「戦争は嫌いだって言っていた君が・・・。どうしてザフトなんかに!」

そうだよ。僕は好きで戦場にいるんじゃない。武器を持っているんじゃない。

「何と戦わなければならないのか、難しいですわね」

あぁ、本当だ。あなたのその言葉は、本当に重い。



宇宙という暗くて広い海は、まるで僕の心の闇のようで。自分自身がどこを向いて歩いているのかさえ解らない。手を伸ばしても、その指先は闇に飲み込まれてしまう。
僕の手は誰にも届かない。
僕の周りには誰もいないの?
僕は一人きりなの?
誰か―――。
誰か助けて。
僕は一人じゃないと。
僕を捕まえて・・・。








モビルスーツ格納庫では、整備士たちが相変わらず忙しそうに動いている。アスランはコックピット部分の破損が激しいデュエルガンダムを暫しの間じっと見ていたが、踵を返すとそのまま医務室へ向かった。
イザークがストライクとの戦闘で怪我をしたことを知ったアスランは、クルーゼに無理を言ってガモフへ来ていた。
ローラシア級の戦艦に乗り込んでいる兵士で、一番の最年少はニコル・アマルフィだ。彼は十五歳。アスランはその一つ上の十六歳。まだおさなさを残す彼らが地球軍から奪ったモビルスーツで、戦場の最前線で戦っている。それだけの能力があり、出来る力があるからと言ってしまえばそうなのだが。
アスランの横を大人たちが足早に通り抜けて行く。軍に所属する者として、自分に適したことをやるのが使命だと解っているけれど。それでも周りの視線が気になるのは。
何故だろうか。
アスランは小さく溜息を吐く。
―――迷いがあるのだろう。否、そんなもの最初から持っているのだ。
だから周りが気になる。
そういう葛藤を抱いたまま銃を持ち、モビルスーツの操縦席にいるのだから。
ふいに立ち止まり、アスランは頭を振る。きっと自分は今みっともない顔をしている。鼻の奥がジンと痛い。
両手をぎゅっと強く握り締める。そうしていないと、涙が溢れそうだった。
「アスラン」
突然後ろから名前を呼ばれてアスランは振り向く。そこには少し首を傾げたニコルが立っていた。
「・・・ニコル」
「こんなところで、どうしたんですか?」
「あ・・・えっと・・・」
俯きかげんで言いよどむアスランにニコルは不思議そうな顔をするが、すぐに何かに納得したようだ。大きな瞳を細め口の端を上げる。
「あぁ、イザークの様子を見に行くんですね」
「そ、そうだけど」
医務室へと続く通路に立っていれば、誰でもそう訊いてくるであろうが、アスランは何故か居心地の悪さを感じた。
いつもイザークとは仲が好くないと思われているからであろう。そんなアスランの気持ちを知って知らずか、ニコルは笑みを深めた。
「イザークのところなら僕も十分くらい前に行ったんですけど、今は止めた方がいいですよ。眠ってますから」
苦笑を浮かべてニコルは言う。アスランは何と応えていいのか一瞬戸惑い、そうなのかと短く呟いた。
「ふふ・・・。あの人らしいんですけどね。随分暴れたようなんです」
「・・・暴れた?」
鸚鵡返しに訊くアスランにニコルは頷いた。
「彼は自尊心が強いですから、ストライクのパイロットに傷を負わされたことが、自分自身もそうなのでしょうが相手に対しても許せないのでしょうね。だから暴れたんです。傷の手当ても大変だったと、医務長がおっしゃっていましたよ。今は暴れすぎた反動で、眠っているんです」
「そう・・・なのか」
確かにイザークの気質なら暴れるくらいのことはするだろうか、などと考えていたアスランは、目の前の少年が表情を引き締めたことに気付いた。
「イザークはストライクのパイロットに借りを作ったことになります。彼はああいう性格ですから、これからストライクというよりパイロットを、眼の敵にしますよね」
ニコルのまっすぐな眼差しに、アスランは瞳を逸らした。
