あまりの驚きに、俺の思考は真っ白になった。
眼の前に、あの男がいた。
もう二度と会うことが出来ない、もうこの世界にはいないのだ、と泣いたのだ。
泣いて泣いて泣いて、その哀しみをずっと胸に刻み続けていた男が―――。
記憶の中の笑みと変わらぬそれを、俺に向けている。
―――生きていたのか
嬉しいという実感よりも、驚きの方が強くて。
何より、俺を抱き締めてくる存在にも驚いて。
俺を突き飛ばす勢いで抱きついてきた存在は、俺の名前を何度も呼びながら、泣いていた。俺は、その存在を抱き締め返すことも出来ず、両手をだらりと下げたまま、暫く動くことが出来なった。



刹那は薄暗い無機質な天井を見上げ、何度目になるのか分からない溜息を漏らした。
三年前の大戦で、別れ別れになってしまった仲間との再会。プトレマイオスと共に散った命が哀しくて、記憶の中にある彼らを想い苦しかった。同時に、再び世界を向き合おうとしている仲間がいることに、帰ってきたのだと思った。
懐かしいだけではない、確かな絆がそこにあった。
そして。
あの男との再会。
あの男も、その場にいたのだ。
漆黒の闇へ消えて行くのを、自分の眼は見たはずだ。あとほんの少しで、護ることの出来た命。広げた掌がつかめなかった年長のガンダムマイスターは、三年前と変わらす刹那の頭をくしゃりと撫でた。
「本当に奇跡だし、奇跡過ぎだと自分でも思ってるさ。俺は死んだんだ。ロックオン・ストラトスというより、ニール・ディランディの、どうすることも出来なかった私怨がさ、死んじまったことでようやく消化されたよ。でも俺は生きている。ホント、不思議だよな。死の世界へ体ごと突っ込んだのによ、生きてるんだぜ。だからさ、俺はもう一度、ロックオン・ストラトスとして生きるために、ここにいるんだ」
そう言った男は、青空のような澄んだ笑顔を刹那に見せた。見せたはずなのだが―――。
最近の男からは、刹那の知らない、少なくとも三年前には感じることのなかった苛立ちが、時折滲んでいる。十六歳の時には分からなかったであろうそれは、成長した今だから分かる。
―――独占欲
そう呼ばれるものだ。
男の眼は、常にたった一人を追いかけている。再会してから気付いた事実だ。
奇跡という名の現の中で、命の焔を消さなかった男は、何を想いどんな時間を過ごしたのだろう。刹那の知らない三年間は、刹那の知らない男を作り出した。
知らないというより、変わったというべきか。その男に限った変化ではないのは確かだ。
男の苛立ちの原因となっている存在も変わった。変わらないのは、三年前と同じ姿だろうか。現在進行形で、刹那の左側にぴったりとくっついている存在。
変わらないなと告げれば、よく言われる、と応えを返してきた少年―――ティエリア・アーデ。
刹那がソレスタルビーイングに戻ったその日から、同じベッドで眠っている。さして広くないベッドで、互いの温もりを感じながら眠りに落ちる。しかし、目覚めてからは、別々の行動の方が多い。ティエリアは、ソレスタルビーイング再建の中心的位置にいるのだ。三年間という月日の流れを、ソレスタルビーイングとは遠く離れた場所にいた刹那とは違う。
彼らの三年間の様子を教えてくれたのはアレルヤだ。もちろん簡単に語り尽くせることではない。頑張ったんだなど、誰もが言える言葉なんて、実に表面的だ。
だからなのか、アレルヤは少しの笑いを含めた話を、刹那に聞かせてくれた。本当に苦しかったこと、辛かったことなどおくびにも出さずに。
今を見てくれれば充分だよという彼の優しさであり気遣いは、結果、刹那に対して皆が同じなのだ。互いに互いの苦しい道のりを、語りはしない。それでも互いの空白を埋めようと、互いの時間を共有しようと、物語を紡ぐ。
