君を想う


  君を想う 君だけを想う
  好きという感情
  大切にしたいという優しい願い
  白い翼を広げて君に届け


  君を想う 君だけを想う
  今は二人の距離が遠いけど
  心はいつもそばにあるから
  
 
  君を
  君だけを
  ずっとずっと
  見ているよ








中立国オーブの衛星、ヘリオポリス崩壊の日。
三年前に別れたあの日から、一日も忘れたことのない懐かしい少年との、あまりにも衝撃的な再会。
彼の名を呟いたとき。
声が掠れた。

「戦争は嫌いだって言っていた君がどうして・・・!」

現実を受け入れることなんて、出来ないと思った。
何故、彼は戦っているのか。
何故、ヘリオポリスがザフトから攻撃をされなければならなかったのか。
意味が解らなかった。

「お前も一緒に来い」

差し出された手を掴むには、君と僕とでは立場が違いすぎた。
同じコーディネータ。
けれど、ナチュラルだとかコーディネータだとか。
同じ人間なのにどうして区別しなければならないのか。
それが僕には理解出来なくて。
君を拒絶したわけじゃないんだ。
本当は。
君の手を無理やりにでも掴んで、イージスから引き摺り下ろしたかった。
少し大人びた面があって。
とても優しくて、笑った顔は少女のように綺麗で。
けれど意外なほどに、あの頃は泣き虫だった。
僕は君のことなら何でも知っている。
だから僕は怖いんだ。
いつか君が、君自身が壊れてしまいそうで。
戦争の辛さ哀しさを知っている君が。
――壊れてしまいそうだよ。





