今から十五年前、ライル・ディランディは両親と妹をテロで失った。
そして今日、たった一人の肉親である双子の兄が、四年前に亡くなっていたことを知った。



ソレスタルビーイング。
武力による紛争への介入を行う者たち。四年、否、五年前に彼らは全世界に向けて、武力による紛争根絶を掲げた。
ライル・ディランディにとって、彼らの存在は遠い世界のことでしかなかった。ライルはごく普通の、一般人だ。軍人でもなければ、銃を持つような何かしらの組織の肩書きとも無縁の生活を送っていた。
どこにでもいる会社員。家と職場の往復。同僚と酒を呑み、休日は友人と出かける、そんな単調でも安定と安心と自分なりの楽しさの中にいた。
双子の兄以外の、両親と妹をテロで失ったやり場のない憎しみを抱きながらも、彼らに恥じぬよう生きてきた。いつの日にか両親に「頑張ったな、さすが俺たちの息子だ」と褒めてもらえるように。妹には「自慢のお兄ちゃん」と言われるように。あまり会うことのない双子の兄も、きっとそれを望んでいる、願っている。
お互い顔を合わせなくなって、どのくらいの月日が流れたのか。会うことはなくても、一方的に送金をしてくる兄に、苦笑してしまったのは事実だ。面倒見のいい兄らしいと。
一体どこで何をしているのかは分からないし、尋ねたこともないが、双子ではあっても弟のことは俺が護る、という小さな頃から知る兄の責任感の強さと優しさを、ライルは感じていた。
護られている、護ってくれている安心感。
与えられるばかりで何かを返すことの出来ない歯がゆさは、もちろんあった。だからライルは、兄からの援助をありがたく受け取り、大学へ進学し一流と呼ばれる企業へ就職をした。何も返せないけれど、兄さんのおかげで出来たことはこんなにもある、と胸を張れるように。
実際、その道を歩んできた。疎遠になったわけではない兄に、自分の姿を見て欲しかった。いつだったか、両親と妹の墓参りに行った時、既にそこには白い花がそっと置かれていた。ここに来る人間は決まっている。兄だ、と思った。来るなら来ると、連絡を入れてくれればいいのに。久しぶりすぎる顔を見たいのに。
ライルの小さな願いが兄に届くことはなかったけれど、両親と妹に会いに来てくれたことが嬉しかった。兄も忘れていない、自分も忘れていない共通の哀しみ。
決して小さくなることはない痛みを、抱えて生きて行くのは自分だけではない。兄もいるのだ。そう思えば、前を向いていられた。
なのに―――。
ライルのちっぽけな世界に罅が入ったのはいつだったか。
ソレスタルビーイングの出現が、大きく三つに分かれていた世界の勢力を、更に巨大な国家群化させた。
地球連邦政府―――の樹立である。
一つの国家、ひとつの政府は、そこに住む人々の考えまでも一つにしようとする。目印となる枠組みを作って、その中に治まれば連邦政府の思いのままだ。が、人間はそれほど簡単には出来てはいないから、最初から無理な話なのだ。連邦政府に異を唱えるもの達も、当然現れる。結果、巨大な国家による弾圧が始まった。
反政府組織カタロンは、そんな中で生まれた。連邦政府のやり方に頷けない人々の集団。
反政府の意識を持つ者たちが増えれば、政府は治安の名目で新たに軍の独立部隊を編成した。―――アロウズである。
アロウズとカタロン。連邦政府と連邦に属さない国々。連邦という響きの良さに隠された独裁。考えの違う者を許容しない巨大国家は、人々の幸せや豊かさを願うより前に、軍事力を強化している。
表面的でも平和と呼べる世界はある。しかし、何時どこでテロが起きても何ら不思議ではない現実もある。紛争根絶を掲げたソレスタルビーイングが、四年前の国連軍との戦闘で姿を消してから、世界は以前にも増して歪になった。
気付けば、ライルはカタロンの構成員となっていた。両親と妹をテロで失った過去が、背中を押したのも事実だ。世界を変えたいと思ったわけではない。ただ、何かをせずにはいられなかった。兄が、ソレスタルビーイングの一人、しかもガンダムマイスターとして戦っていたことを知った時は、やはり自分たちは考えが似ているのだと思った。