起床した刹那が出来ることといえば、その物語を交えながらソレスタルビーイングの現状を認識することぐらいだ。ここに帰って来ることで、自分の手から離れることとなった傷だらけの愛機の後継機と呼ぶべき機体、ダブルオーガンダムだと胸を張ったイアン・ヴァスティからは、お前の出番はもう少し後だと言われた。
要するに、刹那が機体の並ぶドッグにいても邪魔な段階なのだ。これでは、自分でも出来るであろうことは限られるというもので。手持ちぶさたになるのは、当然である。
が―――。
刹那に課せられている仕事がない分、周囲の観察が良く出来る。三年前はまだ十六歳の子供で、自分に与えられた力だけを信じて、周りに眼を向けることは少なかった。自分一人でやってみせる、という気持ちが強かったと言ってもいい。
けれど、あの男を眼の前で失った戦場が、十六歳の子供を突然に成長させたのかもしれない。
巨大な光の中に消えていった年長のマイスター。しかし、彼は生きていた。
生きて、その両足でしっかりと立っていた男は、面倒見の良い兄貴分をどうやら捨てたようである。それが、刹那の観察結果だ。
ソレスタルビーイングへ戻りまだ二週間。されど二週間。
ここへ戻り、急かされるように何かを始めるよりは、何もしないで互いのこれまでを話しながら、現在進行形の仲間達の姿を良く見る時間でもあったのだ。
新型のガンダムが並ぶドッグを見渡せる部屋で、刹那は機体の間を忙しなく動くカレルと作業員たちを眼に映していた。彼らの指揮を執るイアンの姿もある。イアンは三年前と変わらず、皆の父親的存在だ。酒が呑める年齢となった刹那に、ようやく大人の仲間入りだな、と嬉しそうに笑った。彼の娘もソレスタルビーイングの一員なのだと紹介された時は、さすがに驚いたが、少しの照れ隠しと少しの心配を合わせた表情は、一人の父親の顔だった。
イアンは刹那の記憶にあるイアンと、変わっていない。アレルヤの優しさも変わらない。
変わらないものがある一方で、大きく変わったものの代表はやはり―――。
ロックオン・ストラトスと、ティエリア・アーデだろう。
刹那は溜息を吐く。この溜息の原因は、彼ら二人だと言っても過言ではない。
刹那はドッグを見渡すガラスとは反対側の壁に沿って備わっているベンチに腰を下ろす。ソレスタルビーイングに戻り二週間。そろそろ自分もお客様扱いから卒業するには、ちょうどいい時間だ。が、その前に溜息の原因を片付けなければならない。
やはり、自分が直接話すべきか、それとも第三者から話してもらうべきか。
刹那がガラスに薄く映る自身の姿を睨んでいると、小さな機械音と共に扉が開いた。アレルヤだ。
「あれ、刹那・・・。ここにいたんだね」
柔和な表情をしたアレルヤが室内に入って来るのを、刹那は無言で見つめていた。室内とドッグを仕切る厚いガラスへと近づいたアレルヤは、刹那の正面よりもやや左側の位置で足を止めた。
「四機とも、まだ宇宙空間でのテスト飛行はやっていないんだけど、来週からは始められるみたいだ。そうしたら、刹那にも手伝ってもらうって、ティエリアが言ってたよ」
「そうか・・・。俺も何もしないでいるより、そろそろ体を動かしたかった」
「その何もしていない間に、今のソレスタルビーイングを良く見ることが出来たかい?」
刹那へと体を向き直しながら、アレルヤが問い掛けてくる。静かに二人の視線が重なった。
「デュナメスの後継機、ケルディムのマイスターは、ロックオンではないのだろう?」
「うん、そうだよ。そのことは本人が良く分かっているし、良く知ってる。新しいマイスターのことは、僕たちも何度も話し合ってはいるけど、ヴェーダがない現状で結論はなかなか出ないね。エージェントからの情報もあるけど、やっぱりロックオン以上の狙撃者はいないよ・・・」
少しの淋しさを乗せて、アレルヤは言う。
右眼の見えない狙撃者はマイスターではなくなったが、ソレスタルビーイングのバックアップ要員となった。別名、何でも屋とも言う。刹那がこの二週間で知った、マイスターではない今の彼だ。
