僕の心を占めていたものはヴェーダ。
ソレスタルビーイングの量子型演算装置。
僕にとって、ヴェーダは装置などではなくて、神と同じ存在。
僕のすべて。
ヴェーダの声を聴き、ヴェーダの示す道を歩む。それのなんと心地良いことか。
ヴェーダが間違いを起こすことなど、ありえない。
ヴェーダは常に正しいことしか示さない。僕の世界の中心には、ヴェーダがいる。
僕の世界にはヴェーダしかいないし、他には何もいらない。
そう思っていた。
そう信じていた。
けれど。
僕の世界に、入り込んできた人がいる。僕の世界が全てではないと、その人は言った。
僕の心を最初から占めていたものはヴェーダ。
でも、今は―――。
大切な仲間と、大切な人だ。



刹那が食堂に行くと、食事をトレイに載せたロックオンと眼が合った。
「・・・おはよう」
「おう、おはよう。お前、一人?」
刹那だけの姿を見て、ロックオンがいかにも意外だと言わんばかりに問う。この基地で最近見慣れ始めた日常は、ロックオンにとって嫌でも朝の光景の一部と化してしまった事実。その事実とは、刹那と今朝はどうやら一緒ではないティエリア・アーデが仲良く食堂に現れること。刹那がソレスタルビーングに戻ってから、何故か日常化してしまっているだけに、ロックオンは面白くない。
否、何故かの理由も分かっているので、ますます面白くない。が、今朝は刹那一人だ。どうしたって、ここに居るはずの少年が居ないことが気になる。
ロックオンの言いたいことが刹那には分かるので、再度問われる前に状況を伝えた。
「ティエリアなら、今イアンと一緒だ。ハロのメンテナンスについて話をしている」
「あぁ、ハロか。そういえば、明日からメンテとか言ってたな」
ロックオンのかつての相棒は、今はティエリアかイアン、もしくはフェルトと共に居ることが多い。もう相棒となることはない丸いAIロボットだが、ロックオンを見れば嬉しそうに名前を呼んでくれる。
刹那が本日のメニューが載るトレイを手に取ってから、二人は空いている席へと腰を下ろした。
基地内にある食堂は一つなので、かなりの広さがある。ただ、全員一緒に食事をするわけではないので、混み合うことは少ない。同じメニューを前後に並べて、二人は食事を始めた。
「ケルディムのシールドビットはどうだ?」
「今のところ順調。まぁ実際に動かしてみないと何とも言えないがな。シミュレーションは上手くいってるよ。お前の方こそどうよ、ダブルオーガンダムは?」
「ツインドライブはやっかいだな。未だに起動しない」
ツインドライブシステム。
刹那のダブルオーガンダムには、GNドライブが二基搭載されている。二基のドライブによって、圧倒的なまでのGN粒子放出量を生み出すことが出来るシステムだ。
しかし、二基のドライブが同調しないと稼動しないという問題点がある。現在進行形で、その問題点に頭を悩ませている。
「GNドライブ同士の相性がるようだな。でもお前が戻って、エクシアも戻った。エクシアのGNドライブとのマッチングもあるし、焦るこたぁねぇよ」
「焦ってはいないが、GNドライブに相性がるとは思わなかった」
「まぁそりゃあ、みんなが思ってることだ」
刹那の素直な感想は、そのまま全員の感想だ。けれど、ダブルオーガンダムの設計自体の見直しは考えていない。何故なら、トランザムシステムと同時に、イオリア・シュヘンベルグがもう一つの切り札として託してくれたものが、ツインドライブシステムだからだ。
動かないシステムを、イオリアが未来に伝えるはずはない。ダブルオーガンダムは、きっと目覚める。そう信じている。
だから、諦めたりはしない。仲間がいるから出来ることだ。
食堂に来た基地の仲間たちが、ロックオンと刹那を見て「お疲れ様です」とにこやかに声を掛けてくる。彼ら一人ひとりに、短くも応えを返しながら、ロックオンは少し頬を緩めた。
「お前さんも、この基地に馴染んだなぁ」
「そうか?」