双子としてこの世に生を受けてから、何をするのも一緒。洋服も当然おそろい。
一卵性だけあり、姿も声もそっくりだったけれど、性格は随分と違う。双子であっても、兄という存在は兄なのだ。面倒見が良かったり、責任感が強かったり。
しっかり者のお兄ちゃん。それが、ニール・ディランディなのだ。
ライル・ディランディは兄よりもやんちゃで、兄よりも少し我儘。きっとそのくらいが双子ならではのバランスの良さなのかもしれない。
両親と同じくらい尊敬をしていた兄。その兄の死。
ニール・ディランディではなく"ロックオン・ストラトス"というコードネームで、世界と戦っていた。
ライルは。
兄と同じ目線に立ちたいと思った。何を想い、何を見ていたのか、知りたいと思った。



その機動性と圧倒的な性能の高さのガンダムと呼ばれるモビルスーツで、世界を駆け抜けたソレスタルビーイング。四年前の国連軍との戦闘で大破した機体の後継機―――ケルディムガンダム―――のコクピットにライルは身を沈めていた。
ライルがソレスタルビーイングの母艦に来て、半月が過ぎる。常に漆黒の宇宙にいると、時間の感覚が曖昧になる。朝から昼へ、昼から夜への境界線のない空間は、眩しい太陽と見上げる星の瞬きを恋しくさせる。これもホームシックの一種なのかもしれないと、ライルは出したくもない溜息を吐いた。
一卵性双生児。
外見をいうなら、確かに兄と自分は似ている。しかし個としては別人なのだから、似ていることを強く意識したことはあまりなかった。
けれど。
この艦のクルーたちの眼差しは、ライルに居心地の悪さを与える。特にあの少女――フェルト・グレイス――からは、ニールとライルを同一視しているのではないかと思えるほどの苦さを感じる。もしかしたら、彼女は兄に淡い恋を抱いていたのかもしれない。兄は妹のような彼女を、可愛がっていたのかもしれない。が―――。
ここにいるのがライルではなく、四年前に死んでしまったニール・ディランディならどれほど嬉しいか。何故、自分たちの知るロックオン・ストラトスではなく、双子というだけで弟のライルがここにいるのか。声に出さないだけで、そういった行き場もなく納得も出来ない感情が、己に向けられていることをライルは分かっている。彼らと自分は、戸惑いと気まずさの微妙な位置にいるのだ。
逆を言えば、それだけ兄の存在が大きかったといことだ。ライルの知らない兄が、ここにいる。クルーたちに慕われ、時には酒を酌み交わしたであろう兄の姿は、容易に想像出来る。
兄はどんな想いで、ソレスタルビーイングに入ったのだろう。
兄にとって、彼らはどんなに大切な仲間だったのだろう。
その答えを得ることは難しいが、読み取れるものもある。実際にこの艦に来て、クルーの少なさに驚いた。両手で余る人数だ。でもここに、ソレスタルビーイングの戦力が集結している。正に前線で戦う者たちだ。
この少ない人数の中に、ニール・ディランディはいた。人数が少なければ少ないほど、仲間に寄せる想いは強いだろう。だから、ライルは兄のニールと比べられ、重ねられるのだ。
頭では仕方のないことだと理解している。けれど、ライルは兄ではないから、彼らに何かを与えることは出来ない。ガンダムマイスターとしてのライルの歩みは、始まったばかりなのだ。兄のように、兄が大切にした彼らとの距離が、どのように近くなって行くのか分からない。しかし後戻りは出来ないのだ。せめて兄に恥じることはしたくない。
「・・・なぁ、兄さん。兄さんが生きていたら、ここに座っていたんだろうって場所に、俺が今座っているよ。兄さんは、俺がここにいることを怒るか?まぁ怒られたところで、俺が自分で決めたことだからな。文句は言うなよ」
応えを返して欲しい人は、もういない。何年も会わないままで、勝手に逝ってしまった。