彼は常に頼まれ屋だ。もしかしたら、マイスターではなくなった彼が、己の出来ることで出した答えなのかと思ったが、どうやら違うようだ。もちろん、そういうことも含まれているのだろうが、第三者的立場から見て、そこにはティエリアが深く関わっている。
ティエリアは、何でも自分で引き受けてしまうのだ。周りを気遣い、周りを休ませ、自らその分を背負い込む。三年前には考えられなかった、少年の変化だ。
マイスター自らが、ソレスタルビーイング再建の中心にいることは、周囲の者にとって心強いものなのかもしれない。連合軍との戦いを生き抜いた、選ばれしガンダムマイスターは、多くの仲間の精神的な支えでもあるのだろう。
それは正に、ティエリア・アーデなのだ。
誰もが口を揃えて、ソレスタルビーイング再建の中心は、ティエリアだと言う。この場所へ戻った刹那も実感したことだ。
作業の進捗状況をティエリアに伝える。意見をティエリアに求める。もう一度、世界を変えるソレスタルビーイングの中心に、ティエリアがいる。何よりも、彼自身がその想いを強く抱き、動いている。きっと、もうマイスターではなくなってしまった、男の心を受け継いでもいるのだ。だから、誰よりも動く。
そして、ロックオンはティエリアをサポートする形で、隣にいる。得手不得手はあるだろうが、ロックオンが引き受けられることは、ロックオンが対応している。それは、全てを背負ってしまうティエリアの、砦となっている。もともとの面倒見の良さが発揮されている部分もあるだろうが、そういう簡単なことだけではないのだ。支えるだけではなく、護りたい存在だと全身で表している。
「マイスターじゃないロックオンか・・・。考えたことも無かったが、マイスターじゃなくても、あの男はあの男だ。何も変わりはしない」
「そうだね。ロックオンって僕たち四人の中で、柱的なところがあったでしょう。今もそうだよ。ロックオンがいると安心するっていうか・・・。確かにマイスターではなくなってしまったけれど、今はそれ以上に僕たちの サポートに徹してる。ロックオンがサポートの柱、ティエリアがソレスタルビーイングの柱になっているね」
アレルヤの眼差しが、遠くなる。刹那を通り越して、過去の日々を思い出しているようだ。
「・・・僕たちは三年前の戦いで、連合軍に負けた。それはガンダムが負けたっていうことだよね。だから、ソレスタルビーイングの中でも、結局世界を相手にするのは無理なんだっていう、諦めの気持ちが満ち始めた。でも、ティエリアはもう一度世界と戦うって宣言をしたんだ。きっと、ロックオンが生きていたことも、ティエリアの心を強くしたんだと思う」
「変わったな、ティエリアは・・・」
「うん、変わったね。僕たち、仲間を凄く大切にする。大切にし過ぎて、自分のことが疎かになるんだよね。すぐ無理をする。ロックオンは、そんなティエリアが心配で心配で、いつも気にしてるよ」
苦笑いするアレルヤは、金と銀の瞳を刹那に戻す。
ロックオンとティエリア。
彼らの関係をどう呼べばいいのか分からないが、二人がいるからこそソレスタルビーイングは、三年前の敗戦からここまで来られたのかもしれない。が、刹那にとって今の彼らは、少々厄介なのだ。ちょうどアレルヤがいる。相談してみるのも、選択の一つだ。
「・・・アレルヤ」
「なんだい?」
「ロックオンとティエリアのことは、俺にも分かる。お互いがお互いを気にしているだろうことも。そのティエリアが、俺がここに戻ってから毎晩俺の部屋に来て、同じベッドで寝るんだ。何故そんなことをするのか俺には分からないし、おかげでロックオンの機嫌が悪い」
「ああ、それね・・・」
アレルヤの頬が柔らかくなる。刹那よりもティエリアの心情を良く知っている笑みだ。
