仲間の絆は強いんだ―――。


CBが拠点の一つにしている、広い海に浮かぶ無人島。ガンダムの格納庫を兼ねた、プトレマイオスの小型版ともいえる艦が、そこにある。プトレマイオスに残るアレルヤ以外のマイスターたちは、この小さな島の静けさの中にいた。
刹那は自分自身と向き合っていた。物心ついたときには、既に自分の生まれた国は、戦火の中にあった。人は生きるために銃を持つ。それが、目の前に広がる世界の全てだった。神など、どこにもいない。いくら祈りを捧げても、戦いはなくならない。
ならば、神がいないと知ったとき、人はどうするのか。

―――人は人を神とする

生きるための力や支えとなる言葉を与えてくれる者を、神の代弁者とするのだ。それは間違ったことではない。精神的な拠り所を求めなければ、戦火の中で人は生きる力を失ってしまう。代弁者は必要とされるのだ。
刹那は、神の代弁者を名乗る男が率いる、反政府組織にいた。少年兵として生きる術を学び、生き残るための戦い方を体で覚えさせられた。銃を持ち、瓦礫の街を走り回った日々。幼い記憶の奥深くに眠る、自らが奪った尊く温かなその人。流された赤と、流した赤。歪み続ける世界に、終わりは見えなかった。
今日は生きていても、明日は瓦礫の一部かもしれない。死が常に隣りあわせで、未来への希望より今日のパンが大事な銃弾の中。
突如として空から現れた巨大な機体が、刹那の歩むべき道を決めさせた。
CBの存在を知ったとき、刹那は己に誓った。
神も、神の代弁者もいらない。ちっぽけな世界ではなく、全世界の戦火に自分自身で挑戦するのだと。
刹那の道を決めさせた機体―――ガンダム。
ガンダムマイスターに選ばれ、実際にその機体のコクピットに身を沈めグリップを握り締めたとき、生きるための戦いではなく、変革するためのスタートラインに立ったのだと改めて思った。CBが動き出すことで、何がどう変わるか分からない。予想さえつかない。それでも、無意味な血を流すことが、どれほど愚かな過ちであるかを、人々に気付かせることが出来ると信じていた。
幼い手が持った銃の重みを、刹那は忘れてはいない。今度は、その銃とは比べ物にならないほどの重みのある操縦桿が、手の中にある。
だから世界よ、早く気付け。
CBの目的は、紛争の根絶だ。国と国との争いにも、民族と民族の争いにも武力介入を行う。正義の剣を振りかざす者に、正義はいないのだ。CBも正義ではない。ただ、許せない理不尽な苦しみを、増やしたくないだけだ。
だから世界よ。
ガンダムを前にした世界よ。

―――動け

けれど。
世界は簡単に変わらない。人の心も変わらない。
太陽光発電システムから端を発した紛争の中で生きてきた刹那は、ガンダムに乗り世界の敵となった。だからといって、一度上げた幕を下ろすことはしない。
CBは、本来ならば為政者がやるべきことを、もっと単純な図式にして、宣言をしたのだ。それが、"紛争の根絶を目的とする武力介入"である。
武力介入が正しいのか間違っているのかは、未来の誰かが勝手に決めればいい。孤独な戦いになると言ったのは、戦術予報士の女性だったろうか。確かにその通りとなってしまったけれど、沢山の人に認めてもらいたい戦いではない。繰り返される過ちを、沢山の人に気付かせ、止めさせる戦いだ。今日のパンのために銃を持つ子供の必死さを、弱さを、どれだけの人が知っているというのか。

国がやらないのなら、自分たちの手で―――。

CBの武力介入はテロ行為と同じだという者もいるだろう。ガンダム自体が、とてつもない破壊力を持つ兵器であり、そこで失われる命に眼を背けることは許されない。
テロと変わらない武力介入。
人々の眼にはそう映る。そしてガンダムマイスターなら尚のこと、その思いを抱いている。
しかしだ。
CBは無差別にガンダムで攻撃を行うことはしない。民間人しかいない場所を狙うことなどありえない。
それなのに―――。
刹那たちの前に現れた、刹那たちの知らない三機のガンダムと、ガンダムマイスター。同じガンダムではあっても、同じCBとは思えなくて。
彼らに指示を与えているものは、一体誰なのか。CB以外でガンダムを有する組織などあるのか。謎に包まれた彼らも、紛争根絶を掲げていた。
―――が。
彼らは。
一般人を襲った。
何の躊躇いもなく、引き金を引いた。
ガンダムの名を持つモビルスーツが、民間人を撃つなど許されるはずがないのだ。
人々に恐怖と憎しみを植え付ける彼ら―――トリニティ兄弟。
刹那の感情が、爆発をした。黙って見過ごすことなど、出来るはずがなかった。あれでは殺戮者と同じではないか。彼らを追い飛び出した先で、刹那を待っていたのも。
トリニティが伝えてきた、刹那とロックオンの過去を結ぶ、一本の線。
第三者に教えられた真実は、衝撃以上の互いの本心を見せる場を、与えてくれたのかもしれない。