「みんな、刹那・F・セイエイが戻ってきたって、喜んでいるからな。ダブルオーもお前が戻って来たから動くって、みんな思ってるよ。何よりティエリアが一番嬉しがってる」
「そうか・・・」
改めてロックオンから言われると、気恥ずかしくもある。自分は再び戦うためにここへ帰って来た。それ以外の、何らかの意味があったらいいと思う。
「・・・で」
「・・・何だ?」
「お前とティエリアは、一体何時まで仲良く一つのベッドを使うのかな?」
ロックオンは食事の手を休めることもなく、刹那に言う。ティエリアが一緒にいたら聞いてはこないだろうそれに、刹那は眼の前の男をじっと見る。
「お前さ、俺の気持ちを押してくれてるわりには、あいつと一緒のベッドだよな」
淡々とした口調ではあるが、ついさきほどまでとは全く違う色がある。感情の二面性とでも言うのか。ある意味、分かりやすい。
「確かに一緒だか、本当に一緒なだけだ。それに・・・」
「分かってるよ。ティエリアがお前の部屋に行ってお前と一緒に眠ってる、単にそれだけだって分かってる。ティエリアの方から、お前の部屋に行ってるってこともな」
「アレルヤが言ってた。俺がソレスタルビーイングに戻った現実を、しっかり体に染み込ませたいんだと」
「それも分かってるよ。お前は生死不明だったからな。あいつは随分不安定ではあったんだ。だから、お前が帰って来てからのあいつの気持ちは、ちゃんと理解してる。でもな。いつまでも添い寝をするこたぁねぇだろ」
ちらりと刹那を見ながら話すロックオンからは、普段の面倒見の良い兄貴の顔はない。ティエリアに関してロックオンの視野は、極端に狭い。それは見事なほどに。
「・・・嫉妬か」
「・・・・・!」
ロックオンが息を呑む。一瞬眼帯に覆われていない左眼に驚きが浮かび、一拍置いてから唇が動いた。
「・・・そうだよ。嫉妬で何が悪い」
「そうか。でも俺じゃなくティエリアに言え。俺はあいつ自身を受け止めているだけだ」
「言ってくれるぜ。まったくさー、分かりましたよ。分かりました。直接聞けばいいんだろ」
不貞腐れた物言いが小さな子供のようで、刹那は口の端を上げてしまった。
「なんだよ。何がおかしい?」
「別に・・・。ただ、俺はあいつと清い関係だから安心しろ」
「うるせーよ!てか、お前、俺の味方じゃねぇのかよ」
語気を強くするロックオンは、どこにでもいる恋をする男の一人だ。ソレスタルビーイングという特殊すぎる場所にいるからこそ、たった一人を誰よりも大切に想う気持ちは好ましく映る。
仲間とは少し違う存在。
好意を抱く存在。
世界で一番好きな人。
その存在がいるから、この男はここに居るのだ。三年前とは違う未来を描きながら。
ならば、刹那にとってそういう存在は誰になるのだろう。一人の女性が脳裏に浮かぶが、彼女はそういう人ではない。
ふと、何故だか夜の来訪者の温もりが、体に甦る。

―――ああ、俺はお前の味方じゃないのかもしれない

もう暫く夜の温もりは手放せそうにないと、刹那は思った。



ロックオンと刹那が食事を摂っている時、ティエリアはイアンと格納庫にいた。
「現状、ケルディムのシールドビットは前回のテストの時より、動きは良くなっている。まぁ、あのテストが悪すぎたとも言うがな」
「動きが良くなったのなら、テストもやった意味がある。ハロの負荷はどうだ?」
「それは大丈夫だ。ハロは機体操縦のサポートメカだからな。でも、念には念を入れて、集積回路の調整をするから、ハロには今まで以上に敵さんから弾を避けて、シールドビットも動かしてもらわにゃあならん」
『ハロ、ガンバル。ハロ、ガンバル』
イアンの足元で丸い体を左右に揺らすハロに、ティエリアは口の端を上げる。
「よろしく頼む、ハロ」
『マカサレテ、マカサレテ』
ハロは明日から一週間の予定でメンテナンスに入る。イアンを中心とした作業だが、機体整備用のカレルのメンテナンスも含んでいるので、フェルトとティエリアもイアンのサポート要員だ。
「まったくなぁ、良くここまで来たもんだ。三年前の大負けした時は、どうなることかと思ったがなぁ」