だが、兄の愛車である「ZLA151ARO」がライルの元に届いたことを考えれば、やはり覚悟はあったのだ。
―――死ぬ覚悟
「・・・そんなもの、いらねぇのにな」
誰にも届かないライルの呟きが、コクピット内に沈んで行く。
兄がいた場所に立ってみても、死に対する覚悟は簡単に体の中で主張するものではなくて。ケルディムでの実戦がないからそう思うのか、それとも実践を重ねるごとに、いつの間にか覚悟と呼べるものが作られているのだろうか。
けれど、頭のどこかで思っていることがある。
戦場で命を落とすようなことになったとしても、ソレスタルビーイングのガンダムマイスターではなく、地上にいる仲間たちの一人として自分が散るのなら本望だ、と。
ライルにとって、仲間は地上の彼らだ。ソレスタルビーイングの彼らではない。共有している時間の長さが違う。今日の明日で、仲間にはなれない。なれない、が―――。
仲間意識は、自然と芽生えるものだ。ライルの場合は、それなりに努力も必要なのかもしれないが、やはり同じ場所にいる意味は大きい。そう遠くはない未来に、この中途半端な距離関係が終わればいいなと思う。兄のためにももちろんだが、ロックオン・ストラトスの名を受け継ぐ者として、願うことでもある。
ライルは瞼を閉じる。ガンダムの機体に体を慣れさせる目的もあるが、即戦力を求められる分、戦闘シミュレーションで一日の大半は終わる。マイスターとして戦場へ赴くまでに、時間が充分あるわけではないのだ。焦りは、多少なりともある。
が、その焦りを必要以上に感じているのは、きっとライルのシミュレーションに立ち会っている少年だ。
そう、少年―――。
外見年齢なら十六歳くらいだが、彼は四年前からガンダムマイスターだと聞いた。四年前といえば十二歳ではないのか。ライルの疑問は声に出すことなく、胸の内で止まったままだ。ライルには踏み込めない領域とでもいうのか。外見は確かに子供でも、印象的な赤い紅い瞳からは、幼さを感じない。
子供であって子供ではない少年の名は、ティエリア・アーデ。
綺麗な響きの名前の通り、少年は少女にも似た美しさを持っている。しかし性格には問題有りだ。
気が短いとか、可愛げがないとか。
まだ半月の付き合いだが、シミュレーションを見てもらっている分、少し性格は分かってきた。何より彼は、ライルとニールを重ねたり比べたりすることはない。他のクルーから向けられた驚きも戸惑いも、不思議なほどになかった。
表面的にはライル・ディランディを、淡々と受け入れているように見える。本当の胸の内は、どうにもならない感情が渦を巻いているのかもしれないが、そういったものを表に出してはこない。
ただ、初めて顔を合わせた時、あの紅い瞳が泣き出しそうに揺れたことを、ライルは覚えている。きっと言いたいことも訊きたいことも全て呑み込んで、新人研修よろしくライルの指導役に徹している。
律儀なことだと思う。ライルはてっきり兄のことを伝えに来た青年が、自分の訓練に立ち合うのだと思っていた。青年はライルを、兄が四年前まで共にいた仲間達の元へ、連れて来ただけだ。紹介こそしたものの、後は好きなようにやれとでもいうのか、意外なほどに一緒に行動をすることは少ない。代わりに辛辣な口調の少年が、ライルのサポートを行っている。青年が少年に、後のことは頼むとでも言ったのだろう。それはそれで、ライルが困ることは何もないが、疑問に思うことが出て来た。
少年も他のクルーも、ライル自身のことを何も尋ねたりはしないのだ。確かにライルは、自分の意思でソレスタルビーイングの道を選んだ。もちろん彼側の思惑も含んでいるが、首を横に振ればここにはいない。けれど―――。
例えば、今まで何をしていたのかとか、ガンダムマイスターになることを後悔しないのかとか、兄のこととか。
誰も尋ねはしない。
兄と双子の自分が決めたことならそれでいいと思っているのか、青年が連れて来た男に文句はないのか。
否、違う。