アークエンジェルの食堂内に人影はまばらだ。中途半端な時間だからなのか、あまり人はいない。キラはゆっくりとした足取りで食堂内へ入って行った。 既に用意されている食事のトレイを手に持ち、キラは部屋の隅のテーブルへ向かう。トレイをテーブルに置き椅子へ座った。
カレッジの学生食堂や街のカフェとは違い、ここにはのんびりとした空気はない。それでも欠伸が出るのはしょうがないことで。キラが大きな欠伸をしたとき。
「隣、いいか?」
キラの応えを聞くより早く、サイが彼の隣に腰を下ろした。キラとは違い、右手に飲み物の入ったカップを持っているだけだ。
「・・・サイ。君もこれから食事?」
「ううん、違うよ。あと三十分で交代勤務なんだけど、その前に何か飲みたくてさ」
サイのカップにはチョコレート色の液体が入っている。ほんのりと甘い香りは、疲れた体を癒してくれそうだ。
「なんかさ、サイ達が交代勤務なんて言うと変な感じだ。やっぱり違和感があるよね」
お互い地球軍の制服に身を包んではいるものの、ほんの少し前までカレッジの生徒だったのだ。それが今では一端の軍人のようで。キラには今のあまりに曖昧な立場が辛いのだけれど。
「まぁ、将来の選択の中に軍人はなかったよな。でも俺はある意味、この艦に乗れて良かったと思ってるよ」
「えっ・・・?」
サイから放たれた言葉にキラは少なからず驚いた。キラにとってアークエンジェルと共に行動していることは、不本意すぎることなのだから。
「良かったって言っても、軍の手伝いが出来て良かったっていうわけじゃないよ。なんて言うのか、俺たち中立国にいたから、戦争を遠くに感じすぎていたんだと思う。中立だから戦争は関係ない、そう決め付けていたところがあった。でも今はそんな考えしかなかった自分が、馬鹿だったって思うよ」
サイの瞳が微かに揺れた。
―――ヘリオポリス。
そこでは確かに戦いの足音は遠くて。
サイの言うようにキラも外の世界を知らなさ過ぎた。が、それは誰が悪いわけでもない。少なくとも中立という名の傘の下に住む人たちの意識レベルは、きっとその程度のもの だったのだろう。
しかし、現実に戦争は起きている。
キラの胸がチクリと痛んだ。
「彼」は既に戦場へ身を投じていたというのに。
「・・・お前が一番辛いよな。お前の苦しさはお前しか解らないものかもしれないけれど、俺たちはお前の友達なんだってこと忘れるなよ。お前のこと、支えるから」
「サイ・・・」
キラを励ますというのもあるのだろうが、自分自身へ言い聞かせているような響きも含んでいた。
メディアから流れてくる映像ではなくて、正しくその緊張感の中心に立ってしまったことは、当事者になったと言っても過言ではない。そして、当事者となって初めて気付く何かがある。
今まで見えていなかったものが見えたことでの恐怖や、どうしようも出来ない苦しみ。
悩んでいるのはキラだけではない。サイも同じ。
そのサイから投げかけられた言葉は、キラの心を少しだけ軽くした。
友として紡がれた糸。
決して細いものではなく、しっかりとした強さでキラを見ていてくれるもの。
簡単に切れたりはしない思いは、ちゃんと存在している。
「・・・大丈夫だよ。僕はアークエンジェルにいるサイ達を守りたいからストライクに乗ってる。皆に心配掛けることはしないよ」
安心しろよと笑うキラにサイも表情を和らかくした。
「でも無理はするなよ。辛いことがあったら抱え込まずに全部吐いちまえ。声に出すことで気持ちは随分落ち着くものだからさ」
「うん、ありがとう」
緊迫した空気の中でも、お互いを思い遣る気持ちだけは忘れたくない。
キラにとってサイは大切な友達の一人。
だから彼から伝わってきた優しさがキラには嬉しかった。
「俺、そろそろブリッジに行くけど、お前はちゃんと休めよ。ストライクの整備も大切だろうけど、体を休めることはもっと大事なんだから」
「解ってる、ありがとう」
キラの応えに上出来だと大きく頷くサイは、カップに残っていた液体を一気に飲むと、そのまま食堂を後にした。
再び一人になったキラは小さく息を吐くと、ゆっくりとした動作で食事を口に運ぶ。
短い時間だったが、サイとの会話でキラはストライクに乗る意味、この戦争の意味をもう一度自分なりに考えるきっかけが与えられたような気がした。
正しい解答が用意されているわけではない。
自分の意思の問題だ。
フラガの言うように、自分に出来ることをやる、というのもストライクに乗る意味の一つだろう。守りたい人のために、自分の意思で決めたこと。周りに流されているだけでは、この戦いの本質さえも見失ってしまいそうだ。
何が正しくて何が悪いのか。
それは後の人達が勝手に決めること。
今という時の中で、何が出来て何をするかが大事なこと。要は自分が決めた正義のために。
「・・・アスランも正義のために戦っているんだろうか」
キラの脳裏にヘリオポリスでの彼の姿が浮かび上がる。
最初に気付いたのはキラだった。
忘れてなどいない。忘れるはずがない。
彼を。
彼だけど見ていた甘い日々は、もう遠すぎる過去となってしまったのだろうか。
「アスラン・・・君はなんで・・・」
彼の名前を漏らしてしまうと、涙が溢れ出しそうになる。自分はこんなにも涙腺が弱かったのかと、感情に振り回されてばかりだ。
ラクス・クラインを彼の元へ帰したとき。
安堵の色と穏やかな瞳で彼女の手を取った。
なのに。
彼から向けられた手をキラが拒むと、一瞬にして泣き出す一歩手前の表情へと変わった。
唇をぎゅっと噛んで、眉根を寄せて。
自分が彼にあんな顔をさせてしまったという、後悔にも似た気持ちがキラには重すぎた。
だからといって、分かたれてしまった道を元に戻す方法なんて解るはずも無く。
ただただ、胸の痛みばかりが大きくなる。
ナチュラルとコーディネータ。
最初からコーディネータが存在したわけではないのに。
どこかしらザフト、否、コーディネータに対して悪者のイメージをナチュラルは持っている。
過ぎたる力を持つ者への恐怖心や嫌悪感。
それが悪者の形を作り出す。
異端者は排除せよ、という理論。
ザフトの肩を持つわけではないが、そういう考え方をするナチュラルが少なからずいる事実は、キラにとって嫌すぎることなのだけれど。
あまり進まなかった食事を返却棚へと戻し、キラは与えられている部屋へと足を向けた。
三年前までいつもキラの隣にいた彼は、ザフトの一員となってキラの前に立ち塞がる。
戦いたくないのに―――。
そんな思いばかりが日増しに強くなる。
「僕はアークエンジェルを守りたい。でもアスランと戦いたくはないのに・・・」
誰に聞こえるわけでもない呟きと共に、キラはベットへ倒れ込んだ。
持て余まし気味の気持ちは行き場のないまま。
胸の奥で蓋をする。
頭の中を空っぽにしたくて、シーツに顔を埋めたとき。
泣き声が聴こえた。
それは、小さいけれど確かにキラの耳に届いてくる。
「泣いてる・・・。子供?」
アークエンジェルにいる誰かの声ではない。キラの頭の中に直接響いてくるような泣き声。
「誰?泣いているのは誰?」
キラは上半身を起こすと意識を集中させる。
ここにいない誰かが、自分に助けを求めている。
そう思わずにはいられない哀しさを含んだ微粒子が、キラにははっきりと解った。
「誰?僕が助けてあげる。返事をして・・・」
哀しみに押し潰されそうな子供の叫び。
キラを求めキラを捜している。
きっと自分にしか聴こえていないその声を。
キラはー――知っている。
甘い痺れがキラの体を駆け巡った。
じっと息を呑んで意識を高める。
キラに届く哀しみの先に。
一人の子供が膝を抱えて泣いていた。
見間違うはずもない。
切なくなるほど大切で、ずっと傍にいたいと願う人。
親友という形以上に何か特別な感情を抱いてしまった人。
大好きなー――人。


