赤いあかい色。
赤いあかい。
ひとの、いろ。



プトレマイオスのコンテナに横たわるデュナメス。コクピット部分の損傷の激しさに、思わす眼を背けたくなる。刹那は原型を留めていないコクピットを睨みつけていた。
パイロットであるロックオンが受けた傷を誰もが心配したが、体の傷はそれほど酷くはなかった。けれど、狙撃手としての大事な右眼は、白い布の下だ。
デュナメスのシールドを突き破ったビームサーベル。ロックオンの右眼はどれくらいで治るのだろうか。本当に治るのだろうか。恐怖にも似た不安を一番強く抱えているのは、ティエリアであろう。ロックオンは彼を庇って負傷した。
「・・・刹那」
自分を呼ぶ声に、刹那は振り返る。そこには少し困ったような表情をしたアレルヤがいた。
「ここにいたんだね。休んでいなくて大丈夫かい?」
「あぁ、平気だ。ロックオンは・・・?」
見上げてくる刹那に、アレルヤは軽く肩をすくめる。
「今頃、ティエリアのところだよ。何も言っていなかったけど、そういう顔をしてたから」
「・・・そうか。アイツ、驚くんじゃないのか。ロックオンが集中治療室から出たって知らないんだろ?」
「そうだね。きっとロックオンは、ティエリアを驚かせたいんだよ。俺はこんなに元気だってさ」
「バカだな」
「ははは・・・。ロックオンらしいんじゃないかな」
ドクターモレノからの"三週間は絶対安静"をさらりと受け流したのはロックオン自身である。俺が寝ていると気にするヤツがいる、と言った彼は、優しい色を左眼に浮かべていた。彼の言う「気にするヤツ」が誰なのか、刹那たちには分かりきったことである。
ティエリア・アーデ。
ロックオンが統合軍の攻撃から護った少年。
統合軍との戦闘中、突然のシステムエラーにより動かなくなった機体。一体何が起きたのか分からず、呆然とするしかなかった。暗い宇宙に沈む運命だとでも言うのか。
そんなはずはないと叫んでみても、実際に動きを止めてしまった機体は、いくら操縦桿を握っても、その力強さを返してはくれなかった。ヴェータからのバックアップから独自システムへの変更まで、時間にすればそれほど長いものではなかったはずだ。それでも、とてつもなく長く感じたのは、完全に動かないガンダムのコクピットの中で、走馬灯のように今までの出来事が脳裏に浮かんだからだ。
少し目線を落として、刹那は口を開く。
「・・・俺はヴァーチェが動かないままだったことに、気付かなかった」
低い呟きにアレルヤも、僕も同じだよと返す。
「ロックオンが焦ったようにティエリアを呼んだのは分かったんだ。でも、自分のことで精一杯で、動かないヴァーチェのことまでには頭が回らなかった」
「アイツだけだ。ティエリアを護るために動いたのは・・・」
刹那は再びデュナメスを視界に入れる。
ティエリアを護るために受けた傷。動かないヴァーチェの盾となった右眼。が、ロックオンにそれを気にした様子はない。自分のことよりティエリアを選んだ証のようでもある。
「・・・考える。もう過ぎてしまったことだけれど、俺は考えてしまう。もしロックオンが間に合わなかったら、ティエリアはどうなってしまっていたのかとか、再起動しないヴァーチェに気付いていたら、もっと違う結果になっていたんじゃないかとか・・・」
「それは僕もだよ。悔やんでも時は戻らない。ティエリアは僕たちとは比べものにならないほど、責任を感じているだろうね。気にするなって言っても、ティエリアは気にする。きっとロックオンが言っても同じだよ。ティエリアは自分を責め続ける・・・」
動かないヴァーチェと損傷したデュナメス。二つの機体と共にプトレマイオスに戻り、ロックオンは集中治療室へと移された。ストレッチャーで運ばれるロックオンを見送ってから、刹那とアレルヤはティエリアの元へ向かった。
開かれたヴァーチェのコクピットハッチ。
その向こうで。
現実を遮断したような双眸が、二人を待っていた。
何を見ているのか分からない、赤い瞳。ぼんやりと漂う視線。
魂ごと、どこかに引っ張られたような少年の姿に、声が出なかった。
何故、ヴァーチェだけ独自システムへの変更が出来なかったのかは、分かっていない。システムダウンが続いてしまった状態に、スメラギたちも動揺したのだという。
動かなかったヴァーチェ。
それに気付いた男。
庇い護られた少年。
アレルヤが抱きかかえるようにしてコクピットから出した少年が、あまりにも虚ろな瞳をしていたことに、刹那は怖さを覚えた。少年は刹那の知る、ティエリア・アーデではなかった。意志の強さを秘めた眼も、冷静すぎる姿もそこにはなくて。
何かが、眼には見えない何かが壊れてしまったように、刹那には思えた。
「アイツは・・・大丈夫なのか?」
「ロックオンのこと?」
「違う。いや、もちろんロックオンには大人しく治療していろと言いたいが、俺が大丈夫なのかと訊いたのは、ティエリアのことだ」
弱いというよりは、脆い少年。何かが壊れてしまった子供。あんなに虚ろな色をして、これからも戦えるのであろうか。不安が大きくなる。
そんな刹那の胸の内が伝わったのか、アレルヤも小さくそうだねと言った。
「・・・でもロックオンも、ティエリアを心配している。だからティエリアにしか分からないティエリアの心の傷を、ロックオンが癒してくれると思う。ロックオンにしか出来ない力で」
「そう・・・だろうか?」
「うん、きっと大丈夫。きっと・・・」
不安は確かにある。けれど、ティエリアを信じている気持ちも、ちゃんとある。自分の力で立ち上がってくれると信じている。虚ろな色も、ロックオンを見れば輝きを取り戻してくれる。
しかし―――。
漠然とした不安は消えることなく、纏わり付いていた。