イアンは感慨深く機体を見つめる。四機のガンダムが、そこにある。
イアンたちソレスタルビーイングの技術者が、三年の月日をかけて造り上げた機体だ。
「・・・三年前、僕たちは世界に負けたが、再び剣を世界に向けようとしている。だが、今度の戦いは三年前とは違ってくると思う」
「アロウズか・・・」
ティエリアは頷く。

―――アロウズ

地球連邦政府の独立治安維持部隊。
治安の不安定な地域での住民の安全を護ることを目的として組織された部隊は、けれど政府直轄という特権を笠に、非人道的な振る舞いが目立ち始めた。
しかし世界の人々は、アロウズが何をしているのか知らない。政府の情報統制の中に、今の世界はある。
「アロウズは連邦軍の中でも、エリートの集まりだそうじゃないか。そんな奴らが待ち構えているんだ。なかなかやっかいな戦いになるだろうな」
「そのためのダブルオーガンダムだ。僕はダブルオーが、これから始まる戦いの中で、とても重要な意味を持つと思う」
「そうだな。ツインドライブ自体が、イオリアからの何らかの意志かもしれんしな。でも、ダブルオーだけじゃない。お前たちの機体全部が、どれも重要なんだ。アロウズにソレスタルビーイングの存在意義ってもんを、見せたいじゃないか。そのためにも、ケルディムのマイスターが早く決まるといいがなぁ・・・」
語尾が少し小さくなったイアンに、ティエリアの表情にも影が落ちる。
「まぁこればかりは、儂らにはどうすることも出来ん。待つだけだからな」
「・・・本当に、ケルディムのマイスターは決まるだろうか」
「ティエリア・・・」
「もしマイスターが決まらなければ、ロックオンがケルディムに乗ることになる。僕は嫌だ。ロックオンには、もうガンダムに乗ってほしくない」
―――嫌ねぇ
イアンは、そっと息を吐く。消えない過去を浮かび上がらせるティエリアは、ロックオンのこととなると極端に視野が狭くなる。先日、ロックオンがケルディムの調整に加わると決まった時も、難色を示した。失ったはずだったロックオンと再び出会えたのだ。失う怖さに引っ張られて、彼に対して臆病さが表に出てしまう。
「・・・ヴェーダはないが、うちのエージェントは優秀だ。ケルディムのマイスターを、ちゃんと連れて来るさ。儂らは待つだけだ」
「分かっている。でも、決まらなかったらと思うと・・・」
声を途切らせてしまったティエリアの丸い頭を、イアンはくしゃりと撫でる。
「万が一、マイスターが決まらなくてロックオンがケルディムに乗ることになったとしても、お前が不安に思うほどあいつは無茶なことはしないさ。儂らを、何よりお前を哀しませたことを、ロックオン自身が良く分かっている。大丈夫だ。だから、万が一のことがあったとしたら、あいつを信頼してやれ。もう二度と、お前を哀しませることはしないさ」
ロックオンが見せたティエリアへの想い。未来を語った男だ。たとえ再びマイスターと呼ばれることになったとしても、生きるための戦いをするはずだ。
「ロックオンは死んだりしない。きっとだ」
「・・・そんなの、分からない」
「そうか?儂には分かるぞ。ロックオンだけじゃない。お前も刹那もアレルヤも、もちろん儂らも、今度こそ全員生き残った未来が見えるぞ。不安はあるさ。けれど、諦めなければどうにかなるもんだ」
子供を安心させる笑みに、ティエリアが少しの時間を置いて、はい、と応える。それに満足してイアンは言った。
「さて、明日からちょいと忙しくなるからな。頼むぞ」



アリオスガンダムの前で、額を突き合わせるように小さな端末を覗いているティエリアとアレルヤがいた。コンピューターのソフト面に強いフェルトやティエリアは、機体のメンテナンスで重宝される。
アリオスの足元で真剣な眼差しを向け合っている二人に、ロックオンは声を掛けた。
「よう、お疲れさん。二人揃ってアリオスの調整かい?」
端末の画面から四つの瞳が同時に離れてロックオンを見る。その瞳に彼は微笑んだ。