クルーたちは、ライルが現れたことに驚いていたのだ。青年はライルのことを、周りに伝えていなかったことになる。それなのに、双子というだけでマイスターの位置へ納まることを、受け入れている。反論もなければ問い掛けもないのに、兄と比べることだけは忘れない。多分、ライルを受け入れているというより、青年の行動を受け入れているのだ。ライルの居心地の悪さはそこから来るものもあるが、考えたところで答えが出るものでも状況が変わるものでもない。流れに身を任せるだけだ。

「こんなところにいたのか」

突然、静かなコクピット内に落ちて来た声に、ライルは閉じていた瞼を上げる。
「あ・・・」
濃い紫の髪と眼鏡、紅い瞳。
ライルの教官殿が不機嫌な顔で、彼を見下ろしていた。



「・・・まったく、いくらボーっとするのが好きだからといって、食事を摂らないのは良くない」
「いや・・・別に俺はボーっとするのが好きとは言ってないし、メシはこれから食べれば問題ないっていうか、お前、メシ食ってねぇ俺をわざわざ捜していたのか?」
ケルディムのコクピットを降りたライルを待っていたものは、ティエリアのまだ夕食を食べていないのは何故か、という実に母親のようなお小言だった。今日やるべきシミュレーションは終わっている。ライルにはこれといった仕事があるわけではなく、本日の課題が終われば就寝まで自由に過ごしたところで、文句を言われることはないはずなのだが。
ここへ来てからの半月、なんとなくグリニッジ標準時間とやらの午後八時までには夕食を摂っていた。だが、あくまでなんとなくであって、意識をしていたわけでも慣習化しつつあるわけでもなかったのだ。けれど、眼の前の少年にはどうやら違うようで、ライルがまだ食べていない夕食を気にしている。気にして、ライルを捜していたようだ。これには苦笑したくなる。
「べ・・・別に君を捜していたわけじゃない。偶々だ・・・」
「偶々ねぇ。偶々ケルディムのコクピットを覗くようなことってあるのか?」
「五月蝿い!とにかく、食事を抜くことは良くないと言いたかっただけだ」
白い頬を僅かに高潮させ、ライルを見上げる姿に眼を細める。心配をしてくれているのだと伝わる気遣いは、素直に受け取っておく。
「あぁ、すまないな。自分ではメシを抜こうとしたわけじゃないんだ。つーかさ、小さな子供じゃないんだから、お前さんが心配するようなこともないだろ」
本当に、夕食を抜こうとも食べたくないとも思っていなかった。気が付いたら、なんとなく夕食を食べ終えているであろう時間が、過ぎていただけのこと。ティエリアが気にすることも、心配することもないのだ。ほんの些細な出来事。ライルを見つめていたティエリアの双眸が、ゆっくりと下へ向けられる。
「・・・僕は何かに集中すると食事を忘れることが良くあって、それに栄養が摂れればサプリメントで充分と思っていたから、食事自体にあまり関心がなかった。でも、ロックオン・・・ニール・ディランディは、そんな僕にちゃんと食事をしろと五月蝿く言って来た。一食抜いただけでも、体調が悪いのか心配になるとも言われた」
俯いたティエリアの表情は濃い紫の髪に隠されてしまっているが、口調はシミュレーション時と明らかに違うほど、弱く頼りないものに聞こえた。
ティエリアとニール・ディランディ。
この少年から兄の話しに触れたことはなかった。兄のことを語れば、どうしても弟の自分と重ねてしまうと思っているからだろうか。でもこれは、良い機会だ。必要以上の会話がなかった分、少年と話しがしてみたい。
「なるほどねぇ。兄さんらしいお節介だ・・・。なぁ、兄さんのことを話してくれないか?」
「・・・えっ・・・?」
伏せられていた瞳が、ゆっくりと上がる。二つの紅い色に自分の姿が映し出されるのを見て、ライルは小さく口の端を上げた。
「俺は兄さんがソレスタルビーイングに入ったことも、四年前に死んじまったことも知らなかった。お互い、随分長い間会うこともなくてさ。元気ならそれでいいと思っていたけど、まさか父さんたちと同じ世界に逝っちまったとはなぁ。だからさ、お前さんの知る兄さんのこと、聞かせてくれ。お前さんが俺と兄さんを重ねることってないからさ、なんか訊きやすいっていうか・・・」