「アスラン」

キラは子供の名前を優しく呼んだ。
どうして彼の声が聴こえて来たのかなんて、つまらない疑問だ。
聴こえて来た、それが事実でそれが全て。


「アスラン」


キラはもう一度、彼の名前を労わるように呼んだ。


『・・・キラ?』


状況が解っていないのであろうアスランが、不思議そうに瞬く。
キラだって、どうしてこんなことになったのか、誰かに説明してもらいたいくらいなのだ。
が、目の前にはアスランがいる。
ちゃんとキラを見ている。
それでいいじゃないか。


「アスラン」


キラの再度の呼びかけに、アスランの表情が驚きへと変わった。


『キラ!どうして?なんで?』


彼の深い翠の色を湛えた瞳は、涙のせいで真っ赤に染まっている。
泣きたい、けれど泣けない。
泣くことは許されない。
そういうことを自分自身への足枷としたのであろう。
アスランの姿は、キラが眼を逸らしたくなるほど痛々しかった。
彼は、たった一人で泣いていた。
誰の手も求めず、頼るわけでもなく。
否、違う。
キラの耳にはちゃんと聴こえていた。
自分を求める彼の声。
―――キラ、と。
繰り返し繰り返し、求めていた。
あぁ、そうか。
キラは一つの答えに辿り着く。
お互いの心がシンクロしているのだと。
ちょうど同じ時間にお互いがお互いのことを考え、思い求めていたのだろうと。
それがぴったりと重なって。
二人の間には、離れている距離など関係ないのだ。
それほどまでに、求めてやまない人。
大切で大切で大好きな人。
アスランの両腕が、前に伸ばされる。
キラへとまっすぐに。


『キラ・・・僕は・・・』


皆、悩みも迷いも抱えている。
兵士だからといっても子供なのだ。
大人とは違う脆い子供なら尚のこと、心に掛かる負担は大きい。


「アスラン」


キラは優しくアスランの体へと腕を回した。布地越しに感じるアスランの体温は本物。二人を隔てる空間は、今、存在しない。


『キラ・・・キラ・・・』


キラの腕の中でアスランが叫ぶ。
こんな近くで彼の泣き顔を見たのは、いつだっただろう。
喧嘩して泣いたり、笑って泣いたり。
でも、哀しみと寂しさの涙は、キラとアスランが離れてしまうと分かったあの日。
また逢えるよね、絶対に逢えるよねと。
哀しくて寂しくもあったけれど、苦しみの涙ではなかった。
それなのに。
たった三年なのか、三年も過ぎてしまったのか。
二人の立つ場所が、あまりにも違いすぎて。