「・・・右眼の治療に三週間か・・・。長すぎだって」
ロックオンは集中治療室から出ると、いつもの服に着替えた。デュナメスのコクピットから集中治療室へ運び込まれた記憶はない。動かないままのヴァーチェを、敵の攻撃から庇うように間に入ったことまでは覚えているが、その後の記憶はしっかりと闇の中だ。
右眼の負傷。
ちゃんと治療を受けた方がいいことは、ロックオン自身が一番分かっている。狙撃手にとって利眼の怪我は致命傷だ。それでもロックオンには、治療よりも優先をしたいことがあった。いつ来るかわからない三国家の統合軍への備えももちろんだが。
何よりもまず、自分のことを気にしているであろうティエリアの元へ、行きたかった。治療室から見えた光景の中に、彼はいなかった。居づらさもあったのかもしれない。誰もティエリアを責めたりしないのに、きっと独りで泣いている。そう思うと、大人しく治療に専念など出来るはずもなかった。
宇宙空間での戦闘。
新システムが立ち上がらず、巨大すぎる闇の中を漂い始めたヴァーチェ。どうしたんだと呼びかけても応えのないティエリアに、ロックオンはどうしようもない不安に襲われた。
ヴェーダからのバックアップが切れ、機体は動かなくなったのだ。それはティエリアにとって何を意味するのか。ヴェーダが弾き出す計画が全て正しいと信じ、ヴェーダが予想する未来のために戦っている意識が強い少年である。
そのヴェーダからのバックアップが切れる―――。
ティエリアには受け入れられない現実だったはずだ。システムエラーなどという名前で、済むような問題じゃない。
新システムが起動しないヴァーチェは、戦闘中であるにもかかわらず、ティエリアが現実を拒絶し精神的な不安定さに陥ってしまったからではないのか。そこには明確ではないが、ティエリアとヴェーダの繋がりも深く関わっているはず。
ヴァーチェへと狙いを定め、赤い粒子を舞い上がらせる機体を視界に捉えたとき、頭で考えるより先に、体が動いていた。自己犠牲精神があるわけではない。ただ、護りたかった、それだけだ。いや、それだけでは納まりきれない想いがある。
仲間としてではなく、ティエリア・アーデを想う気持ちがある。
右眼の負傷が彼を護った代償だとしても、そんなことは関係ない。思うよりも早く、体が動いたということは、ロックオンも必死だった証拠だ。右眼のことはあっても、ちゃんと護れた事実の方が、どれだけ嬉しいことか。だからティエリアが、気にすることも責任を感じることもないのだ。これは声に出さなければ伝わらない。
今のロックオンにとって、利眼の治療よりも大事なことは。
心配で心配で、何よりも大切な少年の傍にいること。
壊れないように、そっと優しく優しく包み込むこと。
視線の先。
少し広くなっているその場所に。
彼の細い背を、見つけた。