見下ろす瞳が、困惑の色を浮かべる。ライルの知るティエリアは、ピンと背筋を伸ばし何事にも動じない、強い眼差しの少年だ。だが、今は違う。ソレスタルビーイングもガンダムマイスターも関係ない、一人の子供に見える。きっと兄の前では、本当に子供でいられたのかもしれない。
だとしたら―――。
仲間とか同士とか、そういうことではなくて、家族と言った方が近いだろうか。
「・・・あの人と、重ねて欲しいのか?」
ポツリと零された言葉は、純粋な疑問のようでもある。本当にこの少年は、ライルとニールを重ねるような部分を持ってはいない。ならば、やはり―――。
「いや、重ねて欲しいわけじゃないし、重ねられても困るしな。すまん、俺、変なこと言ったな。まぁ、兄さんのことを話したくないなら、無理には訊かない。お前さんの中で大事にしていることなら、お前さんの中に仕舞っておけばいい」
「そうじゃない。そうじゃなくて・・・。客観的に言える自信がないというか・・・」
「なんだ、それ?いいんじゃないの、お前さんが感じたこと、思ったことを話してくれれば俺は満足だよ。どんなことだって、俺の知らない兄さんに会えることには、変わりないだろ」
「それは、そうなのかもしれないが・・・」
首を傾げるティエリアは、やはり躊躇いがあるようだ。何でも話してしまえばいいのに、その何でもが難しいらしい。客観的にとは面白いことを言う。だから、そういうことなのだ。切り離せない感情がある。この少年と兄の繋がりは強い。躊躇うほどに強い。
ティエリアが、自分と兄を重ねない理由が、少し分かったような気がする。姿は似ていても、個として違う意識の方が強いのだ。
「じゃあさ、言い方を変える。兄さんは、俺たちのことを何は言ってたか?」
「・・・僕たちには秘匿義務があったから、家族のことも自分のことも話すことはなかった。でもあの人が、家族を大切にして愛していたことは分かる。あなたが生きる世界を変えたかったから、あの人はソレスタルビーイングに入ったんだ」
ティエリアの声音が、ライルの鼓膜に響く。何故だか眼の奥が熱くなった。
「・・・俺の生きる世界・・・?でもよ、兄さんまで死んじまったら、意味ねぇだろうが。家族を、俺のことを想っているなら、なんで俺のために生きようとしない。俺が生きている世界なんて、ちっぽけなんだ。そのちっぽけな世界の中に、兄さんはいるのに・・・。なんで勝手に逝くかな。俺は二度も家族を失ったことになるじゃねぇか」
今まで胸の深いところで溜めていたものを、外に向けてしまったのは初めてだ。兄の話をしたかっただけなのに。もういない人のことを語るのも聞くのも、どうすることも出来ない想いが溢れ出す一方だ。なるほど、客観的になれないわけだと、妙に納得してしまう。これでは笑うしかない。
「・・・すまない」
眉根を寄せ、透明な水を湛え始めた眼のティエリアが、謝りの言葉を短く呟く。
「ん・・・?なんでお前が謝る?」
「僕は・・・ロックオンを護れなかった」
白い頬を涙が伝うことはなかったが、泣き出したいほどの感情をティエリアは抱えている。大切な大切な人を失った痛みは、彼も自分も同じ。謝ることなど何もない。
「お前さんが謝ることはないさ。戦場なんだ。生きるか死ぬか、誰にも分からねぇよ」
「でも僕は・・・!」
「いいんだよ。兄さんだって、お前さんに謝って欲しいなんて思っちゃいないさ。それより、俺の方こそ悪かったな。辛いことを思い出させようとしたわけじゃないんだ」
自分よりも低い位置にある頭をくしゃりと撫でれば、驚きに見開かれた眼とぶつかった。
「あ・・・悪りぃ」
慌てて手を離してみても、驚きの色のままの瞳がライルから逸らされることはない。
奇妙な沈黙。お互いがお互いを妙に意識してしまい、体が動かない。
(俺、コイツを驚かせるようなことした?)
