刹那・F・セイエイは疑問を持っていた。
何故、ティエリア・アーデの年齢や国籍が、不明なのかということを。



休暇―――。
それは自由な時間を自由に過ごし、気分をリフレッシュさせること。スメラギの「明日から一週間、あなたたちは自由人よぉ〜」宣言により、何の前触れもなく与えられた休暇であるが、ミッションが続いていたこともあり、緊張感からの解放は素直に喜べるものだった。
プトレマイオスの休憩室で、ロックオンとアレルヤは一週間自由人計画を、肩を並べて話していた。二人とは少し離れたところで、刹那は雑誌を読んでいる。
「・・・やっぱ、せっかくの休みなんだし、のんびりしたいじゃん。白い砂浜、青い海。ピチピチの女の子。いいねぇ〜」
「いいねぇ〜って・・・。どこかのオジサンみたいですよ、ロックオン」
「オジサンじゃない!健全な若い男の、立派な夢だ!」
「・・・いや、力説しなくても・・・」
苦笑を浮かべるアレルヤに、ノリが悪いなぁとロックオンは呟く。
「で、この休みは、海に行くことに決めたんですか?」
「まぁ、ピチピチの女の子も捨てがたいけど、地上に降りて一人旅でもするかなぁ。お前はどうよ?」
「僕も地球ですね。一週間ありますから、のんびり一般人になろうかと」
「ははは・・・。一般人ねぇ。いいんじゃない。てか、やっぱ地球だよなぁ。ティエリアなんか、プトレマイオスから出ないとか言ってるし。俺、一緒に地球へ行かないかって誘ったんだよ。でもさぁ、あっさり振られた、捨てられた・・・」
「ティエリアは、宇宙が好きですよね」
二人の会話に入らなかった刹那だが、聞こえてきた名前に雑誌の追っていた文字から、ソファに置かれている一冊の本へと視線を移す。少し前までそこに座っていた少年は、今、シャワールームだ。読んでいた本を置いたままにしたということは、ここに戻ってくるのだろう。
ティエリア・アーデ。
彼は刹那にとって、不思議な少年だ。
与えられた休暇に、刹那は東京で借りている部屋へ、久しぶりに戻ろうと思っていた。特にやりたいことがあるわけではなかったが、東京自体は嫌いではない。治安の良いあの国の人間たちが、世界をどう捉えているのか興味のあるところでもあり、他人に無関心なところが、一人で居るにはちょうどいい。隣人は何かと話しかけてくるが、あれは性格だと思えば割り切れる。だから、何をするでもないが、とりあえず東京へ行こうと思っていた。
しかしである。
ティエリアは、プトレマイオスに残ると言う。常々、地上は嫌いだと口にしている彼だ。休暇だからといって、自ら進んで地上に降りることはしない。
刹那は、考えた。
年長組は、休暇を地球で過ごすと話している。ならば自分は、ここに居ようと。
いろいろと煩い年長組が居ない間に、不思議のオブラートに包まれているティエリアと、自分なりに近づいてみたい。仲良くなりたい願望があるわけではないが、不思議な少年を、この機会に近くでじっくり見ていたい。正に観察である。観察日記を書くべきか、迷う気分だ。
ティエリア・アーデは、不思議な要素で作られている。刹那は、そう思っている。
ソレスタルビーイングは、互いの過去を話さない、訊かないが暗黙のルールだ。けれど、出身地や年齢などは、秘密でもなんでもない。訊かれて困ることでもない。それなのにティエリアは、それさえも不明扱いだ。不思議でもあるが、話せない理由があるのではないかと、疑いたくもなる。
加えて、完璧なまでに、他人と接することを嫌う。何故だろう、不思議で仕方がない。必要なこと以外は多くを語ることはなく、無口で表情はほとんど変わらない。それは刹那にも言えることだが、ティエリアの場合、もう一つ冷酷が加わる。人としての感情を切り離した少年。人にも厳しく、自分にも厳しい。
不思議だ。どうしてそこまでして、人との間に距離を置くのだろう。
単に性格と片付けてしまうことの出来ない部分が、きっとあるのではないか。
刹那には分からないことだらけで、作られている少年。一生懸命、真剣に考えて、刹那は一つの結論に達したのだった。