「ティエリアは、まだ不安なんだよ。刹那がいなかったこの三年は、君の生死が分からなかった三年でもあるからね。君が戻って来た実感を、少しずつ少しずつ体に染み込ませているんだよ」
「・・・俺はここにいるのに?」
「失う辛さを知ったからだよ。まぁ、ロックオンのことは気にしないで、もう少しティエリアに付き合ってくれると嬉しいな。刹那は生きている、刹那のためのダブルオーガンダムだ。それがティエリアの口癖。ロックオンが生きていた、だから刹那を諦めるなって・・・。それだけ君を信じているティエリアを見ていたからかな、僕たちも君は大丈夫だって思ったんだ」
刹那はアレルヤの言葉を、少しの驚きをもって受け止めた。ティエリアが自分を信じて待っていてくれた。人としての感情を、どこかに置き忘れてしまったような冷たさで覆われていた少年の心が、これほどまでに変わっている。とても優しく温かい心だ。
その温かさをティエリアに与えたのが、ロックオンだということも分かる。きっと、三年前から始まっていた、ティエリアの心の変化。ロックオンを失ったと思ったあの日、大粒の涙を零した紅い瞳は、既に変わり始めていた少年の表れだ。
過去と今を結ぶ線が、刹那に見えた。
決して不安を口にしない分、全身で確かなものを求めている。躊躇いがちに刹那の部屋に入り、躊躇いがちに刹那にくっつく。アレルヤの言うように、刹那が戻ってきた現実を、本当に少しずつ体に覚えこませている。
ならば、刹那はそれに応えるだけだ。自分を信じていてくれていた少年を、今日は抱き締めてみようかと思う。だがしかし―――。
「俺もお前達のことは諦めていなかった。俺が生きているのだから、きっとまた会えると信じていた。だから、こうして再び会えたと思う。ティエリアのことは、俺が戸惑っていた部分が大きいから、ちゃんとあいつと向き合ってみる。あいつが抱えている不安を、消すことが出来るように・・・」
「ティエリアのこと、よろしくね」
「だが、問題はロックオンだ」
「ははは・・・。やっぱり気になる?」
「当たり前だ。意識したくなくても、意識してしまう」
彼らの関係を何と呼ぶのか分からなくても、ロックオンが刹那に向ける視線には、多かれ少なかれ嫉妬が含まれているように感じる。刹那がここへ戻って来た日から続いている、ティエリアと共に向かえる起床の四日目から、それをはっきりと意識した。
特に何かを言ってくることはない。ただ、同じ場所にいると時折強く無言の瞳が、刹那を捉える。アレルヤにも分かっている、ロックオンの感情面だ。
「なんて言えばいいんだろう・・・。ロックオンとティエリアは、僕たちには間に入ることの出来ない特別な何かがあるんだよね。二人の中でしか形作らないものが存在している。でも、それは悪いものじゃなくて、 きっととても大切にするものなんだ。ティエリアはロックオンのことで沢山、本当に沢山泣いて、ロックオンはロックオンでティエリアのこととなると過剰に反応する。その反応が、今は刹那に向いちゃっているけど、ティエリアが着くまではしょうがないかな」
「ロックオンはティエリアのことが好きなのか?」
「そうだね・・・。可愛い弟っていうだけじゃないのは、確かだね」
同じベッドで単に眠っているだけでも、気になって仕方がないということか。けれど、刹那にはどうすることも出来ないし、ティエリア自身の問題だ。
「分かった。ロックオンのことより、ティエリアを優先する」
刹那の科白に、アレルヤは笑みを浮かべて頷いた。
「君が、こうしてゆっくり出来るのも今のうちだよ。機体テストが始まれば、ロックオンが五月蝿くなると思うから」
「覚悟しておく」
刹那の口の端が、僅かに上がる。ロックオンのこともティエリアのことも、これからもっと知ればいいことだ。今までとは違う何かが、生まれるかもしれない。
そして、再び握り締める操縦桿が、刹那を待っている。