無音、けれど繰り返される光の点滅は、少年に安心と心地良さを与えてくれる。
少年は、丸い空間の中で膝を抱えていた。
少年にとって、生きる意味とは、世界を変えることだ。それは、生まれながらにして持っているものでもある。世界を変えるために、少年はいる。存在している、と言っても良い。
ただし、世界を変えるのは、少年だけではない。そのために集まった人間たちがいる。彼らのことを「仲間」と呼ぶのだと知ったのは、随分後になってからだ。
仲間であろうと何であろうと、世界を変える計画のために必要な力があるのならば、それでいい。しかし、ほんの少しでも不安定な要素がある場合は、計画に支障が出てしまう。そんな人間など「仲間」であっても、認めたくはない。そんな人間など、いらない。
なのに―――。
人間とは常に不安定だ。人はそれを、時に感情と呼び、時に弱さと呼ぶ。少年には理解し難い人間の心だ。
何故、そういうものを持ちながら、ここに集まったのだろう。
何故、そういうものを持っていても、選ばれた存在なのだろう。
自分は計画を実現するためだけに、ここにいるというのに―――。
少年は、膝に顔を埋める。
理解出来ない人の心など、知らなくていい。そんなものは、自分には関係がなく、必要のないものだ。
そう、心など、マイスターの中でも更に特別な存在である自分には、いらないのだ。

自分は―――審判者なのだから。

少年は膝から顔を上げる。
交差する光と反応するように、少年の瞳が黄金色に輝いた。





その戦闘データの中で、明らかに周囲とは動きの違いを見せる機体がある。刹那からの戦闘データ。相手はユニオン。ヴァーチェのコクピットで携帯端末に映し出されている戦闘データを、ティエリアは睨んでいた。
多くの機体の中でも、ひときわ動きの違いをみせるそれ。刹那のエクシアと、ほぼ互角の動き。ガンダム以上の性能を有するモビルスーツであろうはずはない。これは、個人の身体能力の高さなのだろう。
ティエリアは、コクピットに深く身を沈める。
刹那の戦闘データを下に作成されたシミュレーションで、ティエリアは明らかに動きの速いその機体を落とせなかった。苛立ちが、全身を締め付ける。何度となく繰り返してきたシミュレーションでは可能であったことが、実際の戦闘では上手く行かないことが出てきている。不可能ではないのに、完璧がほんの少し崩れる。ミッション自体に影響はなくても、ティエリアには許せるようなミッションの終わりではないのだ。
仮想空間の戦闘ではなく、生身の人間と人間の殺し合い。予測不可能なことが起こるのが、本当の血の流れる戦場。人間の心情が絡み合うことで、シミュレーションにはない戦いが生まれる。
ミッションが終わっても、そのほんの少しの違いが、ティエリアに苛立ちを齎す。無事にミッションが終わればいいというものではない。ヴェーダが示した通りの形でミッションを終わらせることが、ティエリアには意味のあることなのだ。そうでなければ、敵に翻弄されていることではないか。
翻弄されるといえば―――。
刹那・F・セイエイにも、充分過ぎるほど翻弄されている。
ティエリアは腹の底から怒りが込み上げてきて、それを押し戻すために大きく息を吸う。
先日の刹那の帰艦の遅れを、ティエリアは今でも納得出来ないでいる。何らかの問題が発生したわけでもないのに、予定通りの行動をとらないなど、ティエリアには理解が出来ない。なのに、誰もが口を揃えて、問題無いと言う。
問題がない、とはどういうことだ。ティエリアの怒りは、行き場のない分、消化されない状態が続いている。しかし、これは精神的に安定しているとは言い難い。常に不遜さを纏っているティエリアだが、それとは種類が違う。
怒り、なのだ。
怒りを持続させていると、意外なほど精神的に疲労する。そうなる前に、少しでも冷静さが表に出れば、多少の落ち着きが戻るのだろうが、今回の刹那のことに関しては納得が出来ない分、怒りは治まらない。今のティエリアは、刹那と顔を合わせるのも嫌なのだ。二日後には、刹那とロックオンがミッションのために地上に下りる。早く時間が過ぎれば良い、とティエリアは思っていた。
端末のモニターを流れる戦闘データをぼんやり見ていると、手元に影が落ちた。

