地球軍とザフトからの攻撃をなんとか振り切り、アークエンジェルを始めとする三機の戦艦に、暫しの休息が戻っていた。
ミリアリアは艦内の休憩室で、淋しげな背中を見つける。
備え付けの長椅子に座っている少年に、声を掛けるべきか少し迷ってから、一歩部屋の中へ入った。
「・・・何してるのよ。ぼんやりしてるじゃない?」
わざと明るい口調で、彼女は少年と向き合う位置へと腰を下ろす。
いつの間にか見慣れてしまった少年の顔をまっすぐに見つめて、ミリアリアは小さく笑った。
「らしくないね。暗いぞ」
「・・・悪かったな。らしくなくて」
プィッと視線を逸らしてしまった彼に、溜息を一つ。何かを抱え込んでしまっている彼は、その胸の内をミリアリアに見せてはくれない。

―――ディアッカ・エルスマン。

元ザフトの軍人。今はアークエンジェルにその身を置いている。
彼の命に向かい、ナイフを持ったことがある。激情の波は、確かにあった。
なのに、決して長くはない時間の中で、敵対心も憎しみも不思議なほどに消えてしまった。
互いに敵という意識を、外したからなのだろうか。
それとも、今まで敵として戦っている相手を、知らなすぎたのか。
触れてしまった、見えてはいなかった部分。
許す、許さないではなくて。
憎しみという感情は、持っていたところで何の役にも立たないことを知ったのだ。
泣いて、泣いて、泣いて。
泣いた分の哀しみを見失わなければ、顔を上げて歩いて行ける。
目の前の少年も、憎しみを抱いていた。
敵対するということは、そういうことだ。
だけど、彼は。
ザフトに戻ることなく、アークエンジェルに居る。
共に、戦っている。
戦争の意味を―――探している。
ザフトの肩書きを取った、一人の少年として。
初めて彼を見た時は、捕虜としての姿だった。恐怖も感じていた。
―――今は。
目の前に居る彼は。
やはり淋しげだ。
「本当にどうしたの?私で良ければ、話し聞くよ?」
「えっ・・・あぁ・・・。別に何でもない・・・」
少しだけ俯くディアッカは、ミリアリアをやんわりと拒絶する。話したいけど話せない、そういう色を浮かばせているのに。
ディアッカと出逢い今日まで、彼のことをほとんど知らずに過ごして来た。
地球から再び宇宙へ。
激しく変わる世界に、流されないでいる事が精一杯で―――気持ちに余裕がなかった。
でも今は。
同じ艦に居る彼を。
知りたいと思う。
ザフトの影から抜け出し、自分で決めた平和への道を歩き始めた彼を、知りたい。
好意と言うよりは、気になり始めた存在。
小さな小さな、心の変化。
もう居ない彼の人を胸に秘め、彼女は淋しさに包まれた少年へと、言葉を紡ぐ。
「なぁにが、何でもないのよ。そんな背中丸めている奴、放っておけないでしょう」
少しだけ強めの口調のミリアリアに、ディアッカがきょとんとする。まるで、不思議なものを観るような表情だ。
「な・・・何よ」
「あ・・・いや・・・なんかさ、嬉しい事、言ってくれるなと思ってさ」
「そう思うなら、お腹の中に溜まってるもの、全部出しなさいよ」
これから築き上げるであろう、友達という関係の最初の一歩は、既に踏み出している。ならば、もっともっと心の深い部分に触れなくては、彼の事が判らない。
躊躇わないで欲しいと思う。互いが判らないから、苛立つのだ。
ディアッカは、切なげに薄く笑った。
「・・・アスランとキラのさ。今は一緒だけど、それまでのあいつらの気持ちが、嫌っていうほど判っちまった・・・」
「ディアッカ・・・」
「どうすることも出来ないんだなって思った。想いだけが一方通行だ。これって、結構辛いよ・・・」
ディアッカは、核心に触れることは言っていない。その輪郭だけだ。が、ミリアリアには、それで充分だった。

―――キラとアスラン。