混乱し始めたライルの耳に、第三者の声が入って来た。
「二人とも、ここにいたのか」
格納庫のケルディムを背にしたライルとティエリアに、刹那が歩みを寄せる。ライルから一歩離れたティエリアは、刹那へと向き直った。
「・・・どうかしたのか?」
二人の前で歩みを止めた刹那は、ティエリアを真っ直ぐに見つめて唇を開いた。

「アレルヤが見つかった」

刹那の短くも事実を伝える言葉を理解するためか、ティエリアは瞬きを繰り返す。
王留美から送られてきた情報に、ブリーフィングに集まる仲間たちの中に二人の姿が見えず、刹那は捜していたのだ。
四年前の国連軍との戦いで、消息不明となってしまったアレルヤ・ハプティズム。
彼が―――生きている。
「・・・本当なのか?」
「ああ、本当だ。王留美から連絡があった。間違いはない」
刹那のいつもと変わらぬ口調に、けれどティエリアの顔がくしゃりと歪む。嬉しさと安堵が入り混じった表情。言葉で言い表せないほどの想いが伝わってくる。
生きていると信じていても、纏わり付く不安はあったのだ。もしかしたら、と最悪のことを口にしてしまえば、それが現実になりそうで怖かった。ソレスタルビーイング再建の中心にいたティエリアには、尚更のことだ。刹那には、ティエリアの気持ちが痛いほど分かる。しかし喜んでばかりはいられない事実も、王留美から齎された。見つかっただけでは終わらない現実を刹那が口にするより先に、ライルが声を出す。
「すまん。ちょっと待ってくれ。アレルヤって誰だ?」
怪訝な顔をするライルは、アレルヤのことを知らない。刹那たちも生死不明のアレルヤのことは、話していなかった。刹那は少し顎を引いて応える。
「アレルヤ・アプティズム。俺たちと同じガンダムマイスターだ。四年前の戦いで、行方が分からなくなっていた」
「ガンダムマイスター・・・。そいつが見つかったのか?どこで?」
「そうだ刹那。アレルヤはどこにいる?見つかったということは、エージェントがアレルヤのところに向かっているのか?」
ライルの問いに、ティエリアも続く。ドクンと大きくなる鼓動を落ち着かせるため、刹那は一つ息を吐いてから王留美からのもう一つの事実を告げた。

「アレルヤは―――連邦政府に捕まっている」

「連邦に・・・?」

不安をのせたティエリアの呟きに、刹那は頷いた。
「王留美からの情報は、アレルヤが収監されている場所の特定もされている。俺たちは、アレルヤを助ける。今、ブリーフィングルームに集まっているところだ」
「オイオイ、そのアレルヤって奴は、四年も連邦に捕まっているってことなんだろ。大丈夫なのか?」
ライルの疑問は、仲間の誰もが思うことだ。精神的、肉体的に、四年という月日がどのような影響を与えるのか。考えれば考えるほど、怖くなる。けれどアレルヤは生きている。生きているのだ。ソレスタルビーイングのガンダムマイスターの意味を連邦が重要視しているから、アレルヤは生かされている。
「ソレスタルビーイングという組織を知るアレルヤを、連邦が簡単に手放すはずはない。だから生きている。でもこれからは分からない。俺たちが動き始めたからだ。連邦がアレルヤを、何らかの形で利用するかもしれない。その前に、あいつを助ける」
強い光を湛える刹那の瞳が、アレルヤ本人を直接見なければ消えない不安を、ほんの少しだけ砕いてくれる。ティエリアは、分かったと応えた。
「アレルヤが生きている。その事実に代えられるものはない。助ける、絶対に・・・」