少しだけ俯いて。
けれど、言うべき言葉は見つからなかった。
「僕はイザークのような好戦的な面を表に出すのには抵抗があります。話し合いで済むのならそうしたい。でも、それが出来る現状ではないし、もう遅い・・・」
淡々と語るニコルだが、どこか感情を抑えた響きが含まれている。
アスランより一つ年下の少年。
戦場へ出てしまえば大人も子供も関係ないのかもしれないが。それでも、まだ子供と呼べる年代の自分たちが、武器を持ち、同じ人間を危めるのはやはりおかしいとアスランは思う。たとえ、どんな大義名分があろうともだ。
アスランはゆっくりと口を開いた。
「本当にそう思うか?本当にもう遅いと思う?」
話し合いでの解決なんて。
誰もがもう出来ないと思っているし、既に諦めている。
けれど。
―――まだ遅くないと。
そんな甘い応えを期待しているわけではないが、アスランは問い掛けずにはいられなかった。
「・・・遅い、遅すぎですよ。アスランは血のバレンタインを忘れたんですか」
アスランを責めているのではないのだろうが、ニコルの口調は熱を帯びている。自分の甘さのもっと奥深くへ響いてくる熱に、アスランは眼を背けたくなった。
「忘れてなんかいない。これからも絶対に忘れないことだ」
「そうです。僕たちコーディネータにとって、忘れてはならない出来事です。僕は、今この場所にいることを後悔なんてしていない。後悔していたら、銃は持てないから・・・」
苦しそうに眉根を寄せるニコルは、一人の少年としてではなく、一人の兵士としてアスランの前にいる。それはアスランとて同じことなのだが。
胸に秘めたままのどうしようもない迷いを、ニコルに暴かれてしまいそうで。
アスランはきつく唇を噛んだ。
「ああ、ごめんなさい。こんな話をするつもりはなかったんです」
重苦しい空気に包まれそうだった二人の間をニコルが破った。照れたように小さく笑うと軽く通路を蹴り、アスランの横をふわりと移動する。
「本当にごめんなさい。今の話はここだけのことですから。イザークのところは、もう少し時間を置いた方がいいですよ」
そう言うニコルは顔だけをアスランに向け、半重力空間を漂い始めていた。
「ニ・・・ニコル」
「すみません、僕、ミーティングルームに行く途中だったんです」
右手をひらひらと振るニコルの姿が消えるまで、アスランはぼんやりと彼の背中を見つめていた。
再び訪れる静寂。少しの間、そこに立っていたアスランだが、ガモフ内にある個室へと無意識のうちに戻っていた。
ひんやりと冷たい扉にアスランは身を預ける。
「ニコル・・・。僕は後悔し始めているのかもしれない」
小さく呟いて。
アスランはその場に座り込んだ。膝を抱えて丸くなる。彼のほっそりとした体が、本当に本当に小さくなった。
「僕はキラと戦える?ううん、戦えるはずなんかない」
アスランの独り言は、彼の胸の内そのものだ。
ザフトの一員となる道を選んだのは自分の意志。戦争を実感したのは、ユニウス7が落ちたあの日。
母親の死は、アスランの幼い心を一瞬のうちに戦いへと導いてしまった。
なのに。
「・・・キラ・・・。キラ・・・」
今、一番逢いたいと願う人の名を呼ぶ。
出逢ってしまったのは運命の悪戯か、それとも必然か。
戻らない時間。
月の幼年学校での日々。懐かしくて優しい思い出。
別れてしまってから、どれぼどの月日が流れたというのか。
今はお互いの心が遠い。
「キラ・・・。僕は仲間のために戦う道を選んだ。でもそれは、間違っていること?正義って何?僕は・・・」
胸が痛くて、心が痛くて。
アスランの視界がぼやける。
泣かないと決めていたのに。
兵士が泣いたら、この手を赤く染めた意味すら無くなってしまいそうで。
けれど今は。
今だけは泣きたかった。
狂ったように泣きたかった。



