A.J.クィネル氏講演会のご報告
(2001年4月21日 於:東京国際ブックフェア)

<まえおき>
 最初にことわっておきますが、私たちは今まで、A.J.クィネルさんの本を1冊も読んでない ばかりか、お名前すら、存じ上げませんでした。それではその私たちがなぜ、こうしてわざわざご報告 するかといえば、もし私たちが大ファンの海外作家さんが日本に来て、講演をし、それにどうしても 行けなかったとしたら、せめてどういう話をしたか、知りたいと思うのです。ですから、きっとクィネル さんのファンの方のなかにも、知りたいと思う方がいらっしゃると思い、こうして報告することにしました。 (集英社さんからは、なんらかの形で出るとは思いますが) それともう一つ、今回、短い間とはいえ、クィネルさんの包容力を感じさせるような魅力的な人柄に触れ、 すっかり心酔してしまい、これから私たちもクィネルさんの本を読みたくなりました。 ですから、その魅力をぜひ伝えたいと思ったわけです。


<講演について>
 クィネルさんは1940年、ローデシア(現タンザニア)に生まれ、イギリスで教育を受けました。 その後、ビジネスマンとして世界の各地をまわり、1980年、「燃える男」で作家デビューを果たし、 現在は、デンマークとマルタ共和国の小さな島ゴゾ島の二カ所で、年の半分ずつを過ごしています。 長い間、覆面作家として、すべての経歴を隠していましたが、「トレイル・オブ・ティアズ」の発表時、 経歴その他を公開することにし、この度、日本で初サイン会、初講演会をすることとあいなりました。 ちなみにクィネルさんは、写真より色黒で、かなり小柄、それにかなりのビール腹の持ち主で、 サイン会の時はかなり緊張して無愛想な感じさえしましたが、講演では次第に気さくで、素朴なお人柄を 出していったように感じました。声はよく通り、よどみなく、聴きとりやすく話す方でした。
 ちなみに、講演会には翻訳者である大熊榮氏もいらしていたのですが、緊張が悪いほうに出てしまう 方なのか、話し方も、話の内容も、かなり私たちが受けた印象が悪かったので、それをそのまま書くのも 誤解を招くでしょうから、割愛させていただきます。

<クィネル氏講演の略内容>
 日本(東京)に来るのは27年ぶりですが、27年前までの一時期は、何度か日本に来ていました。 私は日本の雰囲気が好きなので、大変嬉しく思います。日本以外では今後も、サイン会も、講演会も、 するつもりはありませんが、何作か出したあとで、また日本に来たいと思います。

 私は作品を書くとき、女性を誘惑するような気持ちで書いています。また、取材をとても大切にして います。たとえばメキシコシティーについて書くのなら、その街の小さな通りの名も、前もってすべて 把握することが大事だと思っています。それから、書くときは急ぎすぎてはだめです。出来上がったら、 いったん時間をあけ、それから修正して、ふたたび時間をあけます。それから修正し、編集者に渡します。 ですから、手元から作品が離れてしまうと、成長した子供が巣立っていったような淋しさをおぼえます。

 書く作業はとても孤独で、なにかと言い訳をつけて逃げようとしますし、本当にこれでいいのかと 疑ってしまうときも多いのです。時には二、三週間、長いときには二、三年もスランプだったこともあり ます。ただ、先人の作家も「書くことを楽しめるのは、馬鹿かアマチュアだ」と言っていたので、そういう ものだろうと思っています。ところが、私の妻が(奥様はデンマーク人、赤みがかったブルネットの北欧 美人で、クィネルよりだいぶ背も高い、モデルさんのような人でした)、最近になってジャーナリストから 作家に転身し、作品も好評を博しました。彼女は朝八時に起き、それからとても楽しそうにパソコンの前に 座り、次々と作品を仕上げていきます。これには驚きましたが、彼女はまったく新しいタイプの作家なのか もしれませんね(笑)

 今回、「地獄の静かな夜」というはじめての短編を発表しました。私は、たとえばシャワーを浴びなが ら自分の爪先を見ていて、突然作品のアイディアが閃くことがあります。ただ、そういうアイディアは長編 には向きません。そういうアイディアがたくさん頭のなかに出来上がり、溢れそうになったので、出す、 つまり短編の作品として仕上げる必要性が出てきたのです。短編を書いてみての感想は、長編と違い、 人物像を形づけるのがとても難しい、ということです。

 私が18歳の時に見て、多大な影響を受けた映画が二つあります。ひとつはルイ・マル監督のフランス 映画「愛人」です。これは金持ちの女性が、子供も家もすべて捨て、貧乏な男のもとに走るという内容の 映画ですが、その中の、安っぽいカフェで女が鏡を見る、というシーンの雰囲気に、とても心惹かれるもの がありました。その映画を見た四年後、学生だった私は日本に来て、茶道の講習を受けました。そこで 私は、その映画から感じたのと同じ雰囲気を感じました。その後、映画関係の仕事をしているときに、 ルイ・マル監督に会って話す機会があり、そのことを話すと、なんとルイ・マル監督も、「愛人」を撮った 二年後に日本に来て茶道に触れ、やはり同じだと感じたと言うのです。雰囲気というのはそうやって人に 案外と正確に伝わるもので、とても大切だと思います。そして、もう一つの映画が黒沢明監督の「七人の侍」 です。この映画は私に、登場人物それぞれの、キャラクター設定の大切さ、おもしろさを教えてくれました。

