球行きよりこちらの方が重大となりつつあった。 だが―――。 「まぁ、それはそれは、なんということでしょう」 ラクスの瞳が、ランランと輝き出す。 (何故、輝くワケ?) ニコルの疑問は言葉にならなかったが、それよりもこの場の雰囲気がなんとなく違う方向へ進み始めたことに気が付いた。 (泥沼化の三角関係とは違う感じなんだけど・・・。なんか怪しい) ニコルは眉根を寄せる。アスランとラクスの仲が良いことは周知の事実だ。将来、結婚する相手と決められる前から二人は仲が良い。 そして今日。 周囲の予想以上に、アスランがラクスに惚れている、ということをニコルは知った。 知ったのだが。 (何かがどこか、違うんだよなぁ) 嬉しくて仕方ないという色を顔に浮かべているラクスにニコルは言う。 「あ・・・あのラクスさん。この問題は、とてもデリケートだと思うのですが、あなたの本当の気持ちはどうなのでしょう?」 「あら、ニコルさん。デリケートなことなど何もありませんわ。だって、わたくし・・・」 ラクスは夢見る少女のように胸の前で手を合わせ、ニコルではなく明後日の方向へ視線を漂わせた。 「わたくし、確かにキラ様のことを好きだと申し上げました。けれどそれは、キラ様もわたくしと同じで、アスランのことをとても好きでいらっしゃるから、わたくしと同じ想いを抱いている人として、好きと言いましたの。そういう意味の好き、なのですわ」 「・・・はい?」 奥が深いのか深くないのか、それよりそんな意味があることなど、普通は考えないだろう。ニコルはこの少女に対しても、大きく溜息を吐いた。 「わたくし、アスランにゾッコンラブですのよ。ラブラブビーム、出っ放しですわ。でもわたくし、キラ様に負けるつもりなんて少しもないのですよ。おーっほほほほほ!」 勝利宣言ではないのだろうが、ラクスの笑い声は高い。 (なんだか疲れるコンビだなぁ) ニコルは今日一日の体力を消耗した気分になった。 「とりあえずですね、この艦が出る前にアスランの誤解をどうにかした方がいいですよ」 「そうですわね、ニコルさん。それはとても重要なことですわ」 ラクスはニコルへ向き直る。彼女の瞳が、すぅーっと細められた。 「えっ・・・?」 「ありがとう、ニコルさん。わたくしの言葉に一喜一憂するアスラン。なんて初々しいのかしら。ふふふ」 「ラ・・・ラクス嬢?」 少女は長いスカートを翻し、休憩室の中へと消えた。 ポツリと残されたニコル。頬の引きつりを感じるのは、さきほどの彼女の眼が頭から離れないからであろう。 「・・・アスラン。ラクスに生気吸われてない?」 皆のアイドルである歌姫は、とんでもなく食わせ者だ。 というより確信犯だ。 ニコルはアスランの将来が不安になった。 (・・・ていうかキラって誰?元々はキラって奴が悪いんだ。この原因はその男だ。ディアッカとイザークにも話して、キラって奴を見つけてやっつけてやる!) ニコルは固く心に誓った。 その後、アスランの機嫌がすこぶる良かったというのは。 言うまでもない。 |