「見つけた」

見上げると、柔らかな笑みのロックオンが、ヴァーチェのコクピットハッチに立っていた。
いつの間に、と思う。ロックオンの気配に気付かないほど、自分の意識は戦闘データ、否、刹那に向かっていたのだろうか。少しの驚きは、どうやら顔に出てしまったようだ。地球の青に大地の濃い緑が混ざり合ったロックオンの眼が細められる。
「お前のこと、呼んだんだぜ。でも返事がなかったからさ」
「・・・呼んだ?俺のことを・・・?」
「そうそう、ちゃーんと呼びました。おやっさんにお前がコンテナにいるって聞いたんだよ。つーか、俺の声が聞こえないほど、何してたんだ?」
ハッチの上でしゃがみ込むロックオンから、ティエリアは手に持っている端末へと視軸を移す。現実としてのデータを映し出している端末のモニターを消すと、ティエリアはコクピットから体を浮かせた。ロックオンからの問いには応えず、無言でやり過ごす。
「コラコラ、どこ行くんだよ」
半無重力の空間に体を投げ出せば、ロックオンも追いかけてくる。
「あなたには関係ありません」
「関係ないってことはないんだよ。俺はお前を捜していたんだぜ」
「捜す?何故です?俺はあなたに用はない」
「あら、残念。でも俺はお前に用があるんでね」
ティエリアの足がコンテナの床に届く直前で、ロックオンの手に腕を掴まれた。
「何をする!離せ!」
嫌悪の含まれた声音が返って来ても、ロックオンは掴んだ細い腕を離すことはしない。見上げてくる紅い瞳に、少し顔を近づける。
「離せと言われても、離さねぇよ。お前、今日の朝も昼も食ってねぇだろ」
逸らすことを許さないというようなロックオンの真剣さが、眼の前にある。ティエリアは、少し顎を引いて唇を動かした。
「・・・サプリメントは摂っています」
「サプリメントを食事だとは言わないんだよ。お前さ、何で飯食ってねぇの?体調悪い?」
低い声がティエリアに届く。確かにロックオンの言うとおり、ティエリアは今日目覚めてから夜の八時を過ぎた今でも、食堂に行っていない。それは食事を摂っていないことを意味する。体調が悪いわけではないが、食欲がないのは事実だ。
何故、食欲がないのかと言われれば、自分でも分かっていない。ただ、刹那のことを考えていたら、食事を前にしても喉を通らなくなっていた。それだけ刹那を意識している。それも、怒りという負の感情で。
「・・・食欲がありません」
「なんで?」
「あなたには関係ない」
「関係なくねぇよ。体調は問題ないのに飯を食わないなんて、心配するだろうが」
ティエリアの腕を掴むロックオンの手の力が強くなる。その力に少年の眉根が寄った。
「だから、あなたには関係ないと言っている。心配されることもない」
「あー、もう、面倒くせぇ。食堂行くぞ、食堂」
「ロ・・・ロックオン・ストラトス!離せ!」
ロックオンに引っ張られながら、ティエリアはコンテナを出る。振りほどけない掌の強さが、何故か怖かった。