「ティエリア」

驚かせないように、宝物の名を紡ぐ。
腕を伸ばしても、触れるまでにはまだ距離のあるそこで。
赤い瞳が、ゆっくりとロックオンへ向けられた。

「・・・ロック・・・オン・・・?」

不安げに揺れる色が、ロックオンを見つめる。きつく眉根を寄せる彼に、ロックオンは笑った。
「こらこら、なんて顔してんだ。お前が気にするほど、俺の怪我は酷くないぞ」
眼帯をしているおかげで、左眼だけでしかティエリアの姿を見ることが出来ないのが残念に思えて、ロックオンは足を一歩前に出した。
すると。
ティエリアの表情が、さらに苦しそうに歪んだ。赤い眼に、水の膜が浮かび上がる。
「・・・ティエリア?」
後ずさるように強化ガラスに背を押し付ける少年に、ロックオンは自分自身に舌打ちしたい気分だ。ティエリアはロックオンガ集中治療室から出たことを知らない。驚かせたいと思ったのは本当だが、それが裏目に出てしまったようだ。これでは更に心配をさせてしまう。正に俺のバカである。
「・・・ごめん、ティエリア。お前を驚かせちまったな。俺はさ、本当に大丈夫なんだよ。それを早くお前に伝えたかった」
黒い眼帯の男の声が、ティエリアの耳に届く。が、届いたのは単なる音であり、彼は現状を理解出来ずにいた。
何故、ここにロックオンがいる?
彼は集中治療室のはずだ。
自分を庇ったせいで、負傷をしてしまったロックオン。
自分のせいで、傷を負わせてしまった。
自分のせいで―――。
それなのに何故、ここにいる?
こんなことは、あってはならないはずなのに。
傷の治療を受けなくてはならないはずなのに。
眼帯の下の傷。
本来なら、自分がその傷を負うはずだった。
それなのに―――。

『ティエリア!!』

あの時の声が。
鮮明に甦る。

「・・・い・・・イヤだぁぁぁ―――!!」

ここにいるはずのないロックオンの姿に、ティエリアの心が悲鳴を上げた。
「ティエリア・・・!」
「なんでロックオン・・・。僕のせいで傷を・・・ぼくが・・・」
両手で自分の体を抱き締め俯くティエリアに、ロックオンは慌てる。少年との間に存在した距離を飛び越えて、震える体に腕を回した。
「ティエリア、落ち着け。怖がることなんか、何もない。俺は大丈夫なんだ」
「嘘だ!ロックオンが大丈夫なんて嘘だ!僕が・・・ぼくが・・・ロックオンを・・・」
何かを否定するように、激しくかぶりを振るティエリアは涙声だ。こうやって自分を責め続ける少年の心は、ガラス細工の脆さがある。互いの体と体の隙間を埋めるように、しっかりと抱き寄せた。
「ティエリア、俺はここにいるだろ」
「うそだ・・・。ロックオン・・・!」
「ティエリア、俺を見ろ!」
「いや・・・嫌だ・・・!ロックオン・・・!!」
「ティエリア!!」
ロックオンの叫びに導かれたのか、ふと顔を上げたティエリアの双眸は。
「ティエリア・・・?」
眼の前にいるロックオンを通り越して。
虚ろな瞳は、けれど何かを捉えている。
ティエリアにしか見えてはいないそれは。
赤い、あかい。
人の命の色を、していた。

