すみ=「すみ」です。 にえ =「にえ」です。
エイミ・タン 
1952年2月19日、アメリカのカリフォルニア州オークランドで生まれた。 フレズノ、オークランド、バークレーおよびサンフランシスコ湾エリアの郊外で成長。 父親は北京で教育を受けたが、3人の子供を残し、1947年にアメリカへ移住。 14歳のとき、父親と兄が脳腫瘍で死亡。この悲劇の後、エイミと母と弟は、ヨーロッパにわたり、 エイミはスイスのモントルー高校を卒業した。アメリカに戻りサンホセ州立大学で言語学を学ぶ。 もともと作家を目指したことはなく、障害を持つ子供のために働くことを希望していた。 1989年「ジョイ・ラック・クラブ」が全米ベストセラーになると、「キッチン・ゴッズ・ワイフ」「私は生まれる見知らぬ大地で」 を続けて発表したが、その後は夫とサンフランシスコとニューヨークで暮らし、いったん断筆したが、最近になってまた 書きはじめたらしい。
すみ 長編3作書いて、いったん断筆してしまってたんだけど、また新作を書いているそうな。 邦訳が待ち遠しいところです。
にえ アメリカに住むチャイニーズ二世の話、とにかく流行ったよね。
すみ この人が現れてから、いろんな二世の人の本が出たよね。日系、韓国系、ベトナム系……。
にえ なんか夢中になって、いろいろ読みあさったよね。
すみ で、いろいろ読んでるうちに感動が薄まっていって、この人のことも放っておいたような。
にえ それが、年月が経って今になってみると、やっぱり良かったな、エイミ・タンと思うようになってきた。
すみ それまでって、移民というと苦労しました、辛かったですって話で、涙、涙で読むお話と相場は決まってたんだよね。
にえ それが、エイミ・タンの登場で変わったんだよね。
すみ フンワリやさしく、せつなく、同情じゃなく、共感を持って読める話に仕上がってることがすごく新鮮だった。
にえ 単に移民の話だけじゃなく、他の話をするにしても、感情を押しつけてこないところで感動を生むっていう形は、その後確立されたような気がする。
すみ 一緒にいるから聞けずにいて、わかってるようでわかってなかった親のこと、そういうところでも共感できたよね。
にえ 3作の長編のあと、いったんお休みして、それから今度はどんな作品を読ませてくれるのか楽しみ。
  
「ジョイ・ラック・クラブ」    <角川書店 単行本・文庫本>

1949年、サンフランシスコ。4人の中国人女性が集まり、中国での昔話をする会をひらき、“ジョイ・ラック・クラブ”と名づけた。それからほぼ40年が経って、メンバーの1人が亡くなった。その娘があとを引き継ぎ、母親の長年の秘密を知ることとなる。それをきっかけに、他の女たちの過去も話されはじめた。
「キッチン・ゴッズ・ワイフ」   上・下巻 <角川書店 単行本・文庫本>

第二次大戦直後、中国からアメリカへ移住したウィニーと、アメリカ育ちの娘パール。古い考えにこだわる母に白人の夫を持ち娘は反発する。だが老いてゆく母ウィニーは娘にすべてを語る決心をした。
「私は生まれる見知らぬ大地で」   上・下巻 <角川書店 単行本・文庫本>

アメリカに生まれ育ったオリヴィアは、中国人の父とアメリカ人の母を持つハーフだった。ある日、中国から歳の離れた見知らぬ異母姉クワンが引きとられ、ともに暮らすことになる。死者と話すことができるという姉に夜ごと聞かされる中国の一八六四年の物語に、オリヴィアは否定しつつも、強く影響されていく。