「とりあえず、食べられるだけ食べること」
食堂に連れて来られ、無理矢理座らされた椅子。そして、テーブルに置かれた食事が載るトレイ。ティエリアはトレイを睨んでから、ロックオンを睨む。
「はいはい。そんな怖い顔しても駄目。マイスターたるもの、自分の健康管理は自分で出来ないとな」
「俺はちゃんと自己管理出来ている」
「そうか?でも、そういう奴は、丸一日何も食べないなんてことはしないんだよ」
「サプリメントは摂っていると言ったはずです」
「だーかーらー!それを食事と言わないの」
噛み合っているようで噛み合っていない会話に、ロックオンは大きく溜息を吐く。ティエリアが今朝から食事を摂っていないこと知ったのは、ほんの一時間前のことだ。
二日後、ロックオンと刹那はミッションのために地上へ下りる。その打ち合わせや機体の整備などを行っていたら、ティエリアと顔を合わせることがなかった。食堂に行っても、食事の時間が同じとは限らない。今日は擦れ違いの日だなと思っていたら、アレルヤからティエリアが食事をしていないかもしれない、と言われたのだ。
基本的に、マイスターたちには昼と夜の交代勤務というものはない。グリニッジ標準時間の朝から夜で、スケジュールが組まれている。なので、食事の時間が大きく違うことは、あまりない。しかし、打ち合わせや個人的に何かを行っていれば、いつもなら食事をしている時間が早くなったり遅くなったりする。ロックオンと刹那の今日は、それだ。
いつもより遅めの夕食を二人が食べていると、食堂にアレルヤが現れたのだ。そして、今日のティエリアのことを告げる。どうやら、今朝から食事をしていないようだと。
朝食の時間帯にティエリアが食堂に来ないのは、珍しいことではない。彼は朝に弱いようで、食堂に来ても飲み物だけという日もある。ちゃんと食べろと言うのだが、本人からは朝は食べたくないと応えがあるだけだ。体質というのもあるだろうと、口煩くは言わないようにしている。だから、今日もティエリアが朝食の時間帯に食堂に居なくても、それほど気にはしていなかった。昼と夜は、ロックオンと刹那は一緒だったが、アレルヤとティエリアとは別だ。そのアレルヤからの言葉に、ロックオンは眉間に皺を寄せ、今に至る。
相変わらず食事を睨んでいるティエリアに、ロックオンは困ったものだと首を傾げる。
「全部食べろと言ってるわけでも、無理に食べさせたいわけでもないんだけどなぁ」
「俺は食べたくないとさっきから言っているのだから、それでいいでしょう」
「じゃあ、食べたくない理由は?なんか嫌なことでもあったか?」
ティエリアの顔が横を向く。何かなど、刹那のことぐらいしか考えられないのだが、それが原因で食事を摂らないことになるだろうか。ストライキか?何のストライキだ?と自分の考えに自分で突っ込みたくなる。
きつく結ばれた唇に、息を零す。
「・・・刹那のこと、まだ怒ってるのか?」
「・・・・・!」
勢い良くロックオンへと視軸を戻した、ティエリアの分かりやすい反応に、やっぱりそうなのかと思わずにはいられない。が、食事を摂らないほどの怒りの原因は、一体なんだ。
ロックオンの溜息は増すばかりである。
「刹那のことは怒るようなことじゃないって、何度言ったら分かるかなぁ。ミッションで失敗したわけじゃないんだし、お前さんが怒る理由が俺には分からんよ」
「マイスターが行動予定を守るのは、ミッション同様大事なことだ」
「うん、それは分かるさ。でも刹那は休暇中で、トレミーに戻るのが一日遅れても支障はなかった。そうだろ?」
「だからと言って、特別な理由ではない。それなのに何故、刹那・F・セイエイが正しいと言うのか、俺には理解出来ない」
強い口調がロックオンへ吐き出される。どこまでも生真面目な少年。生真面目すぎるからこそ、雁字搦めだ。
「刹那のあれは、正しい正しくないじゃなくて、人と人との繋がりだ。大事にしたいものなんだよ」
「何故です?俺たちはガンダムマイスターだ。一般人と交わる必要がどこにある」
「そういう風に考えるから駄目なんだ。正しいとか必要とかじゃない。言っただろ、人と人との繋がりだって。当然のことなんだよ。刹那は当たり前のことをしたんだ」
「あたり・・・まえ・・・?」
短い呟きは、本当に何が当たり前なのか分らない、と言っているように聞こえる。きっとそうなのだろう。どこか幼い響きだ。
「そうさ。当たり前というか、自然の流れってヤツだな。もし、俺にもセーフティハウスがあれば、お隣さんにはこれからよろしくって挨拶するし、それがきっかけでそれなりのお隣さん関係になって、食事に誘われることがあったとしたら、断る理由がなければ食事くらいするさ」
「・・・俺には分かりません。隣に住んでいる他人と食事など・・・。何より、俺たちが必要以上に一般人と接すること自体が、問題だ」
「そうか?俺は問題とは思わねぇよ。休暇中のことなんだ。自分の気持ちに素直に、やりたいと思ったことを、刹那は選んだ。マイスターだからって、一般人と接点持つなとは言われてないだろ。特に刹那はセーフティハウスがあるからな。そこで何日か過ごせば、人恋しくもなるだろうし、人は他人と触れ合って生きるもんだ。刹那のことは、休暇中にたまたま起きた、でもごく普通のことなんだよ」
噛み砕いて丁寧に、相手に気持ちを伝える。分からせるのでは駄目だ。こちらの想いを伝えなければ、これからも同じことの繰り返しである。
神経質すぎるんだよな、とロックオンは思う。何事も予定通りに行動することが大事だ、と決め付けすぎだ。もう少し気持ちに余裕を持たないと、苦しいだろうに。
けれど、それが出来ないから、未だに刹那への怒りが解けないでいる。困ったものだ。
「・・・で、刹那のことを怒っているティエリア・アーデは、食事をしないストライキにでも突入したか?」
「・・・・・たのに・・・」
「ん・・・?」
「・・・俺は、人間と触れ合って生きてきてはいないのに・・・!」
椅子を倒す勢いで、ティエリアは立ち上がる。
「ティエリア?」
「あなたの言う通りです。俺は刹那・F・セイエイの行動が許せない。許せない気持ちでいっぱいですから、食事など食べたくもありません。失礼します」
少し震えた声を残し、ティエリアは急ぎ足で食堂から出て行こうとする。
「ちょ・・・ティエリア。待てよ!」
「あなたには関係ないと言っている。放っておいて下さい」
前を向いたまま、ロックオンを拒絶する科白を吐き出して、ティエリアが扉の外へ消えた。完全に一人となってしまった食堂で、ロックオンは椅子から浮かせた腰を、再びそこへ戻す。テーブルの上には、冷めてしまった手付かずの食事。
「飯・・・食わせたかっただけなのになぁ・・・」
食事をして欲しかった。食事をしない理由を訊きたかった。それだけなのに、結果は良くない。最悪だ。
本当に刹那が原因で、食事を摂っていなかった。原因は分かった。ならば、何故、自分とティエリアがこんな喧嘩のようになっているのか。それこそ、原因など分かりようもなく。否、原因と呼べるかどうかは何とも言えないが―――。

