あの頃のわたしは
あの頃のわたしは好きになることが好きになるのが好きだった。
ちょっと待ってくれ……あそこの煙草を一本たのむ、
ベッド・テーブルのうえのあの箱のだ。
うん、それで……君の話では
カントからヘーゲルへと
形而上学が発展する過程で
なにものかが失われたというわけだ。
ぼくも無条件に賛成だ。
いや本気で聞いていたよ。
Nondum amabam et amare amabam(Santo Agostinho).
あの頃のわたくしはまだ愛してはいなかったが、すでに愛することを愛してはいた。(聖アウグスティヌス)
こうした連想というやつは なんと奇妙なやつだ。
べつのことを感じることについてこうして考えているのにもうんざりだ。
ありがとう。火をつけさせてくれ。さあ続けてくれ。ヘーゲルは……
フェルナンド・ペソア詩選「ポルトガルの海」 P230〜231 池上岑夫訳 彩流社
わたしは仮面をはずし
わたしは仮面をはずし 鏡を見ていた─
とおい昔の子供が見えた。
なにも変わっていなかった……
これこそ仮面をはずすことのできる利点だ。
ひとはつねに子供だ
いまは過去のものとなった
子供だ。
わたしは仮面をはずし またかぶった。
こうしているほうがいい、
こうして仮面なしでいるほうが。
そしてわたしは戻る、糸の端で戻るようにほんらいのわたしの許へ。
フェルナンド・ペソア詩選「ポルトガルの海」 P236 池上岑夫訳 彩流社