 作家の思想は作品に反映されるのか、とはよく聞かれることです。もちろん、それは多分にあります。 私は宗教を信じすぎる人たちにとても興味があります。また、下の人たちは這いずり回り、上の人たちは シルクの服を着て、飛行機ではファーストクラスに座るという、そういう教団内のことも大変おもしろいと 感じています。ですから、私の作品には、そういった宗教集団の話がよく出てきます。

 傭兵というのはとても無口な人たちです。そして、傭兵をやめると社会にとけ込めない自分がいて、 とても孤独で苦しんでしまう人たちでもあります。シリーズを通しての主人公クリンシーには、そういう 面も出していっているつもりですし、また、心の奥底にやさしさがあり、その自分のやさしさに戸惑ってい る、そういう人物として描きたいと思っています。

<なぜ覆面作家になり、そして覆面をとることにしたのですか?>
覆面作家になったのは、作家としての自分と私生活を完全に分けたいと思ったからです。 作家は俳優や音楽のような、自らを使うパフォーマーではありません、作品がすべてです。 一度、おもしろいことがありました。飛行機の隣の席に、すごい美人が座りました。こういうことは 小説ではよくあることですが、日常生活はまずもってないことですね。その女性は乗っているあいだの 五時間ほど、ずっと本を読んでいました。仕事が忙しく、こういう機会でもなければ読めないと言って いました。そしてその女性は、飛行機を降りるとき、これは大変おもしろい本なので、ぜひあなたも 読むべきだと言いました。それは私の書いた「バチカンからの暗殺者」という本でした(笑)
 それではなぜ覆面をとったかというと、私はゴゾ島で、港の近くにバーを持っています。そこで バーテンのようなことをしていたところ、ドラゴンと呼ばれている日本の青年が現れ、「あなた、A.J. クィネルさんでしょ?」と言いました。ゴゾ島はとても小さな島です。それに、私の本を読んだ日本の 観光客の方もたくさんいらっしゃるようになりました。それで、もう隠すことは無理だと思い、 プロフィールを公表することにしたのです。ちなみに、今日、ここにドラゴンは来ているはずです。 ヘイ、ドラゴン、いるかい? (客席にいた三十歳前後の男性が元気に手を挙げ、場内に笑いが起きました)

<作家になる前は、どんな本を読んでいましたか?>
 8、9、10歳の頃、私は日に4、5冊は本を読んでいました。ジョイス、ヘミングウェイ、といった 普通は13、4歳にならないと読まないような作家の本です。私はとても早熟で、文学というものに 夢中になっていました。その後も、フォーサイス、ケンフォニット、ジェーン・レイトンといった多くの 作家の本を読みました。ただ、テクノ系(サイバーなSF?)の本だけは嫌いで、あまり読んでいません。 ただ、最近は作品を書くための資料を読みあさっているので、小説はあまり読んでいません。

<作品の映画化の予定はありますか?>
 私の作品の中では「燃える男」が85年に映画化されています。ただ、この映画はひどかった。とても ひどかった。お金をかけたというのに、ひどい、ひどすぎる映画でした。ちなみに、この映画は現在、 スイスでカルト映画として深夜上映されています(笑) その後の作品については、制作権を持っている 映画会社はありますが、今のところ、具体的な話はありません。

<クリンシーの息子マイクをなぜ殺してしまったんですか?>
 私の作品は、世界17カ国で翻訳され、出版されています。そして、その17カ国の、主に女性の ファンから、多数「マイクをなぜ殺してしまったのか」と抗議の手紙をいただきました(笑)  それに対して私は、「そうなっちゃったんです」としか答えようがありません。人生ってそんなもの じゃなですか。だから、マイクの身にもそういうことが起きたんですよ。ですから、そうなっちゃった んです(笑) ただ、本当のマイクは(クィネルさんの親友マイケル。マイクの名はこの人から もらったらしい)、今でも元気にゴゾ島でレストランを経営していますから、いつでも会えますよ(笑)

<作品のための取材で、どんなこわい目に遭いましたか?>
 「燃える男」を書くために、パレルモで、3つのグループのマフィアがもめているところを取材しま した。その時、その中のひとつのボスの息子とカフェにいたところ、その息子のボディーガードが、 やってきた車から撃たれ、殺されてしまいました。また、アフリカで、夜ライトを消した車の中にいた ところ、ライトをつけると象に囲まれていた、ということもありました。ただ、作品をつくるためには、 どんなに危険であっても、取材が大切です。

<これから先、命を狙われるようなことはありませんか?>
 ええ、もめていたマフィアたちはほぼ全員死んでしまったので、もう大丈夫だと思います(笑)

<次のクリンシーシリーズの作品はどうなりますか?>
 残念ながら、クリンシーも歳をとってきました(笑) そこで、次回作は時代を戻し、クリンシーが 17歳の時のインドネシアの戦争の話にするつもりです。もう少し待っていて下さいね。