夜の帳が落ちた小さな島。波の音が、微かに聴こえてくる。刹那がさほど広くはないベンダールームに行くと、そこには先客がいた。ティエリアである。
本当ならプトレマイオスにいるはずなのだが、彼もまた刹那と同じ気持ちだったようだ。スメラギの許可なく地上に下り、トリニティを追ったのだという。CBの任務から少しでも逸脱しようものなら、怒りを露にする少年である。まさかトリニティに対して、刹那と同じ行動を起こすとは。これは嬉しい誤算だった。
テーブルに手を乗せ俯いている彼は、刹那が部屋に入っても顔を上げないまま。いつもなら強い眼差しとぶつかるはずなのに、珍しいこともある。
丸テーブルに椅子の組み合わせが、左右に三つ並んでいる。ティエリアは扉からは一番奥のテーブルにいた。落とされた視線の先は、何を見つめているのだろう。どこかぼんやりとした表情が、そこにある。本当に彼らしくなくて、刹那は躊躇いがちにも名前を呼んだ。
「・・・ティエリア」
「・・・・・・」
彼からの応えはない。考え事に意識を集中しているのだろうか。刹那はテーブルを挟んでティエリアの前に立ち、もう一度その名を口にした。
「ティエリア」
さきほどよりも大きな声だったのが良かったのか、赤い双眸がゆっくりと上を向いた。刹那を視界に捉えてから、首を傾げる。数回瞬きを繰り返してから、唇が動いた。
「・・・あぁ、君か。どうかしたのか?」
凛とした響きのない声音と、鋭さが消えた瞳。やはり、いつもと様子が違う。刹那は椅子に座り、深く息を吐いてから言った。
「ここに来たら、お前がいたんだ。名前を呼んでも返事がなかった・・・。疲れているのか?」
ヴァーチェでプトレマイオスを飛び出し、休む間もなくトリニティと一戦を交えたのだ。疲れていないとは限らないが、そういったものとは違う微粒子が、ティエリアに纏わり付いていた。宇宙で何かあったのだろうか。問い掛けるように見つめれば、彼の瞳が微かに揺れた。何かを耐えるような色だ。
「・・・ティエリア?」
「・・・いや・・・別に、疲れてはいない。君に心配されるとは、思わなかった」
赤い色の中に交じり合っていた異なる色は、一瞬で消えた。否、隠したといった方が正しいのか。刹那が感じた異質な部分は。もう見えなくなってしまった。
本当は、何か話したいことがあったのではないか。そう思ってみても、きっとティエリアは隠してしまった部分を、話してはくれないだろう。必要以上の感情を、人に見せることのない少年だ。それが特に己の弱さなら尚のこと。常の姿に戻ってしまった彼は、無理を押し殺しているようには感じさせない。もう、踏み込むことは許されないのだと思った。
刹那は眼の前の少年に抱いてしまった疑問に、フタをすることしか出来なかった。沈黙が二人を包む。少しの居心地の悪さもあり、コーヒーでも飲まないかと訊いてみようかなどと思っていると、ティエリアが刹那を窺うように声を発した。
「・・・ロックオンのこと、責任を感じているのか?」
上目遣いに尋ねられ、刹那は息を呑む。トリニティから齎された事実は、刹那とロックオンに重く圧し掛かるものだった。
「すまない。僕が口を出すことじゃないと分かっている。でも、もし君がロックオンが家族を失ったことに対して、責任や引け目を感じているのなら、それは君が負うものではなくて、ロックオンが決着をつけることなんだと思う」
目線を落とし、静かな声音でティエリアは言う。ロックオンは自爆テロで、家族を失っている。その自爆テロを起こしたのは、刹那が少年兵としていた反政府組織の一人。刹那とロックオンの過去を、直接的にではないにしろ、間接的に結ぶ線。まさかティエリアがこのことを話しに出してくるとは思わず、否、話しに出てもおかしなことではないが、普段の彼からは想像も出来ないことであり、刹那はどういう応えをすればいいのか、戸惑ってしまった。
「・・・僕は、少年兵がどれくらい過酷な現実の中で生きているのか、知らない。君がどれくらい必死で生きてきたのかも、知らない。知識として知っているだけなんだと、君の話を聞いて思った。君の過去もロックオンの過去も知らない僕が、口を挟むことではないと分かっている。でも、君たちが拭いきれない感情を思ってしまったら、僕も苦しい・・・」
個人的な胸の内というものを、多く語ることのない彼が、刹那に想いを伝えてくる。彼自身の答えのようでもある。俯いている白い頬を見つめ、刹那は言った。
「・・・ロックオンに許されたいわけじゃない。アイツが俺を憎みたいと思う気持ちは、理解出来るし、事実、俺はアイツの家族を奪った組織にいた。どんなに足掻いても、過去は変わらない」
