世界への、理想という名の挑戦状。
矛盾を含んでいても、銃を持つことを止めなくても、己を信じて前に進む。
誰かに代わって欲しいとは思わない。
同じ想いの仲間がいる。それだけで充分だ。
けれど。
もう少しだけ、欲張ってもいいだろうか。
もう少しだけ、わがままを言ってもいいだろうか。



プトレマイオスの食堂は、賑やかさとは無縁だ。交代制での食事に加え、人員自体がさほど多くはない。数名の整備士が壁側のテーブルで食事をしている食堂に、ロックオンとアレルヤは足を踏み入れた。
「・・・ったくさ、一緒にメシを食おうって誘いたくても、お子様組はいねぇしさぁ。アイツらに協調性はないのかねぇ」
少々愚痴っぽくなっているロックオンに、アレルヤは苦笑する。
「刹那やティエリアは、僕たちに壁を作っているような感じがありますよね。それを解かして行くのは、僕たちの役目じゃありませんか?」
「・・・壁ねぇ。まぁ、そうなんだろうなぁ」
本日のメニューが並んだトレイを受け取り、二人は食堂内のほぼ中央のテーブルで、腰を落ち着ける。ほのかに温かなパンが、食欲を誘った。
「そういえば、今日はハロを見ませんけど、メンテナンスですか?」
食事を口に運ぶ前に、アレルヤはオレンジ色の球体について問い掛けると、ロックオンが軽く頷いた。
「そうそう、定期メンテナンス。今頃、イアンのおやっさんの腕の中」
「ははは・・・。ハロもいなくて、お子様組も食事に誘えなくて、なんだか淋しそうですよ」
「・・・どーせ俺は、振られっぱなしですよ」
ロックオンは何度も刹那とティエリアを食事に誘っているが、その度に"後で食べる"や"これからやることがある"など、本当か嘘か判断に迷う科白が返ってくる。それでも刹那は、十回のうちの二回と微妙な割合ながらも、共にテーブルを囲むことが出来るようになった。しかし、ティエリアには連敗中である。強引に腕などを掴もうものなら、二三日は完全に逃げられる。哀しい事実だ。
「どうしてでしょうね。同じマイスター、同じCBの仲間なんだから、食事くらい一緒にって思うんですけど・・・。刹那に関しては、口数は少ないけれど随分と軟化していますし、いい傾向かなって思います」
「まぁ刹那はな。話せば素直に聞いてくれるしさ。でもティエリアは・・・」
難しいよ、と。
ロックオンには珍しく、力のない声が漏れた。
アレルヤは眼の前の男を暫し見つめる。
ロックオンとティエリア。
二人の間に、特別な何かが存在することは全くなくて。お互いマイスターとして紹介されてから、短くはない時間が流れている。が、同じマイスターという仲間ではあっても、その範囲から踏み出すような何かはない。
なのに。
ロックオンはティエリアを気にかけている。アレルヤには、そう見える。
何気なくロックオンに眼を向けると、彼の視線はティエリアに伸びている。それは、スメラギとの話し合いの場であったり、コンテナでの作業中であったりと様々なのだが。
ロックオンはマイスターの中で最年長ということもあり、面倒見がいい。正に兄貴なのだ。特に最年少となる刹那へは、気遣いをみせる。刹那本人は、鬱陶しいと感じているようだが、何かと声を掛けている。誰にでも優しく、仲間想い。年長者たる余裕もある。それが、ロックオン・ストラトスだ。
けれど―――。
ティエリアに関しては、微妙に違うことが少なからずある。たとえば、彼には刹那のように、鬱陶しがられるほど話しかけることはしない。彼ら二人と共にいる時に構うのは刹那だ。それをティエリアが、冷ややかに見ている構図が出来上がっている。
ティエリアを嫌うとか、そういったことではなくて。ロックオンはもっと違う角度から、静かに視界に捉えているのではないのだろうか。
直接本人に訊いてはいないが、確信に近いものをアレルヤは抱いている。
ティエリア・アーデ。
彼の言動は、感情に左右などされることはなくて、常に冷静だ。同じ仲間であっても、一歩引いた位置に彼はいる。
必要最低限の会話と、表情のなさ。実際の年齢は分からないが、子供らしさは皆無だ。だからといって、大人の領域といってしまうには、子供らしさはなくても、幼さが抜けきれていないように思う。
不安定さとか、脆さとか。
もしかしたら、外見の冷静さに隠れているのではないのか。冷静だから大人とは限らない。感情が見えないから、子供ではないと言うのはおかしい。
ロックオンは、それらを気にしている?
外に見えてこない部分を、気にかけている?
たぶん―――正しい。
「・・・難しい、か。確かにティエリアは、刹那以上に人との関わりを持たないですね」
「持たないのか、苦手なのか、嫌いなのか、なんとも言えないけどな。でも俺としては、深く関わって行きたい。絆っていうのかな。仲間なんだし、家族みてぇなもんだろ」
「・・・気になります?ティエリアのこと」
相手の様子を窺うように問う。しかし年長の男は、眉一つ動かさなかった。
「なるさ、仲間だもん。心配にもなるし、黙っていることなんて出来ない。別にティエリアに限ったことじゃなくて、みんな同じだよ」
当然だろ、と返されて、アレルヤは小さく笑う。なんだか上手く受け流されてしまったようにも思う。
「そうですね。仲間を大切にしたいのは、僕も同じです」
みんなという表現に、隠されているであろう部分。同じ仲間ではあっても、同じではないうねりが自然発生することは、きっと悪いことではない。特別は、無意識のうちに育つもの。そんな予感を、アレルヤは抱いた。