『・・・ラン・・・。アスラン・・・』



微かにアスランを呼ぶ声が、彼の鼓膜を揺らした。顔を上げ、周りへ視線を移したところで、誰の姿もない。
でも確かに聴こえた。
その声の主を。
アスランは知っている。

「・・・キラ?」

戸惑いながらも名前を囁けば、今度はさきほどよりもはっきりとそれは聴こえた。



『アスラン・・・』



「キラ!どうして?なんで?」
瞳を大きく開いてアスランは勢い良く立ち上がる。
幻聴ではない。
聞き間違うはずの無い大切な人の声音。
彼の人の姿はここになくても。
何かに背中を押されるように、アスランは両手を伸ばした。
まるで救いを求めるように。



『アスラン』



求めてやまない人が、ふんわりと微笑んだような感覚。
そして次の瞬間。
伸ばされた両手に何かが触れて。
アスランは自分を包む温かな腕を確かに感じた。
「キラ・・・キラ・・・」
涙が溢れた。とめどなく続く透明な雫が、アスランの頬を濡らす。



『泣かないで』 



「キラ・・・?」
アスラン以外は誰もいない部屋。が、彼の瞳は彼の人を捉えていた。



『僕は信じてる。大好きな君を信じてる』



ぼんやりとアスランの前に浮かんでいる影。
とても愛しそうに少年を見下ろして。



『正義は己の胸の内にあるもの。互いの心にあるもの。君が苦しいなら、その苦しみを僕が貰ってあげる。君だけを苦しめたりしない。泣かせたりしない』



影は笑う。ふんわりと笑う。



『一人じゃないよ。僕は君の傍にいる。ずっとずっと傍にいるから』



「キラ・・・」



『大好きだよ、アスラン』



優しい腕に抱かれたまま。
アスランは意識を手放した。








「どうしたんだ、アイツ?」
ディアッカの問いかけにニコルは首を横に振った。
「僕にも解りません。食事の時間になっても姿が見えないから、あちこち捜したら部屋で寝てた、それだけです」
「それだけって言われてもなぁ」
テーブルに頬杖をついて、ディアッカは少し離れた椅子に座っているアスランを見た。彼はぼんやりと、ただそこに座っている。どこを見ているわけでもない。本当にそこに座っているだけだ。
「・・・メシ、食わないのかな」
 いつもキビキビとしているアスランなだけに、ディアッカもどことなく心配顔だ。そんな彼にニコルは言った。
「何かあったところで、アスランは僕たちに何も話したりしませんよ。でも・・・」
「でも?」
言葉を切ったニコルにディアッカは眉を顰める。
「・・・なんていうのか、アスランの寝顔を見たんですけど、凄く穏やかで。起こすのが可愛そうなくらいだったんです」
「穏やかねぇ。単に緊張感が無いだけじゃないの?寝てるくらいだしさ」
「・・・・・・」
ジロリとニコルに睨まれて、ディアッカは肩を窄めた。戦闘に支障が無いのなら、何があろうがディアッカには関係のないこと。ニコルが何を考え、アスランが何を思っているのかなんて。そこまでディアッカが気を回すことではない。
「ナチュラルと戦えるなら、別にいいんじゃない」
ディアッカの独り言を聞き流し、ニコルは視線の先の人を静かに見つめた。





ここは戦場。
人と人との憎しみ合いが繰り返される場所。
特別な感情は邪魔になる。
だから心を殺した。
だけど、そんな強がりがいつまでも続くはずはなくて。
時折、感情に流されそうになる。
無性に泣きたくなる。
自分は甘いのだろうか。
たとえそう言われても、こればかりは仕方が無い。
しかし、自分のいる場所を忘れてはいない。
後悔なんて、きっと言い訳。
己の正義を信じて、前に進むだけ。

――キラ、僕は戦う。そう決めたあの日を、忘れてはいないから。

夢ではない。
ほんの数時間前の温もりを体に染み込ませて。
イージスのパイロットとして。
ザフトの一員として。
自分がやるべきことをするために。
アスランは孤独な兵士となるのだ。