「泣かないで」


キラは笑った。
彼を安心させるために。
一人で泣かないために。


「僕は君を信じてる。大好きな君を信じてる」


アスランの瞳に自分が映っているのを見つけて、キラは満足そうに眼を細めた。


「正義は己の胸の内にあるもの。互いの心にあるもの。君が苦しいなら、その苦しみを僕が貰ってあげる。君だけを苦しめたりしない。泣かせたりしない」


敵と味方。
戦争が終わらなければ、この関係は変わらない。けれどそれに、どれほどの意味があるというのか。
キラにとっての事実は、アスランが親友だということ。
親友以上の思いが、ここにあるということ。
アスランが泣いている。
ならばキラの役目は、彼の涙が止まるように魔法の呪文を囁くだけだ。
道の途中で立ち止まらないで、前を向いて行けるように。
胸に抱いた思いを強く持ち続けられるように。
一人ではないから。
二人で全てのものを、半分にしよう。
祈りにも似た気持ちで、キラは告げた。


『キラ・・・』


アスランの形の良い唇が、キラの名を紡ぐ。
―――心はいつも共に。
キラの思いはアスランに届いたようだ。
本当に小さく痛々しいものだったけれど、彼は笑った。
キラが一番好きな彼の笑顔。
幼年学校のときのように、いつか腹の底から笑い合えるだろうか。
遠い未来ではなく、近い未来で。
そうあって欲しいと思う。
彼のためにも、自分のためにも。


「大好きだよ、アスラン」


―――大好き。
それがキラの素直な気持ち。
一時の幻ともいえる互いの温もり。
が、夢ではない。キラはちゃんとアスランを捕まえている。
鼓動までも重なり合うような。
アスランはキラを近くに感じて安心したのか、ゆっくりと瞼を閉じると、まるで眠りの森へ吸い込まれるように、そのままベットへ身を沈めた。


「アスラン?」


呼びかけてもアスランは応えない。今までの張り詰めていた糸がプツリと切れたのか、アスランの意識が闇の中へ落ちたのは、あまりに突然のことだった。柔らかな濃い蒼色の髪が、彼の白い頬にサラリと流れる。


「アスラン?」
 

気を失ってしまったアスランに不安を覚えたキラが腕を伸ばそうとしたとき。
「あれ・・・?」
どことなく周囲の空間がぼんやりとしていたものが、はっきりとキラの視界に飛び込んで来た。数回、瞬きを繰り返す。
「・・・・・・」
キラが今いるのは、どこをどう見てもアークエンジェルの自分に与えられた部屋で。
「・・・夢じゃないよね。僕はアスランの所へ飛んだんだ」
 キラは無意識のうちに走り出していた。
アークエンジェル内にある巨大な窓。ラクス・クラインと彼の思い出を語ったあの場所へ、キラは急ぐ。
あまり人が近づくことのないそこは、キラが一人になりたいとき良く行く場所。少し広いスペースと、それに見合うほどの窓。厚いガラスの向こう側は、静かな闇があるだけ。
キラは誰もいないそこへ足を踏み入れると窓に近づいた。人工のものなのか、星たちのものなのか、遠くに光が浮かんでいる。頼りない輝きがアスランと重なって、キラは窓に両手を押し当てた。
アークエンジェルからザフト艦が見えるはずは無いが、キラは暗く広い海をひたすらに凝視する。
気を失ってしまったアスランは大丈夫なのだろうか。何も出来ない歯痒さは、キラの内側で大きな渦となる。
が、瞼を閉じたアスランの表情に穏やかな色があったことを、キラは見逃してはいなかった。
奇跡だと断言できる魔法の時間は、互いに触れ合えたことでアスランの精神面に安定さを取り戻せたようだ。
たとえどんな形であろうと、伝わってきた温もりは本物だから。
次に逢うときは再び戦場になる。
敵として視線と視線を絡めあう。
しかし、そのさきにあるものは唯一つ。
「アスラン、戦争はいつか終わるんだ。だからその日まで、僕はこの思いに蓋をするよ。でも気持ちは変わらない。僕が君を信じるように、君を僕を信じて。そして僕だけの君に なって・・・」
遠く離れたアスランにキラは祈る。
信じること。信じられること。
今、歩んでいる道は共に違うけれど。
憎くて戦っているわけではないから。
好きだという思いを信じて欲しい。
自分自身を信じて欲しい。
この戦いにピリオドが打たれたら、君に逢いに行くよ。
真っ先に君を抱き締める。
君は一人じゃない。
一人じゃないんだ。

―――僕がいる。

だから、僕を信じて。