アレルヤとの食事を終え、ロックオンはプトレマイオスのコンテナに向かった。CBの母艦の限られたスペースを大いに活用したそこで、忙しなく動き回る人影はいないが、巨大な機体の足元でパソコンと睨み合いをしている目的の人物を見つけて、ロックオンは声を上げた。
「おやっさん、ハロのメンテナンス、終わった?」
黒ぶちの眼鏡をかけたイアン・ヴァスティの視線が、ディスプレイからロックオンへと移る。
「終わっとる、終わっとる。ティエリアに預けたんだが、会わなかったか?」
「ティエリアに?いや、会わなかった」
予想外の名前を出され、ロックオンは首を傾げる。
「・・・そうか?他のハロたちのメンテナンスもあったから、ティエリアに手伝ってもらったんだよ」
「あぁ、あいつって、プログラム得意なんでしたね」
「そうそう。こっちとしてはギリギリの人数でやっているから、大いに助かる。あれでもっと愛想が良けりゃあいいのになぁ、もったいない」
オヤジの意見を零されて、ロックオンは口の端を上げる。ティエリアの愛想のなさは、周知の事実のようだ。
「で、ティエリアは、どこに行ったんすか?」
「お前さんの部屋に行くって言っていたがな。ティエリアもお前を捜しているんじゃないか?」
「そうですね。じゃあ俺、戻ります。メンテナンス、ありがとうございました」
「オレは仕事だからいいの。でも、ティエリアには礼を言ってやれ」
「わかりました」
ロックオンは踵を返す。自室は鍵が掛けてある。呼び出してもいないと分かれば、やはりロックオンを捜しているであろう。とりあえず、みんなが集まる休憩室へと足を向けた。