「そう、過去は変わらない。でも、未来を変えようとして、君もロックオンもここにいる。君たちの過去を繋ぐ線は確かにあるけれど、ここに共にいるということは、同じ気持ちがある証拠だ。ロックオンは君を・・・刹那を認めている。許すとか許さないとかではなくて、君を大切な仲間だと、ちゃんと思っている。君がロックオンの家族を奪った組織にいたとしても、君が奪ったわけじゃない。ロックオンは、ちゃんと分かっている。だから、ロックオンは、君を憎んでいない。憎むはずなんて、ないんだ」
テーブルの上で組まれたティエリアの両手に、力が込められている。今まで触れたことのない、彼の心が少し見えた気がした。頭で判っていても、感情が追いつかない時がある。今のロックオンがそれだと、ティエリアは言いたいのだろう。刹那もそう思う。眼に見えないわだかまりだ。
ティエリアは、苦しいと言った。そういった感情を、刹那とロックオンが持ってしまったら、苦しいのだと。
もしかしたら、ティエリアは既に苦しいのかもしれない。林の中での話し合いで、綺麗に終わったと思っていないのだ。簡単に割り切れる事実ではないし、本音を隠して笑みを浮かべたのではないか。そういう疑問を、ティエリアは抱いている。だから刹那に、ロックオンのことを尋ねてきた。
ティエリアは。
刹那とロックオンを心配している。心配をしてくれている。
そうでなければ、自ら話しを向けてはこないはず。
刹那は右手を伸ばし、ティエリアが組んでいる両手の上に、自分のそれを重ねた。伏せられていた彼の印象的な赤い色が、躊躇いがちに上がる。
「大丈夫だ。俺とアイツは、互いの腹の底から、言うべきことを言い合った。隠すことは、何もないんだ。俺もロックオンも、感情的なものは全部吐き出した。切り離せない過去を、抱えて生きるのが人間だ。哀しみも憎しみも捨て切れなくても、お前が言うように、ここに共にいる現実が、それを超える感情を生まれさせてくれる。俺たちは、今までと何ら変わらない。お前が心配することはないんだ」
「・・・本当に?ロックオンは君を憎んでいない?君はロックオンに、負い目を感じていない?」
「全くないとは言い切れないかもしれない。けれど、俺がこれからもガンダムマスターであることを、ロックオンは許してくれた。それが、アイツが俺にくれた答えだ。信じろ。俺たちは変わらない。これからも、共に戦う仲間だ」
赤い双眸を前に、刹那も想いを伝える。もしロックオンが本気だったら、刹那は彼の銃に倒れている。不安になることも、心配することもないのだ。重ねている掌から、互いの熱を感じる。同じように、刹那の想いもティエリアに伝わればいい。視線を外さないまま、暫しの無言。ふいにティエリアが、柔らかく眼を細めた。
「・・・そう・・・だな。人は認め合って生きる。仲間なら、強い結びつきがある。―――絆とでもいうのだろうか」
噛み締めるように、確かめるように、唇が動く。
変わったな、と思う。何事も任務優先で、時には辛辣な言葉を発したというのに。刹那はティエリアの過去を知らない。どんな環境で育ったのか、知らない。けれど、共にいる今を大切にしたい。
そう―――絆だ。
同じCBとしての、同じマイスターとしての絆だ。昨日今日の浅い繋がりではない。互いを認めるだけの時間を、共有している。
過去は知らなくても、触れた心がある。それだけで、充分ではないか。
仲間とは、どんなことでも揺るがない強い絆で繋がっている。それを実感することとなった、今回の重い出来事。
それぞれが感じている絆が、それぞれの音色を出した。
刹那もロックオンもティエリアも。
互いを確かめ合い、認め合い、再度見つけた絆だ。
自然と頬が綻んだ。
「不安があるなら、声に出せばいい。一つ一つ答えを見つければいい。お前のためになるなら、俺は何時だって付き合う。同じ仲間としても、刹那・F・セイエイとしても」
触れ合っていた手を、そっと離す。この部屋に入ってきたときに感じた異質なものの正体は分からないが、ティエリアを支える力になれれば嬉しい。
「・・・ありがとう」
小さな囁き。はにかむような笑みを口元にのせた彼が、とても大切な存在であると思えた。
これから先、何が起きてもきっと変わることのない関係。
むしろ深いものを生み出して行く。
とても優しく、心地良く、時折厳しさを混ぜながら。
決して解けることのない音色を醸し出す。
強い強い繋がり。
絆は。
仲間と共に、続いて行く。