「・・・つな。・・・刹那」

自分の名前が耳に届いて、刹那は睨むように視界に入れていた本から眼を離す。ロックオンとアレルヤの瞳が、彼に向けられていた。
「どうしたんだ、刹那。変に固まっていたぞ」
「そうだよ。休暇の過ごし方で、分からないことでもあるのかい?」
アレルヤの真面目な顔に、少々どころではなく方向性の間違った問いを投げられ、さすがに突っ込みたい気分になる。そもそも、休暇の過ごし方で分からないところ、などと言ってくるアレルヤが分からない刹那だ。
が―――。
今ここに、不思議少年はいない。これは絶好のチャンスではないか。
刹那は二人の科白を無視して、自分が思っていることを声に出してみた。

「・・・ティエリア・アーデは、どこかの国のアイドルなのか?」

「「・・・はい?」」

年長組は刹那から出てきたティエリアの名前と、アイドルという単語に、頭の中でハテナマークが飛び交うこととなった。休暇とはまったく関係のない、最年少からの返答だ。
「だから、ティエリアは、どこかの国のアイドルなんじゃないかと、俺は思う」
黒い双眸に迷いは見つからない。ロックオンは、突然何を言い出すんだ、と無機質な天井を仰いだ。
「ちょっと待て。一体なんだ?ティエリアがアイドルって、お前本気で思ってんの?つーか、どっから出てきたんだよ、そのアイドル説ってさ」
「アイツの年齢と国籍は、ソレスタルビーイングの誰も知らない。別に隠すことでもないのに、不思議だと思っていた。そこから導いた結論だ」
俺は間違っているのかと言いたげな表情に、ロックオンはそんなことを考えていたのねぇとポカンとしてしまう。アレルヤも同じようで、困ったような笑みを頬に貼り付けていた。
「確かにティエリアの本当の年齢も故郷も僕たちは知らないけれど、どこかの国のアイドルっていうのは、ないんじゃないかな」
「何故だ?アイドルではないと、言い切れる証拠はない」
最年少のマイスターは、ティエリアがどこかの国のアイドルだと信じているようだ。ロックオンとアレルヤは、同時に深い溜息を吐いた。二人は顔を近づける。
(なぁ、刹那のヤツ、どうしたんだ?何でティエリアがアイドルなんて、言い出してんの?)
(さぁ?僕の方こそ訊きたいですよ)
(だよなぁ〜。ったくさぁ、ちゃんと話を聞かないとダメかな)
(でしょうね。僕たちは、十六歳の気持ちを受け止めるべきかと・・・)
二人は肩を落としつつも、刹那の"ティエリアはアイドルだ"説について、きちんと耳を傾けることにした。
「けどよ、ティエリアの実年齢も出身地も不明ってだけで、アイドルだって言われてもなぁ。それだけでアイドルとは思わないデショ」
「そうか?アイドルなら、今までの経歴を隠すのも分かる。メディアがアイツを知っているからな」
「でもなぁ〜。アイツ、地上が嫌いじゃん。それにツンツンしてるし。地上嫌いで人嫌いもあるヤツが、アイドル出来るかよ」
「それこそ演出だ。地上が嫌いなのではなく、行きたくない。行ったら、アイツを知っている人間に出会うかもしれないからだ。人間嫌いでツンツンしているのも、本当の自分を出さないための演技だ。アイドルなんだから、当然だ」
普段、口数の少ない少年が、ロックオンの問いに独自持論をぶつけてくる。これは手強い。こいつの暴走を止めてくれ、とロックオンはアレルヤに眼で訴えた。青年組の無言の会話。アレルヤは助けを求めた男に頷いた。
「・・・仮にティエリアがアイドルだとして、どうしてCBのメンバーになったと思う?アイドルなんだよ。命の保障はどこにもない」
アレルヤの誰もが思うであろう疑問に、刹那の瞳がキラリンと輝いた。訊いてはいけないことを訊いてしまった嫌な予感。刹那の口の端が上がる。