「ティエリアは―――いないのね」
開いた扉の先に、捜している人物はいなかった。ガランとした空間には、残念なことに誰もいない。ここに来る途中にある食堂も覗いて見たが、その姿はなかった。
「おっかしいなぁ。部屋は鍵が掛けてあるはずだし・・・でも行ってみるか」
居住区はプトレマイオスの奥まった部分にある。個室といっても、ベッドと机が備え付けられているだけだが、独りになりたち気分の時などはちょうどいい。
微かに響く動力音は、ここが宇宙を漂っている船なのだと教えてくれる。
まっすぐに伸びた通路。居住区の目的の場所に、彼はいた。
球体を腕に抱え、背を扉に預け立っている。少し俯いた横顔は、濃い紫の髪が隠してしまっていた。コンテナから直接ここに来て、そのままの状態なのだろうか。ロックオンは小さく息を吐いた。
「ティエリア」
名を呼ぶ。ゆっくりと彼の双眸が、ロックオンを捉えた。
「・・・ロックオン」
「ごめん。なんか、行き違いになっちまった。おやっさんの所に行ったら、お前が俺の部屋に向かったって言われてさ。でも俺が部屋にいないって分かれば、他の所にいるのかと思って、休憩室とか行ったんだけど、お前いないし。まさか、ここで待ってた?」
「・・・別に待っていたわけではありません。ハロを直接お渡ししたかっただけです」
すっと伸ばされたティエリアの両手。ハロの赤く小さな眼が、カチカチと瞬きのように点灯していた。自分の手に戻ってきた、慣れた重みに眼を細める。ハロを渡すために、ここで待っていたのだと言う少年が、可愛く思えた。誰かに頼むことをしないところが律儀だ。
「タイミングが悪くて、待たせちまったな。ありがとう」
「別にお礼を言われるほどのことではありません。もう行きます」
ロックオンの横を、するりと通り抜けようとする体を、思わず止める。
「・・・ちょ・・・ちょっと待って」
「・・・何か?」
咄嗟に掴んだ腕の細さに、ドキリとする。訝しげに見上げられた紅い瞳に、ロックオンが映っている。ふと、食堂でのアレルヤの言葉が、脳裏に浮かんだ。

―――気になります?ティエリアのこと

そう、自分はアレルヤの言うように、ティエリアのことを気にしている。気にかけている。
人と交わりを、あまり持たない少年。心配だとか不安だとか。
不思議なほどに、この少年には抱いてしまう。
きっとアレルヤは、感じているのかもしれない。
白い無表情の下に、息を潜めているであろう、少年の本当の姿を。
スメラギも言っていたではないか。
ぽきりと折れてしまったら怖い、と。
もしかしたら、自分たちの思い過ごしなのかもしれない。仮定はあくまで仮定ではあるけれど。それでも、心配せずにはいられない要素が、この少年にはある。だから、気になるのだ。
「ん・・・あぁ。おやっさんから聞いた。ハロのメンテ、お前がやってくれたんだってな。ありがとう」
「ですから、礼を言われるほどのことではありません」
「でも、ここで俺が戻るのを、待っていてくれた。嬉しいよ。つーか、俺が戻らないとか思わなかったワケ?」
「結果的にあなたに渡すことが出来ればいいのですから、俺がどこで何をしようと、あなたには関係ありません」
やはり誰かに頼むという選択肢はないようだ。
誰かに頼みたくなかっただけかもしれないし、ロックオンが見つからないということが、単に嫌だっただけかもしれない。どちらにせよ、ロックオンには予想外の嬉しいことだ。
掴んでいたままだった腕を、そっと離す。華奢な感覚の残った掌を、ロックオンは熱いと思った。
「・・・もういいですね。ハロは確かにお渡ししました」
「あぁ、確かに受け取った」
くるりとロックオンに背を向け歩き出すティエリアに、それ以上の言葉は掛けなかった。
ぽつりと通路に立ったまま、彼は右手を胸の位置まで上げる。少女のような柔らかさはなかったが、布地越しにも分かる線の細さは、未発達の体だ。
これから始まるCBの戦い。
燃え広がる炎の中で、互いに支えあえる仲間になりたい。絶対になれるはず。
いや、きっと。
自分は、仲間以上の何かを、あの少年に求めている。
欲、なのだろう。
もっと、話しをしたい。もっと、彼を知りたい。もっと、彼に自分を知ってもらいたい。
そういう欲だ。
わがままなことなのだろうか。同じ仲間だけではないものを求めるのは、わがままだろうか。けれど、きっと自分は求める。求めてしまう。
いつもたった独り。仲間ではあっても、独りでいる少年を気にし始めた時から、きっと欲張りになった。
これから少しずつ少しずつ、彼との距離が短くなればいい。今はまだ固く閉ざされた彼の心をゆっくり開いていくのは、自分でありたい。
そんな、ありきたりでも淡い気持ちを胸に刻んで。
ロックオンは、もう見えなくなってしまった後ろ姿に笑った。