―――人間と触れ合って生きてはいない

ティエリアが発した言葉だ。頭の中に、じんわりと広がって行くそれは、どう意味を捉えればいいのだろう。
ティエリア・アーデ。
ヴェーダを唯一絶対の神とする子供。
人間は生まれた瞬間から、多くの人と触れ合い生きる。最初に両親の温もりを知り、少しずつ家族以外の温もりを知る。
しかし、ティエリアにはそれがなかったというのか。人の温もりを知らない子供。だから、刹那の気持ちも、ロックオンの気持ちも分からない―――。
「・・・あいつ、どんな環境で育ったんだよ。ヴェーダヴェーダって、ヴェーダばっかりで・・・。まるでヴェーダが親じゃねぇか」
ロックオンの体を、震えが走る。まさか、と思う。ヴェーダが親など、そんなはずはない。
が―――。
モレノは言っていなかったか。ティエリアにとって、ヴェーダは大好きな存在だと。
だからといって、機械が親であるはずがない。だとすれば―――。
ソレスタルビーイングで生まれ、ソレスタルビーイングで育ったということだろうか。生まれてからずっと、ヴェーダと身近に接していれば、機械相手でも特別な存在になるのかもしれない。
そこまで考えて、ロックオンは頭を振る。宇宙育ちだと感じることは多々ある。しかし、ソレスタルビーイングで生まれたというのは、さすがに飛躍しすぎだと自分でも思う。
己の過去を語らない鉄則があっても、多かれ少なかれ互いの背景が見え隠れするものだが、ティエリアからはそういったものは一切見えない。
「まぁいいさ。この戦いが終わった後で、昔話が出来れば最高じゃねぇか。どんな過去があっても受け止める・・・。まずは、現在進行形の状況をどうにかしねぇとな」
ティエリアの口に入ることのなかった食事を、ロックオンは暫く見つめていた。