互いに銃を向け合った日々の、彼らの本当の苦悩を、ミリアリアたちは知らない。
辛かったね、と言ったところで、言葉は表面上を滑るだけ。彼らは慰めが欲しかったわけではないのだろう。
きっと彼らは、互いを欲していた。
それほどに、二人の想いは擦れ違っていた。
今は同じ場所に立っているけれど、まだ不安定さは付き纏っているのかもしれない。
ミリアリアにとって、キラはとても大切な友達だ。コーディネータであろうと、この関係は変わらない。
でも。
アスラン・ザラは。
どこか遠慮がちに、アークエンジェルのクルーたちと接している。
後ろめたさなんて、そんなことに囚われないで欲しいと思う。
哀しみは溜め込むためのものではい。それを、立ち上がる勇気に変える事も出来る。
キラの欲した人なら、ミリアリアも好きになれる人だ。少なくとも今は、そういう感情はないけれど。
近い未来には必ず好きになる人だ。
確信が―――ある。
嫌いではないのだ。苦手でもない。ディアッカと同じで、これから沢山の事を知ればいい。
そう、知ればいいのだ。
元ザフトの少年兵である、ディアッカとアスラン。
今度は、ザフトに銃を向けている。
仲間が居るだろう。親しい友人も然り。
キラとアスランのように、ディアッカも同じ苦しみの中にいる。
どうしようもない波に、負けそうになっている。
何かを選んだから、何かを捨てなくてはならないなんて。
簡単に言い切れないのだ。
ミリアリアは思う。
淋しい背中に、ふと漏らした弱音に。
彼に何が出来るだろう。
何を与えられるだろう。
暫し続いた沈黙を破ったのはミリアリアだ。
「・・・誰のための何の戦争なのか。あんたは、それを見定めて答えを出すんでしょう。アークエンジェルに残ったあんたの意思を、私は尊重するわ。だから 自分の気持ちを大事にして。どうすることも出来ないことって沢山あるし、辛いことも沢山あるけど、そう思ってるのはディアッカだけじゃないから。気持ちは、ちゃんと伝わるよ」
「ミリアリア・・・」
「ミリィよ。みんな、そう呼ぶわ」
自然と笑みが零れた。甘い戯言かもしれないが、彼のために何かをしたい気持ちは、本当だから。
見つめる互いの瞳。自分自身に素直になることは、何故だか少しだけくすぐったい。
ディアッカが照れたように頬を緩めた。
「あ・・・ごめん。俺、お前に気を遣わせちゃったな」
「べっつに〜。私はあんたの、丸まった背中を見るのが嫌だっただけよ」
「・・・そうだな。俺らしくないよな」
暖かな空気が流れる。クスッと笑い合ってから、ミリアリアは椅子から立ち上がった。
「お腹、空いたでしょう。何か貰ってくるわね」
休憩室の扉が、横に滑る。
「あれ!」
「・・・あっ・・・」
扉の先に。
アスランが居た。
「ア・・・アスランくん」
「えっ?アスラン?」
ディアッカも驚いたようで、テーブルから身を乗り出している。ミリアリアは後ろをちらっと振り返ってから、すぐにアスランを見た。
「どうしたの?エターナルに居なくて大丈夫?」
「え・・・あぁ・・・うん。大丈夫」
ミリアリアの問い掛けに、アスランがもごもごと口の中で呟く。視線を落とした彼が妙に幼く見えて、彼女は目を細めた。
ディアッカに逢いに来たであろう事は、考えなくても判る。
二人だけで話したいことも。
ミリアリアはアスランと入れ替わるように、通路へ出た。
「アスランくん。ディアッカのこと、お願いするわ」
「えっ・・・?」
「じゃあ後でね、ディアッカ。アスランくんが来てくれたんだから、冷たくしたら怒るわよ」
そう言い残し、ミリアリアは長い通路を右へと折れる。ぼんやりと彼女の後ろ姿を視界に入れていたアスランは、いつの間にか自分に近づいていたディアッカに気付かなかった。
「お前、何してんの?」
「あっ・・・!」
意外なほど近くで上がった声に、今度はアスランが驚く。