「・・・ひとりに・・・いで・・・」

傾く細い体。

「ティエリア!」

焦りを含んだあの時と同じ響きを、遠くで聞きながら。
ティエリアは、意識を手放した。



白いシーツの上に白い頬をした少年が、瞼を閉じて眠っている。医務室のベッドで、薄い胸を微かに上下させる少年を、四人の人間が見つめていた。
「どういうことなのか、説明してくれるわね、ロックオン」
溜息交じりのスメラギの科白に、ロックオンはベッドのすぐ脇で丸椅子に座りながら、力のない笑みを浮かべた。
「・・・ごめん。俺が迂闊だった。俺はこんなにピンピンしているって、こいつを驚かせたくて、同時に喜ばせたかっただけなんだけどさ。逆効果だったよ。泣かせちまった・・・」
ロックオンの横に立っているスメラギは、彼を見下ろしながら、感情を抑え淡々と聞こえてくる言葉に、耳を傾けていた。
黒い眼帯意外は、今までと同じロックオン・ストラトスである。
が―――。
心の内側は、出会った頃の男と同じとは限らない。
眠る少年を随分気にし始めていると感じたのは、何時からだっただろうか。
自分の怪我の治療より、この少年を気遣い傍にいようとする。
それだけ大切だということ、それだけ想う気持ちがあるということ。
「・・・ロックオン、泣かせた自覚があるなら、この子が安心できるように、少しでも休みなさい。ここには私がいるわ」
「ありがたい申し出だけど、断っていいかな。俺がここにいる」
「ロックオン・・・」
「スメラギ・李・ノリエガ」
スメラギの声を遮るように、ベッドを挟んだ位置に立つ刹那の低い響きが流れる。
「・・・なあに?」
「こいつの好きなようにさせてやれ。バカに何を言っても無駄だ」
きっぱりと言い切る刹那に、肩を並べているアレルヤは苦笑し、ロックオンは情けない表情を作ることになってしまった。
「・・・刹那。俺、お前にバカって言われると、マジでバカに思えてくるよ」
「実際、そうだろうが」
「うん・・・まぁ・・・仰るとおり・・・」
長めの前髪を掻き揚げながら、小さな笑みを口元に乗せる男からは、たとえ周りから非難されようと、己の想いのまま無理など押し切ってしまう心の強さが見える。そんな男にアレルヤは口を開いた。
「刹那はロックオンのこともティエリアのことも心配してる。だから、必要以上に無理をしないで欲しいんですよ。これは、みんな同じです」
「・・・分かってる。心配かけてすまねぇって思うよ。でもさ、なんつーの、誰かに頼るっていうか、譲れないことってあるんだよな。今の俺の状態がそれだ・・・」
言いながらロックオンの青い瞳は、アレルヤからベッドの少年へと移る。
好きだとか、愛しているとか。
恋人同士のような雰囲気も、それらの言葉も、アレルヤたちには知らないことだけれども。代わりに物言わぬ瞳が、伝えてくれるものがある。
ロックオンにとって、ティエリア・アーデという少年が、どれほど大切で愛しい存在なのかということを、青く優しい輝きが教えてくれる。
「・・・ロックオン。一つ言わせてくれ」
「なんだ・・・?」
落ちてきた刹那の声に、ロックオンは視線だけを上げる。するとそこには、ロックオンではなく、眠るティエリアへと向けられた眼差しがあった。
「刹那・・・?」
「・・・ティエリアを護ってくれてありがとう。俺は・・・ヴァーチェが動かなかったことに、気が付かなかった。気付いてもいなかった。お前が護ってくれたらから、ティエリアはここにいる」
予想外の刹那の科白に、ロックオンだけではなくスメラギも驚いてしまった。ロックオンの怪我の心配をしても、ありがとうと言う者は誰もいなかったはずだ。
「・・・お前に礼を言われるとは、思わなかったよ」
「俺とアレルヤが出来なったことを、お前がやってくれた。ありがとうというのは当たり前だ。でもこれは、右眼の怪我のことはあっても、お前が無事だったから言えることなんだ。だからロックオン、ティエリアが哀しむような無理も無茶もするな。そして護るなら、最後の最後まで、ティエリアと自分自身を護ってみせろ」
刹那の熱い告白を、アレルヤは黙して聞いている。彼は刹那と同じ気持ちでいるのかもしれない。ふいに、ロックオンの眼が熱を帯びた。ティエリアが無事にちゃんとここにいることに、嬉しいと言ってくれている。仲間なのだ。当たり前ではないか。
けれど、自分の怪我の方が、目立ってしまった。狙撃手としての利眼だけに、周りが神経質になるのも理解している。それでも自分は生きているし、何よりティエリアを護れたのだ。そう、刹那の言う通りだ。ロックオンもティエリアも生きてここにいるから、伝えられるものがある。誰も失うことなく、最後まで共にだ。
「・・・俺の方こそ、ありがとうだ。こいつ護れたことにさ、素直に感謝されると嬉しいよ。ホント、最後の最後まで、こいつのことは安心して俺に任せろ」
涙は出なかったが、ほんの少しだけ揺れた刹那たちの顔に、ロックオンは笑ってみせた。
四人のガンダムマイスター。互いがマイスターだと紹介されてから今日まで、短くはない時が流れた。最初から仲間意識が強かったわけでもなければ、互いを認め合うことさえ難しいと感じる時期もあったのだ。しかし、今は違う。決して失いたくはない、かけがえのない仲間だ。ロックオンにとって、誰よりも大切な人はティエリアである。この戦いが終わっても、共にいたいと願う人だ。それはロックオンだけではなくて、ティエリアもきっと―――。
未だ目覚める気配のない少年に、スメラギは小さく息を吐く。