「結局ティエリアは、昨日、何も食べてないんだよね。寝る前に、ロックオンがそう教えてくれたよ。食堂まで連れて行ったけど、怒らせただけだったって」
朝食の席で、アレルヤは昨夜の続きを刹那に話す。昨日、ティエリアが朝から食事をしていないようだと、刹那とロックオンに伝えたのはアレルヤだ。それを訊いたロックオンが、「あいつの様子を見てくる」と言い、その様子の結果報告をアレルヤは受けたのだ。
「少しピリピリしてるかなって思うんだよね。いつも以上に無口になってるし。でも、こういう時のティエリアには、何を言っても無視されるから、どうしたらいいのか分からないっていうのもあるんだ。僕がどうにか出来るレベルじゃないっていうのが、情けないかなぁ・・・」
「・・・俺のせいなのか?」
「ん・・・?」
「俺があいつを怒らせたから、食事をしないのか?」
少し俯いた刹那が、小さく漏らす。見慣れた表情に変わりはないが、ティエリアを気にしていることは、短い音が教えてくれた。アレルヤは、それを微笑ましく感じる。
「そうだなぁ。もし仮に刹那のことが原因だったとしても、これはティエリア自身の問題だからね。ティエリアが自分で納得して解決しないと、意味のないことだと思うんだ。だから刹那が気にすることじゃないよ」
「そう・・・だろうか」
「もし気になるなら、謝ってみる?そろそろロックオンが、頑張ってティエリアをここへ連れて来る頃だよ。昨日の夜、何がなんでも一緒に飯を食うって、意気込んでいたから」
刹那の頭が、コクリと縦に動く。実はアレルヤは、ロックオンからティエリアが食事を摂らない理由を聞いているのだ。ティエリアは刹那のことを、まだ怒っている。理由はそれ。しかし、本人を前にして、原因は君だよとは言えないし、言いたくもない。
だから、これはティエリア自身の問題なのだ。彼の「ガンダムマイスターなら、こうあるべきだ」という考えを否定はしないし、確かにあるべき姿はある。ただ、型にはめ込みすぎるのも良くない。はめ込みすぎるから、ティエリアは怒ったままなのだ。
「・・・真面目なんだよね、ティエリアはさ」
少しの溜息に混じった呟きに、刹那がアレルヤを視界に入れたとき、食堂の扉が開いた。

