生まれてくる命とは何だろう。
父と母は、その子に何を望み何を見ているのか。
コーディネータとは何だろう。
遺伝子操作をする意味とは何か。
受け継いでもらいたい能力。
開花させたい才能。
純粋な親の想いは。
生を受けた子供のために。
だけど―――。
願いばかりが大きくても駄目なのだ。
過剰な期待は誰のためのもの?
何のために、誰のために生まれる命なの?

あぁ―――逢いたい。
唐突に、けれど、どうしようもないほどに逢いたい。
脳裏に浮かんだのは。
父や母ではなく。

―――君だ。





負傷したフラガに肩を貸したまでは覚えている。フリーダムのコックピットに戻ったことも。
ただ、その先のことが朧げだ。
キラは自分の名前が呼ばれていることに、ようやく気付いた。
「キラ!・・・キラ!・・・」
焦りを含んだ声音に、キラは自分が今、地球軍とザフトに囲まれている現状へ意識を向ける。
「アスラン・・・?」
「キラ!動きが鈍いけど、どこか怪我してる?」
コックピットのメインモニターの左上に小さなウィンドウが開き、心配げな色をしたアスランが映し出された。
「ごめん・・・。大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん、ホント」
アスランを安心させるためにキラは小さく笑ったが、彼は納得していないようで、形の良い眉を寄せる。
(ああ・・・そんな顔しないでよ。君の方が泣きそうだ)
そう言ったところで、彼の心配性が変わることはなく、だからキラは操縦桿を握る手に力を込めた。
「アスラン、今は戦闘に集中しないと」
「えっ・・・うん、判ってる」
キラは音もなく閉じるウィンドウから、まっすぐ前へと視線を移した。
地球軍の三機のガンダム。
執拗な攻撃は休むことなく続く。
暗い大きな海は、不必要な光を散りばめている。
人の憎しみの、光が散る。
成り行きに身を流され、ストライクのパイロットになってしまったのは、まだほんの少し前の過去。
もしも、あの時、あの場所に居なかったら、と思ったところで時間が戻ることはなく。
そう後悔したのは、一度や二度ではないけれど。
さきほどの、仮面の青年。
彼は、何を語った?
もしもとか、仮にではなくて。
―――最高のコーディネータ。
キラはかぶりを振る。
余計な事は考えない。考えない。考えない。

最高の。最高の。最高の。最高の。最高の。
沢山の犠牲の上に―――。
最高の―――。

頭が痛い。鼓動が速い。
苦しい。苦しい。苦しい。

『・・・アークエンジェル・・・アークエンジェル・・・』

「・・・えっ?」

『・・・アークエンジェル・・・。私・・・フレイよ。フレイ・アルスターよ』

懐かしい声が。
キラの鼓膜を揺する。
涙が―――零れた。





優しい父さん、料理上手な母さん。そして僕。
家族三人で囲むテーブルは、いつも笑い声で溢れていた。
何よりもっと嬉しかった事は、僕たちの中に君がいた。
家族は三人だけど、君は僕の家族のようだったね。
兄弟みたいだって、よく言われた。
でも、本当は。
兄弟というよりも、僕は。
―――君を、求めていたんだ。