「ロックオン。そっちこそ物資の搬入お疲れ様です。もう終わりましたか?」
アレルヤに訊かれてロックオンは、無事終了だと応えた。地球から運ばれて来た生活物資の受け入れに、彼は立ち会っていた。
「俺は見てるだけだしな。で、お前らは?」
「ロックオンの言う通り、アリオスの調整ですよ。明日からティエリアとフェルトが、ハロのメンテナンスでイアンさんに取られちゃうでしょう。その前に少し時間を作ってもらったんだ。僕たちの方も、終わりだよ」
持っていた端末の電源を落とすアレルヤに、ティエリアが言う。
「ハロのメンテナンスが終わったら、再度アリオスとケルディムで模擬戦を行う予定だ。その時に、アリオスの変形を多く行ってみてはどうだろう。違和感があれば単独での訓練も入れながら、調整しよう」
「ありがとう。忙しいのに時間を取らせてごめんね。僕はシミュレーションに入るよ」
「分かった。メンテナンス中でも、何かあれば呼び出してくれてかまわない」
「うん、ありがとう」
二人の会話の終わりが見えて来たので、ロックオンは口を開く。
「そうか、アレルヤはシミュレーションだったな。刹那も一緒だろ」
「そうです。じゃあ、僕は行きますね」
足に軽く力を入れて半重力の空間へ身を浮かべるアレルヤを、ロックオンとティエリアは見送る。一日のスケジュールが決まっている中で、アリオスの調整のため時間を作ったであろうティエリアに、そのアリオスのことを尋ねる。
「アリオスの仕上がりが、一番順調じゃなかったか?何か問題があるのか」
「問題というほど大きなものではありませんが、アリオスの変形時に違和感があるようで、プログラムの確認をしていたんです」
「違和感?」
「はい。動きがなんとなく遅れると。なんとなくではあっても、そういう感覚は大事です。後でイアンにも機体を見てもらいます」
「確かになぁ。ちょっとしたことでも違和感があると不安だな」
「ハロのメンテナンスが終わってから、ケルディムのシールドビットの動きの確認も兼ねて、再度アリオスとの模擬戦を行います。その時に、アレルヤにはアリオスの変形機能を試してもらいます」
「そうだな。やっぱり動かさないと分からないよな。じゃあ、その模擬戦、ケルディムには俺が乗ってもいいか?」
「えっ・・・?」
ロックオンはなにげなく、特に意味があったわけでもなく口にした科白だったが、ティエリアには違ったようだ。
「だ・・・駄目だ!」
「ティエリア?」
「駄目です・・・。だって、あなたは、眼が・・・」
ティエリアの声が震えている。ロックオンは自分の迂闊さに気付いたが、遅かった。
「ごめん、ティエリア。俺はもうマイスターじゃないしな」
「違う!そうじゃない!そうじゃなくて・・・」
眉根を寄せ泣き出しそうな白い頬が、ロックオンを見上げている。この少年は、こんなにもロックオン・ストラトスに不安定だ。彼は少年の細い肩を、そっと引き寄せた。
「ごめんな、ティエリア。俺はこの右目のせいで、お前を哀しませて苦しませてばかりだ」
ロックオンの腕の中で、ティエリアの頭が横に振られる。
護るだめに動いた命と、護られた命の差とでもいうのか。護られた命は、いつまでもいつまでも、己に罪を持ち続けている。
「なぁ、ティエリア。俺はケルディムの調整を手伝うことが出来て、嬉しいんだ。だから、ちょっと浮かれちまった。俺は、もうガンダムには乗らねぇよ」
「・・・あなたをガンダムに乗せられなくしたのは、僕だ」
「違うよ、それこそ違う。俺は自分からマイスターを辞めたんだ。お前が責任を感じることなんて、ちっともないんだぞ」
「でも・・・」
揺れる紅い瞳がロックオンを見上げる。
何度となく繰り返されてきた会話だ。終わることを知らないように、ふとした瞬間に再生されてしまう。きっと終わりなどないのだ。
この少年の中に溜まり続ける傷を治すのは、どれほどの時間をかけても難しい。
ならば。
ならば自分は―――。
ロックオンは少しばかり狡いかなと思いつつも、己の心を曝け出すことにした。