―――護ってくれてありがとう

彼女には声に出なかった言葉だ。
ロックオンの怪我が心配だったといのは、言い訳になるのだろうか。ただ、二人がここに戻ってきてくれた嬉しさは、安堵と共にある。自分が言葉にするのは、きっと一番最後を迎えて、全員の顔を見てからだ。
スメラギはロックオンの肩を、軽く叩いた。
「・・・じゃあ、ティエリアのことお願いしていいかしら。ガンダムの修理もあるし、私たちは戻りましょう」
やんわりと退室を促すスメラギに、アレルヤと刹那は頷いた。
「ロックオン、無理しないで下さいね。ティエリアが目覚めたら、僕たちに知らせて下さい」
「あぁ、ありがとうな」
スメラギとアレルヤの背中を見送ったロックオンの眼と刹那のそれが合う。二人の男は暫し無言で、互いだけを視界に入れた。先に唇を動かしたのは刹那だ。
「・・・ティエリアのこと、好きなのか?」
「あぁ、好きだよ」
「それは、仲間としてのものか?」
「仲間としてももちろんだが、俺はティエリア・アーデが好きだよ」
「なら、信じていいな。ティエリアを哀しませないと、信じていいな」
刹那の真剣さを含んだ声音に、ロックオンは口の端を上げる。
「信じろよ。俺はティエリアを哀しませないし、傷つけたりしない。誓うぜ」
「・・・そうか。ティエリアを頼む」
微かに眼元を和らげた刹那に笑みを返した。
残されたのは、ロックオンとベッドの少年。意識を手放したティエリアをここに運んでから、一時間が過ぎようとしているが、固く閉ざされた瞼はぴくりとも動かない。
「みんな、お前のことを心配してるぞ」
ロックオンは濃い紫の髪をそっと梳く。二人だけの空間に、ロックオンの胸が痛む。
泣かせたいわけではなかった。
ロックオンを通り越した、無機質な天井を彷徨う紅い瞳が苦しかった。
どれほど追い詰めてしまたのだろう。護りたかったから護ったというのに。
「・・・お前、バカなんだよ。俺が勝手にしたことに、お前が苦しんでどうする。早く眼を覚ませ。俺はお前に伝えたいことがあるんだ」
ロックオンの呟きは、眠るティエリアに届いてはいない。薬品の匂いの中で、男と少年の時間が過ぎる。静かにゆっくりと、時間が流れて行く。閉ざされた瞼が開かれるのを、じっと待つ。
どれくらいそうしていたのだろう。ロックオンの見つめる先で、ティエリアのそれが主張を始めた。
「・・・ティエリア」
愛しい人の名前を音にする。隠されたままだった紅が、ゆっくりと姿を現した。
「ティエリア・・・。気が付いたか?」
「・・・ロック・・・オン・・・?」
ベッドの中から、不思議そうにロックオンを見上げてくるティエリアの頬に、彼は手を添える。
「お前、倒れたこと覚えているか?ごめんな。俺が驚かせたんだよな」
近い距離での囁きに、ティエリアは鈍い思考を働かせる。
動かないバーチェを庇い、傷を負ったロックオン。集中治療室からは、傷が完治するまで出られないと聞いていた。そう、傷が完治するまで―――。
黒い眼帯に、ティエリアの体が恐怖に震えた。
何故、集中治療室にいない?
「・・・ロックオン、なんで・・・!」
勢い良く起き上がろうとするティエリアの肩を、ロックオンはあまり力を入れずに押さえる。
「こらこら、急に起き上がるなよ」
「僕のことより、あなたのことです!なんで、傷の治療は・・・」
「大丈夫だよ。右眼がちょいと不自由なだけだ。お前さんは気にしすぎ」
ティエリアにこれ以上苦しんでほしくなくて、ロックオンは優しく微笑む。けれど、ティエリアは信じられないのか、唇をきつく噛み締めた。泣き出す一歩手前のそれに、ロックオンは息を吐く。
「ティエリア、俺は俺がやりたかったことをやっただけなんだ。お前を護りたかった。お前が傷つくのは、俺が耐えられなかったんだ」
「・・・うそだ」
「なんでそう思う?俺のやったことは、間違ってないぞ」
「・・・だって、僕を護ったって、いいことなんかない。あなたに、怪我をさせてしまった・・・」
瞳の中で、水が揺れている。透明な雫は、今にも零れ落ちそうだ。
「そうかな。いいことはいっぱいあるぞ。まず第一に、俺はお前を護ることが出来た。これは絶対にいいことだぞ。まぁ、怪我はオプションだ。刹那もアレルヤも、お前が無事で良かったって言ってる。俺はあいつらに、お前を護ってくれてありがとうって言われたよ。みんな、お前が無事で安心してる。俺が一番に、そう思ってる。自分を追い詰めたら、みんなに失礼だ」
頑なに閉ざされた心を開くため、ロックオンは小さな子供を諭すように語る。想いは届くはず。きっと、伝わる。
柔らかな頬を撫でれば、堪えきれないとばかりに、ティエリアの双眸から雫が溢れた。
「分かるか?俺たちの気持ち」
「・・・でも・・・」
「お前ねぇ、まだ言うか。じゃあさ、お前を護った俺に、ご褒美をくれないか」
「ご褒美・・・?」
「そう、ご褒美」
ティエリアが目覚めたら、伝えようと決めていたことが、ロックオンにはある。自分の気持ちと、ティエリアの気持ちは同じだと信じているから、伝えたい言葉がある。
紅い眼を更に赤くする少年への愛しさは、止まることを知らない。