「はいはい、そんな所で突っ立ってないで、こっち来いよ」
「デ・・・ディアッカ」
アスランの腕を掴み、椅子へと座らせる。
「何か飲む?持ってくるよ?」
「あっ・・・いいよ。気にしないで・・・」
「そうか?」
首を傾げアスランの隣へ腰を下ろし、ディアッカは彼の顔を覗き込む。俯いている姿が、先ほどまでの自分と重なるようで、なんとなく胸が痛い。
「エターナルから、離れて大丈夫か?」
「・・・うん、大丈夫。俺の方こそ、ごめん。お邪魔だったかな?」
上目遣いに訊いてくるアスランに、ディアッカは苦笑する。
「あはは・・・。それこそ気にするな。で、お前はどうした?」
「うん・・・。なんか、お前の顔が・・・見たくなった」
困ったように笑うアスランの、碧の瞳が揺れている。
(あぁ・・・なるほどね)
泣くことをしない彼は、その分の哀しさを埋めるべくディアッカを求めたようだ。
「・・・アデス艦長かぁ」
ぽつりと呟けば、アスランの肩が微かに震えた。
ヴェザリウスの艦長であり、ディアッカたちの良き理解者でもあった、その人。
まるで父親のようだ、と言ったのは誰であったろう。
コックピットの中での敬礼は、彼らにとって大切な人をまた失った現実を、大きくするだけだったけれど。
「そうだよなぁ。キラやラクス嬢には、なかなか言えないよなぁ。これは俺たちの、どうしょうもない感情なんだろうな」
「・・・俺もそう思う。みんな戦うことに必死だから、個人的なことで煩わせたくないし・・・」
「だよな。でも、それでも駄目な時ってあるんだ・・・」
ディアッカは天井を仰ぎ見る。
丸まった背中、と彼女は言った。全くその通りだとディアッカは思う。
独りになりたかった。
独りになって、もう一度、この場所が己の居るべき場所なのだと確かめたかった。
そうでないと―――自分が何を望んでいるのかさえ、曖昧になりそうで怖かった。
でも本当は、心細かったのかもしれない。
彼女は、丸まった背中を追い駆けてきてくれた。
声を掛けてくれた。
それだけで、嬉しかった。気に掛けてくれたのだと、それだけで。
彼女のまっすぐな瞳は、彼を思い出す。
彼を。
イザークの、痛いほどの視線を思い出す。
「・・・イザークに逢ったよ」
「えっ!」
顔を上げ、瞳を大きく見開いているアスランは、やはり泣き出しそうだ。
かつての仲間ではない。今も仲間だ。それだけの強い絆があるから辛くなる。
「一緒に来いとは言えなかった。その代わり、ザフトだけが正しいんじゃないとは言ったけどな」
見上げてくる少年の、肩口に額を押し付ける。
「ディアッカ・・・」
「さっき・・・。あいつが言ったんだ。アークエンジェルに残った俺の意思を、尊重するって。スゲー嬉しかった。でも俺は、イザークを撃てない。威嚇攻撃は出来るだろうけど撃てない。それでも、 ここに居ていいと思うか?」
弱々しいディアッカの声音に、アスランの両手が彼の背に回る。優しく優しく、彼を包んだ。
「大丈夫だよ。ディアッカはアークエンジェルに受け入れられているだろ。周りを、彼女を信じなくちゃ。イザークだってお前の気持ち、ちゃんと判ってくれるよ。俺とキラみたいになったら駄目なんだ・・・」
「アスラン・・・」
「泣くなよ。泣くのは戦争が終わってからの嬉し涙だって言ったのはお前だろ?」
「・・・泣かねぇよ。泣かねぇから、お前も泣くなよ」
「うん。約束だからね」
仲間であり親友である少年は、何を考えているのだろう。
いつだって自信に満ちていた少年は。
今もまっすぐな想いのまま、プラントを護っている。
だけど、戦争は決して甘いものではない。
どちらか一方のことだけでは、駄目なのだ。
コーディネータとナチュラルの間にある壁を壊す日まで。
ディアッカもアスランも。
己の決めた場所で、戦い続ける。