「そうやって、お前がいつまでも自分を責めることが、俺は哀しいよ」
「ロックオン」
「だからさ、哀しい俺を慰めるために、今夜は俺の部屋に来いよ」
「えっ・・・?」
何を言われたのか分からないのであろう、きょとんとするティエリアにロックオンは笑う。
「だって、お前は毎晩のように刹那の部屋に行くだろ。俺としては、それが不満なわけだ」
「不満・・・ですか・・・?」
小首を傾げるティエリアに、大きく頷く。
「そう、不満だね。今朝、食堂で刹那と一緒になったから、お前らいつまで一緒に寝るんだって聞いちまった」
「そ・・・それは・・・」
「お前が、刹那が戻って来た実感を求めていることは分かるさ。でも、もういいんじゃねぇの?あいつはちゃんと、ここに居る。どこにも行ったりしねぇよ」
ロックオンは今まで自分の想いをティエリアへ伝えたことはなかった。今朝、刹那に言われたこともそうだ。自分で訊かなければ分からない。ただ、お互いにお互いを特別に意識していることは分かる。が、それだけでは何も変わらないであろう時期に、来ているのかもしれない。
やっぱり自分は狡いなと、ロックオンは苦笑した。そういう雰囲気とはほど遠く、刹那を理由にしての告白なのだから。
ティエリアは、ロックオンにどう応えれば良いのか、迷い俯く。刹那と同じベッドで眠る理由を問われるとは、考えていなかった。
ロックオンの言うように、もう同じベッドで眠らなくても良いだろうと思う。
最初は、刹那が戻って来た実感をもっと近くに欲しくて、彼の部屋に行ったのだ。離れていた時間の長さを埋めたくて、その温もりを求めた。
小さな子供のような行動。気恥ずかしくもあるが、それよりも刹那の生を感じたかった。
が―――。
それとは別の理由が、ティエリアに生まれてもいた。
ロックオンは、ティエリアからの言葉を待っている。暫しの躊躇いを過ぎて、彼は唇を動かした。
「あなたの言う通り、最初は刹那自身を近くに感じたくて、一緒に眠るようになりました。刹那を離したくなくて・・・」
「うん・・・」
「でも、それだけではありません。僕は、人間の成長が怖いと思ったのかもしれない・・・」
「人間の成長・・・?」
頭上からの問いに、ティエリアは僅かに頷く。
「フェルトは三年前と比べたら、随分変わりました。十四歳だった子供が十七歳になる。それを成長と言うのだと知っています。精神的にも大人に、強い女性になったのだと分かる。でもフェルトは一緒だったから、その成長を意識することはあまりなかった。けれど、刹那は違う。刹那はいつの間にか十九歳という年齢になっていた、子供が急に大人に成長したような・・・。あなたやアレルヤは、それほど変わらない。なのに、刹那はとても変わっていて、成長ということがどういうことなのか、ようやく分かって。でも、僕は三年前と同じ。三年より前とも同じ。僕に成長はないのだと、あなたたちとは違うのだと、改めて実感したら、怖くなりました。僕を変わらないと言った刹那は、もっと変わるのでしょう?あなたもアレルヤもフェルトたちも・・・。僕はきっとこれからも、人間でいう成長とは無縁だ。僕だけが違う。僕は、刹那の成長が怖くて、同時に羨ましくもありました・・・」
ティエリアが持っている傷は、ロックオンに対してだけではなかった。
吐き出された、違いという傷。
そこまでは気付かなかったと、ロックオンは悔やむ。悔やんだところで、本人の口から言われるまで気付かないのだから、今更だ。
ロックオンはティエリアの背に回した腕に、力を込める。さらさらした髪に、顔を埋めた。
「ティエリア。俺はお前が変わらなくたって、そんなことは気にしねぇよ」
「ロックオン・・・?」
「そうだなぁ。お前と刹那は、意外と似た者同士だからな。お前の気持ちが落ち着くまで、あいつと一緒に眠ればいい。あいつもお前を待ってるさ」
「ロックオン・・・」
「だからさ、お前の気持ちが落ち着いたら、今度こそ俺の所に来ること。つーか、俺はそんなに気が長いほうじゃないからなぁ」
