全ての始まりは、一つの赤い閃光だった。 「彼」とのあまりにも偶然の再会も、赤い炎に包まれていた。 そして。 黒い機体が真っ赤に染まったとき。 少年の心が。 ―――砕けた。 武器を持ち戦場へ出た者を待つのは何か? 銃口の先に何を見据えているのか? 誰もが頭の中では理解していること。 しかし、それでも。 受け入れたくない現実はある。 悲しくて悲しくて悲しくて悲しくて悲しくて。 体が。 ―――壊れてしまいそうで。 だから本当に。 壊れてしまえばいいと思った。 ディアッカは一つの扉を前にして、壁を背を預け立っていた。腕を組み扉を睨む。 時折漏れてくる声に、彼は耳を塞ぎたくなった。 どのくらいそうしていたのか、ふいに扉が横に滑り白衣姿の男とイザークが部屋の中から出てきた。 ディアッカは壁から背を離し白衣の男を見据える。その視線に気付いてか、男は困ったように小さく笑った。 「ようやく眠ったところだ。大丈夫とは言い切れんがね。後は君たちが傍にいてやることだ」 それだけ言うと、男は自分の持ち場へ戻って行く。長い廊下を歩く彼の背が哀れさを伝えているようで、ディアッカは唇を噛む。 (お前に何が解る。俺たちの何が解るっていうんだよ!) そう叫びたい気持ちを無理矢理抑えて、ディアッカは疲れきった色を浮かべているイザークを見た。 「・・・お前、休んだ方が良くないか?ここは俺がいるから」 「いや、大丈夫だ。気にするな。お前の方こそ、今のうちにちゃんと休めよ」 やけにきっぱりと言い切るイザークに、ディアッカは少なからず苛立ちを覚えた。 「イザーク!お前さ、何一人で頑張ってるワケ?俺だっているじゃん」 「・・・別に頑張ってないさ。どうしたらいいのか判らないだけで」 静かに、けれどそれ以上の追求じみたことを許さない拒絶の響きがあった。ディアッカは大げさに溜息を吐く。 ―――そうだった。 ベッドの主となってしまった少年を護る役目は、彼の専売特許だ。護るというより精神安定剤と言うべきか。 どちらにせよ、今のイザークはディアッカでさえ足を踏み入れることを許さないほど、ベッドの少年に意識を向けている。 「あんまり無理すんなよ・・・って言っても無駄か?」 ディアッカは肩に力が入りすぎている彼の負担を、少しでも軽くしたかった。息が詰まるほどの重すぎる空気。イザークとて、どこかに逃げ場がないと辛いだろう。 そんなディアッカの気持ちが伝わったのか、イザークは口の端を上げた。 「俺はそんなにヤワじゃないさ。でも苦しくなったら、お前に愚痴の洪水をぶつけてやる」 「・・・ははは。ありがたく受け取るよ」 渇いた笑みが耳に痛くて、イザークは眼を伏せる。 ディアッカなりの気遣いはありがたいが。 彼の限界が近いのもイザークには解っている。 眠っている少年は精神の不安定さを爆発させてしまった。 だから、せめて。 自分だけはいつもと変わらないように振舞わなければと思う。 強がりだと言われようが構わない。 そうしていないと。 感情のうねりに、負けてしまいそうだ。 「あいつの様子、見るか?」 「いや、いいよ。眠ってるんだろ。俺も、どうしていいのか判らねぇ」 ぽつりぽつりと、言葉を漏らすだけで会話にはならない。失ってしまったものの大きさに、呑み込まれてしまっている。 足掻いて足掻いて足掻いて。 出口は見つかるだろうか。 誰も応えてはくれない光を。 イザークもディアッカも、眠る少年も。 必死で見つけ出そうとしていた。 ベッドの上で眠る白い頬をイザークは見下ろす。 十五歳の少年が青い地球(ほし)で散った日。 彼も心を飛ばしてしまった。 どうして、何で、と思ったところで現実は変わらない。 泣いて叫んで神に祈ったところで、時間は戻らない。 悔やんだところでいい訳だ。 もう、いない。何処にもいない。 黒い機体の欠片と共に、宇宙へ還った少年。 たった十五年の生なんて。 戦争なんだと言い切れるものではなくて。 イザークは大きく息を吐く。 どうしたらいい?どうすれば、お前がいない事実を受け入れられる? 「バカなんだよ。一人で突っ走りやがって」 イザークの零した声が震える。 眠る少年とイザークと。 ここにディアッカがいたところで、会話があるはずはなく。部屋に戻ったディアッカは正解だ。 息苦しさしかない空間。 だからといって、イザークがこの部屋から出ることは無い。眠る少年が目覚めたとき、必ずここにいると約束したのだから。 求めてくる腕を離したくはない。 縋り付く細い腕を抱くのは自分なのだ。 今のイザークは。 目の前の少年のためだけに、平常心を保とうとしていた。 「・・・ぅ・・・ん」 微かに空気の色が変わる。浅い眠りから意識を浮上させている少年に気付いて、イザークは彼の名前を呼んだ。 「アスラン・・・」 重たそうに瞼を動かしたアスランの、とろんとした瞳がイザークを捉えた。 「・・・イザーク」 「どうした?喉が渇いたか?」 イザークの問い掛けに、そうではないとアスランがゆっくり首を横に振る。 