「あぁ、大切な仲間の命だ。アレルヤも俺たちを待っている」
―――大切な仲間。
決して代わりなどいない存在。
ティエリアと刹那からは、それが滲み出る。たった半月では、ライルが持てない絆だ。
「・・・仲間ねぇ。ガンダムマイスターだから大事ってヤツ?」
「違う!」
兄と重ねられ比べられる限り、仲間と呼ぶ中に自分はいない。それでいいと思っているわけではないし、言いたくて出た科白でもないのだけれど。ニール・ディランディの代わりになる人間は本当はいないのだ、と言われているようで、なにげなく零してしまった。それに鋭く叫び返したのはティエリアだ。形のよい唇が震えている。少年の怒りに、ライルは溜息を漏らす。余計な一言だったのだ。これは謝った方がいいのだろう。
「・・・すまない。兄さんなら言わないよな。つーか、ぐだぐだ言ってないで助けに行くぞ、くらい言うよな」
「ライル・ディランディ」
ティエリアの怒りとは反対の、静かなそれでいて全てを見透かされているような刹那の声音が、ライルに届く。
「な・・・なんだよ」
「ライル・ディランディ。お前はアレルヤと同じ、俺たちの仲間だ。そうなることを、お前が望むか望まないかは分からないが、少なくとも俺たちを選び必要とするのなら、大切な仲間だ」
ああ、やはり見透かされている。ライルに必要なものは、ソレスタルビーイングの情報であり、地上の仲間――カタロン――だ。
しかし、見透かしても尚、仲間だといってくれるのは喜ぶべきことだろう。
「手厳しいことで」
「後は、お前が決めることだ」
ライルと刹那には、彼らだけが共有している秘密がある。否、秘密ではないが、仲間に伝えていない事実がある。
ライル・ディランディは、反政府組織カタロンの構成員だ。ソレスタルビーイングに入ってもそれは変わらず、繋がりはこれからも続く。
カタロンであろうとなかろうと、マイスターになることを決めたのはライルだ。カタロンの仲間のためにもなるのなら、また兄の目線を追えるのなら、それでいいではないか。ライルはそう思っている。が、ロックオン・ストラトスとしては、ソレスタルビーイングの仲間になれないのだ。
今のライルに、どちらかを選ぶことは出来ない。正に中途半端な関係だ。けれど、欲張りになるのは駄目だろうか。どちらも仲間だと呼びたい。呼べるようになりたい。
「分かっているさ。分かってる。ホント、すまねぇな。俺がお前ら怒らせてどうするってヤツだよな。お前らにとって大切な仲間なら、俺にとっても同じだろ。アレルヤ、助けに行くぞ」
ライルはティエリアの肩を軽く叩き、足を踏み出す。ブリーフィングルームへ向かうであろう彼の背中と刹那の顔を交互に見てから、ティエリアはほんの少し訝しい色を浮かべた。
「・・・刹那」
何か言いたげに名前を呼ぶ少年の細い背を、刹那は促すようにそっと押す。
「あいつは俺たちの仲間になってくれた。それ以上のことを望むのは、これからだ」
「・・・わかっている」
「そうか?不満げな顔をしている」
「五月蝿い!それよりアレルヤだ!」
「そうだな。絶対助ける。俺たちも行くぞ」
ライルの後を追い、二人もブリーフィングルームを目指す。
新しく加わった仲間。
四年前の戦闘で、行方不明になっていた仲間。
彼を助けることが出来れば、ガンダムマイスターが四人揃う。
ソレスタルビーイングの本格的な再始動。
アレルヤ・アプティズム奪還まで、あと五十七時間。