「アイドルのボランティア精神」

「「・・・・・・」」

絶句とは、正にこういうことだ。ボランティア精神で、アイドルがCBのメンバー、ましてガンダムマイスターになるはずがないし、もっと違う方法で戦争根絶を訴えているはずだ。否、もしかしたら、アイドルという地位を捨て、マイスターの道を選ぶ珍しい者もいるかもしれない。
だが―――。
ティエリアに限って、それはないだろう。彼の辞書に、ボランティア精神なるものが存在するのかさえ、実に怪しい。思い込みも、ここまで来るとお手上げだ。まるで、相手に恋をしているかのような、情熱がある。
恋を。
恋をしているような。
恋を―――しているのか?
ロックオンの真っ白になった頭が、急激にフル稼働を始めた。
「ちょっと待て、刹那。ちょっと待て!」
勢い良く椅子から立ち上がったロックオンは、そのまま刹那の横へどかりと座る。実に嫌そうに、何だと呟く少年を見下ろして。

「―――お前、ティエリアのこと、好きなのか?」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

互いの腹の探り合いのようでもある沈黙と、交わる鋭い視線。アレルヤだけが、明々後日の住人と化している。
刹那は。
ティエリア・アイドル説を主張しているが、彼を好きかと問われて、そうだ、と答えるほどの深い付き合いなどありはしない。そんなことを訊かれても困ってしまうし、それこそどこから出てきた疑問だと言いたい。逆にロックオンは、刹那の「ティエリア・アイドル説」の裏の裏でそのまた裏の、やっぱり裏でまだ裏かよというほどに、深読みをし過ぎていた。
続く睨み合い。刹那は、この無駄な時間を終わらせたくて、自分の気持ちを正直に伝えた。
「何故、そんなことを訊く?俺はアイツはアイドルだと言っているだけで、好きだとは言っていない」
「そうだよ、そうなんだけどさぁ。俺にとっては、大事なことなの」
「・・・分からないな。何が大事なんだ。はっきり言え」
「だーかーらぁー!お前の気持ちの方向が知りたいの。ライバルは作りたくない!」
ロックオンはティエリアに、一方的に一方通行な片想い中である。そのことをアレルヤは知っているが、残念なことに刹那は微塵も分かっていなかった。
「俺はお前の何のライバルなんだ。理解不能だな」
きっぱりと言い切る少年の素直さに、泣きたくなる。
「・・・さようでございますか。もういいよ、分かんなくて」
力なく項垂れる二十四歳の胸の内は、涙と友達になりかけている。最少年のマイスターに、俺の恋心を分かってくれとは言えないロックオンだった。
そんな二人を、アレルヤは静観していた。刹那の激しすぎる思い込みを、どうにかしたい気力がなくなってきてしまった。勝手に思い込んでいてもらった方が、楽である。きっと本人にも、何らかの良い傾向が現れるかもしれない。ロックオンに関しては、突っ走りすぎて、空振り三振の結果だ。ティエリアへの力強い恋心を知ってはいるが、あえてここで応援する必要性を、アレルヤは見つけられなかった。
休暇の話は欠片も残らず、再び訪れ始めた静寂は、シュっという自動音で消えた。休憩室の扉が開き室内に入ってきたのは、現在進行形で話題の人物。三人の眼は、一斉に一人の少年を映した。
シャワーを使い、後はベッドが待つだけということもあるのか、服装はラフである。フードのある薄手の白い長袖に、七部丈の少しゆったりとした黒のパンツ。しかも素足である。アレルヤが気遣わしげに声を上げた。
「・・・ティエリア。シャワーを浴びたばかりだからって、素足は危ないし、冷たいよ」
その通りだと大きく頷く刹那とロックオンだが、当の本人は気にしているのか、いないのか。ピタリと歩みを止め、アレルヤに小首を傾げて短く応える。