ティエリアの上目遣いの視線を、ロックオンの蒼い眼が捉える。それが合図だったように、ロックオンはちょうど良い高さにある白い額へ、唇を落とした。
「今まで伝えたことがなかったな。好きだよ。誰よりも、お前が好きだ」
ぽかんとした表情が、ロックオンの直ぐ前にある。ソレスタルビーイング再建の中心に立っているとは思えないほど、幼い顔だ。
「言うべき時と場所を考えろって話なんだけどさ。やっぱ、想ってるだけじゃ駄目なことってあるよな。俺はお前が刹那と一緒に眠るってことに、嫉妬してた。刹那への嫉妬だな。だから、お前が感じている怖さなんて、気付きもしねぇ情けない男だ。でもな、俺はお前が俺たちとは少しばかり違う存在だってことは分かっているから、お前に身体的成長がなくても気にしねぇよ。些細なことだ。だから、そんなに怖がるなよ。お前は確かに俺たちとは、ほんのちょっと違いがあるだろうが、ちゃんと人間だよ。怒りんぼなのに泣き虫で、淋しがり屋なのに甘え下手。立派な人間じゃねぇか」
「ロックオン・・・僕は・・・」
「違いはあるさ。人間だからな。みんな同じじゃねぇよ。お前はちょいと特殊性があるけど、大げさな違いじゃない。それも含めて、ティエリア・アーデだ。俺の好きな、ティエリアだよ」
ティエリアの唇が動くが音を発することはなく、代わりに双眸の水分が増した。
ロックオンの胸元で両手をぎゅっと握り締める。
何かを、耐えるように。
何かを、逃がすように。
何かを、受け入れるように。
「いろいろと考え過ぎなんだよ、お前さんは。もっと単純でいいんだぜ。俺たちは、生きてる。生きてるってことは、同じ時間の中にいるってことだ。同じ時を刻んでる。仲間と一緒にな」
「僕も、同じ時を刻んでる・・・」
「そうさ。当たり前じゃねぇか。何でも一人で抱え込むなよ。俺がいる。みんながいるんだ。悩むなとは言わない。抱え込むなって言ってるんだ。分かるか?」
「でも・・・」
「でもはナシだ。そんなに不安なら、俺は何度だって言うぜ。お前は人間だよ。俺たちと同じ人間だ」
零れそうになる涙を、ティエリアは堪える。
欲しかった言葉。変わることのない姿でも、人間なのだと肯定して欲しかった。誰からも何も言われない。変わらないとは言われても、それだけだ。 刹那の成長。フェルトの成長。変わらない自分。
眼に見えない恐怖を感じたのは事実。その恐怖を薄めたくて、刹那と共に眠った。眠る前に、たくさんの話をした。繋がりが途切れていた三年分を埋められるほどの温もりに包まれたなら、恐怖も小さくなるのではないかと思って。
ティエリアはゆっくりと眼を伏せ、額をロックオンの肩に押し付ける。
「・・・はい」
少し甘えた仕種は、普段は見えないティエリアの脆さの表れかもしれない。
「そうそう。話は戻るが、刹那のことは俺の一方的な嫉妬だから気にするな。今まで通り、あいつと同じベッドでいいぞ。急にお前が行かなくなったら、俺があいつから何か言われそうだ」
「・・・まだ、刹那と眠っていいですか?」
「いいさ。本当は俺をもっと頼って欲しいけどな。刹那は刹那で、お前を受け止める。思い切って、お前の抱える怖さを話してみればいい。刹那もお前に答えをくれるさ」
「でも・・・」
「ほらほら、でもはなしって言ったぞ。大丈夫。迷いのない、あいつの言葉をくれるよ」
不安がる子供を護る盾となるべく、ロックオンは愛しい者の名前を呼ぶ。
「ティエリア」
恐る恐る顔を上げる少年を包むように、その頬に両手を添える。
「好きだよ、ティエリア。愛してる」
それは、宇宙でたった一人の者に贈られる、魔法でもなんでもない真実だ。
「お前に秘密があっても、俺たちと少し違っていようと関係ない。俺はお前を愛してる。今までも、今も、これかれも。ずっと愛してるよ」
ティエリアの瞬きと共に、涙がぽたりと落ちた。
綺麗な綺麗な雫。
ガラス玉のような透明な雫は、溢れ続ける。
そして。
震えを伴う声音が、ロックオンに届いた。


―――僕も、あなたが、好きです