重たい瞼を開ける。数回瞬きを繰り返すと、視界がピンク色に染まった。
「・・・キラ」
ラクスが長い髪をふわりと広げ、瞳を開けたキラへ微笑む。キラは白い天井から少し首を動かした。
ラクスの後ろにカガリが見える。クサナギからキラの様子を見に来たようだ。その彼女は手にフォトフレームを持っていた。
(あぁ・・・それは・・・)
なんとなく気まずさを感じてしまうのは、どうしてだろう。
仮面の青年から齎された事実を、どう受け止めたらいいのか、キラ自身さえ迷っているのだ。
今の彼女に話すべき事だとは思えないし、話さなくてもいいことだ。
キラは戸惑いを引き摺ったまま、カガリから眼を逸らした。
その彼女から少し離れた場所に。
―――彼は居た。
遠慮がちに立っている彼は、やはり不安げなままだ。
最近は特に、何かを我慢するような表情の彼ばかり見ている気がする。
泣き出す一歩手前の、それを。
彼に大丈夫だよと伝えたくて、起き上がろうとしたキラの肩に、ラクスの手が伸びた。
「まだ、お休みになっていてください。無理は駄目ですわ」
少女の言葉に、キラは首を横に振る。上体を起こしてから大きく息を吐いた。
体がだるいという訳ではなかったから、体力面は大丈夫だ。
しかし。
精神面での疲れは、確かにある。
この行き場のない感情を鎮めてくれるのは、ただ一人。
求める人は―――ただ一人。
僅かに流れた沈黙に、ラクスは何かを感じ取ったようだ。眼を細めると、座っていた椅子から立ち上がる。
「アスラン、キラのこと、お願いしてもいいですか?」
「えっ・・・?」
ラクスの突然の申し出に、アスランは少し驚いたようだ。
「ラ・・・ラクス?」
「ふふ・・・。後は頼みましたわ。カガリさん、行きましょう」
「へっ・・・?」
カガリもアスラン同様、事の成り行きに逆らえないでいる。ラクスに腕を取られた彼女は、そのまま扉の外へ消えてしまった。
きっとラクスの気遣いだ。彼女は知っているのであろう。
キラが本当に欲している人を。
然して広くない部屋で、残された二人の少年の視線が絡み合う。
「アスラン・・・」
キラの声に導かれ、アスランがベッドへと近づく。さきほどまでラクスが座っていた椅子に腰を下ろすより早く、キラは彼の腕を掴み、その体をベッドへ引き寄せた。
「キラ?」
赤い制服に身を包んでいるアスランを、誰よりも近くに感じていたくて、キラは彼を抱き締める。藍色の髪に顔を埋めて、彼を抱いているのは自分だという証を刻み込みたくて。
平和だった月での生活を思い出す。
沢山のことを話した。沢山笑った。
喧嘩もしたけど、仲直りも早かった。
自分たちはコーディネータではあるけれど、どこにでも居る普通の子供だった。
なのに―――。
両親からではなく、第三者から伝えられた事実。
嘘だと、叫びたかった。
何を基準に、最高だなどと言うのか。
あの話しが嘘ではないのなら。
自分が機械の一部になってしまいそうで。己の手が操縦するモビルスーツは、己の一部ではない。
モビルスーツにぴたりと合う能力はいらない。
望まれた生ではなくて、傑作だなんて。
否定をしてくれる人は、誰もいない。
「キラ・・・何があったの?」
キラの腕の中で、アスランが身じろぎをする。
「ねぇ、キラ。このままじゃあ、キラの顔が見えないよ」
「アスラン・・・」
少しだけ腕の力を弱めれば、アスランが上目遣いにキラを見つめた。
「L4コロニーで、何があった?」
まっすぐな碧の双眸。キラの好きな色が、すぐ近くにある。
「ごめん。何でもないよ」
「嘘だ!何があったんだよ。俺に話せないこと?」
何か、ではなく、何がと断定して訊いてくる。
(あぁ、そうだね。僕は君に嘘を吐いている)
変えることの出来ない事実。直視するには、苦しすぎる。
が―――。
自分を愛し育ててくれたのは、紛れもない父と母。
産まれて来た形より、もっと大切なものがある。
だから、それでいい。それで充分だと思う。
ならば、父と母のために生きる。
そして、大好きな人のために生きる。
そう思ったから、彼に逢いたくなったのだと。
腕に抱く、彼の顔が浮かんだのだと。
キラはアスランの胸に、自分の額をくっつけた。
「大丈夫・・・大丈夫なんだ。もう泣かないって決めたから」
「・・・キラは嘘吐きだ。何で俺に話さないで、自己完結しちゃうんだよ」
「アスラン・・・」
「だからね。泣きたい時に泣かないと、もっと辛いよ。泣いていいんだから」
困った奴だと呟きながら、アスランはキラの髪を優しく梳いた。
「それに、あの女の子。通信に入って来た女の子のこともあるよね。キラにとって、大切な人なんだろ」
「あ・・・それは・・・」
急に浮上する一人の少女の存在。
受け入れがたい事実に加えて、彼女の切迫した叫びが、キラの混乱を加速させた。
彼女に縋った時期があった。彼女を必要としたのは、本当のことだ。
なのに、彼女を突き放したのもキラ自身だ。
「フレイは・・・僕を支えてくれたんだ。だから、僕は助けたかったし護りたかった」
「そっかぁ。でも、一人で突っ込みすぎ」
「うん・・・ごめん」
「・・・また逢えるよ」
「そうだね。逢えるよね」
トクントクンという、アスランの心音が心地良い。
暖かな音を聴きながら、キラはフレイを想う。父と母を想う。
縋った人が、誰でも良かった訳ではないのだ。
彼女はキラの弱さを支えてくれた。
そして、今までもこれからも、キラを支えてくれるのは父と母だ。
「アスラン・・・やっぱ泣いていい?」
「うん。いっぱい泣きなよ」
「ごめんね、アスランだって泣きそうな顔してるのに・・・」
「・・・いいよ。俺の分もキラが泣いてくれるから」
「なんだよ・・・それ・・・」
アスランの温もりが、キラを優しく包む。
L4コロニーで告げられたことを、キラは胸の奥に閉じ込める。
アスランは知らなくてもいいことだ。
時折、どうしようもなく叫びたくはなるだろうけれど。
彼と共に、未来を歩む事が出来るのなら、そんなこと、と言ってしまえるくらいに強くなる。
キラにとって大事なのは、アスラン・ザラに出逢えたことなのだ。
父と母と、月で暮らしていたから、アスランに出逢えた。
本当の両親が、全く気にならない訳ではないが。
いつか、その人たちのことを想い涙を零す日まで。
心に閉ざしたいと思う。
「アスラン・・・一緒がいいね」
「うん。一緒に居るよ」
「アスラン・・・アスラン・・・」
震える声で、愛しい人の名を呼ぶ。
何度も何度も呼ぶ。
君が居るから、強くなる。
君が居るから、泣かない。
泣くのは、これで最後だ。
産まれた形より、産まれてからの過程を。
君に出逢えたことを。
ずっとずっと。
大切にしたい。