=「すみ」です。 =「にえ」です。 | |
「死んでいる」 ジム・クレイス (イギリス)
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火曜日の午後、海洋動物学者の夫婦ジョゼフとセリーヌは、学生時代の思い出の地、バリトン湾に続く 歌う砂丘を訪れた。そこで二人は殺された。全裸で性交の最中、石で頭をかち割られたのだ。そして、二人 の死体が発見されるまで、数日をようした。 | |
イギリスでは数々の文学賞を受賞し、ブッカー賞の最終候補にもなった作家さんの初邦訳です。 | |
デビューが40歳で、今55歳、もうちょっと若いかと思ってたね。 | |
で、この本、読んで愉しい、魅力的なって小説ではなかったよね。 | |
ストーリーは三十年前、ジョセフとセリーヌが大学院生だっ たときに、海洋生物の研究合宿に参加した話と、殺される直前のジョセフとセリーヌの話、ジョセフと セリーヌの死体がまだ発見されていない時点で捜しまわる二人の娘シルの話、それに二人の死体にまとわ りつく生物たちと腐敗の状況の話、この4つが平行してるの。 | |
ジョセフとセリーヌは愛すべき人物っていうのには、ほど遠い よね。ジョセフは背が低いことにコンプレックスを抱いてて、それをジョークのようにしてシツコク繰り返 す。こうシツコイと、同情するよりむかついてきちゃう。 | |
セリーヌはひょうたん体型で、セックスのことばっかり考えて るような女性。貧相な性経験がむなしく哀れ。 | |
二人はたいした情熱もないような薄い愛情でつながれてるのよね。 | |
二人のロマンスも妙にミジメったらしい。快活な学生たちから はずれ、はずれてるから結ばれあったような。 | |
唯一ロマンティックなエピソードといえば、オオナミバッタの 話だけど、それさえもツンとションベン臭さが匂ってくるような、冴えない話よね。 | |
セリーヌはちょっとジョセフの愚鈍さにに失望してたりもするしね。 | |
で、その二人が三十年ぶりに海岸を訪れたのは、二人の人生に とってはたった一つかと思われる、悲劇的な出来事を偲ぶため。 | |
それでなんで中年の二人が浜辺で性行為をしなきゃいけなかった かというと、その悲劇の思い出は二人にとっての初体験の思い出にも絡んでくるからなんだけど。 | |
で、二人を捜す娘のシル。この娘は頭を丸刈りにして、ウェイト レスの仕事をしている。学者の夫婦にしてみれば、失敗作のような娘。 | |
シルもまた、やけに惨めったらしい女の子よね。 | |
つまりこれは、たいして共感も覚えないような、どこにでも いるような平凡な人たちの死の話。 | |
作者は、無神論者の父親を亡くしたときに遺言に従って葬儀を 挙げなかった、そのとき残った虚しい気持ちから、死について考えはじめ、この小説を書いたとのこと。 | |
宗教がなければ、天国も地獄もなく、輪廻転生もない、だった ら死の先にはなにがあるのか。その答えがこの小説なのよね。 | |
死体は腐り、腐ったものを好む生物たちが命をながらえるため の餌となり、土の滋養になる。二人の後悔たっぷりの記憶は消え、思考は途絶える。たいして愛しあってい なかった夫婦のことは、娘によって少しだけ美化され、わずかながらも愛しあっていた夫婦としての思い出 が残り、それもやがては消えていく。 | |
それでも、生きていたということは、それじたいが自然界から の祝福であり、死はそういった自然界からの愛に満たされるということなのよね。 | |
そういう解釈がもう、神がなくても宗教なのかもしれない。 | |
どんな生き方であろうと、生は無駄ではないし、死もまた 意味がないこと、無駄なことではないんじゃない。それらの意義を求めることが宗教だったら、これもまた 神への信仰はなくても宗教かもしれない。 | |
哲学よりは、神のない宗教ってかんじだったよね。だからこそ、 ラストは宗教的なまやかしの美を削ぎ落としていても崇高。死への讃歌になってた。 | |
さてさて、こういう無神論者の作家の次の翻訳本は、なんとキ リストが主人公なんだそうな。どうなることやら。 | |