「問題ない」
「そ・・・そう・・・?でも、せっかく温まった体が冷えるよ」
アレルヤの優しさは、しかしティエリアには右から左で終わってしまった。気にしてもいないし、聞いてもいない。彼は興味を失ったように、自分を気遣う男からソファに置かれている本へと眼を移し、立ち止まっていた足を動かした。ペタンペタンと微かな足音が流れる。三人がティエリアを見つめる中、目的の本を手にした彼はソファへと腰を下ろすと、両足も膝を折り曲げ胸に押し付けるようにして、ソファへ乗せた。膝を抱え本を広げ始める姿に、六つの瞳が釘付けとなった。
プトレマイオス内は、快適な温度に設定されている。寒さを感じることはないが、珍しい素足ということと、膝を抱えた姿に、いつもとは全く違う印象を受ける。
シャワーを使ったばかりということもある。ほんのりと赤くなった頬に、まだ乾ききっていないしっとりとした濃い紫の髪。
声に出したい気持ちは"可愛いじゃねぇか"だ。
「・・・やっぱりアイドルだ」
刹那の小さな小さな独り言を、隣で座っているロックオンの耳が拾った。
「アイドルかどうかは別としても、可愛いよなぁアイツ。いつものツンツンとは違って、今みたいな格好されると、ちょっと子供っぽくて可愛いよな、ホント」
眼を細めて囁くロックオンの表情は、いつになく穏やかで優しい。それがなんとなく悔しくて、刹那は余計なことを口にしてしまった。
「・・・白い砂浜でピチピチの女の子が、いいんじゃなかったのか?さっさと一人旅へ行って来い」
ティエリアと仲良くなりたいと思っているわけではない。まして好意などとは無縁である。今まで特別に意識をしたこともないというのに。マイスター最年長の男の眼差しの柔らかさを見てしまったら、本当になんとなく悔しくて。
刹那はティエリアの表面しか知らない。どこかの国のアイドルだと信じているが、それだけだ。だから今回の休暇で、彼のことをもっと知ることが出来ればいいと思っていた。もしかしたら、話しをすること自体ないかもしれない。それでも、刹那の身近でささやかな願いだ。
が―――。
ロックオンの口の端が、にんまりと上がる。しまった、と思ったところでもう遅い。
「ふーん。お前もトレミーに残るんだ。なるほどねぇ。ティエリアはここから出ないって宣言してるもんな。砂浜の女の子は、世の男の代表的な夢だろ。でも俺は、夢じゃなくて現実を求めるもんでね。お前がここで引きこもりをするのと同じで、俺も休みを自由気ままに過ごす。てことで、ヨロシク」
刹那の顔を覗き込み、がははとロックオンは笑う。何故か勝ち誇ったようなそれとは正反対に、刹那はどんよりとした雨雲を背負ってしまった。
(・・・なんだか密談は、ロックオンの勝利って感じだね、ハレルヤ・・・)
この休暇は二人の間にバトルがありそうだと思うアレルヤだ。
そしてティエリアは。
ロックオンの高笑いにも我関せずで、自分の世界を作り上げている。マイスターの中で、ある意味、最強かもしれない。
(アイドルに関係なく、みんなティエリアに夢中ってことなんだね)
要するに、そういうことなのだ。彼らの休暇が、幕を開ける。



「・・・あなたたち、そんなに仲が良かった?」
一週間の休みをトレミーで過ごすと、ティエリアに関しては分かっていたことだが、他のマイスターたちからも同じ科白を言われて、スメラギは心底複雑な色を浮かべる。
刹那は、敵意を剥き出しにした眼をロックオンに向け。
ロックオンは、涼しげな笑顔のルンルン気分丸出しで、アレルヤの肩に腕を回し。
アレルヤは「すみません」と、とりあえずスメラギに謝ってみて。
スメラギは、大きく大きく溜息を吐いた。
「・・・揃いも揃って、トレミーで休暇ねぇ。もう好きにしなさい」
マイスターたちの考えていることが分からないスメラギだった。