「・・・俺と、家族になってくれないか」

温かな響きが、ティエリアの鼓膜を揺らす。
「か・・・ぞく・・・?」
「そうさ、家族だ。この戦いに区切りがついたら、地球の・・・そうだな、お前の好きな場所に部屋を借りよう。そこで、俺とお前で暮らすんだ」
「・・・僕とロックオンが、家族・・・」
まるで新しい言葉を覚えたように、もう一度"家族"と繰り返すティエリアは、普段から考えられないほど幼い色を出している。そんなティエリアの額に、唇を寄せて。
「俺はティエリアが好きだよ。だから一緒にいたいし、護りたい。お前を護って護って、世界で一番愛して、生きたいんだ」
想いを形にして伝える。ロックオン・ストラトスがティエリア・アーデに誓う未来。
この戦いに、絶対に生き残ることを前提とした物語。
ティエリアの涙が増した。
「・・・僕でいいの?」
「お前がいいんだよ。お前じゃないと駄目だし、お前じゃないと意味がない。だから安心して、俺に愛されろ」
「・・・ロックオン」
躊躇いがちに伸びてくる両手を、ロックオンは掴まえる。上体を抱き起こして、嗚咽を零すティエリアの体を抱き締める。
「・・・俺もお前も生きて、ちゃんと幸せになろうぜ。俺がお前を幸せにする。俺がお前に、沢山の笑顔を教える。俺がお前を―――離さない。一人になんか、させない」
ロックオンの背に回されたティエリアの腕に、力が込められる。それが少年からの応えだ。
「僕も・・・あなたと一緒にいたい・・・」
小さな囁き。涙声ではあっても、はっきりとロックオンには聞こえた。
体中を駆け巡る甘い痺れ。
生きているからこそ、この温もりを腕にすることが出来る。
ロックオンの肩に顔を埋めていた、ティエリアの視線が上げられた。紅い色の中に、ロックオンが映っている。
「・・・ティエリア?」
「ありがとう。ロックオンが護ってくれたから、僕はここにいる。ありがとう・・・」
ぎこちない笑みは、けれどとても綺麗で、ロックオンを魅了する。
ティエリアを愛していると、体中が叫んでいる。
「一緒に、生きよう」
ロックオンの言葉に、ティエリアは頷いた。
世界を変える戦い。
その先の未来に幸あれと。
強く願う。