僕の感性は
僕の感性は豊かで そのため
しばしば思いこむ
自分を感覚的な人間と
しかし考えてみれば これは
すべてぼくの感性とは独立に
思考させたものだ
われわれ生きている者にはすべて二つの生がある
生きることによって生きる生と
思考によって生きる生との
そしてこのように真と偽の二つに
裂かれた生 それのみが
われわれの生だ
いずれが真の生か
いずれが偽の生か われわれに
それが言える人はいないであろう
だがわれわれが生きるとき
その生は思考によって生きざるを得ぬ生
そうした生にほかならないのだ
フェルナンド・ペソア詩選「ポルトガルの海」 P32〜33 池上岑夫訳 彩流社
ポルトガルの海
塩からい海よ お前の塩のなんと多くが
ポルトガルの涙であることか
我らがお前を渡ったため なんと多くの母親が涙を流し
なんと多くの子が空しく祈ったことか
お前を我らのものとするために 海よ
なんと多くの許嫁がついに花嫁衣装を着られなかったことか
それは意味あることであったか なにごとであれ 意味はあるのだ
もし魂が卑小なるものでないかぎり
ボハドールの岬を越えんと欲するならば
悲痛もまたのり越えなければならぬ
神は海に危難と深淵をもうけた
だが神が大空を映したのもまたこの海だ
いずれが真の生か
いずれが偽の生か われわれに
それが言える人はいないであろう
だがわれわれが生きるとき
その生は思考によって生きざるを得ぬ生
そうした生にほかならないのだ
フェルナンド・ペソア詩選「ポルトガルの海」 P44 池上岑夫訳 彩流社