「夢を見た。ニコルの夢・・・」 小さな呟きが、イザークの鼓膜を揺する。彼はアスランの話に付き合うため、その先を促した。 「あいつは笑っていたか?」 「・・・うん、笑ってた。優しく笑って俺にピアノを弾いてくれた」 「そうか。あいつらしいな」 想い出を語るわけではない。 彼の、ニコルの―――話だ。 「あいつの演奏会も凄く良くて・・・。やっぱり芸術肌だね」 「そうだな。あいつならピアニストも夢じゃないさ」 壊れた会話なのかもしれない。が、全てを過去形で話せない。話せるわけがない。 弱いと言われようが、それが今の自分たちだ。 きっと、こういう想いを沢山の人が胸に抱えている。 それでも戦争は終わらない。 終わらないから銃を持つのか、終わらせるために銃を持つのか。 それさえも曖昧になりそうで。 イザークは恐怖を感じていた。 戦う意味を失ってしまったら終わりだ。 だから。 ―――アスラン。 俺を見ろ。ちゃんと見ろ。 プラントより何より。 俺はお前を護るから。 絶対にお前を一人にはしないから。 そう言ってしまいたい衝動をやり過ごすため、イザークは強く両手を握り締める。 ぼんやりと天井を見つめるアスランのベッドサイドに腰を下ろして、イザークはその白い頬を覗き込んだ。 今の彼に何を言っても駄目なように思う。 約束なんて不確かなもので。 けれど、それを糧に立ち上がれるのなら、不確かを確実にしてみせる。 だから。 ―――俺を見ろ。 イザークはアスランの濃い紺色の髪を指に絡ませながら、声にならない声を胸の中で上げた。 自分の想いは自分だけが知っていればいいこと。今はアスランが再びイージスの操縦桿を握るためにも。 差し出した手をしっかり掴んでくれるように。 彼の砕けてしまった心を取り戻す答えを探している。 「・・・ねぇ・・・イザーク」 ひんやりとした少しの沈黙を破ったのはアスランだ。 「なんだ?」 「イージスの意味、知ってる?」 「イージスの?盾ってヤツだろ」 「・・・そう、盾だよ」 ぽつりと切なげに眉根を寄せて。アスランが行き場のない、どうしようもない感情を吐き出した。 「俺はプラントの盾になりたかった。なれると思ってた。なのに、ニコル一人の盾にもなれない」 「アスラン・・・」 イザークの指が紺の髪から離れ、アスランの頬をぽたりと濡らした雫を優しく拭う。 泣いて泣いて泣いて。保てない意識を手放して。 そしてまた。 アスランの碧の瞳が涙で揺れる。 宇宙へ還った少年の、誰よりも近くにいた彼。 自分を責め続け自分を追い詰める彼に、イザークは粘り強く語りかける。イザークはアスランを信じているのだ。 再びその瞳が、綺麗な光を湛えてくれると。 イザークを―――。 見てくれると。 「アスラン、俺たちはみんなが盾なんだ。お前一人じゃないだろ。ニコルも同じなんだ」 「じゃあ・・・壊れた盾はどこへ行くんだ。あいつは俺に逃げてって・・・。あいつはどこへ行ったんだよ。俺は・・・あいつを見つけられない」 アスランの手がイザークの制服を掴む。まるで、強い感情のうねりに流されまいとしているようで。 イザークは咄嗟にアスランの上体を抱き起こすと、小さな子供をあやすように彼の細い背中をゆっくり擦った。アスランはされるがまま、イザークの肩に顔を埋めている。 腕の中で大人しく納まっている少年が、これ以上自分を傷つけることがないように、イザークは言葉を紡ぐ。 「お前があいつを見つけることなんてない。あいつは俺たちと一緒にいるだろ」 「・・・一緒に?」 「当たり前だ。ニコルの盾は壊れてなんかいない。二つに分かれただけなんだ。一つはあいつを待つ人のところへ。もう一つは俺たちのところへ。耳を澄ませば聴こえるだろ。あいつは俺たちのところにちゃんといる。そして俺もディアッカも、お前の傍にいる。お前が見ようとしないだけなんだ。」 泣きたいのはアスランだけではない。イザークも同じこと。 けれど彼は泣かない。 変えられない現実は認めなければいい。 受け入れられないのなら、最初から否定する。 そうでもしなければ。 イザークとて崩れてしまう。 「俺にはあいつの声が聴こえる。あいつが俺たちの盾になってくれているんだ」 ゆっくりと顔を上げるアスランの唇が僅かに動くが、音を伴ったものにはならなかった。そのかわり、彼の手がイザークの胸元をきつく掴む。 「・・・俺にも聴こえるかな」 「あぁ、もう聴こえてるはずだ」 イザークはアスランを抱き締めた。彼を護るために抱き締める。 (お願いだ、ニコル。こいつを俺たちのところへ還してくれ。お前のことを優しく受け止められない俺たちから、こいつを奪わないでくれ) イザークの強い想いは一人の少年に向けられたもの。子供じみた魔法の呪文を囁いても、彼のことは誰にも譲れない。 愚かだと言われようが、哀れだと言われようが変わらない。 だだ、護りたい。 それだけだ。 窓の外で。 ふわりと風が流れた。 |