Re: ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ( No.1 ) |
- 日時: 2003/05/14 04:24
- 名前: すみ&にえ
- 参照: http://www.aw.wakwak.com/~w22/
- 有名すぎて、わざわざ書かなくてもって気もしますが、
ゲーテ(1749年〜1832年) ドイツの作家です。
ところで広辞苑に、「若きウェルテルの悩み」で疾風怒濤期の代表者となる、と書いてあったんですが、疾風怒濤期ってなんですか? なんか聞いたことあるような、ないような・・・。
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Re: ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ( No.2 ) |
- 日時: 2003/05/14 12:21
- 名前: もぐら <maulwurf@valley.ne.jp>
- 参照: http://www.valley.ne.jp/~maulwurf/
- 「疾風怒濤」期 Sturm und Drang。
名前の由来は、クリンガーMaximilian Klinger(1752-1831)の同名の戯曲によります。1770-1780年頃に起きた、当時の若い世代による文学革命の時代を指します。根本にあるのは、あの「自然に還れ」といったルソーJean-Jacque Rousseau(1712-1778)の思想があります。ものの本には「悟性に対する感情の優位を、心情の権利を強調し、悟性を根底として築かれた社会の堕落、文明の害悪を説き、自然への復帰を要求するとともに、感情の解放をすすめる」とあります。つまり、当時社会を支配していたフランス啓蒙主義に対する反動ということになります。 啓蒙主義の文学が目指していたことは、大まかに言って、個性を出すことよりも、合理主義的なものでした。啓蒙主義自体、人間の人格を作り出す要素が最もバランスの取れた、合理的「数学的比率」をもって組成されている人間を理想的な人間像とする人間観をもっていました。 それに対してルソーやヘルダーJohann Gottfried Herder(1744-1803)は、そのような合理性を排除する方向へと文学を進めます。そのヘルダーに出会うことでゲーテの文学観は大きな影響を受け、新しい時代の文学が始まるわけです。 シュトゥルム・ウント・ドラング期の文学の特徴は、簡単に言っちゃうと「脱理性によって、自我と個性を全面に押し出す」というもので、この特徴がもっともよく発揮される理想像として「天才」が求められました。まぁその天才の一人がゲーテだったわけですね。 この時期の「天才」は、強力で特徴のある個性=独創力を押し出し、己れの内部から湧き上がる本源的な生命の衝動に従って生きるような人を指しましたが、まさにゲーテそのもの、といったかんじがします。 そんな時期にゲーテの書いた『若きウェルテルの悩み』はヨーロッパ中で大流行となり、いたる所で若者の自殺が流行となり、社会的問題になったそうです。 うまくまとめられませんでしたが、手に入れやすいものとして、岩波文庫の『ドイツ文学案内』あたりにわかりやすく書いてあるのではないか、と思います。
それはそうと、ゲーテの小説では、他に『親和力』を忘れていました。スレッド立ち上げてからもよく考えたのですが、ゲーテらしさの良く出た作品、ということを考えると、『ウェルテル』よりも『ヴィルヘルム・マイスター』の方がいいのかもしれませんねぇ。
![メンテ](http://park8.wakwak.com/~w22/img1/mente.gif) |
Re: ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ( No.3 ) |
- 日時: 2003/08/15 03:51
- 名前: きゅー <hisaokanesh@hotmail.com>
- 参照: http://www.geocities.jp/s_kanesh/main.html
- うーむ。手塚富雄訳の『ファウスト』以上に素晴らしい作品などこの世にはそうは無いと思う私にはこのスレッドが閑散としているのは寂しい。
あ、そうか、戯曲は対象外だったっけ。。。 ゲーテというと私の中ではロマン派との対比という形で印象づけられていますが、もぐらさんの書き込みを読みますとそうでもないようですね。 『若きヴェルテルの悩み』はあまりにナヨナヨしすぎていて高校生の私にとっても気恥ずかしいものがありましたがみなさんはどうなんでしょう? エッカーマンの『ゲーテとの対話』(ゲーテに私淑していた弟子によるゲーテ観察記録?)なんかも読むとゲーテの人間っぽい弱さなんかも見えてきて面白いかも。
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Re: ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ( No.4 ) |
- 日時: 2003/08/16 00:55
- 名前: Katze
- もぐらさん、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』はともかく、『修行時代』も難しいですか?結構楽しく読みました。『マイスター』もよいですが、『親和力』はいかがでしょうか。若い頃読んだときには、一人が加わることで、四人となると、これまでとは違う関係が生じると。これはあまり実感が伴わないで、あくまで理屈で理解したと思いこんでしまったものでした。
歳をとりますと、理屈で解釈するというのがつまらなくなって、実感として分ることが大事に思えてきています。今でしたら、もしかすると肌でも分るかもしれないと思っています。
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Re: ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ( No.5 ) |
- 日時: 2003/08/17 11:05
- 名前: もぐら <maulwurf@valley.ne.jp>
- 参照: http://www.valley.ne.jp/~maulwurf/
- 『親和力』も、あの時代特有のものですね。何がしかの「テーマ」のようなものを意識して読むと深く読み込める、ということを言う人がいますが、はたしてそんな条件付きで名作と言えるのだろうか、ということを、ここ数年考えています。僕にとって、「名作とは何なのか?」という問いかけが頭を離れないわけです。これは「控え室」向きの話ですね。
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Re: ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ( No.6 ) |
- 日時: 2003/08/26 23:53
- 名前: Katze
- 『親和力』について、あの時代特有のものであるかどうか。ただ、もしある時代に特有のものでしかないなら、名作でも古典でもないですね。しかし、表現や状況は時代に縛られるでしょうが、『親和力』に書かれていることは、実感としても、現代に通用するどころか、よく理解できます(歳をとるとそれだけいろいろ体験も見てもきますから)。
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