「しつこいんだ、あなたは!」

食堂に入って来たのは、ロックオンと彼に腕を掴まれている叫び主のティエリアだ。
「よう、おはようさん」
本当に何がなんでもティエリアを食堂に連れて来たロックオンからの挨拶は、やけに爽やかだ。
「お・・・おはよう。ティエリアも、おはよう」
アレルヤが挨拶を返す。その声に、ティエリアが既に食堂にいた二人の姿を捉える。そして、刹那を瞳に映した途端、正に力一杯顔を顰める。その分かりやすい反応に、アレルヤは苦笑するしかない。
「こらこら。そういう顔をするんじゃないの」
「そういう顔というのをさせているのは、あなただ。ロックオン・ストラトス!」
「はいはい。そりゃあ悪かった。つーことで、朝メシ食うぞ」
「ロックオン・ストラトス!」
ティエリアが刹那に向けた意識はほんの数秒で、彼は腕を離してはくれない年長のマイスターの名を、再び叫ぶ。 彼らの様子を眼で追いながら、刹那はやはり下人は自分だったのかと思う。ティエリアのあの表情を見てしまえば、誰にでも分かるというものだ。
きっと、アレルヤはそのことをロックオンから伝えられていて、自分に気を遣っていてくれたのだろう。多少の居心地の悪さを感じないわけではないが、刹那に何かが出来ることもなく。アレルヤの言うように、これはティエリアの問題で。
けれど、自分が原因なら、自分でどうにかしたい。そういえば、きちんと謝っていなかったなと、今更ながらに思う。刹那は、ロックオンによって強制的に食堂の椅子と友達になった、ティエリアの前に足を向ける。
「おっ?どうした、刹那」
ティエリアの横に立つ男からの問いには応えず、刹那は紅い眼の中に自分の姿をしっかりと映して口を開いた。
「ティエリア・アーデ」
「・・・・・」
無言で、しかも不快感を隠すこともなく見上げてくる少年に、刹那は言葉を止めずに続ける。
「俺の行動のことで、お前が怒っていることは知っている。すまなかった。でも、俺にはどうすればお前の機嫌が直るのか分からない」
淡々と、けれど刹那の素直さが伝わってくる声だ。ロックオンとアレルヤは、互いに眼を合わせ苦笑する。ティエリアが食事を摂らない、というより怒りが強くて食欲を突き抜けてしまった原因は、刹那の帰艦が遅れたことだ。しかし、怒っているのはティエリアだけで、刹那が気にすることではない。
けれど―――。
ティエリアの態度を見てしまえば、刹那も気にしない知らないでは終わらせたくはないのであろう。ロックオンはティエリアの両肩に手を置いた。
「ほら、刹那が謝ってる。お前さんには納得出来ないことが大きいだろうが、今回は何の問題もなかったことなんだから、お前さんが怒ることなんて、どこにもないんだよ。そういう真面目なところ、俺は嫌いじゃないけど、今回は真面目すぎ」
ポンポンとあやすように両肩を軽く叩かれたティエリアの頬が、じんわりと赤く染まる。刹那を見上げていた眼が、ゆっくりと下を向く。
そして。
「・・・俺が・・・!俺が悪いのか!刹那・F・セイエイではなく、俺が・・・」
「違うよ、違う。そうじゃない。お前さん、極端だなぁ」
「そう聞こえる!」
伏せられた顔。そこから発せられた響きは、震えを伴っていた。
「ティエリア?」
ロックオンはティエリアの顔を覗き込んでギョッとする。紅い眼には、今にも溢れ出しそうな、涙が溜まっていた。
「ティエリア・・・!お前、何で泣いてんだよ」
ロックオンの科白に、今度は刹那とアレルヤがギョッとする。あのティエリアが泣く?二人の思考が、暫し止まってしまったのは言うまでもない。
「あ〜、もう。泣くことないだろ。誰もお前を責めてないんだから・・・」
グローブに包まれたロックオンの両手が、ティエリアの頬にそっと触れる。自分の方へと少し小さな顔を向けさせれば、透明な雫がポロリと落ちた。
「ごめんな。怒っているお前を、怒っているじゃないんだよ」
硬く閉ざされた唇は、己の正論を誰も理解してくれない最後の抵抗のようだ。ティエリアの中で渦を巻いている怒りを消したくて、ロックオンは自分の胸に涙を零す子供を引き寄せる。
「お前の言うことは正しいさ。でも今回のことは、お前の正しさの境界線が、ほんの少しズレたんだな。だからって、お前が悪いわけでも刹那が悪いわけでもない。正しいとか正しくないとか、そういう境界線はいつだって曖昧だ。だからさ、刹那は謝っているんだし、許してやってくれないか?」
決壊してしまった涙腺が、悔しいのか、それとも恥ずかしいのか、珍しくも自分の胸に顔を埋めたままでいるティエリアの髪を、ロックオンはそっと撫でる。
何かをやり過ごすためなのか、微かな息遣いが三人の鼓膜に触れる中、ティエリアの頭がぎこちなく縦に動いた。それが、さきほどの応えだと知り、ロックオンの口の端が上がる。
「よかったなぁ、刹那。ティエリアが許してくれるってよ」
年長の男の明るい声音が、刹那に届く。ティエリアに巣食う、どうすることも出来ない荒波を、払拭させる明るさだ。刹那に近づいたアレルヤの手が肩に置かれ、よかったねと言われる。彼はアレルヤを見て、ロックオンとティエリアへ向き直る。ここで選ぶ言葉は、すまないではなくて。
「・・・ありがとう」
刹那がティエリアのためだけに言う。言われた本人が反応したのは直ぐだ。それまで大人しくロックオンの腕に納まっていたティエリアが、そこから逃げるように体を捻ると、テーブルを挟んで立つ少年を鋭く見据える。
「君のことは、大嫌いだ」
「知ってる」
「マイスターとしても、認めていない!」
「それも、知ってる」
キャンキャンと喚くティエリアに対して、刹那の言は短い。だが、柔らかさに包まれたものだと分かる。彼らの関係は、良好さとは遠い場所にあるのだけれど、少なくともティエリアを飲み込んでいた渦は、消えようとしているのだと実感する。
ロックオンは、安堵の息を吐く。まさかティエリアの涙を見ることになろうとは、思わなかったことだ。あれは、感情の高ぶりで生じた涙なのだろう。それでも、こうやって多大をぶつけ合いながら、しっかりと結ばれた絆を築けて行ければいい。
小さな願いに、ロックオンの双眸が優しく笑った。